3 王子の連れ
文字数 3,889文字
「で、どういう目論見なんだ? どうしてセラス・ファド……その、騎士様 が異国の王子を城に呼ぶ手伝いをするんだ」
何となく言い直して、エイラは問うた。シーヴはそれがな、と言う。
「レンとの結びつきを知っていると俺がほのめかしたのさ。婚約祝いを贈ろうかと考えている、とな。そうしたら、はっきりと否定した」
「決定してないんだから、そりゃ否定するだろ」
シーヴが何を言っているのか判らず、エイラはそう言った。青年は首を振る。
「俺は、正式な謁見の場で公式の回答を求めた訳じゃないんだぜ。『そのような話がある』のは事実なんだから、城の人間としちゃ口をつぐんでるのがいちばんだ。どっちに転んだにしたって下手な言い逃れをしなくて済むし、第一、決める立場にいない人間が口を出すことじゃない」
「じゃ、ファドック様はレンを避けようとしてるんだな」
当然のことだ――と思いながら、だが安堵を感じてエイラは言った。シーヴの片眉が上がる。
「知り合いなのか」
何の話だ、と言いかけて気づいた。一度は気を使ったのに、つい言い慣れた呼び方をしてしまった。護衛騎士を名で呼ぶことは城内では普通だったが、その習慣を知らなければずいぶん親しげに聞こえるだろう。
「ほら、あんただって知ってるじゃないか。私が城にいたって」
エイラが曖昧に言うと、シーヴも曖昧にうなずく。
「その、知ってるよ、殿下の護衛騎士 なんだから」
シーヴの目が探るようになる。
(尋ねてくれれば、いいのに)
エイラはそっと嘆息した。
(何を隠しているのかと。全部話せと言われれば、俺は〈鍵〉の意思に従うのに)
それは奇妙な惑い、苛立ちであったと言えよう。
全てを告げたいと思うのはエイルかエイラか、リ・ガンか。知られまいとするのは、どの存在なのか。
一方で、まただ、とシーヴは思う。
いったい彼の〈翡翠の娘〉は何に怯えるのだろう。
だがそれが何であろうと、守ってやりたいという思いに変わりはなかった。そう思うのははリ・ガンと〈鍵〉の絆ではなく、彼自身の心だと示唆したのはクラーナであったが、それが何を意味するのか。エイラを愛してでもいるかと自身に問えば、その回答は躊躇うことなく出てくる。否――である。
少なくとも彼自身はそう思っている。だが彼の砂漠の恋人ならば言うだろうか、いまは本気で否定できても、いずれそれができなくなる日がくるだろう、とでも。
「まあ、いい」
シーヴは続けることにした。
「そのファドック様 は」
わざとらしく強調するシーヴの言い様にエイラは顔を赤くした。これは皮肉だ。シーヴ自身にそのつもりはなくても、嫌味同然だ。
「レンを迎える気などさらさらない。それだったら、歓迎を蹴飛ばして逃げ出した第三王子のほうがましだと」
「な」
その言葉の意味するところに、エイラは目を丸くした。
「そんなところなんだろうな。俺もつい、そのようなことを口走っちまったし」
「何を言ったんだよっ?」
「ソレスがレンを否定したあとで、俺がシュアラ殿下にお目通りしたいと言ったのさ。そんなつもりじゃなかったが、考えてみればレンが嫌ならシャムレイはどうだと提案したも同然だ」
エイラは口をぱくぱくとさせた。
「おまっ……それじゃ」
「父上もそれを望んでいたしなあ、俺としちゃ、それでも別にいいんだが」
「いい訳っ、あるかっ!」
エイラはばっと椅子から立ち上がった。くらりとするものを覚えてそのまま座るが、目は第三王子をにらみつけるようにしている。
「何を取り乱してるんだ、実際にどう転ぶかは判らんぞ」
シーヴは眉をひそめてそんなエイラを見た。シュアラ王女に妬いているなどと自惚れもしないが――まさか自分に妬いている、とは思うまい。
「転ばせてたまるかっ、あのな、シュアラ――殿下をお前みたいな放蕩王子にやると思ったら大間違いだからな!」
びしっとシーヴに指を突きつけると、シーヴは面白そうな顔をしてエイラを見る。
(――しまった)
(こりゃ、完全に「エイル」だ)
「お前、もしかしたらシュアラ王女と親しいのか?」
「う、あ、その、親しいってほどじゃないけど」
たまに話をする程度だ、とそんなふうに言ったが、それは思わず男女の仲という方向に発想が行ったからで、一般的に考えれば王女と談笑をしていた「エイル」は十二分に彼女と親しい。シーヴは口笛を吹く。
「何だ何だ。そんなことをいままで黙ってたのか。別にかまわんがな、それならお前こそ、王女に招かれようと思えば簡単なんじゃ」
