3 クア=ニルド
文字数 2,656文字
「とめるな、シーヴ!」
「よせ、子供だ」
そんなことを口にした。
「実際はどうあれ、な」
そう、クア=ニルドは「実際」と見た目が違うことを隠していない。本音を言えばシーヴ自身、子供に暴力を振るわせることを留めたと言うよりは──子供の言葉の続きが、聞きたいのだ。
「シーヴ、でかまわないな?」
子供は、彼らのやりとりをどう思うのか、淡々とそう言った。その言葉はつまり、シーヴがリャカラーダであることを知っている、と言う意味に取れたが、それについては追及せずに彼はうなずいた。
「なかなかに紳士的だな。このような外見 など信じていないだろうに」
「抜かせ」
シーヴは冷たく言った。
「中身はどうでも、子供の身体だ。力ずくで押さえようと思えば、簡単だ」
お前に魔力があるのなら難しいだろうが、とつけ加える。おそらく――あるのだろう。
「それでも、お前を押さえつけ、殴ったところで話に進展があるとも思えない。力ずくってのは選ぶのは簡単で、しかも解決も簡単に見えるときてる。だが、本当に解決することは滅多にないってな」
彼にそんな話をしたのはウーレの長だったか、それともしかめ面の第一侍従だったろうか。
「いいかランド、落ち着け。とにかくこいつの話を聞くんだ。俺たちはそのために、ここへ招かれた」
「その通り 」
子供は言った。
「招かれ、それに応じたからには話を聞くべきだ。〈東〉の礼儀だな」
その台詞にシーヴはふん、と鼻を鳴らす。ここから見れば大河の向こう、彼の属するシャムレイは西だ。だがビナレスのなかで見れば、ウーレの集落も含めて彼の過ごす土地は〈東〉となり、子供はいま、ビナレスの言葉でそう言ったのだ。それは、この子供が必ずしもスラッセンに属していないことを意味した。
「ランド、それでいいか」
「……判った。話は聞く。だが、納得するかは別だ」
「いいだろう」
子供はそう言うと、彼を睨みつけるランドに向き直った。
「もう一度言う。ランドヴァルン。君に、彼女の痛みは癒せない」
「やってみなくりゃ、判らねえだろうが」
戦士は即答し、クア=ニルドは首を振る。
「そうではない」
子供は言った。
「あの女はそういう定めなのだ。彼女は罪を犯し、それを償い続けなければならないのだから」
「そんなことは判ってるさ。いや……どういう罪だとかって言うのかは知らねえが、それが彼女の定めだってんなら、俺はそれを……その償いとやらを早く終わらせられるよう、手助けするために……追いかけてるんだ」
「それは叶わぬ」
子供の応えは簡潔で明確だ。
「どれだけ望んでも、彼女を君の隣に置くことは叶わぬ」
「それでも」
ランドは言った。
「それでもいいんだ」
「――ランドヴァルン」
はじめて、子供の声に感情が表れた。それは優しさであり、どこか哀しみをも伴った。
「彼女は君に救われることなど望んでいない。それでも」
「それでも」
ランドは子供の言葉を取った。
「俺は、彼女を助けたい」
「……何故」
子供は言いかけ、だが続きを言うことはせずにただ首を振った。
「会わせてくれ」
「私の決めることではない」
「ここにいるんだろう、探す許可をくれ」
「その許可も与えられない」
「それなら、勝手にやるまでだ」
「ランドヴァルン。聞け。聞いてくれ」
子供の声に焦りの色が混ざったように聞こえた。
「君は、その運命の歯車に関わるべきではない。関わらない方がいいのだ。彼女はそれを望まない。君は君の町へ帰るんだ。彼女の運命が導けば、いつか会うこともできる」
「俺の運命が彼女の元に導いてるんだ! スラッセンの掟だか規則だか知らないが、そんなもんは関係ない。俺は行くぞ、シーヴ。俺はク」
「ランドヴァルン !」
子供の手が奇妙な動きをした、と思う間もない。シーヴははっと身構え、ランドはそのまま言葉のみならず、動きをもぴたりと止める。
まるで、彼の時間が止まったかの、ように。
「――何をした」
そっと、細剣に手をかけた。抜こうというのではない。抜いても、何の役にも立たないだろう。ただ、目前で起きたことへの警戒が本能的に手を武器に伸ばさせた。
