第104話   人生の最期を考える

文字数 1,702文字

これから間もなく我々団塊の時代の「老衰による死」が始まろうとしています。
老人にとって「死」は自然です。「老衰」は人生のハッピーエンドです。
あと何年かで人生の最後を迎えると思うと少し寂しい気もしますが。
ここまでよくやってこられたな~と思うと幸運な人生だったとも言えます。

老人と呼ばれる年代になれば、当然死は怖いですが、心のどこかで死は覚悟します。
「死にたくない本能」と「死を覚悟する理性」があります。
老人になると色々な病気になります。抵抗力や免疫機能がなくなります。
癌であろうが、風邪であろうが、みんな「死」に至る病気になります。
医師から延命措置の希望を聞かれれば、それは「延命」を選びたくなります。
家族は「何とかなるならお願いします」と言うでしょう。
私が医師から直接聞かれれば「保険がきく緩和医療でお願いします」といいます。
医者は「わかりました」と答えるでしょう。これで覚悟が決まります。

「延命措置」は1回選ぶと死ぬまで続く延命治療が始まります。
途中でやめる事はできなくなります。
寿命に近い老人の延命措置は必要なのでしょうか。

ここに<日本の医療産業>の問題があるような気がします。
延命措置は本人の意思にかかわらず、死ぬまで続けられるのでしょう。
「死」より恐ろしいと思います。
意志の示せない状態で「生存を続ける」のは生きたままの地獄です。
延命治療は多くの金銭的、精神的負担を強いられます。
さらに家族の大きな負担を必要とします。
老後の幸せのために蓄財した財産を、不幸せのために使わなければなりません。

私が子供の頃、年寄りは家族の見守る中で亡くなっていきました。
家族の見守る中で「おじいさん、亡くなっちゃったね」が普通でした。
老人になれば、心の中ではだれでも「死」は覚悟しているのではないでしょうか。
できれば家族が優しく寄り添って、安心して永眠できるようにするのが自然です。
わたしはそんな最後の姿を描いています。

その場になって、医者に「“緩和医療”でお願いします」と言えるか不安です。
その場になって、醜態を見せないように、心の準備をしておきたいものです。


※「参考」・・・・・・著名人の最後の言葉

●さよなら…もしまた会えたら      マーク・トウェイン
●馬鹿らしい、馬鹿らしい!         森鴎外
●ああ、いいきもちだ           宮沢賢治
●涼しい風だね             島崎藤村
●小説を書くのが嫌になったから死ぬのです 太宰治
●散歩に行く                川端康成
●私は死ぬことを恐れていないよ。      チャールズ・ダーウィン
●どうも僕にはわからない          野口英世
●死にとうない              一休宗純
●「裏を見せ表を見せて散るもみじ」    良寛
●「ありがとう」                 エノケン
●妻に「おい、だっこ」              大宅壮一
●妻に「おい、いい夫婦だったなあ」        徳川夢声
●「私が死んでも、3日間は墓に入れないでくれ。  J・ワシントン
●「窓を開けてくれ。明りがもっと入るように」   ゲーテ
●「じゃあまた。いずれあの世で会えるんだから」  マーク・トウェーン
●「何もかもウンザリしちゃったよ」        チャーチル
●「これでおしまい」               勝海舟
●「死にかけの人間は何をするのも簡単じゃねえな」 ベンジャミン・フランクリン
●「向こうはとてもきれいだよ」          トーマス・アルバ・エジソン
●「明かりをつけてくれ。暗い家に帰るのは嫌だもの」オー・ヘンリー
●「友よ拍手を、喜劇は終わった」 ベートーヴェン

ああもう8時か。これで今日の仕事も無事に終わった。
さっき妻が買ってきた冷蔵庫の中の梅酒と焼き鳥でゆっくりしよう。

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