第72話 誰だって財布くらい落とすよ

文字数 1,885文字

先週の土曜日でした。
忙しい1週間が終わり開放感に浸りたかったんです。
コンビニでビールとおつまみを買ってきて教室で飲みました。
ゆったりと開放感と充実感を味わいました。
帰りにほろ酔い加減で近くの居酒屋に寄りました。
串カツを頼んで生ビールを飲みました。レジで財布を出して支払いをしました。
財布は間違いなくジャンバーのポッケに入れたんです。

もっと開放感に浸りたくなって、スーパー銭湯「湯楽の里」に向かいました。
自転車をこいで温泉に向かいました。
途中でポッケに財布が入ってない事に気が付きました。
いきなり災難がやってきました。財布の中には教室の売上も入っていたんです。
免許証も健康保険証も入っていたんです。

冷や汗が出てきました。来た道を戻り探しました。
居酒屋の店員にも聞いてみました。けっこう探しましたが無かったんです。
油断は大敵です。不注意だったんです。しっかり尻のポケットに入れればよかった。

落ち込んで、近くの交番に行きました。
動揺して、自分の家の住所の所番地が思い出せませんでした。
おまわりさんが家に電話してくれました。妻から正しい住所を聞いてくれたんです。
おまわりさんは他人ごとのように事務的に聞いてきました。
「財布の中にどれくらい入っていましたか」
「え~と、はっきり覚えていませんが8万か、う~ん13万位です」
「じゃあ多いほうの13万円にしておきますね」
「・・・はい」
「他に大事なものは?」
「妻子の写真が入っていました」
「そういう事じゃなくって、免許所とかクレジットカードは?」
「妻が無理やりに入れた写真なんです」
「それは大事なものでしょうけどね・・・」
「いやだって言ったんです。妻子の写真なんか入れたくないって」
「はい、はい。他に大事なものは何が入っていました?」
「え~と、図書館の貸し出しカードが入っていました」
「あの~免許証とかクレジットカードは入っていたんですか?」
「はい、免許証1枚と健康保険証2枚です」
「え、健康保険証2枚ですか?」
「はい11月から新しい保険証に切り替わるんです」
「クレジットカードなんかは入ってなかったですか?」
「携帯電話とクレジットカードは妻が持たせてくれませんので」
「他には?」
「カラオケの会員証と友人の電話番号のメモです」
おまわりさんはコンピュータに内容を打ち込んでいる。
カラオケの会員証と、電話のメモの事あたりからは打ち込んでない。

その時、妻から交番に電話がかかってきた。
「・・・・」
「そういう事ではありません」
「・・・・」
「犯罪には関係ありません」
「・・・」
「いいえ交通事故ではありません」
「・・・」
「面前に本人がいますから代わりましょうか?」
「・・・・」

おまわりさんが電話を私に廻してきた。
「奥さんからですが、出ますか」
「いいえ、家に帰って話しますから」
「ちょっと出た方がいいんじゃないですか」
「すいません。財布を落としたと言って謝っておいて下さい」
「本人が家に帰ってから話すそうです。遺失物の届けです」
「・・・」
「少し酔っているようです」
「・・・」
「もうすぐ終わりますので」

妻から長いお説教が予想される。ほろ酔い加減なのでいい言い訳が思いつかない。
『事故で足や手をなくしたわけじゃないんだからよかったよ』これにするか。
災難は本当に身近にあるんですね。家に帰る道すがら言い訳の追加が思い浮かんだ。
『60年の人生だよ、こんな事は1度や2度は誰でもあるよ』
暗い思いで自宅についた。
「いくら入っていたの?」
「この2~3日の売り上げだよ」
「どこに入れておいたの?」
「ジャンバーのポッケだよ」
「そんな浅いポケットに入れて、自転車に乗ったら無くすよ」
「酔って、車にひかれて足や手をなくすよりいいだろ」
「まったく屁理屈こねるんだから、前にも同じ事があったよね」
「そらあ60年も生きていれば2度や3度は誰にもあるよ」
「不注意なんだよ!これからは紐で首から下げておきなよ」
「そういう財布があるんなら買ってきてくれよ」
「あやまりなよ、少しは反省しなよ」
「うん、これから気をつけるよ。お前も気をつけな」

妻は浅いポケットのジャンバーをゴミ箱に捨てた。
「あの~、一銭ももお金がないんだけど1万円貸してくれる」
「まったくもう、明日から何日かタダ働きになるんだよ」
翌日、妻があたらしい財布に1万円を入れてくれた。

あれから5日経った。財布は出てこなかった。
災難は思い出に変わっている。すでにショックは和らぎ平穏な日々に戻りました。

私は悩むということがない。過去の事は思い出に変わる。
悩みのない人間なんている筈がない。
私の脳細胞は一部が欠けているのかもしれない。
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