第89話 運命は遺伝する

文字数 6,068文字

 午前に召集された捜査会議の後、ジムは捜査資料を読み耽るために会議室の中にいた。
 署員に公開されていない資料が山のようにあり、ジムはそのひとつひとつを隈無く読んでいく。
 事件が起きてからの数ヶ月分の記録を読み込んで、知識だけでも特別捜査班の一員になるのには骨が折れる。
 その中でもジムは徹底的に殺人事件の被害者について調べていた。

 事前に知っていた内容や公開されている資料はESCの元社員、労務事務所への転職、ジムと同じように発明への招待状があったことなどだ。
 特別捜査班の資料にはそれら基本的な情報に加えて、労務事務所の設立に関する情報、被害者の家族情報、経歴、交友関係などあらゆる情報が掲載されている。
 どこで調べたのかわからないくらいの個人情報が山積していた。

「どうやって調べたんだろう……」

 ジムの呟きを余所に捜査員たちは談笑している。
 これくらいの資料は日常的なことなのだろうか。
 ジムは余計な思考に囚われそうにそうになると我に返るように資料に向かっていた。


 捜査員たちの議論の中心は被害者に自殺願望があったかどうかと、被害者が凶器を手に入れられる立場にあったかどうかの二点だった。
 凶器として使われたのは現職警察官にも支給されている銃で現場に残された薬莢と弾痕などから特定されている。
 当時の捜査では警察管轄内で不明になっている拳銃はなかった
 特別捜査班の中では廃棄品の流用もしくは癒着時代に流出したものを使用と考えられていた。
 そして、その背景にジョセフがいるとも考えられていた。

 殺人を濃厚に考えた末の結論であったが、これが自殺あるいは自殺幇助の可能性を考えていくと少し見方を変えなければならない。

「発明についての関係資料はこれか……」

 ジムは一通り資料を読み終えた後、自分にしかわからないであろう事実を探すことに躍起になった。
 最優先にすべきことであり、それを捜査員に周知させることが全体の利益になるはずだ。
 そう思って被害者のところに届いた封筒を隈無く調べていく。
 封筒の材質、便箋の内容、送られてきた機械など。
 そのどれもが送られてきたものと同じものだった。

「ジャスティンさん、この被害者のパソコンってここにあるんですか?」ジムはふと気になって訊いてみた。

「なぜだ?」

「いや、登録はパソコンでしているはずだし何か残ってはいないのかなと。あとは登録画面を印刷して残したりはしてなかったのでしょうか?」

「パソコンに関しては電脳捜査課で保管してあって内部メモリーから何から何まで科学捜査研究所で調べてある。残存する情報からそれらしきものは得られなかったよ。印刷に関してはさすがに彼の部屋のものをすべて持ってきているわけではないから何とも言えないな。どうしてそんなことを気にする?」

「いや……、なんとなくですけど。パソコン内にインターネットとかの閲覧履歴とか自殺者が集まったりするサイトへの出入りとか、他のSNSへの登録とかはなかったのかなと私は何となくこれに登録をしたけれど、そうじゃなくて、常にこう言ったものに興味があって、片っ端から参加している人もいるわけですよね」

「そうだな。今じゃ巷に溢れすぎて何が何だかわからないほどあるな」

「この人が出会いに渇望していたとすれば同じようなものに参加もしただろうし、恋人を捜していたのなら結婚相談所とかに相談とか行ってなかったんでしょうか?」

「やけにその男に拘るな」

「なんとなくなんですけどね……。どうして、この人は発明に登録し、また選ばれたんだろうかと思いましてね。それを言ってしまえば、私がなぜ選ばれたのかもわかりませんが……」

「君のなんとなくは怖いからな。でも、自分はなんで選ばれたと思っている? 星の数ほどいる独身の男性の中で君が選ばれた理由とはなんだ。これまでにこんな集まりに参加したこともないのなら個人情報が出回っているわけでもないし……」

 ジャスティンにふと違和感が走った。
 表情が険しくなり、ペンをくるくると回している。
 それに捜査員が気づいて、じっとジャスティンに注目する。
 それは何かを掴んだときの彼の仕草でもあった。

「ジムのように、個人情報が出回る可能性の低い男になぜ案内がくるのだろう?」

 ジャスティンは問いかける。
 捜査員それぞれが思ったことを口にする。

「さあ、それに関しては何とも……。少なくともこの被害者は初見ですし、ESCにも知人や友人はいませんし……」とジムが言った。

「君に関しては何故選ばれたのかは正直わからない。君に心当たりがないのなら我々にも分かるはずもない。それについては今後もう少し調べていかなければならないだろうな」

 ジャスティンは長考する。
 そして、「被害者がどのくらいこう言った出会い系に興味があったかはわからないが、ジムと同じようにあまり興味がなかったとして、なぜ彼に案内が来たのだろうか」と続けた。

