3 当てのない旅
文字数 3,970文字
第一侍従が心配したのは、何も身の危険ばかりではなかった。
シーヴが砂漠の民たちと何度も気ままな旅をしてきたとしても、それはやはり、彼を主と認めたものとの旅路だ。
リャカラーダであろうとシーヴであろうと、彼は王族としては型破りだし、非常に気さくだが、平民としては──どうにも尊大である。
西のどこぞの姫君とは違って金 の価値も金を稼ぐ手段も知っていたが、「ただのシーヴ」としてひとりで仕事を見つけ、かつ、それを長続きさせるのはかなりの難関だ。
ウーレたちに宿は必要ないし、彼らは狩猟も得意だから、民たちとの旅路でシーヴの財布が乏しくなることはなかった。それどころか、たとえば彼らの薬をシーヴが街で売っていたくらいだが、売れるものがなければ売る手管に長けていても仕方がない。
彼らはほかにも芸人 の真似事で客を取ったり、シーヴの知る占い師 とは異なりながらもそれに近いことができる者が隊商 にその技を求められたりしながら、路銀を得た。
シーヴならば、舌先三寸で占い めいたことならいくらでも口にできたし、冗談半分でやったこともあったが、予言が人に与える影響を知った――知りかけたいまとなっては、誰かにそんな偽の言葉を与えることは避けたかった。
この旅路にいくらかは宝石など持ってきていても、路銀を浪費するのはもちろん馬鹿げたことだ。
移動の足には馬があったが、つまりはそれも食わせなくてはならない。街の外ならば勝手に草でも食ませておけるが、壁の中ではそうもいかぬのだから、やはり彼は日銭を稼がなくてはならなかった。
彼は隊商と交渉をし、護衛としてただで、或いは格安で、巧くすれば雇われて、食事と寝場所――彼自身と、馬との――を手に入れた。だが、数日かそこらなら彼は「面白い男」と思われるが、一旬もつき合うと「あまり関わりたくない男」という評価を下されるらしい。
揉めごとを起こす訳ではなかったから出ていけと言われることはなかったが、また次に頼みたいだの、次の町までついてきてくれないかだのとは、言われそうになかった。
それでも護衛の仕事は、どこぞの少年が日々荷運びをしていたのに比べたら相当に高収入である。そして幸いにして、この王子殿下は質素な暮らしに慣れていたから、そうあくせくと日銭稼ぎをしなくても充分に満足のいく旅をすることができた。旅人たちが好む煩雑な宿に泊まり、やかましい食事処で飯を食い、酒の数杯も飲むのに財布の中身を確認しなくてもよいくらいに、という程度だが。
「よう、南の!」
かけられた声に顔をあげると、先の隊商で一緒だった男が彼に手を振っている。三十過ぎほどの戦士 だ。
「お前から見りゃ誰でも南の人間だろう、北島の」
杯を掲げてそれに答え、男が向かいに座り込むままにした。
「ランド、だったか?」
「物覚えがいいなあ、俺はお前の名前を忘れたが」
「シーヴだ」
言って笑う戦士に苦笑して名乗り直し、「北島の」男を眺めた。
確か、北方陸線から船で何日もいったところにある島から出てきたと言っていた男だ。軽口を叩く男のようであったから、遠い島が出身と言うのもどこまで本当か判らないが、砂漠付近の出身でないことは一目瞭然だった。
「そうそう、シーヴだったな。どうだ、調子いいか」
「悪かないようだが、何か用か」
「ああ、ちょっと話がある」
「何だ?」
とりあえずは聞いてみようと、彼は気軽に尋ね返した。
「ええと、そうだな」
男は少しだけ言いにくそうにし、シーヴを手招きすると声を潜める。
「儲け話は、どうだ」
やってきた言葉にシーヴは思わず苦笑いした。
「俺はそんなに、与し易く見えるか?」
いささか庶民と感覚がずれているところは――不本意ながら――あるが、幸か不幸か世間知らずのお坊ちゃんではない。〈災い神 の水は甘い〉くらいのことはよく判っている。
「違う、騙すつもりなんかない」
ランドは真顔でそう言うが、騙すつもりだと認める詐欺師 もいないものだ。
「何のつもりでも、断る」
「そう警戒するなよ。聞くだけでいい、話に乗るか乗らないかはお前次第」
男は続けたが、シーヴはその弁舌を遮った。
「疑わしかろうとそうでなかろうと、俺は乗らない。ひとつ、俺は宝探しには興味がない。ふたつ、俺には連れは必要ない。三つ、俺には時間がない。悪いがほかを当たってくれ」
