第91話 本音と建て前を使い分ける

文字数 2,910文字

「建前」は相手への配慮を考えた言葉です。相手への思いやりです。
「いつもお世辞になっております」はその建前の代表例だと思います。
「昨年中は大変お世話になりました」も建前の言葉ですね。
「おはようございます」などもそうです。建前の言葉は多いですね。

本音は本当の自分の心の中の気持ちです。本音は自我の現れです。
建前は人に伝える時に、脳で一度考えたあとの選んだ言葉です。
人が社会に参加して、平穏に暮らしていくための「考え」です。
人それぞれの「本音」をそのまま言ってしまったら社会は争いばかりになります。
本音と建前は、相手に対する人の感情と態度との違いを示す言葉です。
建前を言う理由は、相手のことを気づかっているためです。
「本音」を話すと、相手が不愉快になるのではないかと思った時に建前を言います。

〇〇さんを好きな人もいれば、嫌いな人もいます。
赤い色を好きな人もいれば、白い色が好きな人もいます。
可愛くなくても「かわいい赤ちゃんね」で相手は幸せな気分になります。
まずくても「この煮物おいしいね」で相手は作ってよかったと思います。
「それシャツに合うね」と言ってあげれば、その人はしばらく幸せな気分になれます。
「馬鹿言うな、嘘言っちゃあいけないよ」では喧嘩になります。
「本当の事をいってみな」と言って、本音を聞いた後に争いになる場合が多いのです。

「なんで来るの」と電話で言われて怒る人がいます。
「行っちゃ悪いの?わかったよ」と怒って電話を切る人がいます。
「電車で行くわ」という答えもあります。受け取り方は人それぞれです。
「会いたくない」が本音でも「都合が悪いのでまたにして頂けますか」が建前ですね。
よっぽど親しい人以外は、言葉はいったん脳を通してから発言するといいと思います。

何が真実とか、何が正しいとかは立場によってそれぞれです。
自分は正しいと思っても、他から見たら間違いだという事も理解して下さい。
宗教戦争はその立場の違いから発生し、何百年も命をかけて戦っています。
特に老人になると頑固になります。過去の実績と感情で発言します。
そしてトラブルになり、「老害」と言われ社会で阻害されます。
本音と建前を常に使い分けて生きれば「幸せ」に生きられます。

本音は限られた場合のみに使うものです。
生命や財産が脅かされる場合には本音を優先したほうがいいでしょう。
それでも本音を言わないほうがいい場合もあります。
社会の中で生きるには「建前」を優先しなければ生きられません。
そこを理解する事が平穏で「幸せ」に生きる処世術なのです。

建前と本音をうまく共存させれば「幸せに」生きる事ができます。
そのほうが自分らしく楽に生きる事ができるのです。
人は社会に守られて、集団として生活しています。
身の回りの物を一つとっても、何一つ自分の力で作ったものはありません。
言葉は社会の中でルールとして生まれてきたものです。以前に誰かが作った言葉です。
人はその言葉を組み合わせて、自分の考えだと思って発言しています。
人の心の中には言葉はありません。感情と欲望だけです。自己主張の塊だけです。
その思いを、知っている範囲の言葉を組み合わせて、心の中の思いを発信しています。
その言葉の組み合わせのやり取りが、喜怒哀楽を生みます。

言葉はそれぞれ経験と学習により言葉を使っています。経験と学習は人それぞれです。
だから、言葉の本来の意味と違った形で使っている場合も多いと思います。
同じ言葉でも、その言葉の持っているイメージはそれぞれ違ってきます。
それが誤解の基となり言い争いになります。だいたい自分が間違っているほうが多いのです。

「気が置けない」を例としてみましょう。人によって勘違いして使っていませんか。
「気が置けない」は(気がゆるせない)とか(油断できない)で使われやすいです。
本来の意味は(気楽に付き合える人)(気にしないで話せる人)が正解です。
まるで反対の意味を持っています。一度思い込むといつまでも気付かないで使っています。。
だから自分は誉め言葉として使っても、相手は悪口を言われたと思います。
こういう例は数多くあります。いちいち意味まで解説して使っている人はありません。

どんな場合でも、よほど親しくなければ面と向かっては間違いを指摘してくれません。
さらに言葉は心の中の感情で押し出されますから、同じ言葉でも意味が変わってきます。
「好きにしなよ」「好きしていいよ」は本当に好きにしていい場合と悪い場合があります。
そこで誤解がおきたり勘違いしたり、怒ったり喜んだりの喜怒哀楽が生まれます。
人間関係がよくなったり、最悪になったりします。傷害事件や殺人さえも起こります。
全ては言葉が原因しています。言葉がなければ大した争いは生まれません。
犬や猫ならニャンと言われても、怒りの感情はおきません。

言葉は、一人では生きていけない弱い個人が。社会生活を円滑に行うための手段です。
社会生活は言葉によって、相手に理解してもらたいために使っています。
本来人を言葉で悲しませたり怒らせたりしてはいけないのです。
自分の思った事をそのまま表現したいなら、文章にして表現するのが一番です。
文学、哲学、心理学、化学、美術、音楽などの学問として発表するのが最適です。
こういう分野なら、自分の考えを文字に変えて自己表現できます。
関心のある人は読めばいいし、関心のない人は読まなければいいのです。

社会生活の中で使う言葉は、相手の「幸せ」につながるものだけでいいと思います
自分も相手も「幸せ」な気持ちで過ごしたければ、限りなく「建前」で過ごすほうが平和です。
本音は自分の心の中にしまっておいて、自分だけで実行すればいいのです。
どうしても言いたければ、日記や小説や、音楽や絵などで表現してみましょう。
またスポーツや趣味などで発散させてもいいと思います。

喜怒哀楽をそのまま、家族や知人にぶつけている人をよく見かけます。
「お前は、ブスっとしていてちっともかわいくねえな」
「なんだいこの煮物、まずいな。もっとましなものを作れよ」
「もっとさっさとできねえかな~」

私も時々言っているかもしれません。これからは気を付けます。
「建前」は相手を気遣う言葉のメッセージです。
相手を「幸せ」な気持ちや安心した気持ちにさせるのが役割です。

残されたこれからの人生は、そんな気持ちで送っていきたいと思います。
今回のテーマは、人によって異論があると思います。
これは私の「本音」です。文章で表現するならたいして問題は起きません。
「ああそうかと思う人」「いや違うよ」と思う人それぞれです。

「俺に言いたい事があれば日記に書いておきなよ。来週見てみるから」
と妻に言います、妻はむっとしてしばらく口をきかなくなります。
時々妻の部屋が夜中に電気がついていることがあります。
「遅くまで何しているん?詰まんない事を書いてないで早く寝ろよ」
妻は慌てて日記を隠します。

感情は3日も絶てばだいたい忘れてしまいます。中には執念深い人もいます。
触らぬ神に祟りなし、しばらくはお世辞で機嫌を伺いながら暮らします。
他人なら、ほとぼりの冷めるまでは合わなけれいいだけの話です。



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