「無理だよっ」
「どうして」
シーヴは尋ねた。
「あの可愛い王女様の機嫌でも損ねたか?」
「んなの……そんなのは、しょっちゅうだったさ」
「成程」
シーヴは苦笑した。
「つまりは、何度機嫌を損ねても許されたってことだろう? ならどうして、そのつてを使おうとしない」
「それは……」
エイラは言い淀んだ。いい機会だ、言ってしまえ――と頭のなかで声がする。馬鹿な、言えるものか――と反論もすぐに出た。
「その、あのときとは事情が違うんだ」
結局エイラは弱気な後者の声に従う。
「私はその……リ・ガンとして目覚めたことで見た目が……変わってしまって」
何とも控えめな言い方に、エイラは内心で苦笑した。
「見た目が?」
シーヴは意味が判らない、と言うような顔をする。当然だろう。
「そうなんだ。だから、シュアラ王女に会っても……」
「向こうが判らないだろうと言うのか? それほど……その、変わったのか?」
シーヴは理解しようと勉める。エイラはうなずきかけ、首を振った。
「おかしな言い方だと思うだろうけど、自分ではどれくらい変わったのか判らないんだ」
「ますます、意味が判らんが……」
シーヴの言葉にエイラはそうだろうと思った。詳細を省きすぎている。
「似ているだろうとも思う。だから……もしもあんたが首尾よく城に招かれても、私は――」
「行かないとか言うなよ。俺だけ行って何の意味があるんだ」
本当にシュアラ王女に求婚するしかないじゃないか、などとシーヴは言って、「エイル」をむっとさせる。
「行くよ! ただ魔術師の格好を……いや、それじゃレンみたいだな」
王子の連れが魔術師ではレンと同様、いや〈魔術都市〉などでない分、もっと奇妙で不自然だ。
「俺が以前の訪問のときに連れていったのは、従者役の少年がひとり。……男装でもするか?」
「やめてくれ」
エイラはげんなりと言った。それでは、却って困るというものだ。
「冗談だよ。だがどうしてそんなことを言う。戻ってきたことを知られると困る相手が城内にいるのか」
シーヴの問いにエイラはうなずいた。青年は考えるようにして言う。
「姿を変える魔術とかは知らないのか」
「そんな便利なもん、あるかもしれないけど私は知りもしないね」
言って、エイラはそうかと思った。
「顔を変えることはできないけど、違う印象を作ることはできるかも。師は」
リックを思い出すと少し胸が痛んだ。
「魔術師のふりをすることでリ・ガンであることを隠せと言った。リ・ガンには魔力に似たものはあっても魔術師ではないのだから、ただの魔術師ならばリ・ガンのはずはない、と。確か、魔力をまとう、って言い方をした」
「……それが?」
魔術のことなどエイラ以上に判らないシーヴは、首をかしげながら続きを促す。
「魔力をまとう。魔力の仮面みたいなものをかぶるんだ。全く顔を変えることはできなくても、印象を変えることはできる。ちょっとした……化粧みたいなもんだな」
嫌な記憶を思い出しながら、エイラは言った。
「うん、それなら何とかなるかもしれない。ただ、その、そうだな……私を連れとして城に行くっていうなら、ひとつ」
エイラの言葉にシーヴは顔を上げた。
「何だ」
「――名前を間違えないでほしい」
「……何だって?」
シーヴが問い返すのは、エイラの依頼――リティという偽名――を忘れた訳ではなく、それでは誰にも気づかれたくないのだ 、と思い至ったからである。
「会いたくない相手というのは、それじゃひとりじゃないんだな」
「そうなんだ。……変わったことを知られたく、ないんだ」
まさか気づかれるはずもない、とは思う。
仮に似ていると思われたところで、「何だか似ている」で終わるのが関の山だろう。いまのエイラはあの日に演じた田舎の姫エイラ嬢とは異なり、ドレスを着ず、化粧をしなくても、どこからどう見ても女なのだ。
ただ、エイラの名を使えば、勘のいいファドックは必ず何か気づく。シュアラだって、エイル少年と似た――どれくらい似ているのだ?――エイラ嬢を見れば、奇妙に思わないはずもない。
「……判った」
シーヴはやはり、詳しい事情を聞かぬままでうなずいた。
「だが、リャカラーダ王子の連れとなれば、もう少し華やかな名前がほしいところだな」
「何だよ、それ」
「気をつけるが、うっかりしないとも言えんし、リティ……エイラ……そうだな」
シーヴはにやりと笑った。
「よし、これなら呼び違えかけてもごまかせるな。リティアエラ で行こう」
