2-3

文字数 2,847文字

「2番目の部屋にあったものは置いて行ってくださいね!」
「このっ……!」

 ノコギリを持ったクミコさんが、せいくんに襲いかかろうとする。しかし彼はそれをあっさりと片手で止めた。

「ノコギリはここで没収です。ちょっとビリッとしますよ?」
「きゃあっ!」

 バチッと音がすると、クミコさんはノコギリを落とし、手首の腕輪を押さえる。電流が流れたのか。

「それでは行きましょうか。3番目の部屋へ」

 門をくぐり扉が開く。また始まるんだ。新たな殺人が。

 部屋の扉が開くと、中から温風……いや、熱風が吹いてきた。ドアが閉まると、室内が猛烈に暑いことがよくわかる。なんだ、この部屋は。今度は僕らに何をさせようっていうんだ。

 長いテーブルといくつかのイス。絵の具が溶けてどんな顔だったかわからない男の肖像画。そしてテーブルの上には、腐った果物と大きな皿。ナイフやフォークなどのシルバーも揃えられている。

 僕はシャツのボタンをひとつ外した。さすがにこれはキツい。もうすでに精神的には参っているのに、肉体的にも痛めつけてくるなんて。暑いのは隣にある大きなオーブンのせいか。
中からパチパチと音がする。火がついている証拠だ。

「みなさん、こちらは【ヘルズ・ダイニング】です。見てわかる通り、ここはお化けたちが優雅に食事をとる場所……だけど、あれれ? 何かが足りないような……」

 お化けなんて死んでいるのに、食事なんてするわけがない。何かが足りないってなんだ。今度はその足りないものを用意しろって言うんでしょ。先は読めている。ただ、その先の先は読めない。読みたくなかった。自然に想像がついてしまったから。

『……ねぇ、あなたに指令みたい……』

 ソフィの身体が震えた。彼女の持っている『ラクダー』が話し出す。

『メインディッシュがない……用意して』
「Oh,No…….メインディッシュ……ワタシへの指令デスカ」

 あの大きな皿には、誰かの死体が置かれるんだ。お化けたちはそれを食べるのか。

 しかも身長は高いけど細いソフィが用意って。僕らは自然とクミコさんを見た。特に理由なんてなかった。ないつもりだったけど、本心はそうじゃない。

「何よ……何よ! あんたたち!」

 この人が死ねばいい。自分からオーブンに入って。あの大きなオーブンなら、クミコさんでも入ることができる。だったらいっそ、自分から死んでくれはしないだろうか。僕らは無実だ。何もしていない。ソフィの手も赤いが、クミコさんに命令されて手伝わされただけ。クミコさんは自分からすでにふたり殺している。この人が生きていたら、今度は僕らが殺される。だから……僕らのために死んでくれないだろうか。

「クミコサン、なぜアナタはふたりを殺したノ? 何か理由があった?」

 こんなときにソフィは何を聞いているんだ? ふたりが殺されたのは、自らが生き抜くためだ。クミコさんが石和さんを殺したのは、毒ガスが発生したから。こずえさんを殺したのは、クミコさんが『用意する指令』を出されたから。自分が死なないために、彼女は人を踏み台にした。それだけのことじゃないか。理由なんてない。

 ……そこまで考えて、僕は自分の弱さを改めて痛感した。そうだ。クミコさんは人を踏み台にした。だけど僕は、クミコさんが作った踏み台を、自分の手を汚さず上ったんだ。僕のほうが最低だ。

 でも、やっぱり殺しなんてできない。ここまで来て何を、って感じかもしれないけど、怖い。クミコさんみたいな強さはない。なのに死にたくない。わがままなことはわかっている。だから……僕は誰かに助けてもらうまで涙を流す。

 男なのに情けないってきっとクミコさんは思ってる。弱くてもいい。小さい頃から僕は泣き虫で、弱かった。ずっといじめられてきた。変わらなきゃって何度も決意したけど、無理だった。大学を出て会社に入社して、社会人になっても変わらない。クミコさんがその弱みにつけこんで、僕を殺すなら……死ぬしかない。その覚悟だけは決めないと。殺されるのが怖くても、死ぬ覚悟はしなくちゃ。

「クミコサン、アナタは海外統括部部長。何を知っているノ?」
「ソフィ……あんた、もしかして……」

 クミコさんの顔色が変わる。目つきが鋭くなったのは、石和部長を殺してからだけど、明らかに態度が違う。息も荒い。ソフィはさっきから何を彼女に問いかけてる?

「ふふ、そういうことね。だったらあたしは尚更死ねない。代わりにあんたが死になさい!」

 さっきこずえさんにかましたように、タックルを食らわせようと突進するクミコさん。それをソフィはひらりとかわした。僕はその動きに驚き、目を擦る。岡さんも。ソフィの表情は、さっきこずえさんの首を青ざめながらノコギリで切り離していた女性とは思えないほど。今のソフィの顔は仮面みたいだ。

「はぁぁっ!!」

 今度は抱きかかえて投げ飛ばそうと近づくが、そのまえにソフィはナイフを数本手にしていた。それをスッと軽く投げると、クミコさんの頬にかすり、いくつかの赤い線が顔にできた。

「なっ!?」
「Ms.マスザキ。アナタの仕事は輸送ルートの確保。そのための『部長』の肩書……そうデショウ?」

 ふたりは何を話してる? 僕らはみんな、同じ会社に関わってるっていう関係はあったけど、クミコさんとソフィは初対面のはずだ。先ほど挨拶したときも、知り合いだとは言っていないし、そんな雰囲気でもなかった。クミコさんの知り合いは、石和さんとこずえさん。

 こずえさんだけ、ソフィと面識があったけど……彼女はもう死んでいる。

「話を聞かせてくだサイ。事情を把握していまセン」
「あたしだってわからないわよ! あんたが知ってるんじゃないの!?」

 ふたりはにらみ合い、一定の距離を保っている。事情がまったく読み込めない。ふたりはどういう関係なのか。

「……ソフィ、片付けることにしよう。この女を」
「What’s!?」

 岡さんまで!? 名前を呼ばれたソフィも驚いている。岡さんはソフィを知っている? でも、ソフィは岡さんを知らないって……。

 岡さんもフォークを手にすると、じりじりとクミコさんに近づいていく。その殺気にびびったのか、クミコさんは後ずさった。

「な、何、岡さんまで。岡さん、あんたも何者なのよ!」
「俺は……ただの監視役ですよ。ソフィ、やるぞ」
「……OK、岡サン。ここは仕方ありまセン。共同戦線デス」
「いや……嫌っ!! 何する気よっ!!」

 岡さんがクミコさんを捕えると、ソフィがその両目をナイフで潰す。クミコさんは目から血を流す。痛さのあまり声が出ないのか、はっ、はっ、と息を吐く音しかしない。オーブンの扉が開くと、岡さんとソフィは彼女を蹴り入れた。

「ぁっ……!! ぅぁっ……!!! ぃあっ……!!」

 中で叫んでいるのか、声が漏れ聞こえる。それと廃油のような香り。僕は思わず耳を塞いでしゃがみ込む。残されたのは僕と岡さんとソフィ。岡さんとソフィは何かしら関係がある人間。だったら次に殺されるのは――僕だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み