第68話 煙の中で真実は融解する
文字数 5,943文字
ジムは澱んだ煙をじっと眺めながらコトリーの言葉を待った。
ゆらめく指先の灰が静かに散り落ちていく。
「事件に使われた銃を覚えているか?」
「銃? はい、薬莢だけ見つかったやつですね。確か配給品と同じとか……」
「そうだ。ライフリングが決め手だったそうだ。だが行方不明になった銃は一つもないらしい」
「やけに遠回しな言い方ですね」
「ふふ、まあそう言うな。さすがに現職が持っているものと言う線はない。おそらくは押収品か廃棄品の横流しだろう」
「はっきりと断定はできないんですか?」
「まあな。一応は警察の管理品だし、公に認めるわけにもいかんだろう」
「大人の事情って奴ですか?」
「マスコミ対応と言うところだな。餌がなければ他に行く。こちらからわざわざ蒔く必要はないのさ。ただし、感づいてる記者は複数いるようだ。だが彼らももう声を上げれないところまでたどり着いている」
「ジョセフにはマスコミも恐れをなしますか……」
「相手をしたくないというのが本音だろう。息の掛かった連中があっち側にもたくさんいる」
「警察にも……、でしょう?」
「ああ……。これで状況的にはどうだ?」
「でもまだESCには……。それにトムが最重要容疑者の根拠も……」ジムはそう言い掛けて言葉を止めた。
脳内をアドレナリンが駆け巡っていく。
ひとつひとつのピースが徐々にハマっていくのがわかった。
「トムはカーヴォンスから送り込まれたスパイ?」
「それだよ」すかさずコトリーが言葉を挟んだ。
そして白い煙を大きく吐き出して続けた。
「トムがウチに入ってきたのは5年前だ。ジム、君が入ってきたのもそれくらいだろう」
「ええ」
「ちなみにカーヴォンスの設立年度を知っているか?」
「いえ……」
「腕章のロゴはどうだ?」
「ああ、警備員がつけているあれですか?」
「そうだ。そこに2035という数字があったはずだ。それが設立年度だ」
「6年前?」
「そう、由々しき癒着が断ち切られる前の年だよ。ジョセフはそれまでに集めた資金で小さな警備会社を買収した。誰もが知らない会社だがライセンスはある。そして、癒着の終焉を予期しながら次のビジネスチャンスを窺っていた」
「あのひとつずつ拡げて言ってるとか言ってたアレですか?」
「そうだ。そしてESCは6番目の取引先になる」
「と言うことはあと5つ?」
「そうだ。他の会社は調べてみても埃すらも出ないほどの会社だ。金融コンサルタントとか建築住宅関係とか広告代理店とか。まあほとんど新鋭で急成長を遂げているイキのいい会社ばかりだからな。未公開株を買い付けて上場の後に売り抜いれば相当な儲けがあったはずだ。それで資金を増やしているのかも知れないが……」
ジムは経済に疎くコトリーの説明が抽象的に思えた。
それを察したのか「まあ、その話は今度だ」とジムの意識を呼び戻した。
「カーヴォンスの在籍記録によると、トムは1年間ジョセフの元で働いている。だが個人的な付き合いとかになるとまったくわからない。そして、彼と同じようにカーヴォンス警備から中途で警察官になった男は複数いる」
「そのカーヴォンス出身はジョセフの仲間ってことですか?」
「おそらくな」
「これで人と武器が揃ったってことですか?」
「そうだ。あとはなぜ被害者は殺されたのか? この疑問が解けていない。彼を殺す必要性と利益がわからないんだ」
ジムは再び思いを馳せる。
個人の怨恨でジョセフが動くとは思えないし、となるとやはり彼の死で何かを得る者がいるということか。
あるいは……。
巡る思考の中でふと違和感を感じた。
そしてそれが不意に言葉になった。
それはESCを発明と繋ぎ合わせた妄想にエディナを無理矢理混ぜ込んだような創作にも近かった。
「発明の人選に意図があるならばその結末にも意図があるのだろうか」
ジムの発言にコトリーは顔色を変える。
ジムに見えている何かが理解できずに彼の熟考を追えない。