「……それって」
「そう 。艶やかな紅い花だ」
大きな花弁を持つ、「エイル」でも知っているような花の名前を口にして、シーヴはエイラに天を仰がせた。
何となく言い直して、エイラは問うた。シーヴはそれがな、と言う。
「レンとの結びつきを知っていると俺がほのめかしたのさ。婚約祝いを贈ろうかと考えている、とな。そうしたら、はっきりと否定した」
「決定してないんだから、そりゃ否定するだろ」
シーヴが何を言っているのか判らず、エイラはそう言った。青年は首を振る。
「俺は、正式な謁見の場で公式の回答を求めた訳じゃないんだぜ。『そのような話がある』のは事実なんだから、城の人間としちゃ口をつぐんでるのがいちばんだ。どっちに転んだにしたって下手な言い逃れをしなくて済むし、第一、決める立場にいない人間が口を出すことじゃない」
「じゃ、ファドック様はレンを避けようとしてるんだな」
当然のことだ――と思いながら、だが安堵を感じてエイラは言った。シーヴの片眉が上がる。
「知り合いなのか」
何の話だ、と言いかけて気づいた。一度は気を使ったのに、つい言い慣れた呼び方をしてしまった。護衛騎士を名で呼ぶことは城内では普通だったが、その習慣を知らなければずいぶん親しげに聞こえるだろう。
「ほら、あんただって知ってるじゃないか。私が城にいたって」
エイラが曖昧に言うと、シーヴも曖昧にうなずく。
「その、知ってるよ、殿下の
シーヴの目が探るようになる。
(尋ねてくれれば、いいのに)
エイラはそっと嘆息した。
(何を隠しているのかと。全部話せと言われれば、俺は〈鍵〉の意思に従うのに)
それは奇妙な惑い、苛立ちであったと言えよう。
全てを告げたいと思うのはエイルかエイラか、リ・ガンか。知られまいとするのは、どの存在なのか。
一方で、まただ、とシーヴは思う。
いったい彼の〈翡翠の娘〉は何に怯えるのだろう。
だがそれが何であろうと、守ってやりたいという思いに変わりはなかった。そう思うのははリ・ガンと〈鍵〉の絆ではなく、彼自身の心だと示唆したのはクラーナであったが、それが何を意味するのか。エイラを愛してでもいるかと自身に問えば、その回答は躊躇うことなく出てくる。否――である。
少なくとも彼自身はそう思っている。だが彼の砂漠の恋人ならば言うだろうか、いまは本気で否定できても、いずれそれができなくなる日がくるだろう、とでも。
「まあ、いい」
シーヴは続けることにした。
「その
わざとらしく強調するシーヴの言い様にエイラは顔を赤くした。これは皮肉だ。シーヴ自身にそのつもりはなくても、嫌味同然だ。
「レンを迎える気などさらさらない。それだったら、歓迎を蹴飛ばして逃げ出した第三王子のほうがましだと」
「な」
その言葉の意味するところに、エイラは目を丸くした。
「そんなところなんだろうな。俺もつい、そのようなことを口走っちまったし」
「何を言ったんだよっ?」
「ソレスがレンを否定したあとで、俺がシュアラ殿下にお目通りしたいと言ったのさ。そんなつもりじゃなかったが、考えてみればレンが嫌ならシャムレイはどうだと提案したも同然だ」
エイラは口をぱくぱくとさせた。
「おまっ……それじゃ」
「父上もそれを望んでいたしなあ、俺としちゃ、それでも別にいいんだが」
「いい訳っ、あるかっ!」
エイラはばっと椅子から立ち上がった。くらりとするものを覚えてそのまま座るが、目は第三王子をにらみつけるようにしている。
「何を取り乱してるんだ、実際にどう転ぶかは判らんぞ」
シーヴは眉をひそめてそんなエイラを見た。シュアラ王女に妬いているなどと自惚れもしないが――まさか自分に妬いている、とは思うまい。
「転ばせてたまるかっ、あのな、シュアラ――殿下をお前みたいな放蕩王子にやると思ったら大間違いだからな!」
びしっとシーヴに指を突きつけると、シーヴは面白そうな顔をしてエイラを見る。
(――しまった)
(こりゃ、完全に「エイル」だ)
「お前、もしかしたらシュアラ王女と親しいのか?」
「う、あ、その、親しいってほどじゃないけど」
たまに話をする程度だ、とそんなふうに言ったが、それは思わず男女の仲という方向に発想が行ったからで、一般的に考えれば王女と談笑をしていた「エイル」は十二分に彼女と親しい。シーヴは口笛を吹く。
「何だ何だ。そんなことをいままで黙ってたのか。別にかまわんがな、それならお前こそ、王女に招かれようと思えば簡単なんじゃ」
「無理だよっ」
「どうして」