ぴしっと言うと、ランドはしょんぼりしたようだった。
「……何だ。お前は冒険心が強そうだと踏んだんだが、俺の勘違いか」
「今年中は忙しいんだ。来年になれば、もっと忙しいが」
言いながら彼は肩をすくめた。
「もっと時間のあるときに声をかけてもらえればよかったよ、ランド」
そう言って手を振ると「北島の」男は渋々と言った調子で立ち上がりかけ――首を振るとまた同じ椅子に腰を下ろした。
「聞くだけでいい」
シーヴは嘆息した。
ランドがどう彼を騙そうとしているのか、それとも本当に何か儲け話を持ってきたのか、興味がない訳ではない。昨年までのシーヴならば、面白がって話を聞いただろう。騙されたふりなどして、相手をからかうのも一興だ。だが彼には――時間がない。
シャムレイを出て、ひと月近くが経った。
当てのない旅――「当てを探す」旅は、彼を西の地ではなく何故か北に導いていた。
まっすぐ北上をした訳ではなく、西へ行っては戻ってきたりを繰り返したから、直線で測ればまだ――移動距離の割には、シャムレイを遠く離れてはいなかった。
砂漠も、まだ遠くない。いや、まだ――近い。
「スラッセンの町」
ふと、彼の耳にその言葉が飛び込んできた。
「大河を越えた大砂漠 側に町があるって話を知ってるか?」
「あんた、この辺は短いのか」
つい、シーヴはランドの言葉に応じていた。
「砂嵐のなかで暮らしてる民がいるのは本当だ。だが、スラッセンと言ったか? そこは町なのか何なのかも判らない、奇怪な連中が閉じこもっている場所だという専らの噂だ。訪れる者もいないと言うが」
「ふむ、成程」
「成程、じゃない」
乗ってしまいそうな自分を戒めながら、シーヴは唸った。
「何で俺なんだ、もっと拾いやすそうなのが大勢いるだろうが」
シーヴは酒場中を指してみせた。
「選り取り見取りじゃないか」
「だから、俺はそのなかでお前さんに目をつけたんだ、ってことさ」
「断る」
「聞いてくれって。あんたが必要なんだ」
「見込み違いだ、俺は宝探しなんて興味ないって言ってるだろう」
「頼む、案内してくれるだけでいい」
ランドは声が大きくなってきたのに気づいて、また、それを低くした。
「あんたは、砂漠の民のことを知ってるだけじゃない、連中と親しいな?」
ここで改めて、シーヴは興味深そうに男を見た。
「何故そんなことを?」
「ふん」
ランドは肩をすくめる。
「聞きかじりだがね、あんたのその肩留め。変わった作りだ。その辺の市場で見たことがない。砂漠の民がそういった不可思議な細工をすると聞いたことがあるんだ」
シーヴは意外そうな顔をする。地味だし、もちろん高級でもないその飾りは、確かにウーレから渡されたものだ。目立つとは言い難いそれに気づくとは。
「別に隠すようなことでもないから、特に否定はしないが」
彼は言った。
「それが何なんだ? まさか大砂漠 に入って、スラッセンに行きたいのか?」
「当たりだ 」
ランドはにっと笑い、シーヴの興味を引く。
「俺は砂漠の町に行きたいんだ。それには、砂漠の民の協力が要る」
「いったい、どこでそんな与太話を聞いた?」
「何だよ……まさか単なるお伽話だとか、言わないだろうな」
どこか不安そうにランドは言った。シーヴは首を横に振る。
「スラッセンは実在する。行ったことはないが、そのはずだ。ただ、滅多なことじゃ余所者を受け付けない。砂漠の民であっても、門は開かれないと言うぞ」
「それだ」
「どれだ」
嬉しそうに言うランドにシーヴは呆れるが、男はおかまいなしである。
「そういう話を俺にしてくれる奴を探してたのさ。頼むぜ、シーヴ。もちろん、礼はする」
ランドは両手を合わせた。どうやら「儲け話」とやらは、案内人への報酬というところか。
そんな時間はない。シーヴは一蹴しようとして、だが躊躇う。
東。
砂漠の町。
彼自身の、あまりにも当てのない目的を追求するなら、ここで他者の夢――だか何だか知らないが――に関わる暇などない。彼自身言ったように、時間は限られているのだ。
だと言うのに。
その砂漠の町への道しるべは、まるで彼のためにたったいま立てられたかのように、見逃しようがないものだった。
(これは……道標 なのか?)
〈予言〉が蘇る。
(占い師 は道標を見落とすなと言った、それなのか?)
