8 忘れろ
文字数 2,984文字
「どうしたんだ? お前たちもそれを探してるのか?」
視線に気づいたヒースリーは少し警戒するように言った。
「翡翠とやらが何を表わしてるのか知らんが、〈魔術都市〉と張り合おうなんざやめておけよ」
「同じものを探してなんか、いないよ」
安心しろ、とばかりにエイラは言った。嘘ではない。彼女は翡翠の在り処など判っている。もちろん――リ・ガンの居所も。
「あんた、そいつらを見たのか」
シーヴが言うとヒースリーは首を振った。
「俺は幸いにしてお目にかかってない。見たって奴の話を聞いただけだから、信憑性はどうかな」
「でも、どっかにはいるんだ、見た奴が。〈水辺の夢は水音が見せる〉ってな」
エイラは両の手を組み合わせて卓に肘をついた。
「それ以上の噂はないのか」
シーヴがぽつりと言った。
「何だって」
「〈魔術都市〉の人間だと思われる連中が『魔法の翡翠』を探してる。それ以上のことを聞いたか?」
「……いや」
聞かないようだ、とヒースリー。シーヴはふん、と鼻を鳴らす。
「奇妙だとは思わないか。魔術都市なんて不気味がられてる連中が、わざわざあちこちへ顔を見せては何も揉めごとを起こさず、噂だけ残して消え去ってるってのか?」
魔法使いならば見られない方法も、探す方法もごまんと知ってるんじゃないか、などとシーヴは続けた。あの「風」を思い起こしながら。
「状況は知らないが」
あまり知りたくもないような気がする、とヒースリーは間に挟んだ。
「そうなると、それは囮だろう」
薬草師の指摘に、エイラは驚いて彼を見た。
「初めて意見が合ったな」
シーヴはあまり面白くなさそうに唇を歪めた。
「奴らはその翡翠とやらを探すと同時に、それについて知っている者も探している、と取れるな。情報を売りにくるのを待つか、それとも持ち主が慌てて逃げ出すのでも待つか」
「だから、囮」
顔をしかめてエイラは呟いた。
「その翡翠とやらは、やっぱりお前の探しものでもあるんじゃないのか、エイラ」
再び問われた彼女は、少し困ったような顔をする。どう返答していいか判らない。
「探している、と言うのとは違う。でも……」
エイラは考えながら言った。
「あんたを巻き込んじゃいけないかもしれない。ごめん、ヒースリー。有難う、奥さんによろしくな」
「おい、待てよ」
立ち上がったエイラにヒースリーは慌てた。
「そりゃないだろう。ちょこっと話を聞かせて、何だろうと思わせて、忘れろってのか?」
「魔術なんかに関わりたいのか?」
「そりゃ、関わりたくはないが」
とにかく座れ、とヒースリーは身振りで示し、エイラは数秒 躊躇ってからまた腰を下ろした。
「まさか、連中が探してるのはお前だなんて言わないだろうな」
「……言ったら、どうする」
「……面倒ごとだな、と思うね」
「だから、巻き込みたくないっていうんだ」
「おいおい、本当かよ」
ヒースリーは額に片手を当てて呆然とした。
「じゃあ、カックルの町で姿を消したのはそのせいなんだな? 何てこった」
「そう聞いたら、忘れたくなったろ?」
「ああ、そうだな」
薬草師は憮然としたままで言った。
「上等だ。忘れろ」
そう言ったのはシーヴだが、茶化したり満足そうに する様子はなかった。少なくとも見せていない、と言うべきか。
「俺はその一端と思えるものに触れた。できればもう二度としたくないと思う経験だ。対抗できる魔術を持ってないんなら、関わらない方がいい」
「……お前は、何なんだ」
魔力があると言うのか、そうじゃないなら何故関わる、とヒースリーは尋ねた。シーヴは片眉を上げる。
「俺か? 俺は、そうだな。エイラの」
にやり、と悪戯っぽい光がその目に浮かんだ。
「騎士 ってのはどうだ」
「ばっ……シーヴ、何言い出すっ」
青年が冗談半分で選んだ単語はエイラの動揺を必要以上に誘う。
「何を驚いてるんだ。俺はお前を守るって言っただろう」
「だからって、その言い方はない、だろうっ。その……ひ、姫君でもあるまいしっ」
もちろん「騎士」という単語は「女性を守る男」くらいの意味合いでも使われるし、エイラもそれは判っている。だが、その一語はどうしても、彼女にひとりの人物を思い出させた。
「お気に召さないならやめておくが」
俺にとっては姫君みたいなもんだ――などと言えば、先ほどの「ぶん殴る」を実行されそうな気がして、シーヴは口をつぐんだ。
「騎士、ねえ」
色白の薬草師は、またもじろじろと浅黒い肌の青年を眺めた。今度はシーヴはその凝視を鷹揚に受け止める。