シーヴは尋ねた。
「あの可愛い王女様の機嫌でも損ねたか?」
「んなの……そんなのは、しょっちゅうだったさ」
「成程」
シーヴは苦笑した。
「つまりは、何度機嫌を損ねても許されたってことだろう? ならどうして、そのつてを使おうとしない」
「それは……」
エイラは言い淀んだ。いい機会だ、言ってしまえ――と頭のなかで声がする。馬鹿な、言えるものか――と反論もすぐに出た。
「その、あのときとは事情が違うんだ」
結局エイラは弱気な後者の声に従う。
「私はその……リ・ガンとして目覚めたことで見た目が……変わってしまって」
何とも控えめな言い方に、エイラは内心で苦笑した。
「見た目が?」
シーヴは意味が判らない、と言うような顔をする。当然だろう。
「そうなんだ。だから、シュアラ王女に会っても……」
「向こうが判らないだろうと言うのか? それほど……その、変わったのか?」
シーヴは理解しようと勉める。エイラはうなずきかけ、首を振った。
「おかしな言い方だと思うだろうけど、自分ではどれくらい変わったのか判らないんだ」
「ますます、意味が判らんが……」
シーヴの言葉にエイラはそうだろうと思った。詳細を省きすぎている。
「似ているだろうとも思う。だから……もしもあんたが首尾よく城に招かれても、私は――」
「行かないとか言うなよ。俺だけ行って何の意味があるんだ」
本当にシュアラ王女に求婚するしかないじゃないか、などとシーヴは言って、「エイル」をむっとさせる。
「行くよ! ただ魔術師の格好を……いや、それじゃレンみたいだな」
王子の連れが魔術師ではレンと同様、いや〈魔術都市〉などでない分、もっと奇妙で不自然だ。
「俺が以前の訪問のときに連れていったのは、従者役の少年がひとり。……男装でもするか?」
「やめてくれ」
エイラはげんなりと言った。それでは、却って困るというものだ。
「冗談だよ。だがどうしてそんなことを言う。戻ってきたことを知られると困る相手が城内にいるのか」
シーヴの問いにエイラはうなずいた。青年は考えるようにして言う。
「姿を変える魔術とかは知らないのか」
「そんな便利なもん、あるかもしれないけど私は知りもしないね」
言って、エイラはそうかと思った。
「顔を変えることはできないけど、違う印象を作ることはできるかも。師は」
リックを思い出すと少し胸が痛んだ。
「魔術師のふりをすることでリ・ガンであることを隠せと言った。リ・ガンには魔力に似たものはあっても魔術師ではないのだから、ただの魔術師ならばリ・ガンのはずはない、と。確か、魔力をまとう、って言い方をした」
「……それが?」
魔術のことなどエイラ以上に判らないシーヴは、首をかしげながら続きを促す。
「魔力をまとう。魔力の仮面みたいなものをかぶるんだ。全く顔を変えることはできなくても、印象を変えることはできる。ちょっとした……化粧みたいなもんだな」
嫌な記憶を思い出しながら、エイラは言った。
「うん、それなら何とかなるかもしれない。ただ、その、そうだな……私を連れとして城に行くっていうなら、ひとつ」
エイラの言葉にシーヴは顔を上げた。
「何だ」
「――名前を間違えないでほしい」
「……何だって?」
シーヴが問い返すのは、エイラの依頼――リティという偽名――を忘れた訳ではなく、それでは
「会いたくない相手というのは、それじゃひとりじゃないんだな」
「そうなんだ。……変わったことを知られたく、ないんだ」
まさか気づかれるはずもない、とは思う。
仮に似ていると思われたところで、「何だか似ている」で終わるのが関の山だろう。いまのエイラはあの日に演じた田舎の姫エイラ嬢とは異なり、ドレスを着ず、化粧をしなくても、どこからどう見ても女なのだ。
ただ、エイラの名を使えば、勘のいいファドックは必ず何か気づく。シュアラだって、エイル少年と似た――どれくらい似ているのだ?――エイラ嬢を見れば、奇妙に思わないはずもない。
「……判った」
シーヴはやはり、詳しい事情を聞かぬままでうなずいた。
「だが、リャカラーダ王子の連れとなれば、もう少し華やかな名前がほしいところだな」
「何だよ、それ」
「気をつけるが、うっかりしないとも言えんし、リティ……エイラ……そうだな」
シーヴはにやりと笑った。
「よし、これなら呼び違えかけてもごまかせるな。
「……それって」
「
大きな花弁を持つ、「エイル」でも知っているような花の名前を口にして、シーヴはエイラに天を仰がせた。