「ひょっとしたら、あの被害者は何かを知ってしまったのかも知れない。あの発明の中あるいはその途中で」
「何を言ってるんだ?」
「コトリー刑事。利益はプラスとは限らない。マイナスをイーヴンにすることも利益になるのでは?」
「なに?」
「あの被害者はESCにとって厄介だったのではないでしょうか? そして、その為に殺されたのでは。ジョセフはESCとの関係を深める為にESCの依頼を受けた。こんな想像は飛躍しすぎでしょうか?」
何かを確信したかのように話すジム。
その言葉は鋭く力が漲っていた。
コトリーはどこにその自信があるのかがわからなかったが、「ないとは言えないが、あの被害者がESCから恨みを買うという類の情報はないぞ」と答えた。
「でも、適性がないからリストラされたんでしょ?」
「リストラ……、そうかそうとも言うな。でもESCからの出向は珍しくもないぞ。現にいくつもの会社や事務所に適材適所で動いていたはずだ」
「その適材適所はESCだけの利益でしょうか?」
「どういうことだ」
「人を社内外で動かしていくやり方は、ジョセフがトムを警察に向かわせたアイデアに似てはいませんか? あるひとつの企業から人の動きを介して事業を大きくしていくという方法に何か一貫性を感じるのですが……」
「言いたいことはわかるが、それで他に利益を得るとしたら誰だ? まさか、ジョセフだとでも?」
「少なくとも企業同士の関わりの中で勢力図を広げて、そこで影響力をつけていくのであれば金銭以上の利益を産みそうな気はします。まだ見ぬ野望とか計画とかあるのではないですか?」
「誰もが思いつかない地図を描くとでも?」
「彼の過去を少し知って、そして彼に実際に会っての感覚でしょうか……。彼には底知れぬ何かを感じます。あまりにも強かで隙がまったくない」
「なるほどな。ところで君がジョセフだとしたら何を目指していると思う?」
「……。そうですね、映画みたいですけど。フィクサーみたいな、影の支配者でも目指しているようにも思います」
「はは! フィクサーか。確かにあり得るかもなあ。笑い話にしか聞こえないが実際に彼が歩んでいる道はそれに近いかも知れない。もっともそれを止めることが我々の仕事ではないんだがな」
「わかっていますよ」
「話がずいぶんと逸れてしまったな。聞かせてくれないか? マイナスをイーヴンにする利益について。あの被害者が厄介者……、マイナスの状態として彼を殺すことでイーヴンになるとは思えない。むしろ、マイナス面が強調されそうにも思うが………」
「そうですね、ちょっと飛躍しすぎたかもしれません。排除がプラスと考えてしまって……。そう言われると、よほどの完全犯罪でないと意味がありませんね」
「そうだな……。彼がESCの発明に関わっているかは調べようがないが、発明に招待してから殺すと言うのは発明自体の宣伝にもならんだろう」
コトリーは熱くなりすぎた会話を冷やそうと必死だった。
「まあ、でもマイナスをイーヴンにするという発言は興味深い。他に何か具体的なことでも思い浮かんだのか? その前の意図的な出会いと結末というのも気になる話だが……」
「ああ、何となくですが……。あの発明は男女を引き合わせるだけでしたが、使い方によっては……」
「誰かを洗脳できるとか?」
「いえ、そんなマインドコントロールを感じる訳ではありません。でも、あの発明の世界で出会った男女はたとえ何らかの意図があったとしてもその感謝は絶えないと思います。それに人間というものを恐ろしく理解していないとああ言ったものはつくれないと思うんです」
「実際に体験したことがないから何とも言えんな」
「あの世界はたぶんコンプレックスを刺激する世界なんですよ。コンプレックスがキツい人間ほどあの発明にすがりたくなるのかも知れません」
「君にコンプレックスがあるとでも?」
「あまり人には言いたくありませんし、内緒にしておいてほしいのですが……」
