第42話 人の幸せと生きがい

文字数 2,714文字

残念ですが人間は間違いなく年齢とともに体力・知力・精神力が衰えてきます。
それは自然現象ですからあまり気にしない事にしています。
いつも見ている芸能人の名前が出てこないなんてしょっちゅうです。

若い頃に戻りたい。でも戻れない。ただ気持だけは若さを保つ事は出来ます。
年をとってでも出来ることは新しい事へ挑戦です。
学習でもいい趣味でもいい家庭菜園でもいい、日記を書く事でもいいのです。
娯楽やスポーツでもいい、旅行でもいい、人との会話でもいいのです。
今までやらなかった事、やりたかった事をやってみるといいでしょう。

目標を決めその達成のために日々実行していく。
若い人の10倍以上時間がかかってもいい。
この事が生甲斐、充実感、自信になり。楽しく生きるエネルギーなります。
目標に向かってどの位進んでいるかを日々チェックすることも大切です。

目標ができたら人に言う。言葉は力です。言いつづけると必ず達成できるものです。
自分だけの心の目標ではいつでもやめられます。
言った言葉は守らなければという意識が働き、目標達成まで頑張れます。

人生あと何年と指折り数える年齢になると、幸せに生きたいのは本能です。
できれば楽しく幸せな人生を送りたいと誰でも思います。

老いていく事がむしょうに哀しくなる事があります。
私はそんな時にこの詩を読んで自分を慰めます。

青  春 ・・・・(抜粋)

人は信念とともに若く 疑惑とともに老ゆる。
人は自信とともに若く 失望とともに老ゆる。
希望あるかぎり若く  失望とともに老い朽ちる。

歳を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増やすが、
情熱を失うときに精神はしぼむ。

人は信念とともに若く  疑惑とともに老ゆる。
人は自信とともに若く  失望とともに老ゆる。
希望あるかぎり若く   失望とともに老い朽ちる。

           原作 サミュエル・ウルマン

どちらにしても前向きに考えれば幸せな日々が送れます。
心の持ち方ひとつで同じ事でも幸せになったり不幸になったりします。
同じような生活レベルでも人それぞれ心の持ち方で違ってきます。
現状の生活を幸せに感じている人と苦しいと感じている人がいます。
同じ言葉なのに喜ぶ人もいます。怒る人もいます。
同じ言葉なのに泣く人がいます。笑う人もいます。
同じ結果なのに幸せを感じている人もいるし、満足できない人もいます。

もういい年なんですから、あまり目標を高くしないほうがいいと思います。
人と比較しなければ達成基準をぐっと下げられると思います。

幸せになりたいのは人間の本能です。
そのためには自分の状況応じ、年齢に応じ、環境に応じた創意工夫が必要です。
全てに共通している事は幸せになるには自分の人間性を高める事です。
人間性を高めるには本能である欲望を理性で抑制する事ができるかどうかです。
相手も幸せを願っています。自分の幸せになりたいです。

幸せはお金や財産ではなく、幸せは気持ちの問題です。
「幸せだな~」と感じた時はどんな時かを考えるとすぐ思い浮かびます。
「幸せ」は嬉しい、楽しい、面白い等が持続できた時に感じます。
おいしいものを食べた時や面白い映画を見た時も幸せですが一瞬で終わります。

長続きする幸せ感は大体人から頂いています。
子供や孫が喜んでくれた時。人からありがとうと言われた時
人に親切にした時。人に親切にされた時

一番の「幸せな」は相手が喜ぶことを基準にするのが一番長続きしするようです。
私利私欲の強い人はその分幸せな人生を見失ってしまいます。


<生き甲斐>

誰でも50歳を過ぎたころから老後の事が気になり始めてきます。
漸く子供の事から解放され、自分の人生が気になり始める頃になるからです。
自分の老後の生活はどうすればいいのかが気になり始めます。
老化し孤独になっていくのは不安です。人は生甲斐がないと老化が早まります。

それでは生き甲斐とはなんでしょうか。
趣味や学習で新しい事に挑戦し自分を向上させる事も生甲斐につながります。
ただ一人よがりの自己満足では「生甲斐」は感じないような気がします。
誰か自分を認めてくれる人があってこその生甲斐です。
何をやっても誰にも気にされず、無視されたら生甲斐は感じないと思います。

できれば気心の知れた仲間に囲まれて過ごしたい。
趣味も学習も一人ではつまらなくても皆でやれば楽しいものになります。
人は人の輪の中でこそ生甲斐があるように思います。
叶うなら人の輪を少しずつ広げたいですね。

新たな人との出会いは心を刺激します。
そのドキドキ感ワクワク感が気持ちを活性化させます。
旅行でも麻雀でも映画鑑賞でも、勉強会でも世間話でもなんでもいいのです。
いきいきと生甲斐を感じられるような「憩いの場」が人を人間らしくします。

私の教室は憩いの場です。世間話なら月謝はいりません。
日曜日でも何人かは教室にやってきます。ネギや大根を持ってきます。
ネギや大根には領収書は書きません。楽しい話でお返しします。
だから日曜日でも朝から晩まで教室にいます。

私は幸いにもこの教室にに生きがいを感じ「幸せ」を見つけました。
みんな身近なところに「幸せ」はあると思います。

この教室には20年以上の歴史があります。
壁の張り紙一つ、床の傷一つに思い出があります。
全ての人が私の歴史を刻んでくれた。全員の思い出を日記に書ける気がする。
いつか仕事がなくなる日が来る。そんなに遠くない未来だと思う。
その時はゆっくり思い出しながら書くつもりです。
人はそれぞれ私以上の歴史を抱いている。
会話からその人の人生が想像できる。どんな人も頭の中に印象が残っている。
名前を見るとその顔が脳裏に浮かんできます。

画家が人物や風景を描写するように、私は人の生きざまを書いてみたい。
今はこの教室が生甲斐となっている。生活の糧にもなっている。
体が動かなくなったら、思いつくままに思い出日記を書いてみたい。

今日は日曜日。
西の窓からの陽射しが強くなってきた。眩しいほどの光だ。
カーテンを閉めるのは惜しい。このままこの陽射しを浴びていたい。
コンビニでビールとつまみを買ってきて、この陽射しの中でビールを飲もう。
(アル中ではない)
パソコンに保存してある好きな映画を見ながらうたた寝をする。

こんな怠惰な過ごし方が肥満を作る。やがて減量の地獄の苦しみがやってくる。
地獄、極楽はみんな自分の内にある。現在は必ず未来につながっている。
太ったり、痩せたり。泣いたり笑ったりの人生が面白いと屁理屈で納得させる。
諸行無常です。どんな事でもやっていれば必ず進みます。必ず変わります。

こんな平凡な過ごし方も「幸せ」があり、「生き甲斐」でもある。

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