02 それがお前の望みなら
文字数 4,522文字
聞く者を不安に陥れる詠唱がやんだ。少しの間、これまた人を居心地悪くさせる沈黙が降りたかと思うと、美しい青年は無造作に蛇を飼う左手を振った。
すると薄暗い部屋はいくらか明るくなったようだった。
「――アスレン」
穏やかな声に、レンの第一王子は顔をあげる。
「これはこれは、サクリエル女王陛下」
アスレンは座ったままで、彼が滅多に見せることのない敬意を表す仕草をしたが、それにはいささかの皮肉が混じっていた。
「このような場所に御み足をお運びいただくとは。光栄の極みにございますな」
「おやめなさい」
目前の青年に敬意など持たれていないことを知っているレンの女王は嘆息した。アスレンはその言葉に応じるように、ふんと笑った。
「何の用だ」
「しばらく顔を見せないから、どうしているのかと思って」
「まるで母親のような口を利くのだな」
アスレンは自身の母親をそう評した。
「マリセルが心配しているわ。サズがちゃんとラインのお役に立っているのかどうか」
その言葉にアスレンは笑った。
「マリセルが、俺の機嫌を伺うのか」
「あなたは『ライン』なのだから当然でしょう」
それに対してアスレンは冷たい笑みを見せたが、特に何も述べなかった。
「サズか。あやつは俺の……と言うより、ラーミフの興を買いたいだけだろう」
「あの子はラーミフを。ラーミフはあなたを崇拝しているというところね」
サクリエルは少し困った笑みを見せた。
「血を濃くする繋がりはかまわないけれど、ラーミフは近すぎるわ。孕ませることはお避けなさい」
「できた母親だな」
アスレンは笑った。
「その心配は無用。ラーミフは俺に抱かれたがるが、子を為すつもりはなかろう」
「できた兄上ね。サズに恨まれないようになさい」
「あやつはまだ若いが、それほど愚かではない」
自身よりも年上の従兄をそう評して、アスレンは南の方 に目をやった。
「信頼が置けると言ってもいいくらいだ」
「では、役に立っているのだと。マリセルが喜ぶでしょう」
「ああ、放っておいても巧くやるだろうよ。実際、お楽しみ と言うところだな」
その顔に浮かんだ笑みは暗い楽しみに満ちていたようだが、サクリエルは何が息子を楽しませるのか知らなかった。
「……あなたも楽しんでいるようね。余程よい玩具と見えるわ、その翡翠とやらは」
「翡翠そのものよりも、それに付属するものが興味深いせいで、本来の目的を忘れそうだ」
笑って言うアスレンに、サクリエルの顔が曇る。
「魔力を持たぬ男に入れ込んでいるそうね」
サクリエルの声は懸念があった。アスレンは眉根を寄せる。
「誰が言った。スケイズか」
「ダイアはあなたのことを私に告げ口したりしませんよ」
「あれは、『翡翠の付属するもの』だ」
アスレンは面白いことを思い出したように、すっと目を細くした。
「その男をどうしたいの、アスレン。あなたに忠実な臣下なら、いくらでもいるでしょう。まさか本気で、その男を側仕えに?」
「いや」
アスレンは短く答えた。
「あれは、あの街から引き離せば、何も面白くなくなろうよ」
「では、どうしたいの」
サクリエルは繰り返した。アスレンは薄く笑う。
「何も常に傍に侍らさずとも――犬笛に逆らえねば、それで充分」
王子はその目にいまは届かぬはずの西の街を見、そこに護衛騎士を探すような目付きをした。
「あれをどうするつもりかと? 愚かなことを尋ねるのだな、サクリエル。気に入ったものを飼うのに、利用価値などは考えぬ」
「ソレスとやらは毛並みのいい犬 という訳」
「その通り 」
アスレンは楽しそうに笑った。
「愚かなほどに主人に忠実な犬だ。俺に跪きながらも未だに俺を主人とは認めていない」
「楽しみのために飼うと言うのね、ならばそれもよいでしょう」
レンの女王は優しく笑った。
「けれど、あまり遊びごとにばかり気を取られぬようになさい」
