9 使えない武器
文字数 3,470文字
この旅路には、いささか参った。
「つきまとってるのはこいつの方なんじゃないか」とは言わなかったものの、シーヴはもちろん、ヒースリーが一緒であることにいい顔はしない。ヒースリーの方は年上の余裕とばかりに、と言うよりも実際、エイラに対して色気はないのだからシーヴを敵視することはないが、特別に仲良くしようという気持ちもこれまたもちろん、ないらしかった。
エイラは再びヒースリーの弟子となり、フラスで揃え直した薬作りの器具を使っては教わった通りに薬草を潰したり混ぜたりしながら旅をした。塔で思いついた、魔術の技を普通の薬に応用する話もヒースリーは興味深く聞き、彼にはできないことであるのに思いつく限りの助言もくれた。その間、シーヴは隊商の人間と話をしたり、エイラにとっては安心できることに可愛い娘に声をかけたりもしていたようだ。
とは言え、万事順調とはいかない。
エイラが約束させた通り、ふたりの男が「彼女を巡って」おかしな諍いをすることはなかったものの、エイラがヒースリーと話をすれば明らかにシーヴは機嫌が悪くなる。砂漠の青年はそんなことはないと主張するし、ヒースリーと口を利かないようなこともなく、彼らだけでいれば彼らなりに自然な会話を交わしているようだが、それでもどうにも引っかかるものがあるようだ。
「おい、シーヴ」
「何だ、おどかすな」
隊商の休憩時、自身の馬を世話していたシーヴは、背後からかけられたエイラの声にびっくりして振り返った。
「お勉強 はもういいのか」
「皮肉はよせって」
歪められた口元を見なくても、エイラとヒースリーがふたりでいたことをシーヴが快く思わないことは判っている。
「ハサスの世話が済んだら、ちょっと時間くれないか」
「かまわんが、何だ」
俺に用事とは珍しいじゃないか、という皮肉は続かなかった。
「あんたは……剣術には詳しいんだろ」
「人並みにはね」
「訓練を受けてるだろ、って意味だよ」
「まあ、身分なりにはな」
エイラが何を言い出したのか不思議に思いながら、シーヴは答えた。
「それがどうかしたのか。そういや、剣を使えるって言ってたな」
兄剣士とその妹、という触れ込みはヒースリー以外には奇妙にも可笑しくも思われていないようで、シーヴはときどき、護衛の戦士 と剣を合わせては訓練から離れたことで失われかけている勘を取り戻そうとしている。
盗賊 ごときに後れを取ったことは、彼の誇りに関わるのだ。――もちろん、命にもだが。
「手合わせでもしたいのか?」
「それほどの腕は持ってない」
ファドックに剣技をたたき込まれたのが、シーヴからシュアラを守るため、であったことはいまでは笑い話だ。――彼女にとってだけ、であったが。
「それに」
言いながら、短剣を引き抜いた。
「こういう武器の使い方は知らないんだ」
シーヴは意外そうな顔をした。エイラがそんなものを身につけているのは知らなかったし、だいたい、使えない武器を持っていても何の役にも立たない。
「私が教わったのは、普通の、よくある広刃の剣か小剣を使ってのもので、こういう小さい武器は使ったことがない。あんたはもっと小さいのも持ってるし、上手に使うだろう」
「これか」
シーヴは刀子を取り出した。エイラはうなずく。
「これは投げ武器だからな、短剣みたいに近距離で使うもんともまた違うが……まあ、短剣も投げられなかないが……」
シーヴは曖昧なことを呟きながら、馬を洗う手を止めてエイラを見た。ハサスは主人が作業の手を止めたことに不満を覚えてか、鼻息を鳴らす。
「その、何だ。得手とは言わんが使ったことがない訳でもない。基本でよけりゃ、教えられると思うが」
「充分だ。頼む」
ほっとしたようにエイラは言い、ハサスに水を汲んできてやる、と足元にあった桶を拾った。シーヴはそれを見送ってから自身の馬に注意を戻し、エイラの言葉の意味を考えた。
