8 砂風の導くまま

文字数 4,808文字

「……いい天気だな」
 集落を離れて一刻もたたぬうちに、ランドの口からそんな憎々しげな言葉がもれる。
「まだ居すわる気か、あの野郎は」
 言う先は無論、太陽神だ。ソーレインは肩をすくめた。
「日が落ちれば太陽(リィキア)に感謝の踊りでも捧げたくなるだろうがね?」
「そりゃ夜は冷えるが、そっちの方がましだ」
「我慢しろ、もう少しで楽になる。だが」
 シーヴも笑ってそう言ったが、ふとソーレインの方を見た。
「夜は夜で――厄介なのか」
「怪物が出るとか言ってたな」
「そのことか」
 ソーレインは沈んでいく太陽から目をそらし、客人たちの方に向いた。
「南では〈塔〉の話は聞かないか、シーヴ」
「塔、だって?」
「……魔術師が住んでるって、あれか?」
 ランドの方が答えた。と言うより、尋ね返した。大河の西でも聞かれることがある「物語」。人形師(トラント)が演じる芝居にそう言った話がある。〈砂漠の塔〉。シーヴは思い返した。
「ああ、それなら聞いたことがあるが、街でだ。ウーレに聞いたんじゃない」
「かつては〈塔〉に魔術師が住んでいたと、伝わっている」
 ソーレインは思い出すようにしながら語り出した。
「ロン・ディバルンのどこか。魔法で隠されたその塔は、砂漠の民を守っていた」
「魔術師が砂漠の民を?」
 あまり聞かない話だ。
「そう。大自然の脅威から我らを守ることこそできなかったが、魔術師がその塔にいた間は、このあたりに怪物はいなかったと言う」
「それじゃ、魔術師はもういないのか」
「いない。死んだのか、どこかへ出ていったのか、何も伝わってこない。それがいつのことなのかも、正しくは判らない。このソーレインの父の父の父がまだ子供だった頃、と聞いている」
「その頃から化け物が現れたと?」
「そうだ」
「どんな化け物なんだ。巨大な砂虫とか、人食い茨とか、そう言う奴か」
 興味を持ったようにランドが言う。草木はないが、砂虫は確かに出る、とソーレインは真顔でうなずいた。
「好奇心を持つな。出会わずに済むのならそれに越したことはない」
「そりゃ正論だが」
 ランドは笑った。
「腰に差しっぱなしじゃ、剣も錆びつくんでね」
「やめとけ、ランド。こういう場所じゃ、軽口だって力を持つぞ」
 シーヴが言うと、仕方がないと言った様子でランドは口を閉ざした。
 こうしてソーレインが案内役を果たすいま、そしてシーヴもまたシーヴ自身の目的でスラッセンを果たすこととなったいま、ランドがシーヴに従う謂われはない。だが戦士はこれまでとやり方を変えようとはしなかった。
「もう少し〈塔〉の話を聞かせてくれるか」
 シーヴはソーレインに話を振った。砂漠の男はうなずく。
「〈塔〉から守り手が消えたことで、怪物たちが目覚めた。これは先々代、先代、そしていまの長も認め、受け入れてきたこと。ミロンへの試練だ」
 ミロンの若者の顔に、何故守り手が消えてしまったのかと言った疑問や苦渋はない。
「守り手、か」
 どこかで聞いたような言葉だ、とシーヴは思った。
 実際には、彼は「聞いて」はいない。翡翠の名を持つ西の街で、彼自身がひとりの男に覚えた言葉だった。だが、魔術師(リート)――塔の守り手、砂漠の民の守り手という表現はシーヴの内を刺激することはない。
「その魔術師は……戻るのか?」
「判らない。彼が戻り、またミロンが夜を怖れずに眠る日がくればよいと思う。だが全ては砂風の導くまま」
 やはり、ソーレインの言葉には、守り手のいる時代に生きられればよかったなどという憤りもない。そう、彼らは受け入れる。あるものをあるがままに。それが砂漠の民だ。
 シーヴも常々そうありたいと思い、「西の人間」のなかではそれに成功しつつあるようだが――彼はやはり、ウーレにはなれないだろう。いまはこうして砂を踏みしめているが、彼の道は砂漠の外にも続くのだ。
