06 強がり
文字数 2,957文字
「それ は、何者だ」
遂にシーヴはそれを問うた。ミオノールがその敬称を口にしたときには尋ねる気にならなかった、彼の――彼らの敵の名。
「我が主にして、レンの第一王位継承者。ラインの称号を持つあの御方の名を知りたいと言うのか?」
いささか不敬だな、などとスケイズは言った。
「どうしても知りたいと言うのならば教えてやってもよい。その名は――」
「アスレン 」
不意に、青年の脳裏にひとつの名前が蘇った。アーレイドの酒場で噂話に聞いたその名前。レンの第一王子の名。
それを聞いたスケイズが何か仕草をしたように見えたのは、その〈名〉に対する敬意、或いは畏怖、それとももっと直接的に恐怖によるもの――だろうか?
「そいつが……首謀者か。レンってのは余程、暇なんだな。第一王子殿下御自ら、翡翠がどうのというこんな『馬鹿げた』話に乗り出すのか」
スケイズは肩をすくめるようにした。
「レンは魔術の街。これは王子の責務に相応しきことだ。砂漠の街の第三王子が予言の虜となって出奔するよりはずっと、な」
「そりゃ、痛いところを突いてくれるじゃないか」
砂漠の街の第三王子は、しかし気軽に言ってみせた。
「――リ・ガンが翡翠の操り手ならば、ラインはそれらの飼い主となられよう」
リ・ガンと翡翠と、そして〈守護者〉の――と、スケイズはつけ加えるように言った。その瞳には何か判別しがたいものを瞳に浮かんでいた。皮肉に似ていたが、そう取るには揶揄の見えないそれが何であるのかは、シーヴには判らぬことだった。
「エイラに手は出させん」
ただ、彼はそうとだけ言った。スケイズの片眉が少し、上がる。
「縛られているな、リャカラーダ。自ら、気づかぬまま」
「ほう」
シーヴは唇を歪めた。
「ミオノールと同じようなことを言う。お前の、入れ知恵だったか」
スケイズは小さく首を振った。
「見るべき者が見れば、判りきったこと。別の道を通って同じ結論に行き当たっただけ。つまりは真実に遠からずと言うことだ」
「それはねじれ曲がった、お前たちだけの真実だろう」
シーヴは遠慮会釈なく言った。彼はスケイズの魔術下にあり、そのことは自覚していたものの、だからと言って言葉に気をつけてやる必要などない、と思っていた。
どうせ彼が本音を隠したとて男はそれを知るのだろうし、ただでさえ、思うように身体が動かなくて気分が悪いのだ。これ以上、この男に対して遠慮をするなどという気分の悪いことはしたくない。
「俺はお前たちのねじれた論理になど翻弄されん」
「何故」
スケイズの瞳に奇妙な光が宿った。
「お前たちはみなそうして、愚か者なのだろうな」
「判らんのか」
シーヴはにやりとしてみせた。
「愚者ってのは怖れを知らないものだ」
青年は知らず、レンの第一王子がかつて口にしたのと同じような言葉を口にしたが、続く言葉は異なった。
「それ故に、最も強く在れる」
言うとシーヴは、ずっと手にしていた刀子を思い切りよく持ち上げた。まるで、それが長さ二十ファインにも満たない細投刀などではなく、何十倍もの大きさと重みを持つ鉄石ででもあるかのように、力を込めて。
隙さえつけば、魔術師にもこの手の攻撃が効くのだ、と言うのはミオノール相手に証明済みである。
もちろんスケイズもそれを知っているのだし、距離もある。面と向かっていることもあれば、不意打ちできるはずもない。全力をもってようやく持ち上げた青年の手首は、屈強な戦士 に押さえつけられたかのように――見えぬ手によって――軽々と捻り上げられ、シーヴは苦痛のうめきとともにそれを取り落とした。
声を上げてしまった自身に呪いの文句を吐きながら、彼は魔術師を睨む。
「それは強い のではなく、強がり と言うのだ、リャカラーダ」
