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文字数 6,998文字

「岩代、ちょっといいか~?」
「はぁ」

 先輩は廊下側から僕に向かって手招きする。にやけた顔にコーヒー缶。自主休憩中だったか。
四菱商事食品輸入営業部。そこの新人である僕、岩代成道は、なんの用事だろうと席を立った。田楽先輩のことだからな。また何かくだらないことでも考えてたりして。
 田楽先輩は28歳の先輩だ。彼女ありのくせに趣味は合コン。他には野球観戦にBBQ、フェス参加。要するにめちゃくちゃリア充。そして調子のよさだけは部内イチだと言われている。実際営業成績は同期最低。そんな彼が直属の先輩だから、教わることもまともにできない。
 ただ飲みの席のセッティングや、イベントの企画だけはパーフェクトだと喜ばれる。営業じゃなくて、企画部とかのほうが向いてそうだけどな、と僕は日頃思っていた。

「で、なんですか?」
「これ、見てくれよ! じゃーんっ!!」

 先輩は僕に1枚のチケットを見せる。……グローバルワンダーランドの1Dayパスポート? いや、ただのパスポートじゃない。【EPIC Guest】と端に書かれている。

「すげーだろっ! グローバルワンダーランド、特別招待券だぞ!」
「特別って……ああ、お誕生日なんですか? そういう時は特別パスポートを販売してくれるって話も聞きますよね」
「ちが~うっ!」

先輩は説明不足なのを棚に上げて、理解できていない僕を見ながら地団太を踏む。説明してくれないとわからないって……。呆れつつそんな先輩を見ていると、口を開いた。

「これは1Dayパスじゃなくて、特別パスなんだよ。知らないか? 今度園内に新しいアトラクションができるって」

「ああ! うちの会社が協賛してるとか聞きましたけど……」
「それをいち早く体験できるパスなんだよ、これは」

 へぇ……協賛企業があると、そこの会社の社員にそういう特典があるって話は聞いたことあったけど、噂じゃなくて本当だったんだ。

「でも、それどうやって手に入れたんですか?」
「あ? ああ。なんでも社長がくじ引きして決めたとか」
「くじ引き?」

「社員名簿にIDが載ってるだろ? それからランダムで選んだらしい。そして俺が見事当選したってわけだ!」

 ふうん……要するに自慢か。グローバルワンダーランドには興味もあまりないんだけどな。一応ここは持ち上げておくべきか。

「すごいですね、先輩!」
「だけどなぁ~……1枚しかないんだよ」
「貴重な1枚じゃないですか」

「お前は彼女がいないから、そう言えるんだ! 女の子と行かないで、何が楽しくてぼっちテーマパークをエンジョイしなくちゃいけないんだよ」

 まぁテーマパークの楽しみかたは人それぞれだし、別にひとりでも行ってくりゃいいのに。これだからリア充は……。
 僕がついため息をつくと、先輩はがしっと肩をつかんだ。

「そういうことで! この田楽先輩がお前に特別パスを恵んでやろうっ!」
「え……」

 迷惑……。すごい迷惑! 僕自身、そこまでグローバルワンダーランドに興味ないし、貴重な休みだったらゆっくりひとりで音楽でも聴きながら過ごしたいよ! 
 しかもよく見ると、このパスポートには日付が記入されている。――『7.31』。行く日、決まってるじゃん。夏の一番暑い時期。しかも休み中で絶対混んでる……。悪夢だ。行くだけでぶっ倒れる、絶対。これ、罰ゲームでしかないんだけど。

「楽しんで来いよ~! それで、アトラクションの感想だけ教えてくれ! あとで社長とかに聞かれたらまずいからな!」

 田楽先輩は僕にいらんもんを押しつけると、軽やかなステップを踏んでオフィスへ戻って行った。……はぁ。あの先輩め。僕が行かなくちゃいけないわけ?
 廊下で肩を落としたままたたずんでいると、後ろからガラガラとカートの音が聞こえる。

「……それ」
「え?」

振り向くとそこには短髪で僕と同い年くらいの身長の高い男が立っていた。クールビズだとはいえ、Tシャツはさすがにこの会社でもあり得ない。もしかしたらバイトの人か?