「……少し、休んでもらっただけだ」
「休む、だと」
「そう。彼はその歯車を知らぬのに、それを止めようと、或いは逆に回そうと、がむしゃらに突っ込んでいこうとしている。そうすれば、歯車の狂いは大きくなっていくだけなのに」
「歯車の……狂い」
特別、珍しい表現だという訳ではない。だが、子供は自分自身を道標だと言い、シーヴを――リャカラーダを知っているとほのめかした。ならば、この表現もまた、意図して使われたものだ。
「何を知っている、クア=ニルド。俺とランドをどうする」
「どうもしない。道標は、ただ行き先を示すだけ。そうだろう、〈鍵〉よ」
言われたシーヴは口を歪めた。鍵、とは――何だ。
「そう。シーヴ、君は宝玉の鍵だ。未だ知らぬのだな。君の制する翡翠玉がどこにあるのか。この〈変異〉の年が五つの月を数えても、未だ鍵が宝玉を知らぬとは何という――狂い」
「……何者だ」
シーヴは呟くように言った。
「お前は、何者だ。クア=ニルド」
「私は道標」
ニルドはまた言った。
「シーヴ。〈鍵〉なる者よ。君の宝玉は東にある」
小さな手がすっと壁の向こうを指した。シーヴは釣られてその先に視線をやり――視界がくらりとするのを覚える。
「行け 。一度だけ、力を貸そう。この行為が〈翡翠〉の意に添わぬとしても……私にはもう、失うものはないのだから」
「何を……」
言っている、と続けることはできなかった。視界は揺れ、砂色の世界が白くなっていく。見えなくなっていく。これは――。
(アーレイドで感じたものと)
(同じ)
シーヴは固く目を閉じた。瞼の裏も、白い世界だった。
(ランドヴァルンのことは心配しなくていい)
(彼は彼の運命に従うだろう)
その声は、クア=ニルドのものではなかった。だがその言葉は、彼の目前にいる――それとも、いた――子供の姿をした何者かのものだった。
(行け )
声がした。
シーヴはもはや、自身が砂の丘を踏みしめているのかさえ判らなかった。
ただ、彼の意識だけははっきりと、向いていた。
東。
大砂漠 。
そのどこかにあるという――〈砂漠の塔〉へと。
「よせ、子供だ」
そんなことを口にした。
「実際はどうあれ、な」
そう、クア=ニルドは「実際」と見た目が違うことを隠していない。本音を言えばシーヴ自身、子供に暴力を振るわせることを留めたと言うよりは──子供の言葉の続きが、聞きたいのだ。
「シーヴ、でかまわないな?」
子供は、彼らのやりとりをどう思うのか、淡々とそう言った。その言葉はつまり、シーヴがリャカラーダであることを知っている、と言う意味に取れたが、それについては追及せずに彼はうなずいた。
「なかなかに紳士的だな。このような
「抜かせ」
シーヴは冷たく言った。
「中身はどうでも、子供の身体だ。力ずくで押さえようと思えば、簡単だ」
お前に魔力があるのなら難しいだろうが、とつけ加える。おそらく――あるのだろう。
「それでも、お前を押さえつけ、殴ったところで話に進展があるとも思えない。力ずくってのは選ぶのは簡単で、しかも解決も簡単に見えるときてる。だが、本当に解決することは滅多にないってな」
彼にそんな話をしたのはウーレの長だったか、それともしかめ面の第一侍従だったろうか。
「いいかランド、落ち着け。とにかくこいつの話を聞くんだ。俺たちはそのために、ここへ招かれた」
「
子供は言った。
「招かれ、それに応じたからには話を聞くべきだ。〈東〉の礼儀だな」
その台詞にシーヴはふん、と鼻を鳴らす。ここから見れば大河の向こう、彼の属するシャムレイは西だ。だがビナレスのなかで見れば、ウーレの集落も含めて彼の過ごす土地は〈東〉となり、子供はいま、ビナレスの言葉でそう言ったのだ。それは、この子供が必ずしもスラッセンに属していないことを意味した。
「ランド、それでいいか」
「……判った。話は聞く。だが、納得するかは別だ」
「いいだろう」
子供はそう言うと、彼を睨みつけるランドに向き直った。