(俺の道は、東に……あるのか。だから北線にも、唯一の手がかりのアーレイドにも近寄ろうとしないで、砂漠の横面をうろついているのか、俺は)
「どうだ、シーヴ」
考えるように黙った東方の男に、北の戦士が問う。
「砂漠の民にも、色々ある」
シーヴは言った。
「俺は、この辺りの民は知らん。大して力にはなれんな」
「そうつれないことを」
「だが」
ランドの言葉を遮って続けた。
「もう少し話を聞こうか。スラッセンが実在するのかも危ぶむお前がどうして、そこに行きたいのか。それに」
にっと笑った。
「俺の、報酬についてもな」
シーヴが砂漠の民たちと何度も気ままな旅をしてきたとしても、それはやはり、彼を主と認めたものとの旅路だ。
リャカラーダであろうとシーヴであろうと、彼は王族としては型破りだし、非常に気さくだが、平民としては──どうにも尊大である。
西のどこぞの姫君とは違って
ウーレたちに宿は必要ないし、彼らは狩猟も得意だから、民たちとの旅路でシーヴの財布が乏しくなることはなかった。それどころか、たとえば彼らの薬をシーヴが街で売っていたくらいだが、売れるものがなければ売る手管に長けていても仕方がない。
彼らはほかにも
シーヴならば、舌先三寸で
この旅路にいくらかは宝石など持ってきていても、路銀を浪費するのはもちろん馬鹿げたことだ。
移動の足には馬があったが、つまりはそれも食わせなくてはならない。街の外ならば勝手に草でも食ませておけるが、壁の中ではそうもいかぬのだから、やはり彼は日銭を稼がなくてはならなかった。
彼は隊商と交渉をし、護衛としてただで、或いは格安で、巧くすれば雇われて、食事と寝場所――彼自身と、馬との――を手に入れた。だが、数日かそこらなら彼は「面白い男」と思われるが、一旬もつき合うと「あまり関わりたくない男」という評価を下されるらしい。
揉めごとを起こす訳ではなかったから出ていけと言われることはなかったが、また次に頼みたいだの、次の町までついてきてくれないかだのとは、言われそうになかった。
それでも護衛の仕事は、どこぞの少年が日々荷運びをしていたのに比べたら相当に高収入である。そして幸いにして、この王子殿下は質素な暮らしに慣れていたから、そうあくせくと日銭稼ぎをしなくても充分に満足のいく旅をすることができた。旅人たちが好む煩雑な宿に泊まり、やかましい食事処で飯を食い、酒の数杯も飲むのに財布の中身を確認しなくてもよいくらいに、という程度だが。
「よう、南の!」
かけられた声に顔をあげると、先の隊商で一緒だった男が彼に手を振っている。三十過ぎほどの
「お前から見りゃ誰でも南の人間だろう、北島の」
杯を掲げてそれに答え、男が向かいに座り込むままにした。
「ランド、だったか?」
「物覚えがいいなあ、俺はお前の名前を忘れたが」
「シーヴだ」
言って笑う戦士に苦笑して名乗り直し、「北島の」男を眺めた。
確か、北方陸線から船で何日もいったところにある島から出てきたと言っていた男だ。軽口を叩く男のようであったから、遠い島が出身と言うのもどこまで本当か判らないが、砂漠付近の出身でないことは一目瞭然だった。
「そうそう、シーヴだったな。どうだ、調子いいか」
「悪かないようだが、何か用か」
「ああ、ちょっと話がある」
「何だ?」
とりあえずは聞いてみようと、彼は気軽に尋ね返した。
「ええと、そうだな」
男は少しだけ言いにくそうにし、シーヴを手招きすると声を潜める。
「儲け話は、どうだ」
やってきた言葉にシーヴは思わず苦笑いした。
「俺はそんなに、与し易く見えるか?」
いささか庶民と感覚がずれているところは――不本意ながら――あるが、幸か不幸か世間知らずのお坊ちゃんではない。〈
「違う、騙すつもりなんかない」
ランドは真顔でそう言うが、騙すつもりだと認める
「何のつもりでも、断る」
「そう警戒するなよ。聞くだけでいい、話に乗るか乗らないかはお前次第」
男は続けたが、シーヴはその弁舌を遮った。
「疑わしかろうとそうでなかろうと、俺は乗らない。ひとつ、俺は宝探しには興味がない。ふたつ、俺には連れは必要ない。三つ、俺には時間がない。悪いがほかを当たってくれ」
ぴしっと言うと、ランドはしょんぼりしたようだった。
「……何だ。お前は冒険心が強そうだと踏んだんだが、俺の勘違いか」
「今年中は忙しいんだ。来年になれば、もっと忙しいが」
言いながら彼は肩をすくめた。
