第16話 心の健康と心の豊かさ

文字数 1,555文字

心の健康は根が深くて対処法が大変です。
心とは考え方や生き方、人との関わり方等の精神面です。
私はここが一番欠けています。世の中には素晴らしい人がいっぱいいます。
そういう偉人や有名人の処世訓・名言等をいっぱい調べました。
そして、自分にできる事を真似しようと思いました。
多くの偉人の名言で共通している事があります。
「心の幸せは人の為になる事をする」なのです。心の健康は一番難しいですね。

私は夏休みの1週間は「断食」ときめています。
普段は「腹が減っては戦ができぬ」からです。
いつもは成田山新勝寺でやっています。
ところが昨年から70歳以上は入場が制限されて行けなくなりました。
昨年は仕方なく、夏休みの7日間を「自主断食」で過ごしました。
水分だけの完全断食です。体重は一時10kg減りました。
自主断食は無理かなと思いましたが思ったより楽でした。

成田山新勝寺では洗面道具以外の持ち込みは禁止でした。
さらに境内から外へ出る事も禁止されました。
飲むのは水道の水だけです。だから一日が暇で暇で7日間がすごく長く感じました。

今回の自主断食も朝4時に起きて教室にきました。
そして夜10時に就寝という新勝寺の時と同じ条件で行いました。
しかし教室での自主断食は7日間があっという間に終わってしまったのです。
新勝寺では朝のお経の唱和以外は何もないのです。
だから1日やることがなくて時間をもてあましました。
色々空想したり過去を思い出したり将来の事を考えたりするしかありませんでした。

教室にいるとパソコンがあり好きな事をして時間が過ごせます。
飽きたら自転車で公園や寺社に行って暇をつぶせました。
だからまたたく間に時間が過ぎて行きました。
しかしここに落とし穴があったのです。あとで一番大事なことに気が付きました。
今回の自主断食は減量だけの7日間になってしまったのです。
新勝寺の断食修行は携帯電話、ラジオ、スマホ、時計の持ち込みは禁止でした。
本や雑誌も持ち込み禁止でした。実はここが重要だったのです。
「食事」も「情報」もすべての日常まで断食する事が必要だったのです。
外から入るものは全て遮断して内面を見つめ直し「無」にしなければならなかった。
人間の本来の生き方を考える原点に戻らなけらばならなっかったのです。
何もしない時間が必要だったのです。「無」が断食の基本精神だったのです。
それに気がついたのは自主断食が終わってからでした。

「心と体」
2年前に頭を剃ってしまいました。毎朝、剃刀で髭をそるように剃っています。
年齢のせいで頭がはげて来たり、白髪が目立ち始めたりして気になっていました。
鏡の前に立つといつもため息が出ていました。
朝起きると、髪はクチャクチャでした。
それも薄くて少ないので柳のように風に揺られて体裁が悪いのです。
外出の際は多少の整髪料を付けドライヤーで整えます。
いくらやっても整わず、毎回ため息が出ていました。

ある日鏡の前で閃いたたのです。いっそ頭を剃ってしまおうと考えました。
その日から頭髪の悩みは無くなりました。
成田山新勝寺で毎日坊さんの坊主頭を見ていましたので違和感がなくできました。
さっぱりして気持ちがいいです。こんないい髪形は生まれて初めてです。
しばらくは人からあれこれ言われましたが、1ヶ月もすると普通に戻りました。
誰も他人の事にはそんなに関心はありません。恥ずかしいのもいっときです。

その日から私の悩みが半分になりました。
今までの人生の中でかなり大きな成果でした。
月一回の床屋の心配がなくなりました。お金も時間も使わなくて済みました。
これを機に、人生が大きく変わったような気がしました。
髪を剃ったおかげで、心のほうも健康になったような気がします。
気持ちも修行僧になったようで、人生のことを考えるのが仕事のようになりました。
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