6 遊びの後始末
文字数 2,325文字
扉が叩かれる音に続いて現れた姿を見て、彼は片眉を上げた。
「マルド。タルカスはどうした」
この日に伯爵のもとを訪れるのは、青年執務官のはずである。マルドは、主の卓の前に歩を進めながら肩をすくめた。
「風邪で倒れたそうです。若い者が、情けない」
ゼレットの父の代から執務官をしているマルドは五十も半ばを越えたはずだが、まだまだ現役と言った様子を見せていた。
「風邪だと? あやつらしくないな。高熱を出して足元がふらついていても、宿酔 いだと勘違いしていた男だぞ」
「それを閣下がいつまでもからかわれるから、風邪の症状をようやく学習したのではないですか」
マルドが澄まして言うとゼレットは笑う。
「部屋で寝ておるのか。あとでグウェスを呼んでやれ」
ゼレットは、伯爵家お抱え――と言っても、同時に町医師でもある――グウェス・ムート医師の名を呼び、マルドは、判りましたとうなずいた。
「しばらくタルカスには近寄るなよ、お前にまで倒れられてはかなわんからな」
「ミレインは一日や二日ならば、我ら三人分の仕事をこなすくらいの能力は持っておりますぞ」
「判っておる。だが、働かせすぎれば気の毒だ」
「どうせ、当分夜 にはお呼びにならないのでしょうから、彼女はちゃんと休めますよ」
マルドがそうやって苦々しい調子で言うのは、やはりサズのことだった。
伯爵の女遊びについてはマルドも諦めていたが、男を相手にすると言うのは彼の理解の範疇外だった。ましてや素性の知れない怪しい占い師 などもってのほかである。
同じ男で同じ素性が知れないのなら、いつぞやの何とか言う少年の方がましだった、などとも彼は考えていた。
「と言ったところで、閣下は私の言葉などお聞きにならずにお好きにされるのですから、ご自由に。ただし、業務はしっかりこなしていただきますぞ。タルカスの仕事の三分の一は、閣下にも担っていただきます」
その次には――しかし、そう言ったマルドが不調を訴えた。
責任感の強いマルドなれば、たとえタルカスが復帰をしていても休むことを拒んだだろう。だがゼレットは、寝ていなければ寝台に縛りつけると言って執務官を自室へ追いやった。
「グウェスは何と?」
「病の精霊 の兆候は見当たらないとのことですわ」
ミレインは肩をすくめて医師の言葉を伝えた。
「だが、熱があるのだろう」
「ええ、ただ高い熱が引かないのです。タルカスは看護の者をつけて自宅に帰しましたわ。疲れがたまっているのではないかとのムート様のお話でしたけれど」
「俺はそんなに暴君か?」
休ませてやらんと言うのか、とゼレットは顔をしかめる。ミレインは平然と続けた。
「近ごろはタルカスは閣下のお遊びの後始末に追われていましたもの。マルドだって同じです」
「遊んでいるのでは、ないぞ」
ゼレットはささやかな抗議をしたが、ミレインは気に留めなかった。
「けれどご業務でもございませんでしょう。第一、あの占い師を見張る方法ならほかにもございます」
女性執務官はぴしゃりとやる。
「寝台まで見張りたいと仰せなら、私にでもご命じになればよいのですわ」
「馬鹿なことを言うな。お前にそんなことをさせられるか」
「そんな楽しい ことを……でしょうね?」
ミレインが片眉を上げてそう言うとゼレットは唸った。
「馬鹿を言うな。そのようなことをしたければ春女か――何でもいい、ほかを雇う。冗談にもお前にそんなことはさせんぞ、ミレイン」
「……御礼を申し上げるべきなのでしょうか?」
「何、男の身勝手と言うやつだ」
ゼレットは肩をすくめると、珍しくも困ったような顔をした。
「しかし、タルカスにマルドまでか。お前に負担をかけるな」
「いいえ」
女性執務官は首を振った。
「私は何も、疲れてなどは――」
だが、そう言って笑いかけたミレインの顔が急に曇った。
「……どうした」
「何……でも……」
ミレインは無理に笑おうとするが、果たせずにゼレットの卓に手をつくとその場にしゃがみこんだ。
「ミレイン!」
ゼレットは叫ぶと素早く卓の反対側に回り込んで彼女を抱きかかえた。
「少し……目が回っただけですわ」
そう言って執務官は立ち上がろうとしたが、力の入らない様子のままでゼレットに支えられる。
「お前も不調だったのか。無理をするな」
「いえ……そうでは……たった、いままで、何も……」
呟くように言うミレインの顔色は見る間に白くなり、呼吸も荒くなる。
「今日は仕舞いだ。部屋まで連れていってやる、休め」
「そういう、訳には……」
「よい、休んでおれ」
ゼレットはそう言うとそのまま軽々とミレインを抱き上げ、部屋の戸に向かうと器用にそれを開けた。階上にある彼女の部屋へ連れて行って寝かせると、その頃にはミレインの身体は熱を持っている。
「ミレイン様も、ですか?」
伯爵が執務官を介抱する様子を見ていた使用人は驚いたように尋ねた。
「……キャル。ほかにも調子を悪くしているものはいるか」
「ええ? ええと」
キャルと呼ばれた掃除係の青年は、考えるようにしてから指を折った。
「ダヴァが一昨日からきていませんね。メルサも今日はこられないと、さっき娘さんが伝えにきました」
「ふたりとも、俺の部屋にくる頻度が高いな」
「はい?」
「キャル、頼まれてくれるか。町へ行ってきてほしいんだが」
