第94話 私の老年は完成した!

文字数 2,914文字

私の老年は完成したのかもしれない。
毎日が幸せな気分で過ごしている。ほんの僅かな事にも小さな幸せを感じている。
ストレスがない。悩みがない。多少の悩みがあってもすぐに忘れてしまう。
あれ、悩みがないのはボケの始まりかなとも思えなくもない。少し心配になる。
でも仕事はちゃんとできている。ボケた講師の教室にお金を払って通うものはいない筈だ。

朝早くから教室に来て掃除をする。散乱しているものを片づける。猫に餌をやる。
今日の受講者の準備をする。こういう日常にも小さな幸せを感じている。
今日はあっさりとして風がさわやかだ。久しぶりにいいお天気になった。
毎朝、片道2kmを自転車で往復している。
かなり体力がいる。自転車には速度メーターが付いている。
確か以前は、時速15kmで走っていた。この頃は10kmに落ちている。
力を入れてこいでも速度が上がらない。体力が落ちたな~と感じていた。
老化という自然現象だから仕方ないかとあきらめていた。年相応にすごしている。
昨晩、自転車に空気を入れた。乗り始めたら、軽く時速15kmで走れる。
タイヤの空気があまかったのだ。考えが甘かった。老化のせいではなかった。
こんなところにも幸せな日常があった。

このごろ妻が機嫌がよくなってきた。理由はわからないが妻が上機嫌なのは幸せだ。
妻が「少し背が低くなったみたいだね。顔に皺もいっぱいになったね」と余計なことを言う。
こういうつまらないことを言う時は機嫌がいい時なのだ。
背が小さくなる?そんな訳がある筈がない。実際に計ってみた。169㎝だった。
最近、身長なんて計った事がない。机の中から10年前の健康診断を見た。
173cmと書いてある。4cmも低くなっている。老化現象だと思った。
一度はがっかりした。年相応かな?と思ってあきらめた。
「あんた、この頃人間が小さくなったね」と言われないだけよかった。
ほんの少しだが幸せを感じた。このままいつも機嫌がよければいいが・・・・

日曜日に、娘婿の誕生会をした。婿は「焼肉」がいいという。
「黄金の牛」という焼き肉屋に行った。内心は行きたくなかった。
歯が悪くて肉が食いちぎれないのだ。しばらく肉は食べていない。
以前、リンゴをかじったときに前歯が欠けた事がある。
以前、スルメイカを食べた時に奥歯がポロっと欠け落ちてしまった。
歯に力を入れるのが怖い。これも老化とあきらめていた。
今は、卵、納豆、ふりかけ、海苔、煮物などが主なおかずになっている。

二組の夫婦4人で焼き肉を食べ始めた。
セットで頼んだので、色々な肉を網に乗せて焼き始めた。どうしよう~~~。
焼け始めて、ジュ~ジュ~音がし始めた。私が肉は嫌いじゃない事を娘は知っている。
最初は「タン」が焼けた。娘が小皿に入れてくれる。
覚悟を決めなければならない。いいか、ある程度かんだら飲み込んでしまおう。
いくら噛んでも飲み込む大きさにならない。みんなは次の肉に進んでいる。
私は、口の中でまだ「タン」をもぐもぐしている。「タン」はそんなに固くない。
ただ、柔軟性があって、なかなか食いちぎれないのだ。
いわばガムを2~3枚噛んでいるような感じなのだ。
5分くらい噛んでも小さく嚙み切れない。「タン」の味はすでに消え失せている。

小皿には、次の肉を娘がのせてくれている。まだ口の中には「タン」が入っている。
私はテッシュを2~3枚とり、鼻をかむようにして、口の中からタンを取り出した。
素早くポケットに隠した。娘は何か感じはじめた。
「どうしたの、おとうさん」
「うん。ちょっと歯が悪くて噛み切れないんだよ」
「じゃあ、これはどう?」と軟かそうな肉を取り、半分にちぎってくれた。
早く気が付けばよかった、カッコつけずに小さくちぎって食べればよかったのだ。
子供の前だとあまり衰えや、弱い面は見せたくないという意識が働いてしまう。
年相応に生きようとしているに、娘の前では弱みを見せたくない意識が働いてしまう。
こんな意識を早く捨てよう。ありのままの自分で気持ちを楽に生きていこう。
娘は、次から柔らかそうな肉を選びそれを2つにちぎって小皿に入れてくれた。
一人娘が、グレずによく育ったな~と小さな幸せを感じた。
今のこの家族で仲良く焼き肉を食べている風景は、私の40年前の理想の未来の姿だった。
その未来がこうして毎日毎日続いている。うまくすればまだこれからも続く。

・・・・ああ、やっと1時間かけて、妻が教室に来る前に日記が書けた。
後は保存して、NOVELDAYSに投稿して終了。誤字脱字はあとで暇な時に見直す。
これで、書き始めてから1時間。文字にして2000文字。
今日の朝の日課が終了しました。達成感と充実感で小さな幸せを感じます。

ちょっと待てよ。「小さな幸せ」の文章を書くのにこんなダラダラ書いている。
確かに考えながら書いているが、何も感動する所がない。
「小さな幸せ」を描くのにこれだけ文章が必要なのかと思う。
やはり自分には文章を書く力がないと思う。だらだらとなら何万文字でも書ける。
でもそれでは人を感動させることもできないし、共感する内容も書けない。

筆力が衰えてきたのかもしれない。
感受性が弱くなったのかもしれない。
書く意欲が薄れてきたのかもしれない。
それでもこの年になって、書けるだけ幸せだと思う。
こうしてすぐに自己満足してしまう。まあいいか、これも小さな幸せだと思えばいい。

悩みがないのは「まあ、いっか!」の言葉なのかもしれない。
「まあ、いいか」それで幸せを感じるなら。
「まあ、いいか」それで悩みがないなら。
「まあ、いっか」それで妻や娘が心配しないで済むのなら。
「まあ、いっか」文筆業で食っていく訳じゃないんだから。

もしかしたら、「幸せ」は高望みしないで「あきらめる」事なのか。
そんなことはない。「自分なり」にと置き換えればいいんです。
明日からも自分なりの毎日の繰り返しの創意工夫が必要なのだ。
こんなことで「老年の完成」なんかするわけがない。
死ぬまで完成はない。幸せを求め続ける事が「幸せ」なのだ。

私が1時間もかけて書いた日記が、妻からの一言で終わってしまう。
「あんた本当に理屈っぽいね。今日も昨日と同じ事をすればいいだけじゃない」
「あんまり馬鹿にすんなよ、これでも読む人が結構いるんだぞ」
「へ~、そんなクドクド、ダラダラした文章なんか、私なら2~3行でやめちゃうよ」
「じゃあ、お前書いてみろよ」
「そんな暇はないよ。世の中、暇人が多いんだね~」
「なんか趣味がなきゃ~暇がつぶせないだろ~」
「そんなことはないよ。みんな何かしているよ。人それぞれだよ」
「もう明日から書くのはやめた!」
「なんでもいいから、今日は生ごみだよ」
「あ忘れた。ゴメンごめん」
「8時には取りに来るんだよ。そんなくだらない物を書いてないで、ちゃんと捨ててよ」

何とかならないかな~、あの態度。
昔は可愛かった。ゴミも妻が捨てていた。教室も掃除してくれていた。
今はみんな自分の役割になってしまった。
別れたら、いっそすっきりするかもしれない。
でも、私のほうが早くガタくる。
私を介護してくれそうな色っぽい未亡人が思い当たらない。

「まあいっか」おとなしく言う事を聞いておこう。






ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み