02 何でもお話しできる方
文字数 3,408文字
仕事の合間にある休憩時間は、いつも雑談の時間だ。
何と言うことのない話を延々と続け、あとで何を話したかと考えても判らない。
いったいどうして話の種が尽きないものかと男たちは首をかしげるが、〈お喋り鳥 〉などとも揶揄される女とは、つまりそういう生き物だった。
「最近、ずいぶん陰湿にやってるらしいわね」
カリアの言葉にレイジュは目をぱちくりとさせた。
「何が?」
「ネレディスよ」
「……またきてるの?」
思わずレイジュはそう言って嫌な顔をした。
「今度は誰が標的な訳?」
「恍けてるの?」
カリアは顔をしかめた。
「判ってるんでしょう。やられてるのはもちろん、テリスン嬢 」
「知らないわ、初耳よ。……でもまあ、充分に考えられることね」
レイジュは腕を組んだ。
王女の護衛騎士 に憧れる娘は多かったが、たいていが遠くから見るだけで満足しなければならない――或いは、満足してしまう――段階の、文字通り「憧れ」であった。
間近で彼の姿を見たり、言葉を交わしたりするというのは王女付きの侍女――或いは、部屋を清掃する掃除女――でもなければなかなかにないことだ。レイジュのように大っぴらにして隠さない者もいれば、可哀想に本気で胸に思いを秘め、苦しい思いをしている娘もいるだろう。
そしてなかには、何を勘違いするのか、テリスンのような「分をわきまえない」娘を見つけては嫌がらせをするような侍女もいた。新任の頃はレイジュもやられたものである。
「ネレディスかあ……私も結構、きつかったのよねー、あれ……物を隠されたり制服を汚されるくらいならまだ序の口で……」
レイジュは思い出したくもないように言葉を切った。
「ずいぶん頑張ったわよね、あなた」
カリアは感心したような視線を送る。
「そりゃ、負けるもんかって思ったもの。でも」
ふとレイジュは戸の外を見るような目付きをした。
「テリスンか。あの子にはちょっと、難しいんじゃないかなあ」
「いい気味って訳?」
「私、そんなに意地悪くないわよ」
レイジュは唇を尖らせた。
「……それじゃまさか、気の毒に、なんて思ってないでしょうね?」
友人の言葉にレイジュは考えるようにし、カリアを呆れさせた。
「あなたって、まっすぐなんだか曲がってるんだかよく判らないわね」
「何よ、それ」
レイジュの不満そうな声は、カリアのため息で遮られた。
「そうやって同情なんかしていられる立場じゃないでしょうに。そうね、でも、いいわ」
友人の声の調子が変わったことに、レイジュは眉を上げた。
「何か、企んでるの?」
「失敬なことを言わないで」
カリアは澄まして言った。
「約束したでしょう? 殿下にうまくお話ししてあげるって。今日は私、ちょうどいい時間に、シュアラ様のお傍にいることになってるのよ」
朝のうちのそんな話を思い出しながら、さて、いったいどんなふうに話を運ぼうか――などと考えていることはおくびにもださず、侍女は柑橘 の香りがするカラン茶の支度を続けた。
「シュアラ様」
「あらカリア、有難う」
王女殿下はそう言って薄い磁器の杯が目前におかれるのを見ていた。カリアは内心で、一年と少しくらい前までは王女殿下に感謝などされなかったことを思い出し、人間、いくらでも変われるものね、などと考えた。
「お疲れのご様子でいらっしゃいますね」
シュアラが少し意外そうに眉をあげたのは、疲労を見て取られたためだけではなく、カリアが自分から話をすることは滅多になかったからである。
「そうね、疲れたかもしれないわ」
王女は短くそう答えた。
「いかがですの、ご婚約に伴う新しいお勉強の方は」
シュアラはまた目を見開き、カリアを叱るべきかどうか迷うような顔をした。
「これまでも教わっていたこととは言え……実感が伴うと、また違うものね」
「実感が、ございますの?」