女王以外の者が言えば間違いなく彼の機嫌を損ねるであろう台詞は、軽く眉がひそめられる程度で迎え入れられる。
「確かに、これは遊びだ。だが」
アスレンが卓の上に肘をついて両手を組むと、美麗な顔は半ば隠れるようになった。
「レンのためにもなる。必ずな」
そう言った第一王子の脳裏に浮かんだものが何であったのか、その母はしばし黙って息子を見ると、それ以上何も言わずに踵を返した。
どんな方法であろうと――剣の訓練であろうと魔術であろうと、ここまでの痛みを覚えたことはなかった。
いや、痛いと感じるよりも息のできぬ苦しみを感じ、痛いと思うよりも驚きが青年を支配した。
何が起きたのか、判らなかった。
いや、もちろん、判っている。
レンの女は彼の攻撃に素直に倒れる前に少年を魔術で撃とうとし、彼は走って、その前に立ちはだかったのだ。
そうすれば自身がどうなるかなどは考えなかった。
動く前に少しだけ考えてみることを学ばれたらいかがなのです、と第一侍従の苦々しい声が聞こえたような気がした。
だがいまさらその忠告は遅い上、仮に先に発せられていたところでシーヴの取った行動は変わらなかったことだろう。
(シーヴ)
彼を呼ぶ声がする。
それは〈翡翠の宮殿〉から。
手を伸ばせば、入り口に手が届く。その、一秒 にも満たない間だけ、開かれる入り口に。
手を伸ばせば、届く。
彼の〈翡翠の娘〉に。
失われた意識のなかで、しかしその声だけが響く。
三度 彼の前から突然に姿を消した、彼の「運命の女」。
彼の心の椅子に、座る――?
「シーヴ」
声は、心ではなくその耳に届いた。彼は目を開ける。すると、そこは――白い世界だった。
「エイラ」
シーヴは白い床――はっきりと見えるものはそこには何もなかったが、そう思しき場所は微かにきらめいているようだった――に倒れたままで掠れた声を出した。
そして、彼の前に〈翡翠の娘〉の姿がある。
ほうっと息をついた。苦しみはまだあるが、ずっと和らいでいる。
「無事で……いたか」
「それはこっちの台詞だよ」
エイラはぴしゃりと言った。
「……チェ・ランは。ミオノールは」
彼女の言葉に自身の目前で繰り広げられた寸劇を思いだし、シーヴは尋ねた。今度はエイラが息をつく。
「ガキは無事。女は逃げた。で、あんたは死ぬ寸前。無茶しないでくれよ、頼むから」
苦々しい彼の〈翡翠の娘〉の声に思わず笑いがもれた。
「笑いごとじゃないよ」
違う声がして、シーヴは少し驚いた。この〈宮殿〉で、エイラと〈女王陛下〉以外の声を聞こうとは思わなかったし――知っている声であることにもまた、驚いた。
「全く、〈鍵〉って人種にも困ったもんさ。まさかと思うけど、子供をかばって死んだら格好いいと考えてるんじゃないだろうね?」
「……どうしてお前に、説教めいた口調で語られなきゃならない、吟遊詩人 」
横になったままでその姿を認め、シーヴは不満そうに言った。
「〈鍵〉に振り回されるリ・ガンの代弁をしたまでだよ」
クラーナは肩をすくめた。
「僕にも少々、経験のあることなんでね」
その台詞は吟遊詩人が単純に「振り回された」経験を持つというだけにも取れたが、それよりはもちろん、彼がかつてリ・ガンであったという意味であった。だがいまのシーヴには、クラーナの言葉に隠された真実を考えてみる余裕はなかった。
「本当、冗談じゃ済まないぜシーヴ。クラーナが手を貸してくれたからこうしてあんたをここに運び込めたけど、俺ひとりだったらどうなったか」
娘は自身が少年の口調になっていることに気づいていない。それは彼女の動揺を表したが、シーヴの方も落ち着いているとはとても言えなかったので、彼女の口調や一人称に疑念を抱くことはなかった。
「判った、判った。俺が悪かった」
「いや……悪いのは、レンだろ」
エイラはまた、息をついた。
「まあ、それは確かだけど」
クラーナが次いだ。