使えない武器を持つ意味は? ちらつかせれば脅しくらいにはなるだろう。だが魔術師ならば――正確には違う、とエイラは言うが、その差は彼女自身にもはっきりしないようだ――短剣よりも杖を見せた方がずっと脅しになる。
魔術師となって短いと言うから、それまでの性分かとも思ったが、それならば使ったことがないということもないだろう。
「使えないのに持っている意味」についてはシーヴが想像してみても仕方ない。彼は首を振った。気になるのは「使えるようになっておこう」と思った意味だ。
まさか、シーヴやヒースリー――ではないにしても、よからぬことを考えた隊商の男から身を守るためではないだろう。それならそれこそ、魔術を使えばよい。それとも、シーヴの「妹」であることをその不埒者に思い出させてやればよい。
彼の腕は専門の戦士 にもひけを取らぬのだ。もちろんこれは正面きって堂々と、試合のように剣を合わせての話だったから、先日の盗賊戦同様に実戦ではどうなるか判らないが、「脅し」としては充分なはずだ。
ならばやはり、今後の道行きに不安を覚えている、と見るべきか。
当然だろう。
〈翡翠の宮殿〉で彼が目にした、全てを理解し、超然としていたエイラはまるで幻だったかのようだ。
ふとした拍子に、彼女は怯えている。と言って悪ければ、不安になっている。隣にいてそれに気づかないはずもなかった。
リ・ガンやら翡翠やらというだけでも充分なのに、〈魔術都市〉ときたものだ。魔術に短剣で立ち向かう訳にはもちろんいかないだろうが、彼女は身を守ること――それとも〈鍵〉たる彼を守ること――に自信をつけたいのだ。
「何だ、ハサス」
砂漠の民の常として、シーヴは馬 に話しかけることに抵抗はない。
「手入れが行き届いてないって言うのか? それとも飯が足りないって? 文句を言うな、いまは冬なんだし、その辺に食える草が生えてなくたって仕方がないだろう。……そりゃ、お前の故郷にこんな厳しい寒さはないが」
ぽんぽん、とシーヴは愛馬を叩く。
「お前にも無茶をさせてるなあ、俺は」
シャムレイの厩舎で、人見知り しがちだったハサスを唯一口説けたのがリャカラーダ第三王子であった。ウーレが砂漠馬 にするように優しく話しかけただけだったが、それ以来ようやくハサスは人を受け入れるようになり、殊にシーヴが相手のときは、まるで彼をミ=サスとするウーレのように信頼していた。
北東の町でこの馬を手放すことになるかもしれないと思ったときは残念だったが、その分だろうか、再会の喜びは両者ともに大きく、信頼感も増していた。今後、このハサスと離れなければならないとしたらかなり悔しいだろう。
「終わったのか」
シーヴが愛馬を撫でてやっているのを見て、戻ってきたエイラはそう言うと桶を馬の前に置いた。アーレイドでは馬など間近で見ることはなかったが、こうして見てみると可愛いものだ、とも思うようになってきた。
「ああ、それじゃ次はお前の番だな」
シーヴはにやりとしてそう言い、馬と同等の扱いをされたエイラは少し不満そうな顔を見せたが文句は言わずにうなずく。
「その短剣を見せてみろ」
シーヴが言うとエイラはやや躊躇ったが、大人しくそれを渡した。
「ふん、いいもん選んだな。不要な飾りはないが、拵えは上等だ。一級品だよ。高かったろう」
「そ、そうか?」
言われて、エイラは焦った。ファドックは別に金に困ってはいないだろうが、餞別としては分不相応なものを受け取ってしまったのだろうか。
「値段なんて考えなかったけど……その、もらったんだ」
「へえ?」
どんな男にもらったのやら、と考えるとまたシーヴの内に気に入らない気持ちが持ち上がったが、それを口に出すことは自制した。
「もらいもんか。お守りってとこだな」
それなら「使ったことがない」にも納得である。
