3 大した道案内
文字数 2,946文字
「長の言葉を忘れたのかい? 僕を信じるように言われただろう」
「……お前の目的が判らんからな、吟遊詩人 」
「ううん。それを言われると痛いなあ」
言葉とは裏腹に、クラーナはにっこりと笑った。
「君のためになるように、という言葉じゃ足り」
「足りないに決まってるだろうが」
かぶせるように言って、ふん、と鼻を鳴らす。しかし本当は、クラーナを拒絶するのではなく、それどころかまた彼の首ねっこでもひっ捕まえて問い質したいことだらけなのだ。
青年がそうしないのは、彼を人外と怖れるのでも忌むのでもなく、道標を信じよと言ったミロンの長への敬意によるものだったかもしれないが。
「いまでもお前は俺の道標だと言い張るのか?」
「君の、じゃないって言ったろ」
「翡翠 への、でけっこうだが」
その台詞を砂漠で聞いたときは激昂して彼に掴みかかったシーヴも、いまは皮肉めいた笑みとともにそれを口にする。
「何を怖れるんだい、シーヴ」
「怖れる……だと?」
意外なことを言われて、シーヴは片眉を上げた。
「そうだろう? 君は怖れてる。僕が人外だと言われたから君が避けているとは思わないけど、それなら何だろう?」
「お前が何も答えないからだ」
シーヴはそう言った。
「お前は知っているのに、何も言わない。俺はそれが気に入らない」
「君はまだ何も質問していないじゃないか」
心外だ、とクラーナが言うとシーヴは乾いた笑いを見せた。
「そうか? それなら言おう」
数歩先へ行っていた足をとめ、詩人を振り返る。
「お前は何のためにミロンのもとを訪れた? スラッセンへ行くなどと言って、本当に行ったのか? それなら、俺とランドがあの戸口をくぐったのも、あのガキがランドをどうしたのかも、俺をどうしたのかも、知っているのか? ランドは無事だと言ったな、あいつはどうした。どこにいる。お前とあのガキはつるんでるのか。あのガキは何者だ。長はお前が道標だと言ったのに、お前でなくあの子供 が塔を指した理由は。塔に関しちゃ聞いても仕方がないか? それならまたミロンだ。何故お前は俺に合わせるようにミロンの集落へ戻った。前に名乗らなかった名を簡単に名乗ったのは何故だ。そして俺の行く先を示すのではなく、俺についてこようとする理由は」
シーヴは一気にまくし立ててやった。
「どれかにでも答えられるなら答えてもらおうじゃないか」
「参ったね。確かにどれにも、ろくに答えられないよ」
クラーナは肩をすくめた。
「お前に対しては疑問が山ほどあるが、返答がないんじゃつきまとわれても鬱陶しいだけだ」
ずばりと切り捨てるようにまた言った。
「お前が答えを提供しない以上、俺はお前に用はない」
「それは」
クラーナははたと気づいたように声を出した。
「取り引きということ?」
「何だって?……そうだな、それならそれでいい」
シーヴは考えるようにしてからうなずいた。
「取り引きだ、クラーナ。お前は何を提供できるって?」
話をするなら腰を落ち着けよう、とばかりに彼らはミエットの一角にある〈深紅の楯〉亭で「大河の西」の食事にいそしんだ。シーヴには砂漠の民の食卓に慣れ親しんでいたが、クラーナは違うらしい。ほっとしたように鳥 の串焼きを手にすると美味そうに頬張った。
「君には悪いけど、シーヴ。僕はどうにも、〈地這い〉の味には慣れなくて」
「あれはあれで美味いもんだぞ。生焼けは酷いがな」
周辺の客が聞けばぎょっとしそうな会話を平然としながら、シーヴも応じる。
「僕は、こちらの文明に乾杯、だね」
「〈東〉のか?」
クラーナと二人で大河の西へ戻ってきて以来、はじめてシーヴはにやりとした。
砂漠から見ればビナレス全てが西だが、ビナレスの中に入ればこのあたりは「東国」だ。
「東も西も、それぞれさ。東方の香料はきついから、吟遊詩人 の喉には向かないけれども。砂風に熱気もね。本当は、楽器にはよくない」
「潮風よりましじゃないのか」
何気なくシーヴが言うと、クラーナは少し驚いたような顔をした。
「どうして……?」
「……海くらい、行ったことあるんだろ」
「ああ、うん、そうだね」
吟遊詩人はほっとしたように言った。シーヴは不審に思ったが、それを追及はせずに――心に留めておく。
「潮も砂も、楽器と詩人を苛めることじゃそう変わりないかな」