「何を言っているの」
今度は少し怒った口調でシュアラは言った。侍女は出過ぎたことに許しを乞う仕草をし、王女は嘆息してそれを許した。
「どういう意味なの」
しばしの沈黙のあとでシュアラは言った。カリアは驚いた――ようなふりをする。シュアラが侍女と話をする気になったのなら、成功だ。
「私が、ロジェス様との婚姻に対して、準備ができていないと言うのね」
「まあ……シュアラ様。何故、私がそのようなことを申し上げるとお思いですの?」
カリアは、今度は本当に少し驚いた。では、シュアラ姫は、そう思っているのだ。
「ご心配は要りませんわ、姫様」
カリアは、レイジュが見れば怖いと評しかねない笑みを浮かべた。
「私どもなどで姫様のお役に立てるとは思いませんが、ご不安があれば何でもお話しくださいませ。ヴァリンにはお言いになりにくいこともございますでしょう」
宮中で唯一シュアラに意見したり、場合によっては叱ったりすることができる女は女中頭のヴァリンしかいない、というのはよく言われる冗談だったが、冗談であると同時に真実でもあった。
「それに、そうですわ。シュアラ様には何でもお話しできる方がいらっしゃるじゃありませんか。──ファドック様、という」
王女の整った顔が曇った。
「ファドックは、忙しいもの」
「近衛隊長の任はお忙しいでしょうけれど、ファドック様が姫様の護衛騎士 であることに違いはありませんわ。姫様が望まれれば、必ず時間を作って」
「忙しいのよ」
シュアラはカリアの言をぴしゃりと遮った。
「そうですわね、そう言えば」
いま気づいた、とばかりに侍女は言うのだった。
「近頃、殿下 は彼をお呼びになりませんね?」
「――私のわがままで、新近衛隊長の仕事を邪魔はできないわ」
カリアは注意深く女主人を観察した。ファドックほどではないにしても、彼女もまた、この王女に長く仕える身である。少女の嘘――などをつく必要は以前にはなかったが――や躊躇いを見て取ることは不可能ではない。
カリアの出した結論はこうだ。
最近、シュアラは彼女の護衛騎士を呼び、その召し出しに応じられなかったことが、ある。
考えにくいことだ。ファドックがシュアラの言葉を断るなど。
「……最近のファドック様のご様子は、おかしいですわね」
王女ははっと顔を上げた。
「お前も、そう思うの?」
「ええ」
カリアは真面目な顔でうなずいた。と言っても正直なところ、彼女には判っていなかったからレイジュの言葉を繰り返すのみだ。
「近頃はいつも厳しい顔をされておいでで、笑まれることがありませんわ」
「そうね」
シュアラは短く答えた。
「以前は、どんなに忙しくてもそれを見せないようにしていたものだけれど」
王女は自分がそれに気づいていなかったことを思い返していた。彼女の警護のためにファドックの仕事が詰まっていても、騎士はいつも変わらぬ態度と穏やかな笑顔を王女に向けていたのだ。
「仕事以外の話をされることも減ったようですわ」
カリアは、今度は適当な話をでっち上げた。幸か不幸か、それは嘘ではなかったが。
「掃除娘とは時折、話をしているようですけれど」
「ああ、テリスンね」
「ご存知でいらっしゃるのですか」
シュアラの返答にカリアは目を見開いた。まさか王女殿下が一掃除人の名前を知っているとは思わなかったのだ。
「あの娘がマルセス前クライン侯爵に仕えていたのは、ガルス男爵の紹介だと聞いたわ。おふたりは仲がおよろしいものね」
「まあ、そうでしたの」
カリアは素早くその話を考えた。
「彼女とガルス閣下はどう言った間柄なのでしょうね」
シュアラはまたカリアを叱ろうかと迷った様子だったが、そうはせずに言った。
「落とし子だという噂よ。男爵はそれを特に否定されないし、噂を知る者も多いけれど、あまり話題にされることは望まれないでしょうね」
