2 王女だから
文字数 4,281文字
「何だよ……ああいう言い方がお望みかと思ったのにさ」
「望んでいる訳ではないわ。私にとっては、礼儀を尽くされ、敬意を表わされるのが当たり前で、それ以外の応対など受けたことがないの。たとえ」
シュアラは何でもないように続けた。
「たとえ、陰ではどう言われていたとしても」
「んな、陰でだなんて」
エイルがどう言おうか逡巡すると、シュアラはそれを遮った。しかし、その仕草にいつも見られるような尊大なものはなかった。
「私が何も思わぬまま、単純にみなの崇拝を受け入れていると思って? 判っているのよ、私は王女だから敬意を払われる。それはアーレイドの血筋に対するもので、私に対するものではないわ」
「んなこと」
ねえよ、とは言えなかった。それはまさしく、エイルが思っていたことだからだ。「どうして王女だと言うだけで、こんな小娘に深々と礼などしなくてはならないのか?」。
「お前は……お前たちは、私が王家に生まれついたことを幸運と思うのかしら。そして、王女であると言う理由で好き勝手にする愚かな小娘と?」
「シュアラ」
姫、と呼びかける気にはならなかった。いま目の前にいるのは、王女と言う冠をかぶっただけの、ひとつ年下の少女。
「昨日は何があったのか、ファドックに訊いても判らないと言うのだもの。お前に訊くしかないじゃないの」
「また、いつでも好きに俺を呼び出せばいいじゃないか」
「馬鹿を言わないでちょうだい。私が自由に時間を決められると思うの?」
「……決められんだろ?」
「まあ。判っていないのね」
いつもならばやはりエイルのかんに障る言い方だが、いまはそれを感じなかった。いつもの部屋ではなく、どちらかというとここが彼の陣地であるせいだろうか。
「私には毎日、課題が山積みだわ。礼儀作法に詩歌に舞踏、言語学に紋章学、街の歴史に貿易法、それに――魔術の基礎まで習うのよ! おかしいとは思わない? 魔力のない者がそんなことを学んで何になると言うのかしら?」
「そりゃ、まあ、普通は、習わないと思うけど」
まくしたてるシュアラに一歩引いて、エイルは言った。驚きだ。魔術云々よりも――シュアラも礼儀作法を習っているとは!
「興味深いし、面白いことも多いわ。たいていの学問は好きよ。父様は私のためであり、街のためだと言うし、私もその通りだと思っているわ。けれどね、ときどき……何て言うのかしら」
「……嫌になる?」
「嫌、という訳ではないの」
シュアラは口を尖らせた。
「それじゃ」
エイルは考えた。
「飽きる?」
「――そう、そうね、それだわ!」
それは、そうかもしれない。知識で世界を知ったとして、城から一歩も出ない生活では飽きもくるだろう。エイル少年は日々の仕事に忙しくて、たとえ飽きたところでどうしようもないものだが、日々の営みに飽きるという思いは判らなくもない。
街で小さな仕事を繰り返す毎日を送っていた間、自分はこのままアーレイドから一歩も出ないまま、日々に追われて生きていくのだろうかと考えて、漠然とした不安を覚えたことは、彼だってあるのだ。
「こんなこと、言ったらいけないと思うけれど。私のためだと判るのだけれど。でも……何のためだろうとも思うわ」
「まあ……」
エイルは頭をかいた。
「いずれ、判るんじゃねえ?」
言って苦笑しそうになった。これではまるでファドックの台詞だ。
「そうかしら」
シュアラは首をかしげる。
「そんなふうに、誰も言わないわ」
「……ファドック様も?」
「ファドックが?」
王女は目をぱちくりとさせた。
「彼はそんなこと、言わないわ」
「ふうん」
少し意外だった。ファドックが姫君に意見などしないというのは判っていたが、それでもエイルには何度も――言ったのに。
「で、お勉強に追われて時間が作れないから、わざわざここに?」
「そうよ。だって」
シュアラは言いかけて、とまった。珍しい反応だ。言いたいことは何でも言うのに。
「何だよ」
エイルは促す。
「だって、お前はまた、どこかへ行ってしまうかもしれないでしょう」
