02 お前を守ると言ったろう

文字数 3,599文字

 扉は力強く叩かれたが、それを内側から開けたのが「例の少年」だと知ると、町憲兵(レドキア)は少し困ったような顔をした。ゼレットの邪魔をしてしまったと思って困っているのではないだろうな――とエイルは内心で呪いの言葉を吐きながら、ゼレットを振り返る。
「何かあったのか」
 伯爵は城の警護兵を兼ねた憲兵の姿に気づくとすぐに入らせ、話を促した。兵がわざわざ伯爵を探して何かを報告するような事態は、滅多にない。
「その、ご指示をいただきたく」
 町憲兵はどう言ったらいいか迷うように話した。
「何に対する、指示だ」
 ゼレットはもっともな問い返しをし、町憲兵は続けた。即ち、城の少し手前で倒れている者がいるが、放っておくか、城で介抱すべきか、城下の医者にでも連れて行くか、その判断を彼に委ねてきたらしい。ゼレットは、それくらいは勝手に判断してよいとは言わず、どんな人間だ、とだけ問うた。
「若い男のようです。見たところ、吟遊詩人(フィエテ)のようですが……」
 弦楽器(フラット)を持っておりますから、と言う町憲兵にエイルはどきりとした。
「まさか」
「何だ、知り合いか」
「いや、でも」
 エイルは呼びたかった張本人の姿を思い浮かべ、もう一度、まさか、と言った。
 だが同時に――「そうではない」方が「まさか」ではないのか、とも思った。
「俺、見てきます」
 言うが早いが少年は飛び出した。ゼレットに促された町憲兵が続き、彼を追い抜いて先導するようにするのが判った。
 まさか、という思いは、そうに違いないという思いに置き換わっていき、門の真ん前と言ってもいい位置に倒れている――これでは、町憲兵も迷おうと言うものだった――姿が目の端に入れば、あとはもうそこに駆けつけるだけだ。
「クラーナ!」
 それは確かに、かの〈翡翠の宮殿(ヴィエル・エクス)〉で分かれ、そして少年が掴んだ手掛りの主、六十年前に彼と同じ運命を受け、それから誰とも異なる流れに引きずり込まれ、狂った歯車を戻そうと旅を続ける吟遊詩人クラーナであった。
 エイル少年は彼の「先輩」のもとへ走り寄ると膝をつき、大きな怪我の様子がないのを見て取ると、町憲兵に彼を城へと運ばせた。
 隣室を整えさせる間も惜しんだ少年は、自身が借り受けている部屋の寝台にクラーナを寝かせた。呼吸は正常に思えるが、顔色はだいぶ白い。
 医師(コルス)を呼ぶか、と尋ねたゼレットにエイルは首を振った。彼に――彼らに、人間の病は憑かないのだ。
「……ふむ」
 少年と詩人の両方を見守るかのように、ゼレットは彼らから一歩を退いた状態で立っていた。その視線は目前の二名を行き来する。
「なかなか、よい姿かたちをしておる。彼の目は何色かな、エイル」
「……毎度ながら、どうしてそう、緊張感のない発言をかましてくれるんですか」
 クラーナの顔をじっと見やったままで、エイルは力が抜けた気分になった。
「緊張すればよいことがあるか?」
 伯爵は平然とそんなことを言い、少年の反論を簡単に封じる。エイルは嘆息して首を振った。確かにゼレットの言う通りではある。
「何があったんだろう」
 誰にともなく呟くが、もちろん答えが返ってくるはずはなかった。
「回復を待つしかなかろう」
 ゼレットのこれまたもっともな言葉に少年はうなずくのみだ。だが、クラーナの状態と同じか、それともそれ以上に彼の心を冷たくする不安があった。
 クラーナはここにいる。
 ならばシーヴは――どこに?