「約束は守ろう」
「私は極度に女性と話すのが苦手で……」
「ほう……、まあ男社会の警察だからな。あまり仕事に影響はないか」
「そうなんです。たぶんそれが理由で今の職場を選んだのかもしれません。でも、やはり将来は不安ですし、男ですから……」
「ふふ……、こりゃあ、ますます他言無用だな。でも、まあ、わからんでもない。君はたしか独身だったし未来を見せるという謳い文句に興味が出たのも理解はできる」
「ひょっとしたら、エディナもまた何らかのコンプレックスを抱えているのかもしれない」
「エディナ? ああ、ESCの令嬢か」
「コンプレックスというのは人の中のかなりの部分を占めているような気がします。それこそが人間性と言うような……。それを理解して、コンプレックスのある者同士をうまく結びつけるというのはある意味凄いことだと思いませんか?」
「言いたいことはわかる。要は心理学的に人間を相当理解した誰かが、それを利用したいわゆる「発明」を作ったってことか。だが、それがマイナスをイーヴンにできるかな?」
「誰のマイナスをイーヴンにするかのが重要かと……。それがエディナなのか、それとも他の誰かなのか……」
「核心を突いたとまでは言えないな。だが、そこに動機と言うものが見え隠れするという君の言葉もわからんではない。被害者は誰かのマイナスをイーヴンにする存在だったかも知れないってことだな」
「そうですね。全体がそうなのか、彼自身がそうなのかはわかりませんが……」
「君はまだエディナって女が関係していると思っているんだろ?」コトリーが唐突に訊いた。
ジムは黙って頷く。
コトリーは「そうでないことを祈れ」と言って肩を叩いた。
「まだESCと発明との関係は立証されていない。そこに集った人が誰の意図によるものかもわからない。考えすぎるのは、よせ」
コトリーはそう言うと根本まで焦げた煙草を捻って消した。
白煙はふたりを覆うように車内を漂い続けている。
ふたりは無言のまま、時の流れに身を任せていた。
「そろそろ戻ります」
重苦しい空気の中、ジムがドアを開ける。
逃げ場を失った煙どもが昇華するように空に消えていった。
「ああ、くれぐれもトムの行動に注意を」
「そう言えば聞くのを忘れてましたね。あいつがどんなおかしな行動を?」
「ああ、妙なものを買い込んでいる。しかも勤務中に、だ」
「妙なもの?」
「そうだ。化学肥料と灯油缶、それに洗剤を買い込んでいる。クレジットの履歴を追ってわかったんだが……」
「今はそんなことも可能なんですね」
「まあ、極秘だがな。電脳班のごく一部の信頼できるチームに依頼して彼のインターネットでの行動を追いかけている」
「でも化学肥料も灯油缶もそれほど珍しいものでもないような……。この季節に灯油缶は必須でしょう。洗剤にしても日用品では?」
「それはそうなんだが、あいつ買った物を自宅に持ち帰っていないんだ」
「それは変な話ですね。署内のロッカーにでも置いてあるんでしょうか?」
「それがわからない。さすがに個人のロッカーを調べるところまで容疑は固まっていないからな。それに……」
コトリーは開けたドアを閉めるように合図する。
ジムは頷いて、シートに座り直した。
「カーヴォンス警備からきたやつはトムだけじゃないんだ」
「えっ?」
「数年にわたって、一人ずつ入ってきている」
「何かをする準備を着々と進めているということでしょうか?」
「わからん。だが、カーヴォンス出身の警察官が分署の中にもう5人もいる。無論、彼らも追いかけてはいるがカモフラージュかもしれない。他の4人にまったく動きがないからな」
「ちなみに誰です?」
「麻薬捜査課のチャールズ、電脳捜査課のオズワルト、刑事課のミラー。それに、交通課のレイだ」
「レイ?」
「そうだ。無論本署にも複数人カーヴォンス出身はいる。全員がそうであるかはわからないが何かしらきな臭い感じがしないか?」
