4 大河を越えて
文字数 3,623文字
人を探しているのだ、とランドは言った。そのあとを追って慣れた島を離れ、こうして大陸をうろついているのだと。
「女か?」
「ああ。残念なことに、俺の女じゃないがな」
「何だ、惚れた女のケツを追っかけてるってのか?」
「まあ、そんなところだ」
ランドは悪びれもせずに言った。
「きれいな……吟遊詩人 でな。俺なんかは相手にされなかったが……どうしてももう一度会いたいんだ」
「けっこうな理由だな」
シーヴは言った。呆れたのでも茶化すつもりでもないがそう聞こえたのだろう、戦士は肩を落とした。
「情けないことは判ってる。女なんていくらでもいるし、吟遊詩人なんて流れ者だ。俺のことも覚えていないに決まってる。でも」
「お前さんの情熱は判ったよ」
シーヴは片手を上げてランドの熱弁をとめた。
「それで、その吟遊詩人とやらが砂漠の町にいるだなんて何故思う」
「彼女は失われたものを探していると言った」
「ああ」
青年はうなずく。
「〈失われた詩 〉ってやつか」
伝説の吟遊詩人ツゥラスが残した歌の数々は、この果てなき世界のどこまでも広まっており、リル・ウェンの北端であってもファランシアの南端であっても、同じ歌が歌われると言う。
伝説の吟遊詩人ツゥラスは神界へ行き、七大神と語らったとまで言われる神話めいた存在だ。彼が残した歌の数々は、この果てなき世界のどこまでも広まっており、リル・ウェンの北端であってもファランシアの南端であっても、同じ歌が歌われると言われている。
だが、そのツゥラスが作った歌は全てが伝わっている訳ではないと言う。時間の流れのなかでいくつか散逸した、それらが〈失われた詩 〉と言われるものだった。
もちろん、ただの伝説だ。失われたものをどうやって見つけられると言うのか、何かを見つけたとしてどうして「それ」だと判るものか。だが「それ」を求めて旅する詩人もいるらしい。吟遊詩人など夢想家が多いものだが、それにしても夢想すぎるというものだ。
「砂漠には、あるというじゃないか。その、詩が」
「知らんよ」
シーヴは肩をすくめる。
「だいたい、どうして『失われた』ものが『ある』なんて噂になるんだ」
「知らんよ」
今度はランドが返した。
「だが、詩人たちの間では聞く話らしい。本気にする奴も少ないだろうが」
「お前の恋人は本気にした、と」
「恋人、ならいいんだがなあ」
男はため息をつく。
「彼女らしき詩人が、この辺りから大河を越えて東の町に発ったって話を聞いたんだ。スラッセンってのはその辺にあるんだろう?」
「らしいな」
行ったことはないし、行こうと思ったこともなかったので――彼は別に冒険が好きで旅をしている訳ではないのだから――具体的な場所は知らなかった。
「だから、俺はそこに行こうと思う。だがそのためには案内人が要る」
「そりゃ上等な考えだ」
シーヴは言った。どうやら猪突猛進の気があるらしいこの戦士が、何の装備もせずに砂漠に突入しなかったのは上出来だと言っていい。
「それが俺か」
「頼む。砂漠には詳しいだろう」
「少なくともお前よりはな。だが、スラッセンについては噂くらいしか知らんぞ」
「それでもいい」
「お前はよくても、俺はどうだ」
「報酬なら」
ランドは腰に付けた袋を探り出した。
「金 はあまりないが……スラッセンまで連れていってもらえれば、これを渡そう」
シーヴは面白そうに、男が何を取り出すのか見守った。彼は金に困ってなどいないのだから、この話が道標だと感じる心を信じるならば、無報酬でこの馬鹿げた話に乗ってもいいのだ。「馬鹿げた」話ならば、彼だって抱えている。
だが――次の瞬間、笑みを浮かべていた彼の顔つきは真剣なものに変わった。
「……本当に、道標か」
「何だって?」
「いや」
シーヴは杯の中身を飲み干した。
「いいだろう、ランド。その案内役、引き受けた」
男が卓の上に出したのは、数ファインの大きさを持つ見事な――翡翠玉だった。