シュアラはそう言って、この話を言いふらさないように侍女に釘を刺した。カリアは判ったと言うようにうなずくと同時に、内心で嘆息した。
ガルス男爵はマルセス前侯爵と仲がよいかもしれないが、一方で――キド伯爵とも親密だったはずだ。
これはなかなか強力なコネね、とカリアは年下の友人を気の毒に思った。
何と言うことのない話を延々と続け、あとで何を話したかと考えても判らない。
いったいどうして話の種が尽きないものかと男たちは首をかしげるが、〈
「最近、ずいぶん陰湿にやってるらしいわね」
カリアの言葉にレイジュは目をぱちくりとさせた。
「何が?」
「ネレディスよ」
「……またきてるの?」
思わずレイジュはそう言って嫌な顔をした。
「今度は誰が標的な訳?」
「恍けてるの?」
カリアは顔をしかめた。
「判ってるんでしょう。やられてるのはもちろん、
「知らないわ、初耳よ。……でもまあ、充分に考えられることね」
レイジュは腕を組んだ。
王女の
間近で彼の姿を見たり、言葉を交わしたりするというのは王女付きの侍女――或いは、部屋を清掃する掃除女――でもなければなかなかにないことだ。レイジュのように大っぴらにして隠さない者もいれば、可哀想に本気で胸に思いを秘め、苦しい思いをしている娘もいるだろう。
そしてなかには、何を勘違いするのか、テリスンのような「分をわきまえない」娘を見つけては嫌がらせをするような侍女もいた。新任の頃はレイジュもやられたものである。
「ネレディスかあ……私も結構、きつかったのよねー、あれ……物を隠されたり制服を汚されるくらいならまだ序の口で……」
レイジュは思い出したくもないように言葉を切った。
「ずいぶん頑張ったわよね、あなた」
カリアは感心したような視線を送る。
「そりゃ、負けるもんかって思ったもの。でも」
ふとレイジュは戸の外を見るような目付きをした。
「テリスンか。あの子にはちょっと、難しいんじゃないかなあ」
「いい気味って訳?」
「私、そんなに意地悪くないわよ」
レイジュは唇を尖らせた。
「……それじゃまさか、気の毒に、なんて思ってないでしょうね?」
友人の言葉にレイジュは考えるようにし、カリアを呆れさせた。
「あなたって、まっすぐなんだか曲がってるんだかよく判らないわね」
「何よ、それ」
レイジュの不満そうな声は、カリアのため息で遮られた。
「そうやって同情なんかしていられる立場じゃないでしょうに。そうね、でも、いいわ」
友人の声の調子が変わったことに、レイジュは眉を上げた。
「何か、企んでるの?」
「失敬なことを言わないで」
カリアは澄まして言った。
「約束したでしょう? 殿下にうまくお話ししてあげるって。今日は私、ちょうどいい時間に、シュアラ様のお傍にいることになってるのよ」
朝のうちのそんな話を思い出しながら、さて、いったいどんなふうに話を運ぼうか――などと考えていることはおくびにもださず、侍女は
「シュアラ様」
「あらカリア、有難う」
王女殿下はそう言って薄い磁器の杯が目前におかれるのを見ていた。カリアは内心で、一年と少しくらい前までは王女殿下に感謝などされなかったことを思い出し、人間、いくらでも変われるものね、などと考えた。
「お疲れのご様子でいらっしゃいますね」
シュアラが少し意外そうに眉をあげたのは、疲労を見て取られたためだけではなく、カリアが自分から話をすることは滅多になかったからである。
「そうね、疲れたかもしれないわ」
王女は短くそう答えた。
「いかがですの、ご婚約に伴う新しいお勉強の方は」
シュアラはまた目を見開き、カリアを叱るべきかどうか迷うような顔をした。
「これまでも教わっていたこととは言え……実感が伴うと、また違うものね」
「実感が、ございますの?」
「何を言っているの」
今度は少し怒った口調でシュアラは言った。侍女は出過ぎたことに許しを乞う仕草をし、王女は嘆息してそれを許した。