「背景を知ると……、という感じでしょうか」
「そうだな。でも相手の目的が不明な以上こちらも動けん。今は静観ってところだよ。こっちの動きは向こうからは丸見えだろうからね」
「ひょっとして、いきなり本署の捜査班が登場したのは以前から内偵を進めていたってことですか?」
「そうだ。ただジャスティンが違和感を現実の危機と感じ始めたのは最近のことだがね」
「最近? あの殺人事件ですか?」
「いや、君がジョセフと会ったあの夜からだよ」
「そうですか……。それで名刺を見てあんなことを言っていたのか……」
「あんなこと?」
「ええ、ジョセフの名刺を見て『興味深い』って言ったんですよ。何のことか全然わからなくて……」
「なるほどな。でも今まで見えなかった何かって奴が見えたんだろうな」
「そんなに優秀なのですか、あの人は?」
「ふふ……、面白い奴だよ。優秀と言うよりは面白い。俺とは思考回路がまったく違うな。ああ言うのを天才って言うんだろう」
「そうですか……」
再び沈黙が煙を揺らした。
「そろそろ戻れ。怪しまれるからな」
「わかりました」
ジムはそう言うと辺りを見回しながら車外へと出る。
そして挨拶もなしに、ジムは裏通りをすり抜けて発射行へと消えていった。
ジムは裏口から二階に上がった。
そして屋上から降りるフリをして一階へと戻る。
翻ったジャケットの裾が一瞬だけ光った。
ジムはそれに気づくこともなく交通課へと降りていった。
デスクに座ると予想通りにレイが声を掛けてきた。
「どうだい? 少しは頭がスッキリしたか?」
「ああ、何となくだけどな」
「そうか」レイはそう言うと再びジムの腰を叩いた。
「よせよ」と手を払うジム。
ジャケットがはためいて再び何かが点滅する。
その光はレイの手の中に消えていった。
*****
違和感は疑念を充填し続ける。
暴発を招くか発砲に至るかは過去の深さに比例する。
路地裏の密室を眺めながら老人は呟く。
想像の中で育つ違和感は、所詮自己都合の創作にすぎない、と。
(第69話につづく)
ゆらめく指先の灰が静かに散り落ちていく。
「事件に使われた銃を覚えているか?」
「銃? はい、薬莢だけ見つかったやつですね。確か配給品と同じとか……」
「そうだ。ライフリングが決め手だったそうだ。だが行方不明になった銃は一つもないらしい」
「やけに遠回しな言い方ですね」
「ふふ、まあそう言うな。さすがに現職が持っているものと言う線はない。おそらくは押収品か廃棄品の横流しだろう」
「はっきりと断定はできないんですか?」
「まあな。一応は警察の管理品だし、公に認めるわけにもいかんだろう」
「大人の事情って奴ですか?」
「マスコミ対応と言うところだな。餌がなければ他に行く。こちらからわざわざ蒔く必要はないのさ。ただし、感づいてる記者は複数いるようだ。だが彼らももう声を上げれないところまでたどり着いている」
「ジョセフにはマスコミも恐れをなしますか……」
「相手をしたくないというのが本音だろう。息の掛かった連中があっち側にもたくさんいる」
「警察にも……、でしょう?」
「ああ……。これで状況的にはどうだ?」
「でもまだESCには……。それにトムが最重要容疑者の根拠も……」ジムはそう言い掛けて言葉を止めた。
脳内をアドレナリンが駆け巡っていく。
ひとつひとつのピースが徐々にハマっていくのがわかった。
「トムはカーヴォンスから送り込まれたスパイ?」
「それだよ」すかさずコトリーが言葉を挟んだ。
そして白い煙を大きく吐き出して続けた。
「トムがウチに入ってきたのは5年前だ。ジム、君が入ってきたのもそれくらいだろう」
「ええ」
「ちなみにカーヴォンスの設立年度を知っているか?」
「いえ……」
「腕章のロゴはどうだ?」
「ああ、警備員がつけているあれですか?」
「そうだ。そこに2035という数字があったはずだ。それが設立年度だ」
「6年前?」