「俺ももらった」
「えっと……」
「……悪ぃ。俺は岡だ。社内メール便のバイトをしてる」

 メール便の人か。だったらTシャツでもおかしくない。ここ、四菱商事本社はだだっぴろい。オフィスもワンフロア4つ以上あるし、ビルも20階はあるからな……。地下の階も入れたらそれ以上。
 そんな大企業に就職できたのは、正直コネなんだよなぁ……。だから僕は今も自信のない毎日を過ごしている。あんなちゃらんぽらんな先輩に文句すら言えず。本当に情けない。
 岡さんは、身体もがっちりしてるし、体育会系なのかな。だからこういう仕事をしているのかもしれない。僕だったらすぐバテちゃって……。

「それで、行くのか?」

「え!? あ、ああ、これ? どうしようかなって思ってて。岡さんはアルバイトですよね。やっぱり社長のくじ引きで当たったんですか?」

「ああ、俺はバイトだからいらねぇって言ったんだけど……ひとりだし、譲る相手もいない」

 結局そこなんだよね。これがまだ2枚もらえるんだったら誰かにプレゼントできたかもしれない。でも1枚だ。しかも会社が協賛した新しいアトラクションを体験できるというもの。プレゼントしても、どんなアトラクションだったかあとで上司に聞かれたら面倒だ。そんな面倒なものを田楽先輩は……。

「……岡さんは行きます?」

「もらってしまったんだから、行くしかないだろう。せめて女だったら喜んだんだろうけどな。男が当たっても……はぁ」

「ですよねぇ……はぁ」

 ふたりそろってため息しか出ない。そのとき、スマホが震えた。

『アトラクションの中、こっそり撮影してきてな! メッセで送ってくれよ!』

 アトラクション内は基本撮影禁止でしょう……。むちゃくちゃな注文つけてくるなよ、田楽! 僕はスマホをポケットにしまうと、岡さんに向かって頭を軽く下げた。

「当日、またお会いするかもしれません。そのときは男ひとり同士、よろしくお願いします」
「……むなしい夏の日を過ごせそうだな」

 岡さんは無表情のまま行ってしまった。……それな。まさにそれな。
 定時になると、田楽さんがスキップを踏みながらオフィスを出ていくのとすれ違った。

「よっ! 岩代おっつかれ~!」

 ……ちょっと待ってくださいよ。なんであんた、定時であがってるんですか。仕事どうしてるんだよ。オフィスに戻ると、僕のデスクにどっさりと資料が載っていた。そこにあった付箋には『明日まで! 田楽』の文字。
あいつ……本当に僕の先輩なのか? 正直まともに仕事してるところ、見たことないんですけど。つーか、定時あがりとかあり得ないでしょ。課長もデスクライト持参なんだぞ? 21時過ぎると、一斉消灯するからって……。しかもみんな19時には退勤したとデータ入力してサービス残業してるのに。17時に帰るって、アホですか。

「田楽ならどうせ合コンだぞ~。気にするほうがメンタル的に悪いから、あいつはいないってことで仕事にかかれ」

 そう言って、ポンと頭を軽く叩く部長はそのまま打ち合わせだ。新人を気にかけてくれるいい人だけど、田楽さんのフォローになってない。
 あんなやつ、気にしないほうがいい。本当に。僕は泣きそうになりながらも、ひとつひとつの資料に目を通し、表計算ソフトでグラフを作っていった。