「もう一度言う。ランドヴァルン。君に、彼女の痛みは癒せない」
「やってみなくりゃ、判らねえだろうが」
戦士は即答し、クア=ニルドは首を振る。
「そうではない」
子供は言った。
「あの女はそういう定めなのだ。彼女は罪を犯し、それを償い続けなければならないのだから」
「そんなことは判ってるさ。いや……どういう罪だとかって言うのかは知らねえが、それが彼女の定めだってんなら、俺はそれを……その償いとやらを早く終わらせられるよう、手助けするために……追いかけてるんだ」
「それは叶わぬ」
子供の応えは簡潔で明確だ。
「どれだけ望んでも、彼女を君の隣に置くことは叶わぬ」
「それでも」
ランドは言った。
「それでもいいんだ」
「――ランドヴァルン」
はじめて、子供の声に感情が表れた。それは優しさであり、どこか哀しみをも伴った。
「彼女は君に救われることなど望んでいない。それでも」
「それでも」
ランドは子供の言葉を取った。
「俺は、彼女を助けたい」
「……何故」
子供は言いかけ、だが続きを言うことはせずにただ首を振った。
「会わせてくれ」
「私の決めることではない」
「ここにいるんだろう、探す許可をくれ」
「その許可も与えられない」
「それなら、勝手にやるまでだ」
「ランドヴァルン。聞け。聞いてくれ」
子供の声に焦りの色が混ざったように聞こえた。
「君は、その運命の歯車に関わるべきではない。関わらない方がいいのだ。彼女はそれを望まない。君は君の町へ帰るんだ。彼女の運命が導けば、いつか会うこともできる」
「俺の運命が彼女の元に導いてるんだ! スラッセンの掟だか規則だか知らないが、そんなもんは関係ない。俺は行くぞ、シーヴ。俺はク」
「
子供の手が奇妙な動きをした、と思う間もない。シーヴははっと身構え、ランドはそのまま言葉のみならず、動きをもぴたりと止める。
まるで、彼の時間が止まったかの、ように。
「――何をした」
そっと、細剣に手をかけた。抜こうというのではない。抜いても、何の役にも立たないだろう。ただ、目前で起きたことへの警戒が本能的に手を武器に伸ばさせた。
「……少し、休んでもらっただけだ」
「休む、だと」
「そう。彼はその歯車を知らぬのに、それを止めようと、或いは逆に回そうと、がむしゃらに突っ込んでいこうとしている。そうすれば、歯車の狂いは大きくなっていくだけなのに」
「歯車の……狂い」
特別、珍しい表現だという訳ではない。だが、子供は自分自身を道標だと言い、シーヴを――リャカラーダを知っているとほのめかした。ならば、この表現もまた、意図して使われたものだ。
「何を知っている、クア=ニルド。俺とランドをどうする」
「どうもしない。道標は、ただ行き先を示すだけ。そうだろう、〈鍵〉よ」
言われたシーヴは口を歪めた。鍵、とは――何だ。
「そう。シーヴ、君は宝玉の鍵だ。未だ知らぬのだな。君の制する翡翠玉がどこにあるのか。この〈変異〉の年が五つの月を数えても、未だ鍵が宝玉を知らぬとは何という――狂い」
「……何者だ」
シーヴは呟くように言った。
「お前は、何者だ。クア=ニルド」
「私は道標」
ニルドはまた言った。
「シーヴ。〈鍵〉なる者よ。君の宝玉は東にある」
小さな手がすっと壁の向こうを指した。シーヴは釣られてその先に視線をやり――視界がくらりとするのを覚える。
「
「何を……」
言っている、と続けることはできなかった。視界は揺れ、砂色の世界が白くなっていく。見えなくなっていく。これは――。
(アーレイドで感じたものと)
(同じ)
シーヴは固く目を閉じた。瞼の裏も、白い世界だった。
(ランドヴァルンのことは心配しなくていい)
(彼は彼の運命に従うだろう)
その声は、クア=ニルドのものではなかった。だがその言葉は、彼の目前にいる――それとも、いた――子供の姿をした何者かのものだった。
(
声がした。
シーヴはもはや、自身が砂の丘を踏みしめているのかさえ判らなかった。
ただ、彼の意識だけははっきりと、向いていた。
東。
そのどこかにあるという――〈砂漠の塔〉へと。