第119話 上書きより下書き
文字数 1,214文字
藤原家のリビングルームで、マナが年賀状を書いている。
「お兄ちゃんはもう書いたの?」
上目遣いの愛妹。
「ああ。年賀状もコツがあるんだ」
聞いてみよう。
「へえ、どんなの?」
ペンを留めるマナ。
「宛名や絵柄はプリントでやってる人が多いだろうけど、どんな一言を書くかでためらってしまうんだよな」
せっかく年賀状をもらっても印刷の定型文だけではあまり嬉しくない。
「そうなの。筆ペンだから訂正できないし」
迷惑メールが増えるのは、簡単に送れてしまうからである。SNSで
「どんな文章でもまずは下書きだよ。それで文を推敲して完成させておけば、あとは写すだけだろ」
簡単なようでいて、飛ばされがちなタスクである。
「そうよね! 下書きはポメラでもなんでもいいわけだし」
「そう。あと去年は何て書いたっけ?って忘れがちだろ。同じ内容を書くのも防げるって訳だ」
年賀状の返信で、自分の文面を見てそれに適した文章を書いてくれているのに、当の本人が自分はなんと書いたか忘れていることさえある。
「修正されて前の文章が分からなくなることもあるよね。上書きされる前のが良かったのにってことも結構あると思う」
下書きの対義語は、オーバーライトの意味の上書きではないことを記しておこう。
「それはあるよなあ。紙の書類が無くなったら、現代の言い回しに適した貧弱な文章しか残らなくなる
便利になるためのデジタルデータへの移行は、なんら問題ない。だが、なぜそこで紙媒体をすべて破棄という流れになるのか。責任を追及された時にデータが消えたと言わせないためにも、過去の優れた研究を消失させないためにも、紙は残さなければならない。
「デジタルデータに完全移行したほうが税金が掛からないって論調をよく見るね」
情報漏洩の結果で上積みされた対策費を湯水のように投入されている。個人情報はオンラインにしない、消えないために紙で残すのが最大のセキュリティ対策である。こんなに簡単に漏れるニュースが続くと、わざとやっているのではないかとの疑いが向けられて当然である。そこで甘い蜜を吸うのは誰なのか判明すれば、事件は解決だ。
「振り回された関係各所への損害のほうが、よっぽど税金が掛かってるなあ」
この物語で何度も述べているが、メシヤは自分がパソコン少年であるからこそ、危険性と不経済性に着目し、おためごかしの政策に反対しているのである。
「自分のスピーチも下書きしてないんだろうね」
そんな人物が、突然の質問に答えられるわけが無い。
「お答えは差し控えるってやつだな」
江戸時代において〔差し控え〕とは、不祥事の際に出仕を禁じ、自宅謹慎させることを意味した。
「こっちのほうがピッタリだね」