ろくに砂漠を知らぬ男にその旅支度をさせるのは、装備の点でも心構えの点でも面倒なものだ。どれだけ念を入れても警戒しすぎると言うことはない、というのをたいていの人間は笑い飛ばす。
ただ幸いにして、ランドはシーヴを案内人として信じ、彼の忠告を素直に聞いた。
男は自ら言った通りに金 はろくに持っていなかったので、彼も多少の資金を出さざるを得なかったが、もちろんそれはかまわない。いくらか金はあっても路銀は節約したいところだが、それでもここは金を出し惜しむべきではないと判断した故だ。
大河の西を走るのに適した馬 は、砂漠には向かない。彼は、彼のいない間は好きに使っていいとの条件で、彼の馬をただ同然で宿に預けることができた。もし彼が帰らなければ──生死はともかく、この町に戻ってくるか判らない──そのまま使い続けていい、との約束もした。親しんだ愛馬であるから、でき得る限り引き取りたいところではある。
ともあれ、彼らはわずか一日で支度を済ませ、東の地へと歩を進めることになる。
北の地になれば、大河はますます広くなった。シャムレイの近くには誰が作ったのかも判らない橋が架けられていたが――使うのはその辺りに暮らすウーレとシーヴくらいのものだった――この付近では渡しを探さなければならない。
大砂漠へ行こうとする者は一年に一度もいないだろうが、砂漠の民と交易を試みる商人 も皆無ではない。彼らが雇う渡しを探すことは簡単だった。無論、渡しだけではとても生活できぬから、彼らの多く――と言ってもそれほど人数はいないのだが――は川漁師だった。
漁師兼渡し守に、商売をする風でもないこのふたり組が何のために砂漠へ行くのか訝しく思われれば渡し賃を吹っかけられるのではないかと思っていた。砂漠に「伝説」を探しに行く愚かな旅人ならば、行き着く先は死のみだろうとたいていの人間は考えるものだ。ならばその旅人に金 など不要、大河の西に残していけという訳だ。
運のいいことに彼らが出会った渡し守はそのようにがめつくなかった。しかし、このようなことで運を使い果たしたくもないものである。
「熱風、だな」
ランドは河の上で呟いた。
「水の上の風は心地よいものだと思っていたのに、ここは違うのだな」
「これでも充分、涼しいもんだぞ。水辺を離れればこれでは済まない」
シーヴは言いながら、このにわか相棒の出身地を思い返していた。
「海と比べるなら、潮の香りもないだろう。物足りないか?」
「少し、な」
島の男は笑った。
「海を知っているのか、シーヴ」
「沿岸を旅をしたことはある。それくらいで知っていると言えるほど、海が狭いとは思わんが」
「若いのに、あちこち回ってるんだなあ」
感心したようにランドは言った。
「戦士のようにも見えんが、いったい何で食ってるんだ?」
ようやくその疑問に至ったというように――事実、ようやく至ったのだろう――ランドは問うた。シーヴは笑う。
「町を治めている。その納税で食ってる」
「何だって?」
「冗談だ」
「そりゃ、あまり面白い冗談とは言えないな」
「だな。しくじった」
シーヴはけろりと言うと、それで言葉をとめる。
「何だ、言えないような暮らしをしてるのか」
「その日暮らしさ。お前と会ったときのように隊商の護衛をしてみたり、たまにだが、芸人 の一座に雇ってもらったり」
「トラントだって? お前、どんな芸を持ってる」
「大して面白いもんじゃないぞ」
「聞かせろよ」
「聞くより」
シーヴは仕方なしに隠しから数本の刀子を取り出した。
「見せた方が早い」
言いながらそれを一本ずつ宙に投げ上げると、両手を素早く動かして受け取り、投げ上げ、器用に宙空で踊らせて見せた。さすがに舟上であれば、そう高く投げ上げる訳にはいかなかったが。
これはウーレの子供と遊びながら身につけた技で、王宮でやったことはない。ヴォイドが見れば、武器をそのような遊びに使うなど、とでも嘆くことだろう。
