第2話 今までの事これからの事

文字数 1,351文字

この頃年のせいか楽しかった青春の頃を思い出すことが多くなりました。
残念ながらその頃から人間的に成長しているかどうかは疑問ですが。
あの時もっと勇気があったらもっと努力をしていればと悔やんでいます。
あの頃、自分だけはこの貧乏から抜け出してみようと夢中になって勉強しました。
学校の成績もまあまあの所まではいきました。
上には上がいて、徹夜をして頑張ってもその人達に及ぶことができなかった。
人間の能力は平等ではないと思いました。
「蛙の子は蛙」いくら努力してもこの貧しさからは抜けられないと思いました。
遺伝という運命の連鎖を感じました。
社会に出る事が不安でした。自分に何ができるのかと悩み続けた時期がありました。
そんな時、山本有三の小説「路傍の石」の中に合った文章に共感しました。

たった一人しかいない自分の、
たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないではないか

この文章に深く感動しました。
自分なりに精一杯生きていけばいいのだと思いました。
そんな思いから自分の人生は自分で切り開いてみようと18才の時に家を出ました。
そうして環境に応じ能力に応じて自分のできる範囲で歩んできました。
その結果が現在の自分の姿です。
また来年も何かに挑戦し年相応に頑張って人生が楽しくなるような日々を送ります。

今のこの仕事を始めたのは50歳の時でした。
会社に勤めて約30年、年齢も50歳の時です。
今までは団塊の世代の働き蜂として、家族を犠牲にしてまで夢中で働いてきました。
これからの30年。これを契機に家族の傍にいて生活をできないかと考えました。

いくつかの選択肢の中から考え出したのが、パソコン教室を始めることでした。
両親・家族・親しい知人からは随分な言葉で反対されました。
「夢みたいな事を考えないで地道に生活をしろ」といわれ猛反対にあいました。
それでも運命は開かれたのです。
サラリーマンのままだと定年になったら体力も能力も気力も衰えます。
このままいけば、みじめな老後を送らなければならないと思いました。
それで会社を辞めて定年のないこの仕事を選択したのです。

仕事もまあまあ順調に進みました。
60代を迎えると次は老後の不安が出てきました。
この仕事がなくなったらどう老後を過ごそうと考えました。
動けなくなったらどうしよう。耳が遠くなったらどうしよう。
口がきけなくなったら・・・・・・。と不安ばかりでした。

それでも何とか60代は無事に過ごせました。
不安や悩みの90%は実際には起きないのです。
そして今70代に入りました。また次の心配がやってきました。
80代になってボケたらどうしよう。寝たきりになったらどうしよう。
80代の生き方を探し始めました。
もう先がない。どうしよう。何をして過ごそう。

著名な先人の老後の生き方をネットで探しました。
そんな時、ユーチューブで「きんさん、ぎんさん」の録画番組を見ました。
途端に老後のことを考えるのがばからしくなりました。
その時「きんさん、ぎんさん」は百歳を超えていました。
取材陣からCMの出演料はどうするのか聞かれました。
「きんさん、ぎんさん」は「お金は老後のために貯金します」と答えました。
笑いがこみ上げてきました。
明るく生きて、先の心配は天に任せる方法もあるんですね。

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