■伊藤瑞希

文字数 2,939文字

「明日の正午、パリ支社の社長とランチミーティング。場所は赤坂のホテルを予約してあります。それから……」

「あーちょい待って! オレ、新宿のタロウ行きたい!」
「……は?」
「ああ、ラーメン屋な。お前食いきれるの?」
「行ったことないからわかんないけど」
「で、ですが、パリ支社の社長が……!」
「外国人にも人気らしいよ? タロウ。案外喜ぶんじゃない? 決定!」
「……かしこまりました。では、そのあとの会議は場所を変更して、新宿付近のホテルに……」
「あ、ホテルじゃなくて、御苑にしない? ビニールシート持って、お日様の下で会議!
悪くないと思うんだけど。どう? ヒロアキ」
「ま、社長は驚くかもな。ビルの間にあんな公園があるって」
「……わかりました。ではミーティングは御苑で。ビニールシートとアフタヌーンティーをご用意いたします」
「さんきゅ、瑞希」

 明日の予定をふたりのEPIC社会長に伝えると、私の今日の仕事は終了だ。会長たちが乗る車から、自分の持っているスポーツカーに乗り換えると、私はまとめていた髪を下ろす。

「ちくしょー! 何がタロウが食いてぇ! だよ! こっちは数か月前からホテルの予約入れてんだよ!! しかも打ち合わせを御苑でやりたい? 紅茶とか菓子とかこっちが持って行かなきゃいけねーじゃん!! バーカバーカ!!!」

 大音量で音楽をつけると、思い切り会長たちを罵倒する。
 私……伊藤瑞希は、有能で優秀で5カ国語に精通するやり手秘書だ。自称じゃない。みんなも認めてくれている。たまに周りから鉄仮面だの、無表情だの、ロボットだの言われるけど関係ない。これが私の仕事だから。

 だけどストレスが溜まらないわけがない。特にあのふたりの会長はやることが、めちゃくちゃだ。特に神谷のバカのほう! あいつには散々手を焼かされている。それでも私がイラッとしているのに気づかない。松山もだ。あのボンクラが少し神谷に文句を言ってくれればいいものを……!


 ブオンブオンとエンジンをふかすと、首都高へ向かう。とりあえず気分転換にドライブだ。

 ドライブしながら頭の中では翌日のスケジュールを再確認する。ひとつずつ項目を挙げていき、チェック。仕事以外のことが考えられないっていうのは、さすがに30代独り身の女にはつらい。仕事でエリートに出会うことはあるけど、翌日死体になっていたということもある。そもそもEPIC社の外部の人間と付き合うにはリスクが大きすぎる。かといって、内部の人間でいい人がいるか? 一番近くにいるのはバ会長どもだ。ふたりは年下だし、論外。

 アンダーベースに勤めているやつらはイケメンが多いけど、バイトで将来性がない。それに、いつ死ぬかわからない。

 私は新橋まで走り、近くのコインパーキングに車を止めると、おでん屋台ののれんをくぐった。行きつけの店は、オシャレなフレンチでも、豪華なイタリアンでもない。サラリーマン御用達であろう、おでん屋だ。

「へいらっしゃい! って、瑞希さんじゃないですか」
「卵と昆布と大根といとこんと牛筋と日本酒。銘柄はなんでもいいわ」
「瑞希さん、車でしょう?」
「置いていく。帰りは歩くわ」

 皿におでんをよそってもらい、グラスに酒をスレスレまで注いでもらうと、私はそれを一気に飲み干した。

「おかわり」
「今日も飲み過ぎないでくださいよ?」

 おでん屋のジュンさんはいつも私の話を聞いてくれる。ここのおでん屋は儲かってないわけじゃないけど、私が来るときは大体空いている。多分、私が酔ってガーガー文句をいうからだ。

 また酒をついでもらうと、一気に飲む。飲んでも飲んでも足りない。あー、腹立つっ!
秘書って肩書だから、秘密を話すこともできない。ましてやEPIC社の秘密をバラしたら、即刻クビ通り越して死体だ。それに私のキャラっていうのもある。しっかりした敏腕秘書。
こんな飲んだくれてる場所を見られるのも嫌だ。

 ちょっと偏差値が高めな名門大学を卒業した後、大手代理店の秘書をしていたんだけど、
ともかく辞めたくて、EPIC社の面接を受けた。前に勤めていた会社は、社長もまったく語学ができず、私におんぶに抱っこ。そのくせ、他の女子社員からは『社長とできてる』なんて根も葉もない噂を流されていた。私は秘書として仕事をしていただけなのに。

 松山くんと神谷くんが入社する前に、私は前会長のもと、例のデスゲームに参加。最後まで生き残った。私も普通の精神をしてたから、ある程度ダメージは食らった。人が何人も死んだからね。その中で生き残った私が、平気なわけなかった。

 一週間EPIC社内の病院に入院して、どうにか克服できたのは……多分私が元から人間の生に執着していなかったからだ。人はいつか死ぬ。それが早いか遅いかの差。母親が早逝したせいか、私の死生観はずいぶんとあっさりしていた。だから今、この会社で秘書の仕事ができるんだ。

「あんまり無理しないでくださいね。仕事が大変なのはわかりますけど、俺は瑞希さんが荒れてるの、心配なんですよ」
「ジュンさんくらいだわ、私の心配なんてしてくれるの。はんぺんとつくねおかわり」
「はいはい」

 おでんを食べつつ、酒をごくごく飲む。会社のことは絶対話せないから、ただ無言で食事を続ける。それでもジュンさんは笑顔でいてくれる。それを見て、つい私はこぼしてしまった。

「あー……恋したい、結婚したい」
「え!?」
「……今のは聞き流して。ただのボヤキだから」

 大学の知り合いも高校・中学の知り合いも、小学校の知り合いも女性の友達は全員結婚している。私がいくらご祝儀で払ったか……軽く十万以上は超えてるっつーの!!

「ごぼ天ともうひとつ卵。あと酒、おかわり」
「……本当に平気ですか? 家、ちゃんと帰れます?」
「帰れるっつーの! さっさと酒!」
「はいはい」

 私はどんどん酒を飲んでいく。あーもう、ここの会社にいる限り、結婚はできないし、かといって会社を辞める=死亡。じゃあどうすりゃいいの!!

「こんな姿、絶対会社のみんなに見せられない……」
「でも俺には見せてくれるじゃないですか」
「ジュンさんは大丈夫だから。会社のことも知らないし、私のことも名前しかしらないでしょ」
「行き遅れなのも知ってますよ」
「うるせぇ! がんもどき!」
「はいはい」

 ジュンさんはちょっと年下かもしれないけど、このくらいだったら許容範囲。顔もそこそこ整ってて、物腰も柔らかだ。なんでこんなおでん屋やってるのかはしらないけど、きちんと仕事に就いてたらな……。私のことを守ってくれるような、包容力ある男性なんだけどなぁ。身長も高いし。

「あーもういっそ結婚してよ、ジュンさん」
「……相当酔ってますね。今日はその辺で終わりにしてください。帰りが心配です」
「ちっ、わかったわよ。いくら?」

 お金を払うと立ち上がろうとして、一瞬ふらつく。テーブルにだんっ! と手をつき、体制を立て直すと、ふらふらしながらおでん屋から出る。

「ごちそーさま! またね!」

「……ふうん、EPIC社会長秘書は、結婚したい30代と」

 スマホを取り出すと、画面をタッチする。

「ああ、誠之助? どうやらおたくの秘書さんは、意外と簡単に落ちるかもしれないよ。ふふっ」
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