「〈鍵〉に万一のことがあればリ・ガンと翡翠がどうなると思う。オルエンも君も、思慮が足りなさすぎるよ」
「オルエン?」
その名は聞いたことがあったように思ったが、やはりいまのシーヴには思い出せなかった。
「何でもないよ。僕らはあんまり君を喋らせちゃいけないね、王子様」
「そうさ、あんたは瀕死なんだから」
エイラは唇を歪めた。
「苦痛が治まったと思ってるかもしれないけど、『女神様』の力で時間の流れを極端に遅くしただけなんだ。外に出れば、一分 と経たずに死ぬだろうよ」
「……酷いことを言うな」
「本当の」
「ことだよ」
リ・ガンとリ・ガンだった存在は声を揃えた。
「さあエイラ。この困った王子様のことは僕に任せて、君はもう行くといい」
「そうさせてもらう」
「おい、どこに行く気だ。また俺から逃げるのか」
そんな台詞が出た。エイラはまた、口を歪める。
「私にはやらなきゃいけないことがある。あんたのことは心配だけど、クラーナは信じられるから」
それを聞いたクラーナは片眉を上げるだけに留め、特に返答はしなかった。
「シーヴ、頼まれてくれるか」
「何だ」
「もうひとつの翡翠……動玉を追ってほしい」
エイラは真剣な眼差しで言った。
「もちろんそれは、本当は私の役目なんだ。でも、時間はなくて、レンの手はどちらにも迫ってる。私は」
「判った」
エイラの言い訳を遮って、シーヴは即答した。
「それがお前の望みなら」
エイラは一瞬 、返答に窮した。それはまるで、愛する女の望みを叶えることに異議などない、と言う台詞に聞こえた。
「……頼むよ」
目を逸らして、エイラは言った。
「クラーナ、悪いけど」
「いいんだよ、何度も言うけど悪いのは僕だから。もし万一〈女王陛下〉が寛大にも僕を許してくださったとしても、僕は君たちを助けたい。最後までつき合うよ」
ふたりの間には理解のようなものがあったが、それはシーヴの内までは届かなかった。ただ、青年は、またもエイラと離れることを知っただけだ。だが此度のそれは、彼からの逃亡でも無理矢理に奪われるのでもなく、繋がりを持ったひとときの分かれ。
「それじゃな、シーヴ。離れててもあんたは私の〈鍵〉だ。あんたは……大事な存在 なんだよ」
エイラはするりと出てきた言葉に、しかし急に照れたように咳払いなどすると、すっとかがみ込んでシーヴの手を取った。
「――二度と、無茶はしないでくれ」
「俺の台詞だ。いいか、エイラ。必ず」
浮かんだ言葉にシーヴもまた躊躇ったが、心を決めて続けた。
「必ず、俺のもとに戻れ」
〈翡翠の娘〉はそれを聞いて笑った。青年の言葉を茶化すのではなく、それはどこか、安堵に満ちた。
エイラは立ち上がると、もう一度シーヴと視線を合わせ、すっとそれを逸らしてクラーナにひとつうなずくと、白い世界から――姿を消した。
すると薄暗い部屋はいくらか明るくなったようだった。
「――アスレン」
穏やかな声に、レンの第一王子は顔をあげる。
「これはこれは、サクリエル女王陛下」
アスレンは座ったままで、彼が滅多に見せることのない敬意を表す仕草をしたが、それにはいささかの皮肉が混じっていた。
「このような場所に御み足をお運びいただくとは。光栄の極みにございますな」
「おやめなさい」
目前の青年に敬意など持たれていないことを知っているレンの女王は嘆息した。アスレンはその言葉に応じるように、ふんと笑った。
「何の用だ」
「しばらく顔を見せないから、どうしているのかと思って」
「まるで母親のような口を利くのだな」
アスレンは自身の母親をそう評した。
「マリセルが心配しているわ。サズがちゃんとラインのお役に立っているのかどうか」
その言葉にアスレンは笑った。
「マリセルが、俺の機嫌を伺うのか」
「あなたは『ライン』なのだから当然でしょう」
それに対してアスレンは冷たい笑みを見せたが、特に何も述べなかった。
「サズか。あやつは俺の……と言うより、ラーミフの興を買いたいだけだろう」