 それが彼の道であり、それが彼だと言うのなら、それをもまた、受け入れて。
「深刻なのか、怪物の被害は」
 だがそんな思いは心の隅に押しやり、青年は実質的な問題を尋ねた。
「現れ始めたころは、ミロンの若者も子供も、たくさん死んだと言う。けれどいまはもう、我らは身を守る術を身に付けた。昨夜お前たちに会ったときにやっていた夜の見回りもそのひとつ。怪物は火を嫌う。集団で動くものを嫌う。それが判っているから、もうミロンはそう簡単にやられはしない」
「んじゃ、つまり」
 ランドが頭をかいた。
「昨夜の俺たちは、やばかったってことか?」
「そうだ」
 ソーレインは簡単にうなずいて、ランドは天を仰ぐ。
「西に出没する賊だの魔物だのを叩き切ったことはあるがなあ、砂漠でも効くんかね、こいつは」
 言いながら左腰の剣を叩く。
「砂虫相手ならば、効くだろう。だが、魔妖には効かない」
「西と同じってことさ、ランド」
 ただし、とシーヴはつけ加える。
「後者の出る確率が、西よりやや高めなだけ、ってところだろうな」
「何だよ、俺を脅かそうってのか?」
 ランドは口を曲げた。
「言っとくが、怪物だろうがお化け(ベットル)だろうと俺の行く先の邪魔はさせんからな」
「その意気だ」
 言いながらシーヴは、ふと視線を遠くへ向けた。
 ランドはもとより、ソーレインもじっと見つめている北方をではなく、その視線は東の方向を向いた。
(道標を――見落とすな)
 ランドは、「テアル」は彼の道標かもしれない。彼はそれを見落とさなかった。そうなのだと思う。だが。
(その道標が指すのは、どこなんだ?)
 砂漠の風が、東の砂漠を知る男と北の海を知る男とを吹き付ける。
 シーヴはと言えば、その風であるかのようだった。
 東から――西へ。どこから生まれ、どこまで流れていくのか判らぬまま、彼は東のものとも西のものとも、つかぬまま。

 魔除けの香と火――これには、暖を取る意味もあった――をくべ、河から少し離れた場所で彼らが休みを取ったのは、もう少しで早朝という括りに入りそうな深更のことだった。
 交代で見張りをしようと言ったが、ソーレインがそれを断った。砂漠の怪物の兆候は旅人たちには見分けづらいだろうし、「客人」にそのようなことはさせられぬという訳だ。
「気にするな。火を絶やさないようにすれば危険はない」
 そんなふうにソーレインは保証した。考えようによっては、(イネファ)を警戒せねばならぬような、治安の行き届かない街道より余程安心かもしれない。
 民の急ぎの速度という訳にはいかなかったが、気が急いて先へ先へと進みたくなっているのは、いまやシーヴもランド同様。いや、もしかしたらそれ以上かもしれなかった。
 ランドには眠るよう忠告しておきながら、彼自身は――彼自身も、だろうか――寝付けずに寝返りを繰り返していた。
(道標)
(翡翠への道標)
(人ではないもの)
(不思議だ)
 ミロンの長と、テアルと呼ばれた存在を思い返すシーヴは奇妙に思った。奇妙に思わないことを――奇妙に思った。
(シャムレイでなら、俺はこの話を苦笑混じりに思い出すだろう。心では信じていても、信じている自分自身をどこかで笑う自分がいるだろう)
(だが)
(ここは違う世界だな)
 どんな作り話めいた出来事でも、この砂の上ならば簡単に信じられる。
(近づいている)
(いったい、何が)
(それとも、何に)
 答えは近いうちに出るだろう。答えへの指標が示されるだろう。
(スラッセン)
(哀しみの町――)
 そんな物語のような響きさえ、砂風のなかではしっくりときた。

 夜明けまでの数刻だけを休息とすると天幕を畳み、彼らはまたも砂上を進んだ。
 太陽(リィキア)が天頂にかかれば、特にランドにはつらいだろう。だがこの日だけを耐えることができれば、早くスラッセンを訪れたいふたりの旅人にも都合がよい。砂漠の男はひとりで「急ぎの」旅をすれば、翌日の太陽(リィキア)と戦わずに彼の集落へ戻れるはずだ。