はた、と気づく。シュアラが心配したのは――それなのか。
「この前は、悪かったよ」
知らず、そんな言葉が出ていた。だが、謝るつもりなど毛頭なかったはずだと思い出して、続ける。
「でもあんときゃ、シュアラだって悪かったんだからな」
「まあ!」
さすがに、声に不満が混ざる。
「私の何が、悪かったと言うの!」
「俺の母さんの暮らしを馬鹿にしたろう」
「何ですって?」
目を丸くする。
「そんなこと……しないわ」
「したさ。籠編みなんて下賤な職業だって」
「まあ、そんなこと」
反論しかけて、また言葉をとめた。
「私、そんなことを?」
「……何だよ」
エイルも勢いを削がれる。
「自覚、ないんだな」
「何ですって」
「――エイル! 何を油売ってる、さっさと戻ってこいっ」
「いっけね」
少年ははっとして背後を振り返った。裏口から顔を出して怒鳴るのは料理長だ。
「俺、仕事中なんだ。ちょい、待ってくれ。十分 だけ休憩もらって……部屋まで送るよ。その前に、近衛兵 にでも行き合えばそいつに任せても」
「待ちなさい、エイル」
言いながら倉庫に走り出そうとする少年を厳しい声がとどめる。
「何の『仕事』なのか知らないけれど、お前にあんなふうに命令するなんて無礼だわ。休憩、ですって? 私といるのに、誰かの許可がいるというの!?」
「あのなっ、仕事ってのはそう言うもんなの! 俺はここじゃいちばんの下っ端だし、こんなふうにさぼってて怒られるのは当然」
「私と話をしていて、誰が怒ると言うの!」
もちろん、ヴァリンならばものすごい剣幕で怒るだろうが――エイルに非がなくとも――シュアラが言うのはそうではあるまい。
「あのね、だからっ」
「こら、エイル、忙しいんだから女の子とくっちゃべる のはあとにしとけっ」
近寄ってきた声にエイルは焦った。「これ」をどう説明したらいい? トルスにも――シュアラにも、だ。
「ごめんっ、トルス、すぐ行くから、ほら、戻って、あんたが厨房を離れちゃ」
「何言ってる、ほかにも足りないもんがあるから取りにきたんだ」
「トルスというのね。控えなさい」
「――は」
「ええと」
トルスは足を止めてきょとんとする。シュアラの声は――「王女殿下」の響きを帯びた。エイルは頭を抱える。
「エイルは私と話をしているの。それより重要な仕事が彼にあるというのなら、言ってみなさい。ことと次第によっては、お前はクビですからね」
「はあっ、いったい何の」
「やめろ、俺が悪いんだからっ」
「お前の何が悪いと言うの」
「こりゃ……まさか」
遠い外灯の薄い明かりの下で、顔はろくに見えまい。だがその口調と声は、特徴がありすぎた。
「王女殿下ですかい!」
「トルス、しいっ」
少年は、あまり意味のないことをした。シュアラを隠すように、その前に立ったのだ。だがそれはまるで、少女をかばうかのようにも、見えた。
「どきなさい、エイル。無礼でしょう」
「お前も黙れっ」
「まあっ!」
「おいおい、エイル。姫さんにそりゃないだろ」
「トルス、シュアラは俺に話があるらしい。シュアラ、でも俺は仕事をしなきゃなんないの。で、トルス、十分 もらえっか? 姫さんを送り届け」
「何を」
「言ってるんだお前は」
シュアラが不満の混じった怒りの声を出し、トルスは笑いの混じった呆れた声を出した。
「芋 の箱と姫さんとで、芋を選ぶほど料理人魂が旺盛だったら俺は驚くよ。もういい、今日は上がれ」
「えっ、いや、でもそれは」
「いいから上がれ。飯はとっといてやるよ。失礼しやした、姫様。こちとら無骨な料理人なものでね。クビは切らないでいただけると有難いんですが」
トルスは見よう見まね――なのだろう――の宮廷風の礼などしてみせる。
「……エイルよりも礼儀を心得ているようね。いいでしょう、お前の下働きを一刻、借り受けることにします」
「おいっ」
エイルは、どちらに対してか判らないままで声をあげた。トルスに対しては、殿下が相手なら途端に下手に出るのか――当然と言えば当然だが――という、皮肉と非難が入り混じったもの、シュアラに対しては、結局のところエイルの仕事を理解している のではないか、と言う、こちらは紛れもない非難であったが。