 捜査員が一同にジャスティンの疑問にあれこれと言うが核心を突くような呟きはなかった。

「ESCの身近にいた人間だからでは? あくまでもESCが関与しているという仮定ではありますが……」

 ふと漏らしたジムの言葉に全員が騒然とした。

「身近? どう言う意味だよ」ウィッシュがジムに詰め寄る。

「いや、私が知っている登録者はESCに近い人が多いかなと思って……。殺された男は元社員。エディナはESCの社長の娘。ミュージアムホールで出会った男……、ああ、あの人がスタッカートさんか、その人をエディナはおじさまと呼んでいた。隣の女性は誰だ? いや、あの女性だけはわからない」

 ジムは譫言のように記憶を辿りながら独り言を放つ。
 そのすべてが他の捜査員には理解できない譫言のように思えた。

「スタッカートってのは、あの階上の老紳士か?」

「はい、ミュージアムホールでエディナに声を掛けてきた、年輩の男性です。確か……」

 そう言ってジムは財布からスタッカートの手書きのメモを見せた。

「これはなんだ?」

「エディナが入院していることを分署火災の日に私に伝えにきたそうです。その人が書いたメモだと、案内係の署員が私に渡してくれました。病院に行ってはみたけれど、面会謝絶で会えはしませんでしたが……」

「なんで入院してるんだ?」

「さあ、そこまでは……」

 ジムの告白はジャスティンの推理に新たな轍を刻んだ。

「そうか……、まあ、こんな渦中で忙しいがまた会いにいけばいい。止めはしないよ」

「ありがとうございます。今度の非番にでも出向くつもりです」

「それがいいな。気分転換も必要だ」

 ジャスティンは笑顔でジムの肩をポンと叩く。
 そして余談は終わりとばかりに迫力の顔に戻った。

「ところで、このスタッカートという男は随分と世話焼きだな」

「そうですね。私も一瞬しか会っていませんし。エディナとの関係もよくわかりません」

「そうだな。調べても親父の友人くらいのことしかわからなかった。ただ、かなり近い友人のようではあるが……。確か金融会社の会長だったかな。あの男は君の彼女と仲がいいのかもな」

「彼女じゃありませんよ」

「いいだろ、そう言うことにしておけ」

 ジャスティンが意地悪にユーモアを挟む。
 それも悪くないが現実は厳しく、そのユーモアとはかけ離れていて辛かった。

「その男をもっと調べる必要があるな。ESCとの関係、それと君の彼女との関係も……」

 ジャスティンは気遣いの視線を投げる。

「別に気にはしませんが、彼女が『おじさま』と呼んでいたのは確かです。そして、エディナのことを『ヴァンガードさんところのお嬢さん』みたいな呼び方をしていた記憶が……。ちょっと定かではないですが……」

「ふむ、その物言いだと親戚とかではなさそうだ。父親の古くからの友人で君の彼女と幼い頃を知っているという仮定は成り立つ」

「どっちかって言うとそんな感じがするかも……。まあ、なんとなくですが……」

「ウィッシュ! ESCの社長の交友関係を洗ってくれ。取引先の社長とかそんなところも含めてスタッカートという名前に注目しろ。そして、スタッカートの交友関係も一から調べなおすんだ!」

 ジャスティンが号令を発する。
 ウィッシュは深く頷いて部屋を飛び出して行った。
 それに数人の捜査員がついていく。

「いざとなったら、君が直接聞け。彼女の様子も少しは分かるだろう」

「わかりました。ありがとうございます」

「それと話は戻るのだが、それだけESCの身近な人がいる中でどうして君は選ばれたと思う? まったく関係ないんだろ?」

「そりゃ、そうですよ。ESCなんて初めて知りました。でも、事件の背景だけを考えて、都合のよい謎解きをすればESCとカーヴォンスの関係、ジョセフと警察の関係の中で浮上する可能性はあります」

「でもわざわざ警察官を招き入れるか?」

「それは何とも……。でも、あの殺人事件の道具にあえて警察官所有と同じものをあてがった理由に近いのでは?」

「それはどういうことだ?」

「だって、あの男が殺されたことで真っ先に容疑者になるんじゃないですか? 私が」

「ははは! なるほどな。それで真犯人から視線を逸らすために何も知らない警察官を招き入れたと。君は小説家になれそうだな」

「疑ったりはしませんでした?」ジムは意地悪く聞く。

「ああ、もちろん疑ったよ。でも、君は被害者との接点が無さすぎる。現職の警察官が所持品で犯行に及んでいたとしたら今の君のように冷静ではいられないだろう。それすらも偽ってここにいるのなら君はアカデミー賞の主演男優賞を獲れるぞ」