 家に帰ったのはかろうじて当日。23時。ともかく今日のうちに帰れてよかった。クリーニングに出すために、ワイシャツの胸ポケットをごそごそと探っていたら、昼間もらったアレが出てきた。『特別パス』……。そう言えばあんまり興味なかったから、詳しくないんだよね。新しいアトラクションって。うちの会社が協賛してるって、どんなものなんだろう?
 シャワーを浴びて、寝る準備ができると、スマホを充電器につなげて検索してみることにした。別にすごく興味があるわけじゃない。ただ、行かなきゃいけないようだから、下調べは軽くしておいたほうがいいと思ったからだ。
「『ごーすと・ほーむ』? へぇ、園内初のお化け屋敷なのか。あーでもガチな感じではないんだな。富士のほうにある本気でヤバい系じゃなさそうだ」
 それもそうか。赤ちゃんだって来る場所だ。そんな過激でドロドロなのがあったら、クレームが来るかもしれない。下手すりゃトラウマものだ。アトラクションの場所もドリームゾーン。ドリームゾーンは基本、小さい子向けのアトラクションが多く存在する。メリーゴーランドとかコーヒーッカップとか。そこに廃墟の病院やらホテルやらがあったら、存在しているだけで泣かれるだろうな。
 アトラクションの写真はまだない。オープンの日にちも。もしかしたらオープン日もまだ秘密なのかもしれない。だとしたら本当に僕たちは特別に招待されてるんだな。
 興味もないし、行くのも面倒くさいと思っていたけど、ちょっとだけ優越感に浸る。本当に特別な人間しか行けない夢と希望と幻の国の、新しいアトラクション。ぼっちだけど、岡さんもひとりみたいだし、配られたのはどうやらみんな1枚っぽいよな。ぼっちも集まれば仲間になれる! ……と、思いたい。
 たまにはこういう機会があっても悪くないか。大学を卒業して、今の仕事に就いたのはいいけど、学生時代と全然違うし、休みも休んだ気がしなかった。それでも毎日職場に通っているだけ偉いという友人もいる。同期で入社したうち、すでに5人は退職している。同期入社組はたくさんいるから、直接的に面識があるやつは少ないけど、僕なんかより仕事ができていたやつだっている。
僕は、仕事をやめる勇気もない。ただ毎日デスクに向かって資料を作って、客先に使えない先輩とともにプレゼンしに行く。そこでボコボコにされて帰ってきても、いいことなんて何もない。だけど、そんな社畜人生を選んだのは僕自身だ。僕はこれでいい。きついし、くだらないことだって多い。笑えない日もある。ヘマをした日は泣きたくなる。でも、これが下積みなんだ。この苦労を越えないと、僕は……。
せめて彼女がいたら変わるのかなぁ? はぁ、いい子なんているわけがない。大学時代だって、全然モテなかったし、当然僕はリア充なんかじゃなかった。地味に、少ない仲間と一緒に深夜アニメの話をしたり、好きな声優のライブに行ったりするだけで、女の子とはなかなか話なんてできなかった。
今は、仕事上話はできるようになったけど、うちの会社にいる女性陣は、なんというか……強い人が多くて怖い。入社したての時に、田楽先輩にそうこぼしたことがあるけど、大笑いされた。『俺の合コン相手とか彼女に比べたら、軽自動車と戦車レベルの差だよな』って。最初は意味がわからなかったけど、今から考えるとよくわかる。営業担当の女性は、性差なんて超越している。男と同じ分量の仕事をしているし、田楽先輩より営業成績がいい人も多い。夜だって、定時あがりするダメ男……田楽先輩とは違い、課長たちと一緒にデスクライトの下、サンドイッチを食べつつ翌日朝イチに回る営業先の資料を作っている。僕みたいな新人が声をかけるなんて、色んな意味で恐れ多い。
ちょっと前に、どうしても田楽先輩に聞いても「テキトーでいいよ~!」とか言われてどうしようもなくなってしまった資料について質問したことがあったけど、一度目声をかけたとき、無視。二度目でやっと反応してくれたと思ったら、「そんなこともわからないの? 田楽に聞け」と言われて心が折れた。
 事務担当の女性たちも、田楽先輩が『女の子たちは華やかでいいねぇ!』と言っただけでランチタイム中に『死ね』の嵐だった。その時は褒めてたのになんでキレてるんだ!? と思ったけど、どうやら自分たちが営業より仕事をしていないと言われたと取ったらしい。
次々としりとりや山手線ゲームみたいに、リズミカルに『無能』、『ダメ男』、『勘違いイケメン』と女性たちが田楽先輩の悪口を言っていたときは、さすがにぞっとした。
 田楽先輩の下にいると、そのうち僕の悪口も言われるんじゃ……!? といつもひやひやしている。心臓が持たない。
 
モヤモヤしながらスマホをいじっていると、メッセが来た。……なんでこう、へこんでるときに送ってくるかなぁ? 相手は田楽先輩。『合コンさいこー!』って、完全にできあがってるな……。自撮り写真まで来たよ。これ、彼女にバレたらヤバいんじゃないか? ま、僕はその彼女さんのことを知らないから、安全だと認識されて、浮かれたバカ写真を送ってきたのかもしれないけど。
僕も田楽さんみたいに気楽に生きたい。ただ、そううまくいかないのが現実だし、田楽さんと僕じゃ、生まれも育ちも違う。敷かれたレールをただただ走る列車なのが僕。田楽さんは道なき道を自由に走る人だ。
……もういいや。僕は人生を諦める。大学も出た。会社にも就職した。もう完璧だろう?
これ以上に必要な完璧って何? 結婚? 子ども? 家? 車? それを全部手に入れた頃には、もうじいさんだ。死ぬために生まれてきた人間なんて、神様もくだらないものを想像したもんだな。
 僕はもう一度特別パスを見つめる。『特別な何か』を体験すれば、僕の人生観も変わるのかな? それだったら……。
 とりあえずテーブルにパスポートを置くと、僕は電気を消してベッドにもぐった。