「そう、由々しき癒着が断ち切られる前の年だよ。ジョセフはそれまでに集めた資金で小さな警備会社を買収した。誰もが知らない会社だがライセンスはある。そして、癒着の終焉を予期しながら次のビジネスチャンスを窺っていた」
「あのひとつずつ拡げて言ってるとか言ってたアレですか?」
「そうだ。そしてESCは6番目の取引先になる」
「と言うことはあと5つ?」
「そうだ。他の会社は調べてみても埃すらも出ないほどの会社だ。金融コンサルタントとか建築住宅関係とか広告代理店とか。まあほとんど新鋭で急成長を遂げているイキのいい会社ばかりだからな。未公開株を買い付けて上場の後に売り抜いれば相当な儲けがあったはずだ。それで資金を増やしているのかも知れないが……」
ジムは経済に疎くコトリーの説明が抽象的に思えた。
それを察したのか「まあ、その話は今度だ」とジムの意識を呼び戻した。
「カーヴォンスの在籍記録によると、トムは1年間ジョセフの元で働いている。だが個人的な付き合いとかになるとまったくわからない。そして、彼と同じようにカーヴォンス警備から中途で警察官になった男は複数いる」
「そのカーヴォンス出身はジョセフの仲間ってことですか?」
「おそらくな」
「これで人と武器が揃ったってことですか?」
「そうだ。あとはなぜ被害者は殺されたのか? この疑問が解けていない。彼を殺す必要性と利益がわからないんだ」
ジムは再び思いを馳せる。
個人の怨恨でジョセフが動くとは思えないし、となるとやはり彼の死で何かを得る者がいるということか。
あるいは……。
巡る思考の中でふと違和感を感じた。
そしてそれが不意に言葉になった。
それはESCを発明と繋ぎ合わせた妄想にエディナを無理矢理混ぜ込んだような創作にも近かった。
「発明の人選に意図があるならばその結末にも意図があるのだろうか」
ジムの発言にコトリーは顔色を変える。
ジムに見えている何かが理解できずに彼の熟考を追えない。
「ひょっとしたら、あの被害者は何かを知ってしまったのかも知れない。あの発明の中あるいはその途中で」
「何を言ってるんだ?」
「コトリー刑事。利益はプラスとは限らない。マイナスをイーヴンにすることも利益になるのでは?」
「なに?」
「あの被害者はESCにとって厄介だったのではないでしょうか? そして、その為に殺されたのでは。ジョセフはESCとの関係を深める為にESCの依頼を受けた。こんな想像は飛躍しすぎでしょうか?」
何かを確信したかのように話すジム。
その言葉は鋭く力が漲っていた。
コトリーはどこにその自信があるのかがわからなかったが、「ないとは言えないが、あの被害者がESCから恨みを買うという類の情報はないぞ」と答えた。
「でも、適性がないからリストラされたんでしょ?」
「リストラ……、そうかそうとも言うな。でもESCからの出向は珍しくもないぞ。現にいくつもの会社や事務所に適材適所で動いていたはずだ」
「その適材適所はESCだけの利益でしょうか?」
「どういうことだ」
「人を社内外で動かしていくやり方は、ジョセフがトムを警察に向かわせたアイデアに似てはいませんか? あるひとつの企業から人の動きを介して事業を大きくしていくという方法に何か一貫性を感じるのですが……」
「言いたいことはわかるが、それで他に利益を得るとしたら誰だ? まさか、ジョセフだとでも?」
「少なくとも企業同士の関わりの中で勢力図を広げて、そこで影響力をつけていくのであれば金銭以上の利益を産みそうな気はします。まだ見ぬ野望とか計画とかあるのではないですか?」
「誰もが思いつかない地図を描くとでも?」
「彼の過去を少し知って、そして彼に実際に会っての感覚でしょうか……。彼には底知れぬ何かを感じます。あまりにも強かで隙がまったくない」
「なるほどな。ところで君がジョセフだとしたら何を目指していると思う?」
「……。そうですね、映画みたいですけど。フィクサーみたいな、影の支配者でも目指しているようにも思います」