 ジャスティンも意地悪な笑みを返す。
 ジムは口元が緩んだ。

「まあ、ミスリードを誘いたかったんだろう。だが、それには発明に登録をした警察官誰かの告白が必要になる。それに期待するとは思えない。むしろあれに参加していた警察官がもし他にいたとしても参加したことを隠し通すだろうからね。凶器が判明した時点で容疑が真っ先に掛かるだろうから」

「なら、何故私なんでしょうね……」

「さあな。それは君のルーツに関係あるのかも知れないな」

「ルーツ?」

「君の父は確か警察官だったな」

「そうですが、それが何か?」

 ジャスティンは素朴に訊ねるジムに気後れする。
 ジャスティンは少し話しづらそうな感じで隣にいたコトリーを見た。
 ジムはジャスティンの視線を追ってコトリーを見る。

 コトリーは「俺に振るか」と思いながらもジャスティンに助け船を出すしかないと諦めた。

「君の父親は気の毒だった」コトリーは静かに話し出す。

「ええ、それは仕方のないことだと今になればわかります」

「それは警察官になったからと言うことか?」

「そうですね。何が起こるかわからない世の中だということは仕事を通じてですが理解できるようになりました。あの頃は私もまだ若かったし未熟だった」

「それは仕方のないことだ。それでも、父の死を乗り越えてでも君がここにいることは尊敬に値するよ」

「ありがとうございます。その言葉は父が喜ぶかと。ところで、何故父の話を?」

「君は警察官になって、おそらくは色々と聞いたと思うが君の父が巻き込まれた事件は癒着ありき頃の事件だ」

「それは……。まさか……」

「君は本当に勘が鋭いな」

「そうですか……。そんなところに因果があるなんて……」

「ただ、それが今回君が選ばれた直接の原因ではないだろう。だが、ひょっとするとという疑念はある。無論、ジョセフが発明に関与していたらという仮説が必要だがね……」

 ジャスティンはコトリーの助け船に乗りつつ、慎重に言葉を選んで彼の言葉を補完している。

「我々はあの時、同じチームだった。だが、彼の死は相手も意図しないほどの不運だった。ジョセフのことを調べれば分かるが彼が無意味に命を奪うことはない。そしてあの事件がきっかけで彼は地下に潜った」

「そうなんですか……」

「そして、あの日からこの街では銃声が消えたんだ」

 コトリーのその言葉はとても重たかった。
 父の死にとても重大な意味があったとは……。

「誇れ」ジャスティンはそう言ってジムの肩を叩く。
 ジムは無言で頷いた。

「彼の勇気は私たちの誇りでもある。我々は忘れはしない。その勇気は君にも受け継がれているようだ」

「そんな……。私はまだ何もしていないし、これから何かができるかもわかりません」

「ふふ……、謙遜するな。君は既に事件を動かしている」

「そうでしょうか?」

「はは……、そうだよ。君のおかげで随分と事件が動いたんだよ。君が名乗り出たことはとても勇気がある行動だ」

「ありがとうございます」ジムは謙遜の姿勢を崩さない。
「それとひとつ思い出したのですが、あのミュージアムホールのあの場所の映像とかって無いのですか? あの場所にいたほとんどの人が発明に登録した人だと思っているのですが……」

「それを調べてどうする?」

「その映像に私以外の警察官……、が映っているかもしれません」

「なるほどな。告白しないチキンを探すってことか。それは俺が当たろう。あそこの支配人は友人でね。まだその映像が残っているかはわからないが無駄足になっても良かろう。君の勘に賭けてみようか」

 ジャスティンはそう言うとコトリーをチラ見する。

「一緒に行こうか?」

「ああ? ああ……、そうだな」

「乗り気じゃないのか?」

「俺は芸術には疎いからな」

「大丈夫。君の素養は十分承知だ」

 ジャスティンはそう言ってコトリーを小突くとコートを羽織った。
 そしてポケットからキーを取り出してジムに投げた。

「案内を頼むよ」

 ジムは頷いてジャケットを手にする。
 そしてふたりの後をついていった。

 三人の動きを唖然と見上げていた捜査員に気づいたジャスティンは、「ああ、残った者はあの日のミュージアムホール周辺の状況を調べておいてくれ。確か交通規制とかいろいろあったはずだから」と指示を出す。

「わかりました。記録を調べてみます」

 そう答えると捜査員はそれぞれパソコンに向かった。

 カタカタと心地よく音が響く。
 ジャスティンは軽やかなステップを刻みながら廊下を歩いていった。

*****

 迫り来る終焉に向けてメトロノームは動き出す。
 刻むリズムに音が重なっていく。
 勢いを増す旧式を眺めながら老人は呟く。
 音楽は演奏者と聴衆の魂の融合によって完成する、と。

(第90話につづく)
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