「人の頭にナシアの実を乗せて、それに投げ当てるなんてこともやったな」
やったのは、一度だけだ。一座の長に請われてやったのだが、ウーレがそのような――人の命を弄ぶような――技を好まなかったので、それきり二度としなかった。ただ、彼自身にはそう言った危険な技でも成功させる自信はある。
「……そんなことまでできるのか。凄いと言うか……面白いな、お前」
「三日間くらいは、そう言われるようだ」
シーヴは刀子をしまった。
「お前が一旬もしないうちに、俺を雇ったことを後悔しないといいんだが」
俺のためじゃなくてお前のために、などと青年は言った。
「女か?」
「ああ。残念なことに、俺の女じゃないがな」
「何だ、惚れた女のケツを追っかけてるってのか?」
「まあ、そんなところだ」
ランドは悪びれもせずに言った。
「きれいな……
「けっこうな理由だな」
シーヴは言った。呆れたのでも茶化すつもりでもないがそう聞こえたのだろう、戦士は肩を落とした。
「情けないことは判ってる。女なんていくらでもいるし、吟遊詩人なんて流れ者だ。俺のことも覚えていないに決まってる。でも」
「お前さんの情熱は判ったよ」
シーヴは片手を上げてランドの熱弁をとめた。
「それで、その吟遊詩人とやらが砂漠の町にいるだなんて何故思う」
「彼女は失われたものを探していると言った」
「ああ」
青年はうなずく。
「〈失われた
伝説の吟遊詩人ツゥラスが残した歌の数々は、この果てなき世界のどこまでも広まっており、リル・ウェンの北端であってもファランシアの南端であっても、同じ歌が歌われると言う。
伝説の吟遊詩人ツゥラスは神界へ行き、七大神と語らったとまで言われる神話めいた存在だ。彼が残した歌の数々は、この果てなき世界のどこまでも広まっており、リル・ウェンの北端であってもファランシアの南端であっても、同じ歌が歌われると言われている。
だが、そのツゥラスが作った歌は全てが伝わっている訳ではないと言う。時間の流れのなかでいくつか散逸した、それらが〈失われた
もちろん、ただの伝説だ。失われたものをどうやって見つけられると言うのか、何かを見つけたとしてどうして「それ」だと判るものか。だが「それ」を求めて旅する詩人もいるらしい。吟遊詩人など夢想家が多いものだが、それにしても夢想すぎるというものだ。
「砂漠には、あるというじゃないか。その、詩が」
「知らんよ」
シーヴは肩をすくめる。
「だいたい、どうして『失われた』ものが『ある』なんて噂になるんだ」
「知らんよ」
今度はランドが返した。
「だが、詩人たちの間では聞く話らしい。本気にする奴も少ないだろうが」
「お前の恋人は本気にした、と」
「恋人、ならいいんだがなあ」
男はため息をつく。
「彼女らしき詩人が、この辺りから大河を越えて東の町に発ったって話を聞いたんだ。スラッセンってのはその辺にあるんだろう?」
「らしいな」
行ったことはないし、行こうと思ったこともなかったので――彼は別に冒険が好きで旅をしている訳ではないのだから――具体的な場所は知らなかった。
「だから、俺はそこに行こうと思う。だがそのためには案内人が要る」
「そりゃ上等な考えだ」
シーヴは言った。どうやら猪突猛進の気があるらしいこの戦士が、何の装備もせずに砂漠に突入しなかったのは上出来だと言っていい。
「それが俺か」
「頼む。砂漠には詳しいだろう」
「少なくともお前よりはな。だが、スラッセンについては噂くらいしか知らんぞ」
「それでもいい」
「お前はよくても、俺はどうだ」
「報酬なら」
ランドは腰に付けた袋を探り出した。
「
シーヴは面白そうに、男が何を取り出すのか見守った。彼は金に困ってなどいないのだから、この話が道標だと感じる心を信じるならば、無報酬でこの馬鹿げた話に乗ってもいいのだ。「馬鹿げた」話ならば、彼だって抱えている。
だが――次の瞬間、笑みを浮かべていた彼の顔つきは真剣なものに変わった。
