第13話 心の音だけが聴こえる世界

文字数 1,389文字

 螺旋階段を駆け降りたエディナは路地裏にヒールを削らせて走った。
 漆黒の路地の向こうに光がこぼれる。
 グラデーションが鋭利な刃物のよう周囲の影を切り裂いていく。
 エディナは息を弾ませて通りに出て、そして言葉を失った。

 賑わいが消えた無人の街。
 エディナは違和感と静寂の中で立ち尽くした。

「嘘……、でしょ」

 路地裏の冷気が足元を侵食していく。
 無人の街で蠢くのは行き場をなくした枯れ葉だけだ。
 それらは還る土を探すようにレンガの突起に遊ばれる。
 鞭で痛めつけられたその肢体は容赦ない風に身を委ねていた。

「不気味ね」

 エディナの呟きが乾いた空気に澱む。
 静寂は淀みを一瞬でかき消してエディナの胸をしめつけた。

 誰かがどこかに潜んでいて私を窺っているのだろうか、と妙な妄想が心を過ぎる。

「映画の見すぎね」

 そして自分を映画のワンシーンを重ねていく。
 荒廃はない。
 生活感が殺がれただけのまさに映画のセットのような街。
 ディティールの細かい模型。
 赤絨毯で喝采を浴びる質感が奇妙さを際立たせている。

 エディナはショーウインドウのガラスを指先で撫でてみた。
 指の脂が白い傷のように残る。
 近づいて中を覗いてみると息がガラスを曇らせたが一瞬で透明に戻った。
 中から着飾ったマネキンがエディナをまっすぐ見つめていた。

 流行は変わっていない。
 やはり夢の続きなんだ。

 エディナは肩を落とし、人影を求めて重い足取りを刻んでいった。


 轍だけが残る車道、気配のない路駐、枯れ葉に埋もれそうな縁石。
 いつから車は走っていないのだろうか。
 エディナが踏みしめる枯れ葉だけが命を与えられて宙に舞っていく。

 靴底を鳴らしながら静寂に音を与えるエディナ。
 紛れるとは思えない孤独、心細さへの温かみはジムの笑顔だけだ。

 そんなことを考えていると風がザっと鳴って枯れ葉が宙に舞った。
 逆再生の雪模様。
 そのとき微かなドップラーが鼓膜を揺さぶった。

 神経を昂らせて音の行方を探る。
 耳を澄まして静寂の終わりを渇望した。

 枯れ葉はうねりを上げて散らばり地上に舞い戻る。
 そして帰還を許さない疾風がエディナの前に訪れた。

 回転灯を弾けさせた一台のパトカー。

「ひょっとして、ジム?」

 エディナは盲目的にジムが自分を捜しに来てくれたと思った。
 スモークの向こうに影が見えたような気がして思わず駆け寄る。
 すると窓が少しだけ開いた。
 うれしさがこみ上げて、エディナは両手を広げて走っていた。

 バン!

 乾いた音が響く。

 空気と枯れ葉の海を割いた乾いた音。
 エディナの額を鋭利な何かが通り抜けた。
 歓喜の貌のままエディナは前のめりに倒れていく。
 糸の切れたマリオネットが枯れ葉の海を揺らし、その場に俯せになって動かなくなった。
 額から一筋の紅が流れていく。

 目を見開いたままのエディナに影が覆い被さった。
 そして何かの確認をした男はエディナの瞼をそっと閉じた。

*****

 枯れ葉が抱く疑念の種、銃弾が打ち抜く偽りの魂。
 世界は平素に振る舞い、魂は後悔の海に溺れる。
 死体の傍らで老人は呟く。
 覚醒の質は眠りではなく日常に支配される、と。

(第14話につづく)
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