「エイル?」
 近くの寄ってきた伯爵は、少年の顔色がクラーナと同じくらいに白くなっているのに気づいた。
「彼は……この、クラーナは、シーヴと一緒にいるはずだったんです」
「では、シーヴもいるはず、か?」
 問うた伯爵にエイルは首を振った。
「クラーナがここにきたのが彼自身の意志じゃないことは、こうしてぶっ倒れてることから見れば推測できます。となるとこの影にいるのは……」
「レン」
 少年が敢えて切った言葉の先を伯爵は続けた。
「それなら、シーヴは? あいつはどうしてるんだろう? こうして俺のもとにクラーナを寄越す意味は?」
 それが〈鍵〉を捕まえているという脅迫でないのかどうか――いや、脅迫であるように、彼には思えた。
「俺がやったことは、全部間違ってる? 俺の考えはどれも的を外してて、全部あいつのいいようにされてるんじゃないか? 俺が為すべきだと考えて翡翠を目覚めさせても、それだって本当はあいつが〈賽の目操り〉をした結果なんじゃないか? 俺がやってることは、全部」
「エイル」
 そっと左肩にかけられた手がいつもなら振り払うものであることを気づかぬように、少年はゼレットの手に自らの右手を乗せた。
「俺は、守りたいものを守れるんだろうか」
「守るのは〈守護者〉の役目だろう」
 ゼレットは優しく言った。
「翡翠に限らん。俺はお前を守ると言ったろう、エイル。ならば俺はお前が守りたいと思うものを守ろう。それに手を貸そう。俺を信じろ」
「――信じてますよ」
 エイルは呟くように言った。
「俺は、信じてます。あなたと――」
 彼の目の前に、閃光が走った。視界が暗くなり、光の粒が無数に飛び散った。彼は、全身の力が抜けたことにも、ゼレットが彼の名を叫んで抱きとめたことも判らなかった。
 心臓がつぶれるような痛み。吐き出せぬ息。消えてゆく身体の感覚。
 彼はいま――誰のことを(・・・・・)考えた(・・・)
「――イル、エイル、大丈夫だ!」
 ぼんやりと戻ってきた聴覚と触覚は、彼がしっかりと抱き締められ、耳元で怒鳴るように叫ばれていることを教えた。
「しっかりするんだ! そっちに行っちゃいけない、そっちを見るな、いまはそのときじゃないんだから!」
「あ……」
 視力もまた戻ってくる。
「気を確かに持つんだ、大丈夫。君はここにいる」
「――クラーナ……」
 少年はぼんやりと呟いた。
「大丈夫、なのか……?」
 吟遊詩人はまだ白い顔で苦笑した。
「それはいまや、僕の台詞であるように思うんだけれど」
 少年はくらくらする頭を抱えた。
「エイル」
 ゼレットの声が心配の響きを帯びていた。エイルは、もう平気だというように片手を上げた。伯爵はエイルを見、クラーナを見、一概に安堵のものとも言えない奇妙な吐息をついた。
「何だ……いまの」
 エイルは呟いた。どす黒い不安が渦を巻く。クラーナが少年の両肩に手を置いた。
「大丈夫。君は、いまでもリ・ガンだ。つまり、シーヴに何かがあったという訳じゃない。彼は生きている」
「――少なくとも、な」
 そんな台詞が口をついて出た。
「『何か』はあったかもしれない。俺はそれを感じ取れない。でも」
 少年は顔を上げるとクラーナを見た。
おかしい(・・・・)んだ。それはおかしいだろう、クラーナ? たとえ、居場所は判らなくても、俺には感じられた。シーヴも――ファドック様も。なのに、感じられないんだ。どうしてなんだ?」
「判らないな……」
 それがクラーナの返答だった。
「シーヴは生きている。それは僕にも判る。でも僕は、君のようには〈守護者〉とつながりを持たなかった」
 吟遊詩人の視線がゼレットに向いた。伯爵は肩をすくめる。
「クラーナ。ゼレット様は、全部知ってる。全部……話したから」
「そう」
 彼はどこか複雑な表情をした。
「〈鍵〉には話せないことも〈守護者〉には伝えられる。それが君独特の定めなのか、リ・ガンのものなのか……どうだろうな」
「これも『狂った歯車』だって言うのか?」
 エイルはクラーナの台詞を使った。
「判らない」
 首を振るとクラーナは足元をふらつかせた。同様に調子がよいととても言えぬエイルは手を差し伸べたまでに終わり、吟遊詩人が頭を床に打ち付けずにすんだのは、ゼレットの観察力と俊敏さによった。
「……どうやら俺は、こういう形でお前たちを助けるためにこの場にいるようだな」
「何ですって?」
 思わず問い返したエイルにゼレットは肩をすくめてみせる。
「何、先にもお前を支えたあと、そこな先代殿に、後輩に手を出すなと押し退けられたのだ」
 こうしてまだろくに立つこともできぬに、と続いたその台詞に、寝台に横たわらせられた「先代」は笑った。
「怪我人には荷が重いかと思いましてね」
「何の。もう癒えたところだ」
 ゼレットはしれっと言い放った。
「言うなれば僕は、君の悲鳴に叩き起こされたのさ、エイル」
 悲鳴、との表現に抗議をしかけた少年は、しかし言葉をとどめた。彼は確かに衝撃を受け、心で叫んだようなものである。隣に立っていたゼレットには聞こえずとも、クラーナには届くものがあったところで何も不思議ではない。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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