「化け物の気配はなかったのか」
 剣を振るう機会がなかったことを残念そうに、ランドは言った。
「なかった。実際のところ、近頃は落ち着いている。お前たちはよいときにきた」
「それじゃ〈守り手〉とやらが戻ってきたのかもしれないな?」
「もしかしたらそうかもしれない。だが期待に身を任せて警戒を怠るのは愚かだ」
 そうやって砂漠の民は生きていく。砂漠とともに。
 ソーレインは真面目な男で、ランドの軽口にもいちいち真剣に対応したが、それは決して互いを軽んじる結果にはならなかった。ふたりの間に、両方の世界を知るシーヴがいればこそであったかもしれないが、灼熱の砂漠を行く割には和やかな一日であったと言えよう。
「見えるだろう」
 ソーレインがそのよく見える目で指摘しなくても、二人の旅人はそれに気づいていた。
「あれがスラッセンだ」
 近づくにつれ、シーヴは驚いた。
 そこにあるのは、町としか見えなかった。
 まるで、ビナレスの中央からそのまま持ってきたような。
「石壁、じゃないか」
 ランドもそれに気づいたようだった。
「岩肌なんかないだろうに、どうやって造ったんだ。大河を渡って運んででもきたのかね」
「その方法はミロンには伝わっていない」
「魔術、なのかね」
「ロン・ディバルンは遥か昔は砂漠ではなかった、なんて伝説もあるな」
「馬鹿な」
 西の男たちの言葉にソーレインは首を振った。
「砂漠は、世界が生まれたときから砂漠だ」
 それが真実であるのかは知らない。誰にも知りようがない。だが、ミロンにはそれが真実であり、それでいいのだろう。
「ではシーヴ、ランド。ここでお分かれだ」
「そうか」
 シーヴは短く答えた。
「有難う、ソーレイン」
「何だ、町の近くまではきてくれんのか」
「私が行ったところで、門は開かれない。それどころか、長の言葉を考えれば、私がいれば門は開かれないかもしれない」
 出会った夜ならば、行かぬ、の一言で終わらせたかもしれないソーレインは、しかしいまではランドに親しみを感じているようで、シーヴが聞かずとも理解したことを丁寧に説明した。
「助かった、ソーレイン。長とみんなによろしくな」
「伝えよう」
 ランドの差し出した手を取って、ソーレインはにっこりと笑った。これもまた、親愛の証だ。――砂漠の民に、握手の習慣はない。
「ミロンとあなたに平和が続くよう」
 シーヴはそうとだけ言った。ソーレインは、ウーレとあなたにも、と返礼をするとシーヴに差し出された――手ではなく、手綱を受け取る。それ以上、別れを惜しむことはせず、ミロンの男は彼らに背を向けた。見送るように二人はしばらくその影を見ていたが、どちらからともなく、再び北へと目を向けた。
「スラッセン」
「では、行くか」
「もちろんだ」
 シーヴの問いかけにランドは大きくうなずくと、ざっと足を進める。青年は数歩遅れて、戦士に続いた。
 太陽(リィキア)が痛いほどの光を投げつける。
 翡翠。〈翡翠の娘〉。道標。守り手。
 哀しみの町。砂漠の塔。
(まるで吟遊詩人(フィエテ)の歌う冒険譚だな)
 吟遊詩人。――テアル。
 浮かんだ名に首を振ると、シーヴは大きく歩を進めて先を行くランドに追いついた。
「ランド」
「何だ」
「お前の探しものが見つかるといいな」
 その言葉はまるで、シーヴ自身の探しものは既に見つかっていると言うかのようだった。ランドはそれをどう思ったか、何も答えずにただ、うなずく。
 沈黙のなか、照りつける太陽に肌が焦げていく音が聞こえそうだ。砂を踏みしめる音だけは、確かに聞こえている。
 青年の道は、いまだ砂上に続いているのだ。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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