第92話 名文を学習して文章を磨く
文字数 3,740文字
学習は自分の世界を広げ、人間性の向上にもつながります。
他人の目から見る世の中は自分とは違う事が多いものです。
小説の主人公に身を重ねて読んでいくと、自分の人生では体験できない世界があります。
「あっ!」と思う事が一つでもあれば、自分が変わります。視点が変わります。
名文をいくつも読んでいると、文章の作り方がぼんやりと身についてきます。
身体には毎日水や食べ物を補給しないと痩せこけてしまいます。
心にも水や食料を補給しないと、痩せ衰えた心になってしまいます。
私は毎日のように、名文を読み心に栄養を補給しています。
魂をいやすような詩を読み、心にもシャワーも浴びています。
ごくわずかな天才は、生まれつき優れた能力を持っています。
文学、音楽、科学、天文学等、スポーツ、趣味。各分野に何人かの天才がいます。
凡人は、努力の積み重ねで天才を学んで近づいていこうとします。
文豪と呼ばれる小説家の文章には、学ぶべきものが多くあります。
たとえ老人あろうが、その気になって練習すれば必ず上達すると信じています。
<参考になる名文>
1.『雪国』川端康成〈1935〉
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。
娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
2.『蟹工船』小林多喜二〈1929〉
「おい地獄さ行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
3.『人間失格』太宰治〈1948〉
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く?
4.『草枕』夏目漱石〈1906〉
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
5.『平家物語』未詳〈1219以前〉
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。
たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
6.『檸檬』梶井基次郎〈1925〉
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか、酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
7.『変身』カフカ (高橋義孝 訳)〈1912〉
ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。
8.『金閣寺』三島由紀夫〈1956〉
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私という子を設けた。
9.『方丈記』鴨長明〈1212〉
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
10.『斜陽』太宰治〈1947〉
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をおあげになった。
「髪の毛?」スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
11.『羅生門』芥川龍之介〈1915〉
或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下にはこの男の外に誰もいない。唯、所々丹塗の剥げた大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。
12.『死者の奢り』大江健三郎〈1957〉
死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。
13.『徒然草』兼好法師〈1330頃〉
つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
14.『坊っちゃん』夏目漱石〈1906〉
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。
15.『限りなく透明に近いブルー』村上龍〈1976〉
飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。
16.『高瀬舟』森鷗外〈1916〉
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。
17.『伊豆の踊子』川端康成〈1925〉
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
18.『山椒魚』井伏鱒二〈1929〉
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外へ出ることができなかったのである。
19.『葉』太宰治〈1936〉
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
20.『吾輩は猫である』夏目漱石〈1905〉
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
21.『潮騒』三島由紀夫〈1954〉
歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。 歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。
一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。
22.『走れメロス』太宰治〈1940〉
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
23.『こころ』夏目漱石〈1914〉
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間をはばかる遠慮というよりも、そのほうが私にとって自然だからである。
24.『桜の樹の下には』梶井基次郎〈1928〉
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
25.『仮面の告白』三島由紀夫〈1949〉
永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。
26.『風立ちぬ』堀辰雄〈1938〉
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。
こういう名文を読むと私は落ち込んでしまう。
私にはどうしても届かない世界がある。
その時は山本有三の「路傍の石」の中の名文を2~3度唱えて心を鼓舞する。
いつもこの文章で救われる。優れた文章は弱いものを慰める力を持っている。
・・・・たったひとりしかいない自分の、
・・・・たった一度しかない人生を、
・・・・ほんとうに生かさなかったら、
・・・・人間、生まれてきたかいがないではないか。
さらにいくつかの名文で心に激しいシャワーを浴びせる。
並木秀之の名言・・・・・・・・・・・
才能がないから夢をあきらめるべきといった思考は捨ててしまえ。
経験は才能や知識を凌駕するのです。
これだという道を見つけたらまず飛び込んでみる。
