第31話 翼を広げても妖精の枷は外れない

文字数 1,563文字

 クリスマスマーケットの喧噪から離れた旧家のリビングに怒号が響いた。
 まくしたてるエディナの唐突な怒り。
 穏やかな夕食の席は一瞬にして凍りつき、母の宥めに不本意に口を結ぶ。
 父はエディナの狼狽を意に介さずにサーモンのカルパッチョに舌鼓を打っていた。

「急にそんなこと決められても困るわ!」無粋な生意気が吐き捨てる。

「毎年のことだろう。黙ってついてきなさい」父は威厳で制し反論を許さない。

「私は行かないわよ。その日は用事があるから」

「ほう……、今のお前に何の用事があると言うのだ」

「用事……は、用事よ」

「誰かとデートでもするのか?」

「うるさいわね!」

「先約があっても断りなさい。パーティーには各界から著名な実業家が集まるんだ」

「ただの品定めでしょ」

「これ、そんな言い方をするんじゃない。お前のためを思ってのことだ」

「嫌いなのよ。金持ちのボンボンは!」

「いい加減にしないか!」冷淡に怒りが入り混じる。
リミットを感じた母は「エディナ。お父様に謝りなさい」と興奮を制した。

「わ……、わかったわよ。でも行かないからね……」

 エディナはそう言うと席を立ち自分の部屋に向かう。
 父は憮然と後ろ姿を眺めていたがやがて何事もなかったかのように食事を続けた。
 母も呆れながらブツブツと小言を絶やさない。

「なんだあれは? 新しい男でもできたのか?」

「さあ、知りませんよ」

「それにしても困ったやつだ」

「そうは言ってももういい大人ですからね。好きにさせてやってはどう?」

「どこの馬の骨とも分からんやつと結婚されても困るぞ」

「あらあら、イヴにデートするだけで結婚だなんて。あなたも短絡的ね」

「そうは言ってもなぁ、マリー」

「あそこまで反対するのは珍しいじゃない? お相手に相当惚れ込んでいるんじゃないのかしら?」

「それにしても……」

 毎年クリスマスイヴには父の会社主催のパーティーが行われてきた。
 婿探しに躍起になる父は娘の美貌を自慢し社交と言う名のサーカスに興じている。
 良からぬ下心が会場を渦巻き、エディナはそんな下世話な時間に辟易としていた。

 一応父の顔を立てて反発はしなかったが今年は違う。
 ジムに会いたい一心で頑なに拒んだ。
 でも理由など言えるはずもない。
 怪しいプログラムで一夜を過ごした男と会うなどとは……。
 職業貴賎はないとしても官僚でもない普通の巡査との交際を許すはずもない。


 エディナはベッドに顔を埋めて泣いた。
 父の強引さは怒りを呼ぶが、切なさを拭きれない自分は路頭に迷ったままだ。

 どうしてこんなにも彼に曳かれるのだろう。
 その理由もわからない。
 今までに出会った男と違うから?
 そんな単純なものではないはずだ。

 時が心を落ち着かせ、エディナはふと招待状を読み返した。
 そして、裏に印刷されたチケットをじっと見つめてミュージアムホールに想いを馳せる。

 優雅なホールの中で行われるクラシックが愛でるイヴの夜。
 傍らにはジムがいる。
 弦の音は鼓動を隠してくれるかしら?
 エディナは都合のよい妄想に耽りながら忌々しい父の言葉を忘れようとした。

 イヴまであとわずか。
 街灯の傘に粉雪が積もり始めていた。
 雪に彩られる聖夜は恋人たちに寄り添うだろうか。
 刻まれる胸の高鳴りが時の刻みと歩調を合わせた。
 エディナは招待状を頬に当てそっと目を閉じた。

*****

 ジングルベルがどこからともなく聞こえてくる。
 聖夜を彩る音楽が雪に混じり空を覆っていく。
 聖歌隊のコーラスに耳を傾けて老人は呟く。
 神聖なる夜は最も純粋な心のために存在する、と。

(第32話につづく)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み