第101話  老後の究極の暇つぶしとは

文字数 1,703文字

今年で74歳になる。晩年と言っていい年代になった。
いまだに小さなパソコン教室を自営している。開業から23年を過ぎた。
今は年金に頼らなくても、何とか生活はできている。
現役で仕事をしていると、いろんな刺激があり結構楽しい毎日が送れる。
コロナの関係もあり、新規受講生の募集はしていない。
それでもいつも来てくれる固定客が多いせか、年齢にふさわしい仕事量になっている。
無理をしないで年齢に合わせ、時代に合わせて日々を送っている。
このところ生徒がいない時間が多くなってきているので、暇な時間が多くなってきた。
ぽっかりと空く時間が嬉しい時もあり、寂しく感じる事もある。

年齢的にいつ辞めてもいいと思っている。自営業は自分が辞めたい時に辞める。
定年のない仕事を選んでここまで来たのだ。来てくれるお客がいるうちは続けていく。
来てくれるお客の喜ぶ顔を見ると、もうしばらくは続けてみようと思う。
廃業後の何もする事のないボーッとした1日を夢見る事もある。
廃業後は何して1日をすごそうかと悩むこともある。

パソコン操作の事は、もう20年以上やっているのでどんな質問にも困ることはない。
長年の積み重ねは強い。左脳の一部だけはパソコンで鍛えられているようだ。
パソコン操作の事は20年を超えてやっとプロと言えるレベルになって来たと思う。
どんな新しいパソコンが出てもそんなに変わらない。ちょっと使ってみればわかる。
ただ年齢による姿形はどうにもならない。確かに年相応の顔になってきた。
先日作った「マイナンバーカード」の写真を見て。自分がそれなりの老人になっている。
「遺影」にふさわしい顔だった。「ナンマイダー」と手を合わせたくなるようだ。

時々教室に新しい受講希望の方が訪ねてくる。そして私の姿を見まわす。
こんな皺だらけのジジイが最新のパソコン操作を教えられるかと心配なのだと思う。
「また来ます」と言って去っていく。それはそれで仕方がない事と思う。

廃業後は何もやる事がない毎日が予想される。
老後の過ごし方の本を買って100冊以上読んでみた。
インターネットの古本屋「ネットオフ」で “老後の”と検索すれば何百冊もヒットします。
どの本を見ても究極は、いかに一日を楽しくするかという事だった。
特に五木寛之の老後関連の著書は共感するところが多かった。

貧乏根性の強い私には、ただ暇つぶしだけで過ごすのは耐えられそうもない。
報酬は、特に金銭的なものでなくてもいい。精神的な充実感でもいい。自己満足でもいい。

そう考えると今の仕事が暇つぶしには一番最適だという事になる。
この教室の中では誰よりも私が一番パソコンに詳しい。
偉そうにしていられる。充実感もある。感謝もされる。報酬もある。
この仕事が「究極の暇つぶし」というに事になる。
この仕事をしているうちは、妻からも邪魔にされない。
この仕事をしているうちは、病気も寄ってこない。
この仕事をしているうちは、悩むことが少ない。
この仕事をしているうちは、話し相手が大勢いる。
この仕事をしているうちは、預金をおろさないで家賃が払える。
この仕事をしているうちは、老後の暇つぶしを何にするか考える事もなくなる。

こんなところに求めていた「幸せな老後の姿」があったのだ。
家賃や光熱費の経費さえもらえば、月謝なんていくらでもいい。
いや、無料だってかまわない。場合によってはこっちからお金を払ってもいい。
この教室にいると、お米や野菜、果物、お菓子等をお客様のほうから頂いている。
これ以上の幸せはないというほどの毎日を過ごしている。
得意なものを生かして「暇つぶし」ができている。

そうだ。
無料の「パソコン愛好会」を作ろう。来年からは無料にしよう。
そうすれば、体が動けるうちは暇がなくなるだろう。人もいっぱい来るだろう。
人間考えればアイデアが出るもんです。
これで死ぬまで飽きずに人生が過ごせる。
これからが一番面白い老後の人生が送れるような気がしてきました。

今から「パソコン愛好会」設立の計画をしよう。
2023年の1月から始めよう。さあ、忙しくなるぞ。
何をしたって、残りあと10年だ。
人間、欲さえかかなければ、楽しい人生は身近な所にありそうです。
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