「……本当に、道標か」
「何だって?」
「いや」
シーヴは杯の中身を飲み干した。
「いいだろう、ランド。その案内役、引き受けた」
男が卓の上に出したのは、数ファインの大きさを持つ見事な――翡翠玉だった。
ろくに砂漠を知らぬ男にその旅支度をさせるのは、装備の点でも心構えの点でも面倒なものだ。どれだけ念を入れても警戒しすぎると言うことはない、というのをたいていの人間は笑い飛ばす。
ただ幸いにして、ランドはシーヴを案内人として信じ、彼の忠告を素直に聞いた。
男は自ら言った通りに
大河の西を走るのに適した
ともあれ、彼らはわずか一日で支度を済ませ、東の地へと歩を進めることになる。
北の地になれば、大河はますます広くなった。シャムレイの近くには誰が作ったのかも判らない橋が架けられていたが――使うのはその辺りに暮らすウーレとシーヴくらいのものだった――この付近では渡しを探さなければならない。
大砂漠へ行こうとする者は一年に一度もいないだろうが、砂漠の民と交易を試みる
漁師兼渡し守に、商売をする風でもないこのふたり組が何のために砂漠へ行くのか訝しく思われれば渡し賃を吹っかけられるのではないかと思っていた。砂漠に「伝説」を探しに行く愚かな旅人ならば、行き着く先は死のみだろうとたいていの人間は考えるものだ。ならばその旅人に
運のいいことに彼らが出会った渡し守はそのようにがめつくなかった。しかし、このようなことで運を使い果たしたくもないものである。
「熱風、だな」
ランドは河の上で呟いた。
「水の上の風は心地よいものだと思っていたのに、ここは違うのだな」
「これでも充分、涼しいもんだぞ。水辺を離れればこれでは済まない」
シーヴは言いながら、このにわか相棒の出身地を思い返していた。
「海と比べるなら、潮の香りもないだろう。物足りないか?」
「少し、な」
島の男は笑った。
「海を知っているのか、シーヴ」
「沿岸を旅をしたことはある。それくらいで知っていると言えるほど、海が狭いとは思わんが」
「若いのに、あちこち回ってるんだなあ」
感心したようにランドは言った。
「戦士のようにも見えんが、いったい何で食ってるんだ?」
ようやくその疑問に至ったというように――事実、ようやく至ったのだろう――ランドは問うた。シーヴは笑う。
「町を治めている。その納税で食ってる」
「何だって?」
「冗談だ」
「そりゃ、あまり面白い冗談とは言えないな」
「だな。しくじった」
シーヴはけろりと言うと、それで言葉をとめる。
「何だ、言えないような暮らしをしてるのか」
「その日暮らしさ。お前と会ったときのように隊商の護衛をしてみたり、たまにだが、
「トラントだって? お前、どんな芸を持ってる」
「大して面白いもんじゃないぞ」
「聞かせろよ」
「聞くより」
シーヴは仕方なしに隠しから数本の刀子を取り出した。
「見せた方が早い」
言いながらそれを一本ずつ宙に投げ上げると、両手を素早く動かして受け取り、投げ上げ、器用に宙空で踊らせて見せた。さすがに舟上であれば、そう高く投げ上げる訳にはいかなかったが。
これはウーレの子供と遊びながら身につけた技で、王宮でやったことはない。ヴォイドが見れば、武器をそのような遊びに使うなど、とでも嘆くことだろう。
「人の頭にナシアの実を乗せて、それに投げ当てるなんてこともやったな」
やったのは、一度だけだ。一座の長に請われてやったのだが、ウーレがそのような――人の命を弄ぶような――技を好まなかったので、それきり二度としなかった。ただ、彼自身にはそう言った危険な技でも成功させる自信はある。
「……そんなことまでできるのか。凄いと言うか……面白いな、お前」
「三日間くらいは、そう言われるようだ」
シーヴは刀子をしまった。
「お前が一旬もしないうちに、俺を雇ったことを後悔しないといいんだが」
俺のためじゃなくてお前のために、などと青年は言った。