「もう夕餉なの? 早いのね」
「今日は、ちょっとした祭りみたいなもんなんですよ、姫様。僭越ですが、早くお戻りになった方がいい。この辺りに使用人たちが集まってくるし、こうしておひとりでいられるところを見つかれば騒ぎでしょう」
「騒ぎですって?」
「シュアラがどう思おうとどう言おうと、俺が姫さんを連れ出したってことになるに決まってるからさ。そうなりゃ、それこそ、俺がクビだ」
「それどころか、牢屋行きかもな」
トルスが混ぜっ返す。エイルは顔をしかめたが、シュアラは目を見開いた。
「まあ――どうして? そんなことになるはず、ないじゃないの」
「あるんですよ、姫様。……それともしばらくじっとここに隠れて、ファドックが泡食って探しにくるのをお待ちになりますか? その方がいいかもしれませんね、ファドックの仕業ってことになれば、あいつがヴァリンとキド伯爵の説教を食らえば済む」
「んな迷惑、かけらんないよ」
エイルは慌てた。
「迷惑なもんか。あいつの仕事は姫様を守ることだろう。姫様の望みを尊重、というより、遂行 することにあると思ってる訳だからな」
遂行、との単語に、エイルは城に連れ戻された日を思い出す。あまりいい気分ではなかった。
「そうだな、それがいいだろう。如何ですか姫様。お迎えがくるまで、こいつとここで、まあ、立ち話も何ですから、椅子くらい持ってきやすがね。いらっしゃるのが最上じゃないかと思いますが?」
「ここに詳しいお前が言うのだから、きっとそれがいいのでしょうね。そうしましょう」
シュアラはうなずき、エイルは絶句した。自分がそんなことを言えば、分をわきまえないとばかりに怒るに決まっているのに。
「それじゃエイル、倉庫から箱をひとつ運び入れたら、一足先に煮込み料理を持って行け。姫様も召し上がりますか? お口にゃ合わんかもしれませんがね」
「望んでいる訳ではないわ。私にとっては、礼儀を尽くされ、敬意を表わされるのが当たり前で、それ以外の応対など受けたことがないの。たとえ」
シュアラは何でもないように続けた。
「たとえ、陰ではどう言われていたとしても」
「んな、陰でだなんて」
エイルがどう言おうか逡巡すると、シュアラはそれを遮った。しかし、その仕草にいつも見られるような尊大なものはなかった。
「私が何も思わぬまま、単純にみなの崇拝を受け入れていると思って? 判っているのよ、私は王女だから敬意を払われる。それはアーレイドの血筋に対するもので、私に対するものではないわ」
「んなこと」
ねえよ、とは言えなかった。それはまさしく、エイルが思っていたことだからだ。「どうして王女だと言うだけで、こんな小娘に深々と礼などしなくてはならないのか?」。
「お前は……お前たちは、私が王家に生まれついたことを幸運と思うのかしら。そして、王女であると言う理由で好き勝手にする愚かな小娘と?」
「シュアラ」
姫、と呼びかける気にはならなかった。いま目の前にいるのは、王女と言う冠をかぶっただけの、ひとつ年下の少女。
「昨日は何があったのか、ファドックに訊いても判らないと言うのだもの。お前に訊くしかないじゃないの」
「また、いつでも好きに俺を呼び出せばいいじゃないか」
「馬鹿を言わないでちょうだい。私が自由に時間を決められると思うの?」
「……決められんだろ?」
「まあ。判っていないのね」
いつもならばやはりエイルのかんに障る言い方だが、いまはそれを感じなかった。いつもの部屋ではなく、どちらかというとここが彼の陣地であるせいだろうか。
「私には毎日、課題が山積みだわ。礼儀作法に詩歌に舞踏、言語学に紋章学、街の歴史に貿易法、それに――魔術の基礎まで習うのよ! おかしいとは思わない? 魔力のない者がそんなことを学んで何になると言うのかしら?」
「そりゃ、まあ、普通は、習わないと思うけど」
まくしたてるシュアラに一歩引いて、エイルは言った。驚きだ。魔術云々よりも――シュアラも礼儀作法を習っているとは!
