11 君のためによくない 

文字数 1,632文字

 美しい和音を残して弦楽器(フラット)の調べが消えていくと、酒場のなかにまばらな拍手が湧いた。
 なかなかきれいな顔立ちをした吟遊詩人(フィエテ)は、客が特にこちらを向いていなくても丁寧に一礼などしてみせる。
 歌声を披露してひと休みをしていると、夜の酒場などでは一夜の恋を求めて近づいてくる者があることも珍しくなかった。以前は、好みに適えばそれに応えることもあったけれど、このところはそのようなこととは無縁だった。寄ってくる相手をみな拒むと言うのではない。誰も、寄ってこないのだ。
 それは、そうであろう。女が、明らかに戦士(キエス)と見える男を連れに持っていれば。
「いつもながら、見事だな」
 ランドはにこにことしながら吟遊詩人を彼の卓に迎えた。
「ときどき、思うんだけど」
 クラーナは嘆息混じりに言った。
「君はよく、私の歌に飽きないね」
「そんな、もったいない」
 というのが、戦士のよく判らない答えだった。
「お前が隣にいるのを見ると、いまだに夢なんじゃないかと思うくらいだ。お前の歌も言葉も、何ひとつ聞き逃すもんか」
「言っておくけど」
 クラーナは嘆息した。
「君が故郷の町に帰るまでつき合うだけ、だからね」
 詩人に言葉にランドはうんうんとうなずいた。
「どこまで判ってるのかなあ、君は」
「判ってるさ」
「本当に?」
 クラーナは睨んだ。
「護衛兵の仕事を放って、素性の知れぬ吟遊詩人を追いかけて。砂漠へ足を踏み入れて、魔法の町で騒ぎを起こして。翡翠をあの薬草師に渡したことだけは褒めてあげたいけど、不思議なのは」
 彼女は言葉を切り、じっと戦士を見た。
「本当に、判ってる? 君がどうしてもって言うからこの格好でいるけど、本当の僕は男だし、この姿も、君と出会ったクラーナ嬢の姿とは厳密に言えば違うんだよ?」
「判ってるって」
 あっさりとランドは言った。
「そうは思えないんだけど」
 クラーナはまた嘆息をする。
「オルエンも、意地が悪い。私からこういった魔力を消すことだって、彼にはできただろうに」
「誰だって?」
「私の……昔の相棒さ」
 クラーナは苦い笑いを浮かべた。それだけであってほしいけどね、などとつけ加える。
「この前、見かけただろう。酒場で私と話していた若い男。あれは齢百を超す……もしかしたらそろそろ二百にでもなるのか、それとももっと長生きなのかな。大した魔術師で、死んだことで僕を酷い目に遭わせたくせに、ひょうひょうと生き返ってきて僕を悩ますんだ」
 ランドは複雑な顔をした。
「そうか。あれが……それじゃ、お前の昔の恋人なん」
「違うよ」
 最後まで言わせず、クラーナは否定した。
「たとえ私が女だって、いいや、クジナの趣味があったって、あんな男はご免だね。人を馬鹿にするにもほどがある」
 「恋人」はもとより、聞かされた話を思い出せば冗談にも嬉しくない。彼の適当な話からサズがした推測――オルエンが彼の父なのか――が、もしかしたら真実に近しいかもしれぬなど、洒落にもならないではないか。
 「その可能性は低いが」などと言ったオルエンの言葉はどこまで信じられるものか。第一、可能性があることすら信用できるものか、とクラーナは考えた。
 しかし怒ったように言った詩人の顔には――笑みが浮かんでいる。それを認めたランドは唸った。
「参ったな、六十年来のつき合いにはなかなか、勝てそうにない」
「……やっぱり、君の前でこの格好をしているのは、君のためによくない気がしてきたよ」
 クラーナは長い髪をかき上げながら、困ったように青年を見る。
「そう言わないでくれ」
 ランドは言った。
「男でもお前はお前だと判っているが……どうにも、手を握る気にはなれないんだ」
「ならなくて、いいんだけど」
「俺はなりたいんだよ」
「……それ以上はお断りだよ」
 彼女は三度(みたび)ため息をついて、その手を戦士が取るままにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み