「あの子はラーミフを。ラーミフはあなたを崇拝しているというところね」
サクリエルは少し困った笑みを見せた。
「血を濃くする繋がりはかまわないけれど、ラーミフは近すぎるわ。孕ませることはお避けなさい」
「できた母親だな」
アスレンは笑った。
「その心配は無用。ラーミフは俺に抱かれたがるが、子を為すつもりはなかろう」
「できた兄上ね。サズに恨まれないようになさい」
「あやつはまだ若いが、それほど愚かではない」
自身よりも年上の従兄をそう評して、アスレンは南の
「信頼が置けると言ってもいいくらいだ」
「では、役に立っているのだと。マリセルが喜ぶでしょう」
「ああ、放っておいても巧くやるだろうよ。実際、
その顔に浮かんだ笑みは暗い楽しみに満ちていたようだが、サクリエルは何が息子を楽しませるのか知らなかった。
「……あなたも楽しんでいるようね。余程よい玩具と見えるわ、その翡翠とやらは」
「翡翠そのものよりも、それに付属するものが興味深いせいで、本来の目的を忘れそうだ」
笑って言うアスレンに、サクリエルの顔が曇る。
「魔力を持たぬ男に入れ込んでいるそうね」
サクリエルの声は懸念があった。アスレンは眉根を寄せる。
「誰が言った。スケイズか」
「ダイアはあなたのことを私に告げ口したりしませんよ」
「あれは、『翡翠の付属するもの』だ」
アスレンは面白いことを思い出したように、すっと目を細くした。
「その男をどうしたいの、アスレン。あなたに忠実な臣下なら、いくらでもいるでしょう。まさか本気で、その男を側仕えに?」
「いや」
アスレンは短く答えた。
「あれは、あの街から引き離せば、何も面白くなくなろうよ」
「では、どうしたいの」
サクリエルは繰り返した。アスレンは薄く笑う。
「何も常に傍に侍らさずとも――犬笛に逆らえねば、それで充分」
王子はその目にいまは届かぬはずの西の街を見、そこに護衛騎士を探すような目付きをした。
「あれをどうするつもりかと? 愚かなことを尋ねるのだな、サクリエル。気に入ったものを飼うのに、利用価値などは考えぬ」
「ソレスとやらは毛並みのいい
「
アスレンは楽しそうに笑った。
「愚かなほどに主人に忠実な犬だ。俺に跪きながらも未だに俺を主人とは認めていない」
「楽しみのために飼うと言うのね、ならばそれもよいでしょう」
レンの女王は優しく笑った。
「けれど、あまり遊びごとにばかり気を取られぬようになさい」
女王以外の者が言えば間違いなく彼の機嫌を損ねるであろう台詞は、軽く眉がひそめられる程度で迎え入れられる。
「確かに、これは遊びだ。だが」
アスレンが卓の上に肘をついて両手を組むと、美麗な顔は半ば隠れるようになった。
「レンのためにもなる。必ずな」
そう言った第一王子の脳裏に浮かんだものが何であったのか、その母はしばし黙って息子を見ると、それ以上何も言わずに踵を返した。
どんな方法であろうと――剣の訓練であろうと魔術であろうと、ここまでの痛みを覚えたことはなかった。
いや、痛いと感じるよりも息のできぬ苦しみを感じ、痛いと思うよりも驚きが青年を支配した。
何が起きたのか、判らなかった。
いや、もちろん、判っている。
レンの女は彼の攻撃に素直に倒れる前に少年を魔術で撃とうとし、彼は走って、その前に立ちはだかったのだ。
そうすれば自身がどうなるかなどは考えなかった。
動く前に少しだけ考えてみることを学ばれたらいかがなのです、と第一侍従の苦々しい声が聞こえたような気がした。
だがいまさらその忠告は遅い上、仮に先に発せられていたところでシーヴの取った行動は変わらなかったことだろう。
(シーヴ)
彼を呼ぶ声がする。
それは〈翡翠の宮殿〉から。
手を伸ばせば、入り口に手が届く。その、一
手を伸ばせば、届く。
彼の〈翡翠の娘〉に。
失われた意識のなかで、しかしその声だけが響く。
彼の心の椅子に、座る――?