「興味深いし、面白いことも多いわ。たいていの学問は好きよ。父様は私のためであり、街のためだと言うし、私もその通りだと思っているわ。けれどね、ときどき……何て言うのかしら」
「……嫌になる?」
「嫌、という訳ではないの」
シュアラは口を尖らせた。
「それじゃ」
エイルは考えた。
「飽きる?」
「――そう、そうね、それだわ!」
それは、そうかもしれない。知識で世界を知ったとして、城から一歩も出ない生活では飽きもくるだろう。エイル少年は日々の仕事に忙しくて、たとえ飽きたところでどうしようもないものだが、日々の営みに飽きるという思いは判らなくもない。
街で小さな仕事を繰り返す毎日を送っていた間、自分はこのままアーレイドから一歩も出ないまま、日々に追われて生きていくのだろうかと考えて、漠然とした不安を覚えたことは、彼だってあるのだ。
「こんなこと、言ったらいけないと思うけれど。私のためだと判るのだけれど。でも……何のためだろうとも思うわ」
「まあ……」
エイルは頭をかいた。
「いずれ、判るんじゃねえ?」
言って苦笑しそうになった。これではまるでファドックの台詞だ。
「そうかしら」
シュアラは首をかしげる。
「そんなふうに、誰も言わないわ」
「……ファドック様も?」
「ファドックが?」
王女は目をぱちくりとさせた。
「彼はそんなこと、言わないわ」
「ふうん」
少し意外だった。ファドックが姫君に意見などしないというのは判っていたが、それでもエイルには何度も――言ったのに。
「で、お勉強に追われて時間が作れないから、わざわざここに?」
「そうよ。だって」
シュアラは言いかけて、とまった。珍しい反応だ。言いたいことは何でも言うのに。
「何だよ」
エイルは促す。
「だって、お前はまた、どこかへ行ってしまうかもしれないでしょう」
はた、と気づく。シュアラが心配したのは――それなのか。
「この前は、悪かったよ」
知らず、そんな言葉が出ていた。だが、謝るつもりなど毛頭なかったはずだと思い出して、続ける。
「でもあんときゃ、シュアラだって悪かったんだからな」
「まあ!」
さすがに、声に不満が混ざる。
「私の何が、悪かったと言うの!」
「俺の母さんの暮らしを馬鹿にしたろう」
「何ですって?」
目を丸くする。
「そんなこと……しないわ」
「したさ。籠編みなんて下賤な職業だって」
「まあ、そんなこと」
反論しかけて、また言葉をとめた。
「私、そんなことを?」
「……何だよ」
エイルも勢いを削がれる。
「自覚、ないんだな」
「何ですって」
「――エイル! 何を油売ってる、さっさと戻ってこいっ」
「いっけね」
少年ははっとして背後を振り返った。裏口から顔を出して怒鳴るのは料理長だ。
「俺、仕事中なんだ。ちょい、待ってくれ。十
「待ちなさい、エイル」
言いながら倉庫に走り出そうとする少年を厳しい声がとどめる。
「何の『仕事』なのか知らないけれど、お前にあんなふうに命令するなんて無礼だわ。休憩、ですって? 私といるのに、誰かの許可がいるというの!?」
「あのなっ、仕事ってのはそう言うもんなの! 俺はここじゃいちばんの下っ端だし、こんなふうにさぼってて怒られるのは当然」
「私と話をしていて、誰が怒ると言うの!」
もちろん、ヴァリンならばものすごい剣幕で怒るだろうが――エイルに非がなくとも――シュアラが言うのはそうではあるまい。
「あのね、だからっ」
「こら、エイル、忙しいんだから女の子と
近寄ってきた声にエイルは焦った。「これ」をどう説明したらいい? トルスにも――シュアラにも、だ。
「ごめんっ、トルス、すぐ行くから、ほら、戻って、あんたが厨房を離れちゃ」