「俺の弟子を守る自信はあるんだろうな」
「なけりゃ言うもんかね」
シーヴは返した。
本当は、自信があるとは言い難い。魔術など彼の理解の範疇外だし、むしろエイラに魔術で命を救われたことがあるくらいだ。
だがそうしたいという心に偽りはない。
それが愛情と呼ぶものではなくても。
リ・ガンと〈鍵〉という絆がもたらすものであっても。
エイラは「運命」などというものがもたらす絆に不安を持ち、シーヴはそれを受け入れている。この差が青年をして娘を守ると言わせ、娘がそれを理解できない理由のひとつだった。
「……それなら」
ヒースリーはゆっくり言った。
「調べてみよう」
「何をだ」
シーヴが返すと、男は肩をすくめた。
「さて、薬草師なんかに何ができるかね。せいぜい、例の噂の出所を確かめたり、その連中を見かけたら話を」
「やめろ!」
エイラは知らず、叫んだ。
「ヒースリー、気持ちは嬉しいが魔術には関わるな。俺は〈魔術都市〉なんてもんは知らなかったが、評判は聞いた。奴らが使うのは魔術師協会 で見られるものとは違う。いいか、奴らの技に比べたら、魔術師じゃない人々が忌み嫌うモノですら太陽 みたいに健全に思えるもんなんだ。そいつらを見かけても、絶対に近寄ったら駄目だ!」
「……判った」
エイラの剣幕――思わず少年の一人称を使ってしまったほどの――に、つい、といった調子でヒースリーはあっさり同意していた。
「その警告は覚えておこう。危ない連中にわざわざ近づくなんて俺だってやりたかない。だが何か協力をさせてくれ。一時の弟子でも師匠でも、お前がおかしなもんに目をつけられてると知って、放っておけないからな」
「私はあんたの妹じゃないと言っただろう」
「判ってるさ、だが年下の面倒を見る気質はどうにも抜けなくてね」
気軽に言う男をどうしたものかと、エイラはじっと見つめる。
(ふたつの名を持つ者は)
(翡翠に――関わる、か)
関わらせたのは自分だ、とエイラは思う。こんな話をしなければ、ヒースリーは「翡翠に関わる」ことはなかっただろう。だが、この薬草師の青年は関わる気満々だ。何もするなと言っても聞かないだろう。以前、東へついてこようとしたように。
「でも、ヒースリー。私たちは明日にはこの街を出るんだ」
「……どこへ向かう?」
「アーレイ……アイメアだ」
何となく、言い直した。
「ならちょうどいい」
薬草師はこともなげに言った。
「そろそろ、俺の奥さんに薬を持って帰るつもりだったんだからな」
視線に気づいたヒースリーは少し警戒するように言った。
「翡翠とやらが何を表わしてるのか知らんが、〈魔術都市〉と張り合おうなんざやめておけよ」
「同じものを探してなんか、いないよ」
安心しろ、とばかりにエイラは言った。嘘ではない。彼女は翡翠の在り処など判っている。もちろん――リ・ガンの居所も。
「あんた、そいつらを見たのか」
シーヴが言うとヒースリーは首を振った。
「俺は幸いにしてお目にかかってない。見たって奴の話を聞いただけだから、信憑性はどうかな」
「でも、どっかにはいるんだ、見た奴が。〈水辺の夢は水音が見せる〉ってな」
エイラは両の手を組み合わせて卓に肘をついた。
「それ以上の噂はないのか」
シーヴがぽつりと言った。
「何だって」
「〈魔術都市〉の人間だと思われる連中が『魔法の翡翠』を探してる。それ以上のことを聞いたか?」
「……いや」
聞かないようだ、とヒースリー。シーヴはふん、と鼻を鳴らす。
「奇妙だとは思わないか。魔術都市なんて不気味がられてる連中が、わざわざあちこちへ顔を見せては何も揉めごとを起こさず、噂だけ残して消え去ってるってのか?」
魔法使いならば見られない方法も、探す方法もごまんと知ってるんじゃないか、などとシーヴは続けた。あの「風」を思い起こしながら。
「状況は知らないが」
あまり知りたくもないような気がする、とヒースリーは間に挟んだ。
「そうなると、それは囮だろう」
薬草師の指摘に、エイラは驚いて彼を見た。
「初めて意見が合ったな」
シーヴはあまり面白くなさそうに唇を歪めた。
「奴らはその翡翠とやらを探すと同時に、それについて知っている者も探している、と取れるな。情報を売りにくるのを待つか、それとも持ち主が慌てて逃げ出すのでも待つか」
「だから、囮」
顔をしかめてエイラは呟いた。
「その翡翠とやらは、やっぱりお前の探しものでもあるんじゃないのか、エイラ」
再び問われた彼女は、少し困ったような顔をする。どう返答していいか判らない。