「はは! フィクサーか。確かにあり得るかもなあ。笑い話にしか聞こえないが実際に彼が歩んでいる道はそれに近いかも知れない。もっともそれを止めることが我々の仕事ではないんだがな」
「わかっていますよ」
「話がずいぶんと逸れてしまったな。聞かせてくれないか? マイナスをイーヴンにする利益について。あの被害者が厄介者……、マイナスの状態として彼を殺すことでイーヴンになるとは思えない。むしろ、マイナス面が強調されそうにも思うが………」
「そうですね、ちょっと飛躍しすぎたかもしれません。排除がプラスと考えてしまって……。そう言われると、よほどの完全犯罪でないと意味がありませんね」
「そうだな……。彼がESCの発明に関わっているかは調べようがないが、発明に招待してから殺すと言うのは発明自体の宣伝にもならんだろう」
コトリーは熱くなりすぎた会話を冷やそうと必死だった。
「まあ、でもマイナスをイーヴンにするという発言は興味深い。他に何か具体的なことでも思い浮かんだのか? その前の意図的な出会いと結末というのも気になる話だが……」
「ああ、何となくですが……。あの発明は男女を引き合わせるだけでしたが、使い方によっては……」
「誰かを洗脳できるとか?」
「いえ、そんなマインドコントロールを感じる訳ではありません。でも、あの発明の世界で出会った男女はたとえ何らかの意図があったとしてもその感謝は絶えないと思います。それに人間というものを恐ろしく理解していないとああ言ったものはつくれないと思うんです」
「実際に体験したことがないから何とも言えんな」
「あの世界はたぶんコンプレックスを刺激する世界なんですよ。コンプレックスがキツい人間ほどあの発明にすがりたくなるのかも知れません」
「君にコンプレックスがあるとでも?」
「あまり人には言いたくありませんし、内緒にしておいてほしいのですが……」
「約束は守ろう」
「私は極度に女性と話すのが苦手で……」
「ほう……、まあ男社会の警察だからな。あまり仕事に影響はないか」
「そうなんです。たぶんそれが理由で今の職場を選んだのかもしれません。でも、やはり将来は不安ですし、男ですから……」
「ふふ……、こりゃあ、ますます他言無用だな。でも、まあ、わからんでもない。君はたしか独身だったし未来を見せるという謳い文句に興味が出たのも理解はできる」
「ひょっとしたら、エディナもまた何らかのコンプレックスを抱えているのかもしれない」
「エディナ? ああ、ESCの令嬢か」
「コンプレックスというのは人の中のかなりの部分を占めているような気がします。それこそが人間性と言うような……。それを理解して、コンプレックスのある者同士をうまく結びつけるというのはある意味凄いことだと思いませんか?」
「言いたいことはわかる。要は心理学的に人間を相当理解した誰かが、それを利用したいわゆる「発明」を作ったってことか。だが、それがマイナスをイーヴンにできるかな?」
「誰のマイナスをイーヴンにするかのが重要かと……。それがエディナなのか、それとも他の誰かなのか……」
「核心を突いたとまでは言えないな。だが、そこに動機と言うものが見え隠れするという君の言葉もわからんではない。被害者は誰かのマイナスをイーヴンにする存在だったかも知れないってことだな」
「そうですね。全体がそうなのか、彼自身がそうなのかはわかりませんが……」
「君はまだエディナって女が関係していると思っているんだろ?」コトリーが唐突に訊いた。
ジムは黙って頷く。
コトリーは「そうでないことを祈れ」と言って肩を叩いた。
「まだESCと発明との関係は立証されていない。そこに集った人が誰の意図によるものかもわからない。考えすぎるのは、よせ」
コトリーはそう言うと根本まで焦げた煙草を捻って消した。
白煙はふたりを覆うように車内を漂い続けている。
ふたりは無言のまま、時の流れに身を任せていた。