「……うぇっ!? ご、合コン!? 僕が……ですか?」

「うん、今夜。いやぁ~、なんか面子が集まらなくってさ。お前と、あと岡ってメール便のやつ、呼ぶことにしたから」

「岡さん、ですか?」
「お前、知ってるの?」

 知ってるっていうか、ちょっと話しただけだけど……。あの人、合コンに行くようなタイプじゃないって思ったんだけどな。堅物そうだったし。ガタイはいいし、身長も高いから、モテるとは思うけど。

「これで何とか3人集まったわ~! じゃ、今日の19時、大手町のイタリアンで!」
「………」

 ど、どうしよう!? いきなり合コン!? 
 僕があわあわと廊下でうろたえているところ、ちょうど岡さんが通りかかった。

「……田楽はあの調子だからな」
「っていうか、岡さんって、田楽さんのこと知ってたんですね」
「……そりゃ、女性人気ワースト1って噂だからな。嫌でも耳に入る」

 最悪じゃないですか、それ。岡さんも迷惑なんじゃないかな、こんな合コンなんて。僕は正直なところ、女の人との出会いがあるなら行ってみてもいい。ただし、めちゃくちゃ緊張するし、何を話せばいいかもわからない。『その場にいるだけ』ならできる……と思う。でも、岡さんがいれば少しは気も楽になる。岡さんもそんなに口数は多くなさそうだから。

「ま、それに田楽にはよく届け物があるからな」

 届け物? 書類とかか? あの人の書類や資料は、基本僕に回ってくるんだけどな。あの人もやるところはきちんと仕事をしてるってことなのか? ちょっと意外だ。

「とりあえず……今日の『飲み会』はよろしくな。同じオフィスじゃない俺まで誘ってくれたのはありがたい」

「え!? 飲み会じゃないですよ。合コンですよ……。まさか、岡さん……」
「だまされた……」

 眉間にしわを寄せると、岡さんは不機嫌そうにすたすたとカートを押しながら行ってしまった。こんなで今日の合コン、大丈夫なのだろうか……はぁ。

「ではでは、今日の出会いに、かんぱーい!!」
「……かんぱ~い」

 自己紹介が終わると、さっそく乾杯だ。
 田楽さんはノリノリだが、僕と岡さんは微妙。女性陣はテンションブチあげすぎな田楽さんに若干引き気味だ。
 こんな状態で、一体何を話せと? 僕はびくびくしながらカルアミルクを飲む。岡さんも若干ヤケなのか、がばがばハイボールを飲んでいる。

「ね、みんな! 今度さ、うちの会社協賛で、グローバルワンダーランドに新しいアトラクションができるの、知ってる!?」

「へぇ! そうなんだ~。どんなの!?」
「それはまだヒミツなんだけど、今度岩代が特別パスで見て来るって!」
「ぼ、僕!?」

いきなりみんなの注目を浴びさせられ、びくりとなる。自分が『1枚だからやる!』って押しつけたくせに、こういうときは話題に出すんだな。田楽さんは僕に、何か女性陣に言ってやれ! みたいに合図するが、何をどう言えばいいっていうんだよ……。
そんな窮地を救ってくれたのが、岡さんだった。

「俺も……行く」

「えぇ!? 岡ちゃんも当たってたのか!? だったら俺も岩代にあげなきゃ……あ、でも男ふたりってやっぱ嫌だな」

 だから、あんたはなんでそんなに自由なんですか……。結局合コンでは誰とも連絡先を交換せず。田楽さんだけは無理やり全員と交換していたけど、僕と岡さんは早々と店を去った。
もうこんなどんちゃん騒ぎはこりごりだ。合コンは僕らに合ってない。

ふたりで最寄りの駅に着くと、岡さんが僕の肩と叩いた。

「メッセ」
「え?」
「ID。今度行くだろ、グローバルワンダーランド。どうせだし、一緒に行こう」
「……はい!」

 女性と仲良くもなりたいけど、僕はまだそのレベルに達してない、だったら気楽に男同士友達として新しいアトラクションを楽しむのも悪くない。
 7月31日。どんな素晴らしい特別な一日になるんだろう? ちょっとだけワクワクしてくる自分に照れてしまうのは、少しカクテルを飲み過ぎたからかもしれない。
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