「そう――そうなんだ」
エイラははにかむように笑い、それはずいぶんと可愛く 見えて、シーヴはまたむっとする自分を抑えることになる。
「待ってろ、ジルから似たような短剣を借りてくる」
護衛の戦士の名を口にすると、シーヴは踵を返した。
気に入らない、と思うのは自分に対してだ。これではまるで、エイラに惚れているようではないか。彼の心はそれでも砂漠の娘ミンの上にあると、そう思っているのに。
「つきまとってるのはこいつの方なんじゃないか」とは言わなかったものの、シーヴはもちろん、ヒースリーが一緒であることにいい顔はしない。ヒースリーの方は年上の余裕とばかりに、と言うよりも実際、エイラに対して色気はないのだからシーヴを敵視することはないが、特別に仲良くしようという気持ちもこれまたもちろん、ないらしかった。
エイラは再びヒースリーの弟子となり、フラスで揃え直した薬作りの器具を使っては教わった通りに薬草を潰したり混ぜたりしながら旅をした。塔で思いついた、魔術の技を普通の薬に応用する話もヒースリーは興味深く聞き、彼にはできないことであるのに思いつく限りの助言もくれた。その間、シーヴは隊商の人間と話をしたり、エイラにとっては安心できることに可愛い娘に声をかけたりもしていたようだ。
とは言え、万事順調とはいかない。
エイラが約束させた通り、ふたりの男が「彼女を巡って」おかしな諍いをすることはなかったものの、エイラがヒースリーと話をすれば明らかにシーヴは機嫌が悪くなる。砂漠の青年はそんなことはないと主張するし、ヒースリーと口を利かないようなこともなく、彼らだけでいれば彼らなりに自然な会話を交わしているようだが、それでもどうにも引っかかるものがあるようだ。
「おい、シーヴ」
「何だ、おどかすな」
隊商の休憩時、自身の馬を世話していたシーヴは、背後からかけられたエイラの声にびっくりして振り返った。
「
「皮肉はよせって」
歪められた口元を見なくても、エイラとヒースリーがふたりでいたことをシーヴが快く思わないことは判っている。
「ハサスの世話が済んだら、ちょっと時間くれないか」
「かまわんが、何だ」
俺に用事とは珍しいじゃないか、という皮肉は続かなかった。
「あんたは……剣術には詳しいんだろ」
「人並みにはね」
「訓練を受けてるだろ、って意味だよ」
「まあ、身分なりにはな」
エイラが何を言い出したのか不思議に思いながら、シーヴは答えた。
「それがどうかしたのか。そういや、剣を使えるって言ってたな」
兄剣士とその妹、という触れ込みはヒースリー以外には奇妙にも可笑しくも思われていないようで、シーヴはときどき、護衛の
「手合わせでもしたいのか?」
「それほどの腕は持ってない」
ファドックに剣技をたたき込まれたのが、シーヴからシュアラを守るため、であったことはいまでは笑い話だ。――彼女にとってだけ、であったが。
「それに」
言いながら、短剣を引き抜いた。
「こういう武器の使い方は知らないんだ」
シーヴは意外そうな顔をした。エイラがそんなものを身につけているのは知らなかったし、だいたい、使えない武器を持っていても何の役にも立たない。
「私が教わったのは、普通の、よくある広刃の剣か小剣を使ってのもので、こういう小さい武器は使ったことがない。あんたはもっと小さいのも持ってるし、上手に使うだろう」
「これか」
シーヴは刀子を取り出した。エイラはうなずく。
「これは投げ武器だからな、短剣みたいに近距離で使うもんともまた違うが……まあ、短剣も投げられなかないが……」
シーヴは曖昧なことを呟きながら、馬を洗う手を止めてエイラを見た。ハサスは主人が作業の手を止めたことに不満を覚えてか、鼻息を鳴らす。
「その、何だ。得手とは言わんが使ったことがない訳でもない。基本でよけりゃ、教えられると思うが」