「もっと時間のあるときに声をかけてもらえればよかったよ、ランド」
そう言って手を振ると「北島の」男は渋々と言った調子で立ち上がりかけ――首を振るとまた同じ椅子に腰を下ろした。
「聞くだけでいい」
シーヴは嘆息した。
ランドがどう彼を騙そうとしているのか、それとも本当に何か儲け話を持ってきたのか、興味がない訳ではない。昨年までのシーヴならば、面白がって話を聞いただろう。騙されたふりなどして、相手をからかうのも一興だ。だが彼には――時間がない。
シャムレイを出て、ひと月近くが経った。
当てのない旅――「当てを探す」旅は、彼を西の地ではなく何故か北に導いていた。
まっすぐ北上をした訳ではなく、西へ行っては戻ってきたりを繰り返したから、直線で測ればまだ――移動距離の割には、シャムレイを遠く離れてはいなかった。
砂漠も、まだ遠くない。いや、まだ――近い。
「スラッセンの町」
ふと、彼の耳にその言葉が飛び込んできた。
「大河を越えた
「あんた、この辺は短いのか」
つい、シーヴはランドの言葉に応じていた。
「砂嵐のなかで暮らしてる民がいるのは本当だ。だが、スラッセンと言ったか? そこは町なのか何なのかも判らない、奇怪な連中が閉じこもっている場所だという専らの噂だ。訪れる者もいないと言うが」
「ふむ、成程」
「成程、じゃない」
乗ってしまいそうな自分を戒めながら、シーヴは唸った。
「何で俺なんだ、もっと拾いやすそうなのが大勢いるだろうが」
シーヴは酒場中を指してみせた。
「選り取り見取りじゃないか」
「だから、俺はそのなかでお前さんに目をつけたんだ、ってことさ」
「断る」
「聞いてくれって。あんたが必要なんだ」
「見込み違いだ、俺は宝探しなんて興味ないって言ってるだろう」
「頼む、案内してくれるだけでいい」
ランドは声が大きくなってきたのに気づいて、また、それを低くした。
「あんたは、砂漠の民のことを知ってるだけじゃない、連中と親しいな?」
ここで改めて、シーヴは興味深そうに男を見た。
「何故そんなことを?」
「ふん」
ランドは肩をすくめる。
「聞きかじりだがね、あんたのその肩留め。変わった作りだ。その辺の市場で見たことがない。砂漠の民がそういった不可思議な細工をすると聞いたことがあるんだ」
シーヴは意外そうな顔をする。地味だし、もちろん高級でもないその飾りは、確かにウーレから渡されたものだ。目立つとは言い難いそれに気づくとは。
「別に隠すようなことでもないから、特に否定はしないが」
彼は言った。
「それが何なんだ? まさか
「
ランドはにっと笑い、シーヴの興味を引く。
「俺は砂漠の町に行きたいんだ。それには、砂漠の民の協力が要る」
「いったい、どこでそんな与太話を聞いた?」
「何だよ……まさか単なるお伽話だとか、言わないだろうな」
どこか不安そうにランドは言った。シーヴは首を横に振る。
「スラッセンは実在する。行ったことはないが、そのはずだ。ただ、滅多なことじゃ余所者を受け付けない。砂漠の民であっても、門は開かれないと言うぞ」
「それだ」
「どれだ」
嬉しそうに言うランドにシーヴは呆れるが、男はおかまいなしである。
「そういう話を俺にしてくれる奴を探してたのさ。頼むぜ、シーヴ。もちろん、礼はする」
ランドは両手を合わせた。どうやら「儲け話」とやらは、案内人への報酬というところか。
そんな時間はない。シーヴは一蹴しようとして、だが躊躇う。
東。
砂漠の町。
彼自身の、あまりにも当てのない目的を追求するなら、ここで他者の夢――だか何だか知らないが――に関わる暇などない。彼自身言ったように、時間は限られているのだ。
だと言うのに。
その砂漠の町への道しるべは、まるで彼のためにたったいま立てられたかのように、見逃しようがないものだった。
(これは……
〈予言〉が蘇る。
(
(俺の道は、東に……あるのか。だから北線にも、唯一の手がかりのアーレイドにも近寄ろうとしないで、砂漠の横面をうろついているのか、俺は)
「どうだ、シーヴ」
考えるように黙った東方の男に、北の戦士が問う。
「砂漠の民にも、色々ある」
シーヴは言った。
「俺は、この辺りの民は知らん。大して力にはなれんな」
「そうつれないことを」
「だが」
ランドの言葉を遮って続けた。
「もう少し話を聞こうか。スラッセンが実在するのかも危ぶむお前がどうして、そこに行きたいのか。それに」
にっと笑った。
「俺の、報酬についてもな」