「ご教示、有難うよ」
シーヴは一瞬 で痛めつけられた右腕に、やはり重いままの左手を当てた。その場所をずきん、ずきんと大きな音を立てて血液が流れていく。袖に隠れていて見えないが、黒い肌にも判るほどに赤く腫れ上がっていること――すぐに酷い紫色になっていくであろうことは想像に難くなかった。
「お前は、これを求めてここまできたのであろうな」
スケイズは、小さな袋を持ち上げた。
「だがこの玉 はもはや我が手にある。仮にお前が、これをお前自身のものだと主張したところで何の役にも立たぬ。ならば、認めよ」
「断る」
何を――などと聞き返すことはせず、シーヴは即答した。
「お前らの望むことなど、するものか」
「愚者にはほかにも、同じ特徴があるようだ」
スケイズは言った。
「どうしようもなく頑固で……それから、もうひとつ。お前たちはみな、欲深だ。何も手放さず、全てを手に入れようとする」
「それは」
シーヴは返した。
「〈ポーリ・ア・グートの理屈〉だな」
彼が引用したのは、自身が原因でもたらした様々な災厄のことを忘れ、他者が一度だけそれを導いたときにもっともらしく非難して糾弾する頑固老人の物語だった。
「他者に属するものを奪おうと画策する、それが盗賊 でなくて何だ。レンってのは、盗賊の街か」
青年はにやりとしたが、魔術師はそれに怒りを見せることはなかった。そうだろうとは判っていた。この男は滅多なことではどんな感情も見せないのだろう。
「上等じゃないか 」
シーヴは続ける。
「お前が何を持ちかけようと、それを受けることが俺の――エイラのためになるはずはない。そうしなければ彼女を殺すと?……いや、俺が何をどうしようと、お前たちは彼女を狙っていることに変わりはない。俺は決してそれを忘れない」
「上等だ 」
スケイズは同じように返した。
「だがもうひと りの女 についてはどうなのだ、リャカラーダ」
砂漠の、恋人。
「――彼女に手を出せば、俺は必ずお前を殺す」
シーヴは、その表情をすっと消すと、静かに言った。スケイズはそれを笑いはせず、ただじっとシーヴを見た。
「心意気は、覚えておこう」
その声には――最初から――何の感情も表れていなかった。
「いいだろう、〈鍵〉よ。三つ目の玉はこうして我がもとに来たった。リ・ガンに伝えるといい、ほかのふたつも時間の問題だとな」
シーヴも同じように、じっとスケイズをにらみ返した。彼は「翡翠」との繋がりは深くなかったから、スケイズのこの挑戦に激怒するというようなことはなかったが、その目にはこの「挑戦」を受けたという――暗い光が宿った。
「では、覚えておけ。これからは私がお前を見張っておこう」
「それは、嬉しくない申し出だな」
シーヴは唇を歪めた。
「同じ見張られるならば、お前みたいな陰気な野郎よりもミオノールの方が気分がいいようだ」
「それも」
スケイズはシーヴを指さした。まるでその指が触れたかのように――体内の心臓が冷たくなった、気がした。
「強がりだな、殿下 」
そう言うと――暗い部屋に風 の動きひとつ起こさず、その黒ローブ姿は姿を消した。
遂にシーヴはそれを問うた。ミオノールがその敬称を口にしたときには尋ねる気にならなかった、彼の――彼らの敵の名。
「我が主にして、レンの第一王位継承者。ラインの称号を持つあの御方の名を知りたいと言うのか?」
いささか不敬だな、などとスケイズは言った。
「どうしても知りたいと言うのならば教えてやってもよい。その名は――」
「
不意に、青年の脳裏にひとつの名前が蘇った。アーレイドの酒場で噂話に聞いたその名前。レンの第一王子の名。
それを聞いたスケイズが何か仕草をしたように見えたのは、その〈名〉に対する敬意、或いは畏怖、それとももっと直接的に恐怖によるもの――だろうか?