「なのに、わざわざ旅をするのか」
「砂風の導くまま、と砂漠の民は言うんだっけ? 似たようなものさ」
「まあ、そんな雑談をして親交を深めようと思ってる訳じゃないんだがな」
シーヴはそんなふうに言うと古びた椅子の背にもたれ、ぎっと悲鳴をあげさせた。
「前にも言ったけど、シーヴ。僕は知っていることを全て君に話すことはできない」
「制約 か。納得はいかんが、いいだろう」
「その範囲内でいちばん君の興味を引くんじゃないかと思うことがある。これを言っても君が僕の道標としての役割を認めないのなら、そのときは仕方ない」
「賭けって訳だな」
青年は身を乗り出した。
「聞いてやろうじゃないか」
「〈翡翠の宮殿 〉」
何の勿体もつけることなく、さらりと――クラーナは言った。
「僕が、それがどこにあるのか知っていると言ったら?」
シーヴは、その発言の意味を探るかのように、しばらく黙った。
「それで」
ゆっくりと声を出す。
「そこに案内することはできないが、と言うんだろう」
「当たり 」
にっこりと笑って答えるクラーナに怒りはしないが、どうしてやろうか、とは思う。
このクラーナが詐欺師 などでないことは判っているし、知っていると言うのなら知っていて、言えぬと言うのなら言えぬのだ。それが真実であるともう判っている。
彼がクラーナを信頼できない理由とは、何であろう? 長の言葉に重きを置くなら、彼は道標を信じるべきなのだが。
シーヴは戸惑っていた。
どこまでが自分本来の感覚で、どこまでが〈鍵〉とやらとしての感性で、どこからが、この「魔物」に惑わされているのだろう。シーヴは嘆息した。彼は、自分が不安を抱いていることをあまり認めたくなかった。
「もちろん、それじゃ取引材料には弱い」
クラーナの方から言い出したのを青年はいささか意外に思った。ひたすら彼の問いかけをはぐらかしていくものと思っていたからだ。
「僕は警告ができるよ」
「何に対して」
すぐに返す。
「正しい道を教えることはできなくても、君が違う道を行けばそちらではないと言うことはできる」
「は、それはずいぶん有難いね、大した道案内だ」
シーヴはたっぷりと皮肉を込めて言う。
「まあ待って。まだあるよ。君の敵が近くにいれば、それも告げられるだろうな」
「せっかくだが」
シーヴは肩をすくめた。
「俺は、命を狙われるような覚えはない」
まさか兄たちが突然狂気に落ちて、弟王子を王位継承の競争相手だとでも考え出したなら別かもしれないが、そんなのは〈翡翠の娘〉を求めてさまよい歩くよりも馬鹿げた考えだ。
「……お前の目的が判らんからな、
「ううん。それを言われると痛いなあ」
言葉とは裏腹に、クラーナはにっこりと笑った。
「君のためになるように、という言葉じゃ足り」
「足りないに決まってるだろうが」
かぶせるように言って、ふん、と鼻を鳴らす。しかし本当は、クラーナを拒絶するのではなく、それどころかまた彼の首ねっこでもひっ捕まえて問い質したいことだらけなのだ。
青年がそうしないのは、彼を人外と怖れるのでも忌むのでもなく、道標を信じよと言ったミロンの長への敬意によるものだったかもしれないが。
「いまでもお前は俺の道標だと言い張るのか?」
「君の、じゃないって言ったろ」
「
その台詞を砂漠で聞いたときは激昂して彼に掴みかかったシーヴも、いまは皮肉めいた笑みとともにそれを口にする。
「何を怖れるんだい、シーヴ」
「怖れる……だと?」
意外なことを言われて、シーヴは片眉を上げた。
「そうだろう? 君は怖れてる。僕が人外だと言われたから君が避けているとは思わないけど、それなら何だろう?」
「お前が何も答えないからだ」
シーヴはそう言った。
「お前は知っているのに、何も言わない。俺はそれが気に入らない」
「君はまだ何も質問していないじゃないか」
心外だ、とクラーナが言うとシーヴは乾いた笑いを見せた。
「そうか? それなら言おう」
数歩先へ行っていた足をとめ、詩人を振り返る。
「お前は何のためにミロンのもとを訪れた? スラッセンへ行くなどと言って、本当に行ったのか? それなら、俺とランドがあの戸口をくぐったのも、あのガキがランドをどうしたのかも、俺をどうしたのかも、知っているのか? ランドは無事だと言ったな、あいつはどうした。どこにいる。お前とあのガキはつるんでるのか。あのガキは何者だ。長はお前が道標だと言ったのに、お前でなくあの