「シーヴ」
声は、心ではなくその耳に届いた。彼は目を開ける。すると、そこは――白い世界だった。
「エイラ」
シーヴは白い床――はっきりと見えるものはそこには何もなかったが、そう思しき場所は微かにきらめいているようだった――に倒れたままで掠れた声を出した。
そして、彼の前に〈翡翠の娘〉の姿がある。
ほうっと息をついた。苦しみはまだあるが、ずっと和らいでいる。
「無事で……いたか」
「それはこっちの台詞だよ」
エイラはぴしゃりと言った。
「……チェ・ランは。ミオノールは」
彼女の言葉に自身の目前で繰り広げられた寸劇を思いだし、シーヴは尋ねた。今度はエイラが息をつく。
「ガキは無事。女は逃げた。で、あんたは死ぬ寸前。無茶しないでくれよ、頼むから」
苦々しい彼の〈翡翠の娘〉の声に思わず笑いがもれた。
「笑いごとじゃないよ」
違う声がして、シーヴは少し驚いた。この〈宮殿〉で、エイラと〈女王陛下〉以外の声を聞こうとは思わなかったし――知っている声であることにもまた、驚いた。
「全く、〈鍵〉って人種にも困ったもんさ。まさかと思うけど、子供をかばって死んだら格好いいと考えてるんじゃないだろうね?」
「……どうしてお前に、説教めいた口調で語られなきゃならない、
横になったままでその姿を認め、シーヴは不満そうに言った。
「〈鍵〉に振り回されるリ・ガンの代弁をしたまでだよ」
クラーナは肩をすくめた。
「僕にも少々、経験のあることなんでね」
その台詞は吟遊詩人が単純に「振り回された」経験を持つというだけにも取れたが、それよりはもちろん、彼がかつてリ・ガンであったという意味であった。だがいまのシーヴには、クラーナの言葉に隠された真実を考えてみる余裕はなかった。
「本当、冗談じゃ済まないぜシーヴ。クラーナが手を貸してくれたからこうしてあんたをここに運び込めたけど、俺ひとりだったらどうなったか」
娘は自身が少年の口調になっていることに気づいていない。それは彼女の動揺を表したが、シーヴの方も落ち着いているとはとても言えなかったので、彼女の口調や一人称に疑念を抱くことはなかった。
「判った、判った。俺が悪かった」
「いや……悪いのは、レンだろ」
エイラはまた、息をついた。
「まあ、それは確かだけど」
クラーナが次いだ。
「〈鍵〉に万一のことがあればリ・ガンと翡翠がどうなると思う。オルエンも君も、思慮が足りなさすぎるよ」
「オルエン?」
その名は聞いたことがあったように思ったが、やはりいまのシーヴには思い出せなかった。
「何でもないよ。僕らはあんまり君を喋らせちゃいけないね、王子様」
「そうさ、あんたは瀕死なんだから」
エイラは唇を歪めた。
「苦痛が治まったと思ってるかもしれないけど、『女神様』の力で時間の流れを極端に遅くしただけなんだ。外に出れば、一
「……酷いことを言うな」
「本当の」
「ことだよ」
リ・ガンとリ・ガンだった存在は声を揃えた。
「さあエイラ。この困った王子様のことは僕に任せて、君はもう行くといい」
「そうさせてもらう」
「おい、どこに行く気だ。また俺から逃げるのか」
そんな台詞が出た。エイラはまた、口を歪める。
「私にはやらなきゃいけないことがある。あんたのことは心配だけど、クラーナは信じられるから」
それを聞いたクラーナは片眉を上げるだけに留め、特に返答はしなかった。
「シーヴ、頼まれてくれるか」
「何だ」
「もうひとつの翡翠……動玉を追ってほしい」
エイラは真剣な眼差しで言った。
「もちろんそれは、本当は私の役目なんだ。でも、時間はなくて、レンの手はどちらにも迫ってる。私は」
「判った」
エイラの言い訳を遮って、シーヴは即答した。
「それがお前の望みなら」
エイラは一
「……頼むよ」
目を逸らして、エイラは言った。
「クラーナ、悪いけど」
「いいんだよ、何度も言うけど悪いのは僕だから。もし万一〈女王陛下〉が寛大にも僕を許してくださったとしても、僕は君たちを助けたい。最後までつき合うよ」
ふたりの間には理解のようなものがあったが、それはシーヴの内までは届かなかった。ただ、青年は、またもエイラと離れることを知っただけだ。だが此度のそれは、彼からの逃亡でも無理矢理に奪われるのでもなく、繋がりを持ったひとときの分かれ。
「それじゃな、シーヴ。離れててもあんたは私の〈鍵〉だ。あんたは……
エイラはするりと出てきた言葉に、しかし急に照れたように咳払いなどすると、すっとかがみ込んでシーヴの手を取った。
「――二度と、無茶はしないでくれ」
「俺の台詞だ。いいか、エイラ。必ず」
浮かんだ言葉にシーヴもまた躊躇ったが、心を決めて続けた。
「必ず、俺のもとに戻れ」
〈翡翠の娘〉はそれを聞いて笑った。青年の言葉を茶化すのではなく、それはどこか、安堵に満ちた。
エイラは立ち上がると、もう一度シーヴと視線を合わせ、すっとそれを逸らしてクラーナにひとつうなずくと、白い世界から――姿を消した。