「そいつが……首謀者か。レンってのは余程、暇なんだな。第一王子殿下御自ら、翡翠がどうのというこんな『馬鹿げた』話に乗り出すのか」
スケイズは肩をすくめるようにした。
「レンは魔術の街。これは王子の責務に相応しきことだ。砂漠の街の第三王子が予言の虜となって出奔するよりはずっと、な」
「そりゃ、痛いところを突いてくれるじゃないか」
砂漠の街の第三王子は、しかし気軽に言ってみせた。
「――リ・ガンが翡翠の操り手ならば、ラインはそれらの飼い主となられよう」
リ・ガンと翡翠と、そして〈守護者〉の――と、スケイズはつけ加えるように言った。その瞳には何か判別しがたいものを瞳に浮かんでいた。皮肉に似ていたが、そう取るには揶揄の見えないそれが何であるのかは、シーヴには判らぬことだった。
「エイラに手は出させん」
ただ、彼はそうとだけ言った。スケイズの片眉が少し、上がる。
「縛られているな、リャカラーダ。自ら、気づかぬまま」
「ほう」
シーヴは唇を歪めた。
「ミオノールと同じようなことを言う。お前の、入れ知恵だったか」
スケイズは小さく首を振った。
「見るべき者が見れば、判りきったこと。別の道を通って同じ結論に行き当たっただけ。つまりは真実に遠からずと言うことだ」
「それはねじれ曲がった、お前たちだけの真実だろう」
シーヴは遠慮会釈なく言った。彼はスケイズの魔術下にあり、そのことは自覚していたものの、だからと言って言葉に気をつけてやる必要などない、と思っていた。
どうせ彼が本音を隠したとて男はそれを知るのだろうし、ただでさえ、思うように身体が動かなくて気分が悪いのだ。これ以上、この男に対して遠慮をするなどという気分の悪いことはしたくない。
「俺はお前たちのねじれた論理になど翻弄されん」
「何故」
スケイズの瞳に奇妙な光が宿った。
「お前たちはみなそうして、愚か者なのだろうな」
「判らんのか」
シーヴはにやりとしてみせた。
「愚者ってのは怖れを知らないものだ」
青年は知らず、レンの第一王子がかつて口にしたのと同じような言葉を口にしたが、続く言葉は異なった。
「それ故に、最も強く在れる」
言うとシーヴは、ずっと手にしていた刀子を思い切りよく持ち上げた。まるで、それが長さ二十ファインにも満たない細投刀などではなく、何十倍もの大きさと重みを持つ鉄石ででもあるかのように、力を込めて。
隙さえつけば、魔術師にもこの手の攻撃が効くのだ、と言うのはミオノール相手に証明済みである。
もちろんスケイズもそれを知っているのだし、距離もある。面と向かっていることもあれば、不意打ちできるはずもない。全力をもってようやく持ち上げた青年の手首は、屈強な
声を上げてしまった自身に呪いの文句を吐きながら、彼は魔術師を睨む。
「それは
「ご教示、有難うよ」
シーヴは一
「お前は、これを求めてここまできたのであろうな」
スケイズは、小さな袋を持ち上げた。
「だがこの
「断る」
何を――などと聞き返すことはせず、シーヴは即答した。
「お前らの望むことなど、するものか」
「愚者にはほかにも、同じ特徴があるようだ」
スケイズは言った。
「どうしようもなく頑固で……それから、もうひとつ。お前たちはみな、欲深だ。何も手放さず、全てを手に入れようとする」
「それは」
シーヴは返した。
「〈ポーリ・ア・グートの理屈〉だな」
彼が引用したのは、自身が原因でもたらした様々な災厄のことを忘れ、他者が一度だけそれを導いたときにもっともらしく非難して糾弾する頑固老人の物語だった。
「他者に属するものを奪おうと画策する、それが
青年はにやりとしたが、魔術師はそれに怒りを見せることはなかった。そうだろうとは判っていた。この男は滅多なことではどんな感情も見せないのだろう。
「
シーヴは続ける。
「お前が何を持ちかけようと、それを受けることが俺の――エイラのためになるはずはない。そうしなければ彼女を殺すと?……いや、俺が何をどうしようと、お前たちは彼女を狙っていることに変わりはない。俺は決してそれを忘れない」
「
スケイズは同じように返した。
「だが
砂漠の、恋人。
「――彼女に手を出せば、俺は必ずお前を殺す」
シーヴは、その表情をすっと消すと、静かに言った。スケイズはそれを笑いはせず、ただじっとシーヴを見た。
「心意気は、覚えておこう」
その声には――最初から――何の感情も表れていなかった。
「いいだろう、〈鍵〉よ。三つ目の玉はこうして我がもとに来たった。リ・ガンに伝えるといい、ほかのふたつも時間の問題だとな」
シーヴも同じように、じっとスケイズをにらみ返した。彼は「翡翠」との繋がりは深くなかったから、スケイズのこの挑戦に激怒するというようなことはなかったが、その目にはこの「挑戦」を受けたという――暗い光が宿った。
「では、覚えておけ。これからは私がお前を見張っておこう」
「それは、嬉しくない申し出だな」
シーヴは唇を歪めた。
「同じ見張られるならば、お前みたいな陰気な野郎よりもミオノールの方が気分がいいようだ」
「それも」
スケイズはシーヴを指さした。まるでその指が触れたかのように――体内の心臓が冷たくなった、気がした。
「強がりだな、
そう言うと――暗い部屋に