「探している、と言うのとは違う。でも……」
エイラは考えながら言った。
「あんたを巻き込んじゃいけないかもしれない。ごめん、ヒースリー。有難う、奥さんによろしくな」
「おい、待てよ」
立ち上がったエイラにヒースリーは慌てた。
「そりゃないだろう。ちょこっと話を聞かせて、何だろうと思わせて、忘れろってのか?」
「魔術なんかに関わりたいのか?」
「そりゃ、関わりたくはないが」
とにかく座れ、とヒースリーは身振りで示し、エイラは数
「まさか、連中が探してるのはお前だなんて言わないだろうな」
「……言ったら、どうする」
「……面倒ごとだな、と思うね」
「だから、巻き込みたくないっていうんだ」
「おいおい、本当かよ」
ヒースリーは額に片手を当てて呆然とした。
「じゃあ、カックルの町で姿を消したのはそのせいなんだな? 何てこった」
「そう聞いたら、忘れたくなったろ?」
「ああ、そうだな」
薬草師は憮然としたままで言った。
「上等だ。忘れろ」
そう言ったのはシーヴだが、茶化したり
「俺はその一端と思えるものに触れた。できればもう二度としたくないと思う経験だ。対抗できる魔術を持ってないんなら、関わらない方がいい」
「……お前は、何なんだ」
魔力があると言うのか、そうじゃないなら何故関わる、とヒースリーは尋ねた。シーヴは片眉を上げる。
「俺か? 俺は、そうだな。エイラの」
にやり、と悪戯っぽい光がその目に浮かんだ。
「
「ばっ……シーヴ、何言い出すっ」
青年が冗談半分で選んだ単語はエイラの動揺を必要以上に誘う。
「何を驚いてるんだ。俺はお前を守るって言っただろう」
「だからって、その言い方はない、だろうっ。その……ひ、姫君でもあるまいしっ」
もちろん「騎士」という単語は「女性を守る男」くらいの意味合いでも使われるし、エイラもそれは判っている。だが、その一語はどうしても、彼女にひとりの人物を思い出させた。
「お気に召さないならやめておくが」
俺にとっては姫君みたいなもんだ――などと言えば、先ほどの「ぶん殴る」を実行されそうな気がして、シーヴは口をつぐんだ。
「騎士、ねえ」
色白の薬草師は、またもじろじろと浅黒い肌の青年を眺めた。今度はシーヴはその凝視を鷹揚に受け止める。
「俺の弟子を守る自信はあるんだろうな」
「なけりゃ言うもんかね」
シーヴは返した。
本当は、自信があるとは言い難い。魔術など彼の理解の範疇外だし、むしろエイラに魔術で命を救われたことがあるくらいだ。
だがそうしたいという心に偽りはない。
それが愛情と呼ぶものではなくても。
リ・ガンと〈鍵〉という絆がもたらすものであっても。
エイラは「運命」などというものがもたらす絆に不安を持ち、シーヴはそれを受け入れている。この差が青年をして娘を守ると言わせ、娘がそれを理解できない理由のひとつだった。
「……それなら」
ヒースリーはゆっくり言った。
「調べてみよう」
「何をだ」
シーヴが返すと、男は肩をすくめた。
「さて、薬草師なんかに何ができるかね。せいぜい、例の噂の出所を確かめたり、その連中を見かけたら話を」
「やめろ!」
エイラは知らず、叫んだ。
「ヒースリー、気持ちは嬉しいが魔術には関わるな。俺は〈魔術都市〉なんてもんは知らなかったが、評判は聞いた。奴らが使うのは
「……判った」
エイラの剣幕――思わず少年の一人称を使ってしまったほどの――に、つい、といった調子でヒースリーはあっさり同意していた。
「その警告は覚えておこう。危ない連中にわざわざ近づくなんて俺だってやりたかない。だが何か協力をさせてくれ。一時の弟子でも師匠でも、お前がおかしなもんに目をつけられてると知って、放っておけないからな」
「私はあんたの妹じゃないと言っただろう」
「判ってるさ、だが年下の面倒を見る気質はどうにも抜けなくてね」
気軽に言う男をどうしたものかと、エイラはじっと見つめる。
(ふたつの名を持つ者は)
(翡翠に――関わる、か)
関わらせたのは自分だ、とエイラは思う。こんな話をしなければ、ヒースリーは「翡翠に関わる」ことはなかっただろう。だが、この薬草師の青年は関わる気満々だ。何もするなと言っても聞かないだろう。以前、東へついてこようとしたように。
「でも、ヒースリー。私たちは明日にはこの街を出るんだ」
「……どこへ向かう?」
「アーレイ……アイメアだ」
何となく、言い直した。
「ならちょうどいい」
薬草師はこともなげに言った。
「そろそろ、俺の奥さんに薬を持って帰るつもりだったんだからな」