「充分だ。頼む」
ほっとしたようにエイラは言い、ハサスに水を汲んできてやる、と足元にあった桶を拾った。シーヴはそれを見送ってから自身の馬に注意を戻し、エイラの言葉の意味を考えた。
使えない武器を持つ意味は? ちらつかせれば脅しくらいにはなるだろう。だが魔術師ならば――正確には違う、とエイラは言うが、その差は彼女自身にもはっきりしないようだ――短剣よりも杖を見せた方がずっと脅しになる。
魔術師となって短いと言うから、それまでの性分かとも思ったが、それならば使ったことがないということもないだろう。
「使えないのに持っている意味」についてはシーヴが想像してみても仕方ない。彼は首を振った。気になるのは「使えるようになっておこう」と思った意味だ。
まさか、シーヴやヒースリー――ではないにしても、よからぬことを考えた隊商の男から身を守るためではないだろう。それならそれこそ、魔術を使えばよい。それとも、シーヴの「妹」であることをその不埒者に思い出させてやればよい。
彼の腕は専門の
ならばやはり、今後の道行きに不安を覚えている、と見るべきか。
当然だろう。
〈翡翠の宮殿〉で彼が目にした、全てを理解し、超然としていたエイラはまるで幻だったかのようだ。
ふとした拍子に、彼女は怯えている。と言って悪ければ、不安になっている。隣にいてそれに気づかないはずもなかった。
リ・ガンやら翡翠やらというだけでも充分なのに、〈魔術都市〉ときたものだ。魔術に短剣で立ち向かう訳にはもちろんいかないだろうが、彼女は身を守ること――それとも〈鍵〉たる彼を守ること――に自信をつけたいのだ。
「何だ、ハサス」
砂漠の民の常として、シーヴは
「手入れが行き届いてないって言うのか? それとも飯が足りないって? 文句を言うな、いまは冬なんだし、その辺に食える草が生えてなくたって仕方がないだろう。……そりゃ、お前の故郷にこんな厳しい寒さはないが」
ぽんぽん、とシーヴは愛馬を叩く。
「お前にも無茶をさせてるなあ、俺は」
シャムレイの厩舎で、
北東の町でこの馬を手放すことになるかもしれないと思ったときは残念だったが、その分だろうか、再会の喜びは両者ともに大きく、信頼感も増していた。今後、このハサスと離れなければならないとしたらかなり悔しいだろう。
「終わったのか」
シーヴが愛馬を撫でてやっているのを見て、戻ってきたエイラはそう言うと桶を馬の前に置いた。アーレイドでは馬など間近で見ることはなかったが、こうして見てみると可愛いものだ、とも思うようになってきた。
「ああ、それじゃ次はお前の番だな」
シーヴはにやりとしてそう言い、馬と同等の扱いをされたエイラは少し不満そうな顔を見せたが文句は言わずにうなずく。
「その短剣を見せてみろ」
シーヴが言うとエイラはやや躊躇ったが、大人しくそれを渡した。
「ふん、いいもん選んだな。不要な飾りはないが、拵えは上等だ。一級品だよ。高かったろう」
「そ、そうか?」
言われて、エイラは焦った。ファドックは別に金に困ってはいないだろうが、餞別としては分不相応なものを受け取ってしまったのだろうか。
「値段なんて考えなかったけど……その、もらったんだ」
「へえ?」
どんな男にもらったのやら、と考えるとまたシーヴの内に気に入らない気持ちが持ち上がったが、それを口に出すことは自制した。
「もらいもんか。お守りってとこだな」
それなら「使ったことがない」にも納得である。
「そう――そうなんだ」
エイラははにかむように笑い、それはずいぶんと
「待ってろ、ジルから似たような短剣を借りてくる」
護衛の戦士の名を口にすると、シーヴは踵を返した。
気に入らない、と思うのは自分に対してだ。これではまるで、エイラに惚れているようではないか。彼の心はそれでも砂漠の娘ミンの上にあると、そう思っているのに。