「何言ってる、ほかにも足りないもんがあるから取りにきたんだ」
「トルスというのね。控えなさい」
「――は」
「ええと」
トルスは足を止めてきょとんとする。シュアラの声は――「王女殿下」の響きを帯びた。エイルは頭を抱える。
「エイルは私と話をしているの。それより重要な仕事が彼にあるというのなら、言ってみなさい。ことと次第によっては、お前はクビですからね」
「はあっ、いったい何の」
「やめろ、俺が悪いんだからっ」
「お前の何が悪いと言うの」
「こりゃ……まさか」
遠い外灯の薄い明かりの下で、顔はろくに見えまい。だがその口調と声は、特徴がありすぎた。
「王女殿下ですかい!」
「トルス、しいっ」
少年は、あまり意味のないことをした。シュアラを隠すように、その前に立ったのだ。だがそれはまるで、少女をかばうかのようにも、見えた。
「どきなさい、エイル。無礼でしょう」
「お前も黙れっ」
「まあっ!」
「おいおい、エイル。姫さんにそりゃないだろ」
「トルス、シュアラは俺に話があるらしい。シュアラ、でも俺は仕事をしなきゃなんないの。で、トルス、十
「何を」
「言ってるんだお前は」
シュアラが不満の混じった怒りの声を出し、トルスは笑いの混じった呆れた声を出した。
「
「えっ、いや、でもそれは」
「いいから上がれ。飯はとっといてやるよ。失礼しやした、姫様。こちとら無骨な料理人なものでね。クビは切らないでいただけると有難いんですが」
トルスは見よう見まね――なのだろう――の宮廷風の礼などしてみせる。
「……エイルよりも礼儀を心得ているようね。いいでしょう、お前の下働きを一刻、借り受けることにします」
「おいっ」
エイルは、どちらに対してか判らないままで声をあげた。トルスに対しては、殿下が相手なら途端に下手に出るのか――当然と言えば当然だが――という、皮肉と非難が入り混じったもの、シュアラに対しては、結局のところ
「もう夕餉なの? 早いのね」
「今日は、ちょっとした祭りみたいなもんなんですよ、姫様。僭越ですが、早くお戻りになった方がいい。この辺りに使用人たちが集まってくるし、こうしておひとりでいられるところを見つかれば騒ぎでしょう」
「騒ぎですって?」
「シュアラがどう思おうとどう言おうと、俺が姫さんを連れ出したってことになるに決まってるからさ。そうなりゃ、それこそ、俺がクビだ」
「それどころか、牢屋行きかもな」
トルスが混ぜっ返す。エイルは顔をしかめたが、シュアラは目を見開いた。
「まあ――どうして? そんなことになるはず、ないじゃないの」
「あるんですよ、姫様。……それともしばらくじっとここに隠れて、ファドックが泡食って探しにくるのをお待ちになりますか? その方がいいかもしれませんね、ファドックの仕業ってことになれば、あいつがヴァリンとキド伯爵の説教を食らえば済む」
「んな迷惑、かけらんないよ」
エイルは慌てた。
「迷惑なもんか。あいつの仕事は姫様を守ることだろう。姫様の望みを尊重、というより、
遂行、との単語に、エイルは城に連れ戻された日を思い出す。あまりいい気分ではなかった。
「そうだな、それがいいだろう。如何ですか姫様。お迎えがくるまで、こいつとここで、まあ、立ち話も何ですから、椅子くらい持ってきやすがね。いらっしゃるのが最上じゃないかと思いますが?」
「ここに詳しいお前が言うのだから、きっとそれがいいのでしょうね。そうしましょう」
シュアラはうなずき、エイルは絶句した。自分がそんなことを言えば、分をわきまえないとばかりに怒るに決まっているのに。
「それじゃエイル、倉庫から箱をひとつ運び入れたら、一足先に煮込み料理を持って行け。姫様も召し上がりますか? お口にゃ合わんかもしれませんがね」