ゼレットは青年の肩に手を置くと、じっと彼を見た。
「もちろんです。お医者ですか」
「いや」
伯爵は苦々しい顔をした。
「魔術師協会 だ」
「マルド。タルカスはどうした」
この日に伯爵のもとを訪れるのは、青年執務官のはずである。マルドは、主の卓の前に歩を進めながら肩をすくめた。
「風邪で倒れたそうです。若い者が、情けない」
ゼレットの父の代から執務官をしているマルドは五十も半ばを越えたはずだが、まだまだ現役と言った様子を見せていた。
「風邪だと? あやつらしくないな。高熱を出して足元がふらついていても、
「それを閣下がいつまでもからかわれるから、風邪の症状をようやく学習したのではないですか」
マルドが澄まして言うとゼレットは笑う。
「部屋で寝ておるのか。あとでグウェスを呼んでやれ」
ゼレットは、伯爵家お抱え――と言っても、同時に町医師でもある――グウェス・ムート医師の名を呼び、マルドは、判りましたとうなずいた。
「しばらくタルカスには近寄るなよ、お前にまで倒れられてはかなわんからな」
「ミレインは一日や二日ならば、我ら三人分の仕事をこなすくらいの能力は持っておりますぞ」
「判っておる。だが、働かせすぎれば気の毒だ」
「どうせ、当分
マルドがそうやって苦々しい調子で言うのは、やはりサズのことだった。
伯爵の女遊びについてはマルドも諦めていたが、男を相手にすると言うのは彼の理解の範疇外だった。ましてや素性の知れない怪しい
同じ男で同じ素性が知れないのなら、いつぞやの何とか言う少年の方がましだった、などとも彼は考えていた。
「と言ったところで、閣下は私の言葉などお聞きにならずにお好きにされるのですから、ご自由に。ただし、業務はしっかりこなしていただきますぞ。タルカスの仕事の三分の一は、閣下にも担っていただきます」
その次には――しかし、そう言ったマルドが不調を訴えた。
責任感の強いマルドなれば、たとえタルカスが復帰をしていても休むことを拒んだだろう。だがゼレットは、寝ていなければ寝台に縛りつけると言って執務官を自室へ追いやった。
「グウェスは何と?」
「
ミレインは肩をすくめて医師の言葉を伝えた。
「だが、熱があるのだろう」
「ええ、ただ高い熱が引かないのです。タルカスは看護の者をつけて自宅に帰しましたわ。疲れがたまっているのではないかとのムート様のお話でしたけれど」
「俺はそんなに暴君か?」
休ませてやらんと言うのか、とゼレットは顔をしかめる。ミレインは平然と続けた。
「近ごろはタルカスは閣下のお遊びの後始末に追われていましたもの。マルドだって同じです」
「遊んでいるのでは、ないぞ」
ゼレットはささやかな抗議をしたが、ミレインは気に留めなかった。
「けれどご業務でもございませんでしょう。第一、あの占い師を見張る方法ならほかにもございます」
女性執務官はぴしゃりとやる。
「寝台まで見張りたいと仰せなら、私にでもご命じになればよいのですわ」
「馬鹿なことを言うな。お前にそんなことをさせられるか」
「そんな
ミレインが片眉を上げてそう言うとゼレットは唸った。
「馬鹿を言うな。そのようなことをしたければ春女か――何でもいい、ほかを雇う。冗談にもお前にそんなことはさせんぞ、ミレイン」
「……御礼を申し上げるべきなのでしょうか?」
「何、男の身勝手と言うやつだ」
ゼレットは肩をすくめると、珍しくも困ったような顔をした。
「しかし、タルカスにマルドまでか。お前に負担をかけるな」
「いいえ」
女性執務官は首を振った。
「私は何も、疲れてなどは――」
だが、そう言って笑いかけたミレインの顔が急に曇った。
「……どうした」
「何……でも……」
ミレインは無理に笑おうとするが、果たせずにゼレットの卓に手をつくとその場にしゃがみこんだ。
「ミレイン!」
ゼレットは叫ぶと素早く卓の反対側に回り込んで彼女を抱きかかえた。
「少し……目が回っただけですわ」
そう言って執務官は立ち上がろうとしたが、力の入らない様子のままでゼレットに支えられる。
「お前も不調だったのか。無理をするな」
「いえ……そうでは……たった、いままで、何も……」
呟くように言うミレインの顔色は見る間に白くなり、呼吸も荒くなる。
「今日は仕舞いだ。部屋まで連れていってやる、休め」
「そういう、訳には……」
「よい、休んでおれ」
ゼレットはそう言うとそのまま軽々とミレインを抱き上げ、部屋の戸に向かうと器用にそれを開けた。階上にある彼女の部屋へ連れて行って寝かせると、その頃にはミレインの身体は熱を持っている。
「ミレイン様も、ですか?」
伯爵が執務官を介抱する様子を見ていた使用人は驚いたように尋ねた。
「……キャル。ほかにも調子を悪くしているものはいるか」
「ええ? ええと」
キャルと呼ばれた掃除係の青年は、考えるようにしてから指を折った。
「ダヴァが一昨日からきていませんね。メルサも今日はこられないと、さっき娘さんが伝えにきました」
「ふたりとも、俺の部屋にくる頻度が高いな」
「はい?」
「キャル、頼まれてくれるか。町へ行ってきてほしいんだが」
ゼレットは青年の肩に手を置くと、じっと彼を見た。
「もちろんです。お医者ですか」
「いや」
伯爵は苦々しい顔をした。
「