才能や知識が今なくても経験を積んでいけば道は必ず開ける。
他人の目から見る世の中は自分とは違う事が多いものです。
小説の主人公に身を重ねて読んでいくと、自分の人生では体験できない世界があります。
「あっ!」と思う事が一つでもあれば、自分が変わります。視点が変わります。
名文をいくつも読んでいると、文章の作り方がぼんやりと身についてきます。
身体には毎日水や食べ物を補給しないと痩せこけてしまいます。
心にも水や食料を補給しないと、痩せ衰えた心になってしまいます。
私は毎日のように、名文を読み心に栄養を補給しています。
魂をいやすような詩を読み、心にもシャワーも浴びています。
ごくわずかな天才は、生まれつき優れた能力を持っています。
文学、音楽、科学、天文学等、スポーツ、趣味。各分野に何人かの天才がいます。
凡人は、努力の積み重ねで天才を学んで近づいていこうとします。
文豪と呼ばれる小説家の文章には、学ぶべきものが多くあります。
たとえ老人あろうが、その気になって練習すれば必ず上達すると信じています。
<参考になる名文>
1.『雪国』川端康成〈1935〉
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。
娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
2.『蟹工船』小林多喜二〈1929〉
「おい地獄さ行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
3.『人間失格』太宰治〈1948〉
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く?
4.『草枕』夏目漱石〈1906〉
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
5.『平家物語』未詳〈1219以前〉
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。
たけき者もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
6.『檸檬』梶井基次郎〈1925〉
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか、酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
7.『変身』カフカ (高橋義孝 訳)〈1912〉
ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。
8.『金閣寺』三島由紀夫〈1956〉
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私という子を設けた。
9.『方丈記』鴨長明〈1212〉
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
10.『斜陽』太宰治〈1947〉
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をおあげになった。
「髪の毛?」スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
11.『羅生門』芥川龍之介〈1915〉
或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下にはこの男の外に誰もいない。唯、所々丹塗の剥げた大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。
12.『死者の奢り』大江健三郎〈1957〉
死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。
13.『徒然草』兼好法師〈1330頃〉
つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
14.『坊っちゃん』夏目漱石〈1906〉
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。
15.『限りなく透明に近いブルー』村上龍〈1976〉
飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。
16.『高瀬舟』森鷗外〈1916〉
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。
17.『伊豆の踊子』川端康成〈1925〉
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
18.『山椒魚』井伏鱒二〈1929〉
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外へ出ることができなかったのである。
19.『葉』太宰治〈1936〉
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
20.『吾輩は猫である』夏目漱石〈1905〉
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
21.『潮騒』三島由紀夫〈1954〉
歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。 歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。
一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。
22.『走れメロス』太宰治〈1940〉
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
23.『こころ』夏目漱石〈1914〉
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間をはばかる遠慮というよりも、そのほうが私にとって自然だからである。
24.『桜の樹の下には』梶井基次郎〈1928〉
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
25.『仮面の告白』三島由紀夫〈1949〉
永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。
26.『風立ちぬ』堀辰雄〈1938〉
それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。
こういう名文を読むと私は落ち込んでしまう。
私にはどうしても届かない世界がある。
その時は山本有三の「路傍の石」の中の名文を2~3度唱えて心を鼓舞する。
いつもこの文章で救われる。優れた文章は弱いものを慰める力を持っている。
・・・・たったひとりしかいない自分の、
・・・・たった一度しかない人生を、
・・・・ほんとうに生かさなかったら、
・・・・人間、生まれてきたかいがないではないか。
さらにいくつかの名文で心に激しいシャワーを浴びせる。
並木秀之の名言・・・・・・・・・・・
才能がないから夢をあきらめるべきといった思考は捨ててしまえ。
経験は才能や知識を凌駕するのです。
これだという道を見つけたらまず飛び込んでみる。
才能や知識が今なくても経験を積んでいけば道は必ず開ける。