「そろそろ戻ります」
重苦しい空気の中、ジムがドアを開ける。
逃げ場を失った煙どもが昇華するように空に消えていった。
「ああ、くれぐれもトムの行動に注意を」
「そう言えば聞くのを忘れてましたね。あいつがどんなおかしな行動を?」
「ああ、妙なものを買い込んでいる。しかも勤務中に、だ」
「妙なもの?」
「そうだ。化学肥料と灯油缶、それに洗剤を買い込んでいる。クレジットの履歴を追ってわかったんだが……」
「今はそんなことも可能なんですね」
「まあ、極秘だがな。電脳班のごく一部の信頼できるチームに依頼して彼のインターネットでの行動を追いかけている」
「でも化学肥料も灯油缶もそれほど珍しいものでもないような……。この季節に灯油缶は必須でしょう。洗剤にしても日用品では?」
「それはそうなんだが、あいつ買った物を自宅に持ち帰っていないんだ」
「それは変な話ですね。署内のロッカーにでも置いてあるんでしょうか?」
「それがわからない。さすがに個人のロッカーを調べるところまで容疑は固まっていないからな。それに……」
コトリーは開けたドアを閉めるように合図する。
ジムは頷いて、シートに座り直した。
「カーヴォンス警備からきたやつはトムだけじゃないんだ」
「えっ?」
「数年にわたって、一人ずつ入ってきている」
「何かをする準備を着々と進めているということでしょうか?」
「わからん。だが、カーヴォンス出身の警察官が分署の中にもう5人もいる。無論、彼らも追いかけてはいるがカモフラージュかもしれない。他の4人にまったく動きがないからな」
「ちなみに誰です?」
「麻薬捜査課のチャールズ、電脳捜査課のオズワルト、刑事課のミラー。それに、交通課のレイだ」
「レイ?」
「そうだ。無論本署にも複数人カーヴォンス出身はいる。全員がそうであるかはわからないが何かしらきな臭い感じがしないか?」
「背景を知ると……、という感じでしょうか」
「そうだな。でも相手の目的が不明な以上こちらも動けん。今は静観ってところだよ。こっちの動きは向こうからは丸見えだろうからね」
「ひょっとして、いきなり本署の捜査班が登場したのは以前から内偵を進めていたってことですか?」
「そうだ。ただジャスティンが違和感を現実の危機と感じ始めたのは最近のことだがね」
「最近? あの殺人事件ですか?」
「いや、君がジョセフと会ったあの夜からだよ」
「そうですか……。それで名刺を見てあんなことを言っていたのか……」
「あんなこと?」
「ええ、ジョセフの名刺を見て『興味深い』って言ったんですよ。何のことか全然わからなくて……」
「なるほどな。でも今まで見えなかった何かって奴が見えたんだろうな」
「そんなに優秀なのですか、あの人は?」
「ふふ……、面白い奴だよ。優秀と言うよりは面白い。俺とは思考回路がまったく違うな。ああ言うのを天才って言うんだろう」
「そうですか……」
再び沈黙が煙を揺らした。
「そろそろ戻れ。怪しまれるからな」
「わかりました」
ジムはそう言うと辺りを見回しながら車外へと出る。
そして挨拶もなしに、ジムは裏通りをすり抜けて発射行へと消えていった。
ジムは裏口から二階に上がった。
そして屋上から降りるフリをして一階へと戻る。
翻ったジャケットの裾が一瞬だけ光った。
ジムはそれに気づくこともなく交通課へと降りていった。
デスクに座ると予想通りにレイが声を掛けてきた。
「どうだい? 少しは頭がスッキリしたか?」
「ああ、何となくだけどな」
「そうか」レイはそう言うと再びジムの腰を叩いた。
「よせよ」と手を払うジム。
ジャケットがはためいて再び何かが点滅する。
その光はレイの手の中に消えていった。
*****
違和感は疑念を充填し続ける。
暴発を招くか発砲に至るかは過去の深さに比例する。
路地裏の密室を眺めながら老人は呟く。
想像の中で育つ違和感は、所詮自己都合の創作にすぎない、と。
(第69話につづく)