シーヴは一気にまくし立ててやった。
「どれかにでも答えられるなら答えてもらおうじゃないか」
「参ったね。確かにどれにも、ろくに答えられないよ」
クラーナは肩をすくめた。
「お前に対しては疑問が山ほどあるが、返答がないんじゃつきまとわれても鬱陶しいだけだ」
ずばりと切り捨てるようにまた言った。
「お前が答えを提供しない以上、俺はお前に用はない」
「それは」
クラーナははたと気づいたように声を出した。
「取り引きということ?」
「何だって?……そうだな、それならそれでいい」
シーヴは考えるようにしてからうなずいた。
「取り引きだ、クラーナ。お前は何を提供できるって?」
話をするなら腰を落ち着けよう、とばかりに彼らはミエットの一角にある〈深紅の楯〉亭で「大河の西」の食事にいそしんだ。シーヴには砂漠の民の食卓に慣れ親しんでいたが、クラーナは違うらしい。ほっとしたように
「君には悪いけど、シーヴ。僕はどうにも、〈地這い〉の味には慣れなくて」
「あれはあれで美味いもんだぞ。生焼けは酷いがな」
周辺の客が聞けばぎょっとしそうな会話を平然としながら、シーヴも応じる。
「僕は、こちらの文明に乾杯、だね」
「〈東〉のか?」
クラーナと二人で大河の西へ戻ってきて以来、はじめてシーヴはにやりとした。
砂漠から見ればビナレス全てが西だが、ビナレスの中に入ればこのあたりは「東国」だ。
「東も西も、それぞれさ。東方の香料はきついから、
「潮風よりましじゃないのか」
何気なくシーヴが言うと、クラーナは少し驚いたような顔をした。
「どうして……?」
「……海くらい、行ったことあるんだろ」
「ああ、うん、そうだね」
吟遊詩人はほっとしたように言った。シーヴは不審に思ったが、それを追及はせずに――心に留めておく。
「潮も砂も、楽器と詩人を苛めることじゃそう変わりないかな」
「なのに、わざわざ旅をするのか」
「砂風の導くまま、と砂漠の民は言うんだっけ? 似たようなものさ」
「まあ、そんな雑談をして親交を深めようと思ってる訳じゃないんだがな」
シーヴはそんなふうに言うと古びた椅子の背にもたれ、ぎっと悲鳴をあげさせた。
「前にも言ったけど、シーヴ。僕は知っていることを全て君に話すことはできない」
「
「その範囲内でいちばん君の興味を引くんじゃないかと思うことがある。これを言っても君が僕の道標としての役割を認めないのなら、そのときは仕方ない」
「賭けって訳だな」
青年は身を乗り出した。
「聞いてやろうじゃないか」
「〈
何の勿体もつけることなく、さらりと――クラーナは言った。
「僕が、それがどこにあるのか知っていると言ったら?」
シーヴは、その発言の意味を探るかのように、しばらく黙った。
「それで」
ゆっくりと声を出す。
「そこに案内することはできないが、と言うんだろう」
「
にっこりと笑って答えるクラーナに怒りはしないが、どうしてやろうか、とは思う。
このクラーナが
彼がクラーナを信頼できない理由とは、何であろう? 長の言葉に重きを置くなら、彼は道標を信じるべきなのだが。
シーヴは戸惑っていた。
どこまでが自分本来の感覚で、どこまでが〈鍵〉とやらとしての感性で、どこからが、この「魔物」に惑わされているのだろう。シーヴは嘆息した。彼は、自分が不安を抱いていることをあまり認めたくなかった。
「もちろん、それじゃ取引材料には弱い」
クラーナの方から言い出したのを青年はいささか意外に思った。ひたすら彼の問いかけをはぐらかしていくものと思っていたからだ。
「僕は警告ができるよ」
「何に対して」
すぐに返す。
「正しい道を教えることはできなくても、君が違う道を行けばそちらではないと言うことはできる」
「は、それはずいぶん有難いね、大した道案内だ」
シーヴはたっぷりと皮肉を込めて言う。
「まあ待って。まだあるよ。君の敵が近くにいれば、それも告げられるだろうな」
「せっかくだが」
シーヴは肩をすくめた。
「俺は、命を狙われるような覚えはない」
まさか兄たちが突然狂気に落ちて、弟王子を王位継承の競争相手だとでも考え出したなら別かもしれないが、そんなのは〈翡翠の娘〉を求めてさまよい歩くよりも馬鹿げた考えだ。