「どういう意味なの」
しばしの沈黙のあとでシュアラは言った。カリアは驚いた――ようなふりをする。シュアラが侍女と話をする気になったのなら、成功だ。
「私が、ロジェス様との婚姻に対して、準備ができていないと言うのね」
「まあ……シュアラ様。何故、私がそのようなことを申し上げるとお思いですの?」
カリアは、今度は本当に少し驚いた。では、シュアラ姫は、そう思っているのだ。
「ご心配は要りませんわ、姫様」
カリアは、レイジュが見れば怖いと評しかねない笑みを浮かべた。
「私どもなどで姫様のお役に立てるとは思いませんが、ご不安があれば何でもお話しくださいませ。ヴァリンにはお言いになりにくいこともございますでしょう」
宮中で唯一シュアラに意見したり、場合によっては叱ったりすることができる女は女中頭のヴァリンしかいない、というのはよく言われる冗談だったが、冗談であると同時に真実でもあった。
「それに、そうですわ。シュアラ様には何でもお話しできる方がいらっしゃるじゃありませんか。──ファドック様、という」
王女の整った顔が曇った。
「ファドックは、忙しいもの」
「近衛隊長の任はお忙しいでしょうけれど、ファドック様が姫様の
「忙しいのよ」
シュアラはカリアの言をぴしゃりと遮った。
「そうですわね、そう言えば」
いま気づいた、とばかりに侍女は言うのだった。
「近頃、
「――私のわがままで、新近衛隊長の仕事を邪魔はできないわ」
カリアは注意深く女主人を観察した。ファドックほどではないにしても、彼女もまた、この王女に長く仕える身である。少女の嘘――などをつく必要は以前にはなかったが――や躊躇いを見て取ることは不可能ではない。
カリアの出した結論はこうだ。
最近、シュアラは彼女の護衛騎士を呼び、その召し出しに応じられなかったことが、ある。
考えにくいことだ。ファドックがシュアラの言葉を断るなど。
「……最近のファドック様のご様子は、おかしいですわね」
王女ははっと顔を上げた。
「お前も、そう思うの?」
「ええ」
カリアは真面目な顔でうなずいた。と言っても正直なところ、彼女には判っていなかったからレイジュの言葉を繰り返すのみだ。
「近頃はいつも厳しい顔をされておいでで、笑まれることがありませんわ」
「そうね」
シュアラは短く答えた。
「以前は、どんなに忙しくてもそれを見せないようにしていたものだけれど」
王女は自分がそれに気づいていなかったことを思い返していた。彼女の警護のためにファドックの仕事が詰まっていても、騎士はいつも変わらぬ態度と穏やかな笑顔を王女に向けていたのだ。
「仕事以外の話をされることも減ったようですわ」
カリアは、今度は適当な話をでっち上げた。幸か不幸か、それは嘘ではなかったが。
「掃除娘とは時折、話をしているようですけれど」
「ああ、テリスンね」
「ご存知でいらっしゃるのですか」
シュアラの返答にカリアは目を見開いた。まさか王女殿下が一掃除人の名前を知っているとは思わなかったのだ。
「あの娘がマルセス前クライン侯爵に仕えていたのは、ガルス男爵の紹介だと聞いたわ。おふたりは仲がおよろしいものね」
「まあ、そうでしたの」
カリアは素早くその話を考えた。
「彼女とガルス閣下はどう言った間柄なのでしょうね」
シュアラはまたカリアを叱ろうかと迷った様子だったが、そうはせずに言った。
「落とし子だという噂よ。男爵はそれを特に否定されないし、噂を知る者も多いけれど、あまり話題にされることは望まれないでしょうね」
シュアラはそう言って、この話を言いふらさないように侍女に釘を刺した。カリアは判ったと言うようにうなずくと同時に、内心で嘆息した。
ガルス男爵はマルセス前侯爵と仲がよいかもしれないが、一方で――キド伯爵とも親密だったはずだ。
これはなかなか強力なコネね、とカリアは年下の友人を気の毒に思った。