05 彼女の弟
文字数 2,163文字
女は驚いたように目を見開き、その手を口元に当てた。
それを見ながら彼は、どう説明をしたものかと迷っていた。上手く説明ができなければ、彼女はきっと――。
「セイゲル。あなた」
アレシアーナはきっと夫を睨んだ。
「悪事に手を染めたんじゃないでしょうね!?」
「違う」
そうくると思った、と考えながらセイゲル・ヒースリーは否定した。
「これは、もらったんだ」
「もらった?」
アレシアーナは繰り返す。
「いったいどこの誰が、こんな高価なものをぽんとくれるって言うの! ああ、どうしよう、私の旦那様はきっと悪いことをしてるんだわ」
「してないっ」
ヒースリーは頭を抱えた。
「俺も断ろうとしたが、どうしてもと渡された」
「誰に」
当然の問いを発した妻に、夫は少し躊躇ってから、続けた。
「エイラだ」
その名はあまり妻の機嫌をよくしなかった。
「会ったの」
「いや」
ヒースリーは首を振った。
「正確に言えば、彼女の弟だと名乗る男から」
「……何、それ」
「似ていたし、事情も知っていたし、嘘じゃないんだろう。だいたい、そんな嘘で俺を騙したって仕方がない……と思うし」
「曖昧だわ、セイゲル」
妻の指摘に薬草師は唸った。
「ガディの話も聞いたぞ」
「彼が、どうしたの?」
夫の友人である戦士の名を聞いて、妻は首をかしげた。
「会ったと言うんだ。あいつは、魔術めいたものに関わったことを悔やんで、大陸から出ると言っていたらしい」
「大陸から?」
アレシアーナは驚いたように目を見開いた。ファランシア大陸を離れてどこか他大陸へ行くなど正気の沙汰とも思えない。
「突然の話だったが、それが本当ならもうあいつに会うことはないだろうな」
「……それだけ危ないことに関わってたって訳ね」
「だな」
「……あなたのことよ、セイゲル」
非難するような目つきで妻に睨まれたヒースリーは、こほん、と咳払いなどした。
「とにかく聞け、アレシア。これにはな、魔除けの力がある」
「そう、言うわよね」
夫が何を言い出したのかと思いながら、小芝居をやめたアレシアーナは目をぱちくりとさせた。
「翡翠には魔除けの力があるって言われてることくらいは、知ってるわよ」
彼女の好きな物語では、ちょくちょくある「設定」だ。
「魔術のことは判らんが、どうやらそれは真実らしい。で、なかでもこいつは飛びきりだそうだ」
「そりゃあ、それだけ立派なものなら、そうなんじゃない?」
不審そうに眉をひそめながらアレシアーナは同意した。
「……病を治す力も、あるかもしれん」
「……セイゲル、あなた」
アレシアーナは夫をじっと見た。
「薬草師 、やめる気?」
「何で、そうなるんだ?」
今度はヒースリーが眉をひそめた。
「だって、そうじゃない。自分の作る薬じゃ私を治せないと思って、魔除けの玉 なんかに頼る訳? それは薬草師としてどうなのよ?」
「俺の薬草師としての誇りなんぞより、お前を元気にする方が大切に決まってるだろう」
「……セイゲル、私」
アレシアーナはまたも夫をじっと見た。
「嫌よ」
「……何だって?」
「私を治すんならあなたの薬じゃなきゃ駄目! 本当は、魔術薬だって嫌い。あなたの薬じゃないもの。飲まないとあなたが泣くから我慢してるけど」
「泣くかっ」
ヒースリーはほとんど反射的に否定してから、妻を抱いた。
「まさか、魔除けの力で急にお前が治るとは思ってない。でもな、俺はできることは何でもしたいんだ。俺は薬草師だからお前のために薬を作れるけれど、そうじゃなかったらこの家はその手の護符だの厄除けだので埋まってるだけのことだ。これは、俺がお前のためにできることのひとつだよ、アレシア」
そう言うと彼は、動玉と呼ばれた濃緑の翡翠玉を妻の手に握らせた。
「三十年」
「え?」
「そう言われたんだ。三十年経ったら、手放せ。手放すときを見誤るな――と。それまではこれがお前のなかにある治癒の力を助けるかもしれないけれど、それ以上はおかしなものを招くかもしれないからってな」
「おかしなものって、何」
「……さあ」
薬草師は肩をすくめた。
「危ないものなんじゃないの?」
「絶対に大丈夫だと言っていた。エイラはそんなふうに言い切ることは滅多になかったから、余程自信があるんだろう」
「……嘘つき」
「え?」
「それじゃ、エイラに会ったんじゃないの」
アレシアーナは泣きそうになり、ヒースリーは慌てる。
「隠そうとするなんて、浮気したんだわーっ」
「してないっ」
わっと彼の胸に顔を埋める妻に必死で言った。
「本当だ、会ったのは彼女の弟! 話しぶりによっては驚くほど似て見えたせいで、彼女から直接聞いたような気になっただけだ!」
「……本当?」
「ああ」
薬草師は力強くうなずいた。
「もし彼女に会えば、会ったと言うよ。おかしな誤解はやめてくれ。俺にはいつだって、お前がいちばんなんだからな」
言うとヒースリーは妻の髪に口づけた。アレシアーナは泣き真似をやめると不意にくすくす笑い出した。
「判ってるわ、旦那様」
