■東主(あずま・まもる)

文字数 2,905文字

「お前さん、日本人か?」
「あ、ハイ。東教授ですよね。今日からお世話になりま~す」

 いくつだろう。年齢的に15、16といったところか? 事務方に聞いてあるのは、すでに大学のカリキュラムをいくつか修了していて、特に力を入れたい経営に関しての論文を書くために俺のところに来たってことだ。大学自体は他の論文を提出して、もう卒業しているがもっと勉強したいとか言って聴講生として残っているらしい。しかもただ卒業したのではなく、首席卒業。あり得ないだろう……こんな子どもが。

 うちのゼミでうまくやっていけるのか? でもま、英語は完璧っぽいし、他にもフランス語とドイツ語もできるようだ。あとは人間関係くらいか。

 俺はみんなに彼、神谷ユウキを紹介した。すると、名前だけ聞いたことがあるという生徒が何人かいた。どうやら彼の天才っぷりはキャンパスも超えて響いているらしい。

 ユウキは日本人だが、アメリカに滞在しているのが長いせいか、すぐに生徒たちに馴染んだ。感覚がアメリカ的なんだろうな。ゼミを終えると俺は、生徒を追い出してウイスキーをこっそり飲む。当然、こんなことしてたらクビだが、ちょっとくらいいいだろう。

 そして趣味の旅雑誌を読む。はぁ……長期の休みがあって、金にも困らないなら行きたいんだけどなぁ、世界。色んな場所をバックパッカーとして回るんだ。本当は学生時代にやっておけばよかったんだが、親が死んだりしてそれどころじゃなかった。就職先は日本の大学だったが、実績を評価されて今はこのアメリカの大学にいる。

 そうだなぁ。すごい論文をひとつ書いて、何回か勉強会を開けば、しばらくの間世界を回ることができるかもしれない。でも、論文の内容が見つからない……。どうすればいいのか困ったなぁ。

 そんなときに現れたのが神谷だったのだ。

「Prof.東。実はちょっと気になっていたことがあって、自分なりに論文を書いてきたんだけど……見てくれない?」
「論文?」

 ずいぶん変わった子だな。普通だったら嫌々書いてよこすものを。だが、自分でいくつもの過程を修習しているくらいだ。勤勉なのだろう。

 論文の入ったCD-Rを渡されると、俺はそれをパソコンで開いて驚いた。これだけのものを、短期間でひとりで調べたって言うのか!? しかもこれは学会に発表されていない……新しい見解かもしれない。企業倫理の内部制度化……。

「どうかした?」

「い、いや……よくできている。もう少し読ませてくれないか?」

 ユウキには悪いが、これはチャンスだ。大学の教授なんて仕事、飽き飽きしていたところだったからな。悪いがお前さんの論文を利用させてもらうぞ。

 マウスを持つ手が汗ばむ。罪悪感がないわけはない。ただ、自由を手に入れるためだ。……悪い。ユウキ、お前さんはまだ若い。新しい論文だって書ける。俺はもうおっさんだし、新しい研究対象を探すような好奇心も失ってしまった。だから、好奇心を取り戻すために、世界へ。わかってくれ。

 学会へこの論文を発表すると、さっそく特別に講義してほしいという依頼が来た。俺は精力的にその仕事を引き受け、1、2年はどんな土地でも暮らしていけるくらいの金を貯めた。

「Prof.東! どういうことだよ! あれ、オレの……」

 当然ユウキが文句を言いに来たが、俺はただ頭を下げるだけだ。

「すまない。これしか手が思いつかなかった。俺は俺の夢のために、金が必要だったんだ。だから……」

「……後悔するのは教授っスよ?」

 そんなことはわかっている。わかった上で生徒の論文を盗んだのだから。

「約束する。いつかお前さんに必ず返しに行く。絶対だ。ただ、それまで時間が欲しい。世界を見て回る時間が」

「わかったよ。ちゃんと返してよ? 約束だから」

 ユウキは大きくため息をつくと、研究室を出ていく。こんな……よかったのか? 本当に。
気にはなったが、俺はこれで休みと金を手に入れた。

 大学にしばらく席を空けると言ったら、代理としてユウキが教授の席に就かせると言っていた。あいつには本当に迷惑をかけているな。旅から帰ってきたら、ユウキに何か恩返しをしないといけない。
 そんなことを思いながら、俺はリュックサックに荷物を詰めて、中東へと向かった。

 ――日本に帰ってきたのは数日前だ。もともと住んでいたのはアメリカだったし、今は家がない状態。とりあえずビジネスホテルに泊まることに決め、まずはどこか住処を探さないといけない。
 フロントで外出することを告げると、待ってほしいと止められた。

「あの、これ……お客様宛のお手紙です」
「俺宛ですか?」

 真っ白い封筒に金色で印刷された『EPIC』の文字。
 中身をさっそく開いてみると、それはユウキからだった。

『Prof.東 お帰りなさい。もしもう論文が必要ないのなら、返しに来てほしい。
久しぶりにあなたにも会いたいしね! グローバルワンダーランドで待ってるよ』

 ……そうだな。俺もユウキにきちんと謝って、論文を返さないといけないな。しかし、グローバルワンダーランドか。あいつ、EPIC社に入ったのか? 一体何が目的なんだ。
 まぁいい。本人に聞けばいいんだから。
 7月31日――。俺はちゃんとお前に会いに行く。待っていてくれ。

 「殺すつもりはなかったんだけどね~……」

 確かにあのゲームに巻き込んだのはオレだけど、やっぱなおってなかったんだ。酒好きなのは。
 ヒロアキと瑞希がゲームを抜けたら、東教授も助けたのにね。あそこで死ぬのは、御堂かりえかかミホだったんだ。それを……。

「そんなにオレっつーかシナガワや川勢田が死んだの、ショックだったわけ? ねー、ヒロアキ」

 キッチンで食器を洗っていたヒロアキにたずねると、首を振った。

「いや、それよりもお前に論文を返すことで頭がいっぱいだったみたいだぞ。お前に会うためなら、人が死ぬのも仕方ないって」

「じゃあ、結局アルコールに負けたってことか。残念」

 論文のCD-Rは手元に戻ってきた。東サンの死体から出てきたから。

「ちゃんと返してくれるつもりだったんだな~」

 酒が原因で死んだのは、自業自得か。オレにとってこんな論文、もういらないかったんだけどね。EPIC社の会長になったし、もう大学で教授の代わりに講義に出ることはない。ただ、教授が約束を守ってくれるか試したかっただけなんだ。結果、約束は守ってもらえた。だから……。

「さーて、オレも久々に酒飲もうかな!」
「お前が? 珍しいな」
「つきあってよ、ヒロアキ」
「しょうがねぇなぁ」

 オレらは冷蔵庫で冷やしてあった缶ビールを取り出すと、プシッ! と音を立ててプルタブを開ける。

「乾杯!」
「乾杯じゃないよ。献杯ってとこかな」
「はぁ?」

 ヒロアキはよくわからないって顔をしてる。そりゃあね。EPIC社は毎日のように人を殺してるんだ。今更誰に献杯するっていうんだって感じ。
 東サンは……嫌いじゃなかったから。論文をパクられたのは腹立ったけど、その理由は『世界を旅したいから』。そういう自由な人、オレは嫌いになれないからさ。

 ありがとね、教授。オレにきっちり論文を返してくれて。
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