そして彼女は顔を上げ、泣き真似だと知っていても本気で困る愛する夫に、笑いながら口づけた。
それを見ながら彼は、どう説明をしたものかと迷っていた。上手く説明ができなければ、彼女はきっと――。
「セイゲル。あなた」
アレシアーナはきっと夫を睨んだ。
「悪事に手を染めたんじゃないでしょうね!?」
「違う」
そうくると思った、と考えながらセイゲル・ヒースリーは否定した。
「これは、もらったんだ」
「もらった?」
アレシアーナは繰り返す。
「いったいどこの誰が、こんな高価なものをぽんとくれるって言うの! ああ、どうしよう、私の旦那様はきっと悪いことをしてるんだわ」
「してないっ」
ヒースリーは頭を抱えた。
「俺も断ろうとしたが、どうしてもと渡された」
「誰に」
当然の問いを発した妻に、夫は少し躊躇ってから、続けた。
「エイラだ」
その名はあまり妻の機嫌をよくしなかった。
「会ったの」
「いや」
ヒースリーは首を振った。
「正確に言えば、彼女の弟だと名乗る男から」
「……何、それ」
「似ていたし、事情も知っていたし、嘘じゃないんだろう。だいたい、そんな嘘で俺を騙したって仕方がない……と思うし」
「曖昧だわ、セイゲル」
妻の指摘に薬草師は唸った。
「ガディの話も聞いたぞ」
「彼が、どうしたの?」
夫の友人である戦士の名を聞いて、妻は首をかしげた。
「会ったと言うんだ。あいつは、魔術めいたものに関わったことを悔やんで、大陸から出ると言っていたらしい」
「大陸から?」
アレシアーナは驚いたように目を見開いた。ファランシア大陸を離れてどこか他大陸へ行くなど正気の沙汰とも思えない。
「突然の話だったが、それが本当ならもうあいつに会うことはないだろうな」
「……それだけ危ないことに関わってたって訳ね」
「だな」
「……あなたのことよ、セイゲル」
非難するような目つきで妻に睨まれたヒースリーは、こほん、と咳払いなどした。
「とにかく聞け、アレシア。これにはな、魔除けの力がある」
「そう、言うわよね」
夫が何を言い出したのかと思いながら、小芝居をやめたアレシアーナは目をぱちくりとさせた。
「翡翠には魔除けの力があるって言われてることくらいは、知ってるわよ」
彼女の好きな物語では、ちょくちょくある「設定」だ。
「魔術のことは判らんが、どうやらそれは真実らしい。で、なかでもこいつは飛びきりだそうだ」
「そりゃあ、それだけ立派なものなら、そうなんじゃない?」
不審そうに眉をひそめながらアレシアーナは同意した。
「……病を治す力も、あるかもしれん」
「……セイゲル、あなた」
アレシアーナは夫をじっと見た。
「
「何で、そうなるんだ?」
今度はヒースリーが眉をひそめた。
「だって、そうじゃない。自分の作る薬じゃ私を治せないと思って、魔除けの
「俺の薬草師としての誇りなんぞより、お前を元気にする方が大切に決まってるだろう」
「……セイゲル、私」
アレシアーナはまたも夫をじっと見た。
「嫌よ」
「……何だって?」
「私を治すんならあなたの薬じゃなきゃ駄目! 本当は、魔術薬だって嫌い。あなたの薬じゃないもの。飲まないとあなたが泣くから我慢してるけど」
「泣くかっ」
ヒースリーはほとんど反射的に否定してから、妻を抱いた。
「まさか、魔除けの力で急にお前が治るとは思ってない。でもな、俺はできることは何でもしたいんだ。俺は薬草師だからお前のために薬を作れるけれど、そうじゃなかったらこの家はその手の護符だの厄除けだので埋まってるだけのことだ。これは、俺がお前のためにできることのひとつだよ、アレシア」
そう言うと彼は、動玉と呼ばれた濃緑の翡翠玉を妻の手に握らせた。
「三十年」
「え?」
「そう言われたんだ。三十年経ったら、手放せ。手放すときを見誤るな――と。それまではこれがお前のなかにある治癒の力を助けるかもしれないけれど、それ以上はおかしなものを招くかもしれないからってな」
「おかしなものって、何」
「……さあ」
薬草師は肩をすくめた。
「危ないものなんじゃないの?」
「絶対に大丈夫だと言っていた。エイラはそんなふうに言い切ることは滅多になかったから、余程自信があるんだろう」
「……嘘つき」
「え?」
「それじゃ、エイラに会ったんじゃないの」
アレシアーナは泣きそうになり、ヒースリーは慌てる。
「隠そうとするなんて、浮気したんだわーっ」
「してないっ」
わっと彼の胸に顔を埋める妻に必死で言った。
「本当だ、会ったのは彼女の弟! 話しぶりによっては驚くほど似て見えたせいで、彼女から直接聞いたような気になっただけだ!」
「……本当?」
「ああ」
薬草師は力強くうなずいた。
「もし彼女に会えば、会ったと言うよ。おかしな誤解はやめてくれ。俺にはいつだって、お前がいちばんなんだからな」
言うとヒースリーは妻の髪に口づけた。アレシアーナは泣き真似をやめると不意にくすくす笑い出した。
「判ってるわ、旦那様」
そして彼女は顔を上げ、泣き真似だと知っていても本気で困る愛する夫に、笑いながら口づけた。