10 好き勝手に操る、ということ

文字数 2,707文字

「我が都市のことでしょうか、殿下(カナン)? レンにご興味をお持ちですか?」
 寝台の横に立っていたのは、見知らぬ若い女、二十歳ほどの娘だった。シーヴは唸り声を上げて刀子を抜く。小さなそれを握ると右腕はやはり痛んだが、かまうつもりはなかった。
「また、そのような真似をなさるのですか。おやめください、情の(こわ)い」
 女は眉をひそめた。シーヴはじっと警戒をする。
「……忙しいことだな、俺を相手に何人もの術師を送るか」
「誤解をされておいでです」
 女は笑った。
「わたくしですよ、リャカラーダ様。違う肉体では、お判りいただけませんか?」
「――ミオノールか」
 苦々しいものを覚えながら、シーヴはその名を口にした。以前に彼に手を差し伸べたときと同じ百合(フオル)の香りがしたように思った。
その通りです(アレイス)。嬉しゅうございますね、違わずに見当ててくださいますとは」
「何の真似だ。それがお前の本当の姿か」
「これくらいに若い方がよろしゅうございましたか?」
 艶然として笑むその顔は、彼の見知るミオノールとは全く異なるにも関わらず、全く同じ印象を残した。
「それでしたら申し訳ありませんと言わねばなりません。わたくしの身体は……殿下に傷つけられたものですから、まだこういった移動には耐えないのですよ」
 シーヴは言われた意味を考えるようにじっと見知らぬ女――それともミオノールを見た。
「ここにあるのは私の心だけ。この肉体はただの入れ物です」
「成程」
 彼は判ったというようにうなずいた。つまり、彼が刀子をこの娘に振るっても、ミオノールを傷つけることにはならないという訳だ。予防線か、それとも脅迫かな、と砂漠の王子は考えた。
「何の用だ」
「お会いしたかった、ではいけませんか」
「恨み言を言うために?」
 シーヴは口の端を上げた。
「とんでもございません。傷はいまでも酷く痛みますけれど、殿下を責めるような真似はいたしません。それどころか、私はますます」
「俺に惚れた、と?」
 彼は先取った。女は笑う。
「ええ」
 ミオノール――の心を持つ娘――はすっと手を伸ばすとシーヴの左手を取った。彼はそれを振り払う。
やめろ(・・・)
「情の強い」
 彼女はまた言った。
「それで、惚れ抜いたついでに殺しにきたか」
「どうしてそのように不吉なお考えをするのです?」
 女は寂しそうに笑った。
「殺すときは我が手で――と言うことと、いますぐに命を断とうとするのは異なるものです」
「それはつまり、先の楽しみにとっておけ、と」
「ご理解がお早くて助かります、殿下」
 ミオノールは何とも美しい礼をしてみせると艶めいた微笑みを浮かべた。青年は寒いものを覚える。
「何をしにきた」
「お判りではありませんか」
「何であろうと、お前の話を聞く気などないがな」
 シーヴの台詞にミオノールはため息をついた。
「殿下はひとつも、わたくしの望みを叶えてくださいませんね」
「何故、俺がそのようなことをせねばならん」
「まあ」
 ミオノールは驚いたように目を見開いた。
「殿下は、等価交換、と言う言葉をご存知ありませんか」
「等価だと」
 青年は繰り返した。
「俺がお前から、換えねばならぬ何を受けたと言うんだ」
「砂漠の恋人に――再会を」
 シーヴは顔をしかめた。
「あれはただの、お前たちの策略だろう。俺の心からエイラを薄くさせようと言う」
「それもないとは申しません。けれど私は、ただ殿下に喜んでいただきたかったのですよ」
「好き勝手に操って、喜ばせるも何もないな」
「好き勝手に」
 ミオノールは繰り返すと面白そうに目を細めた。
「殿下は、ご存知でない。好き勝手に操ると言うのは」
 女の手が奇妙な動きをした。シーヴははっとするが――何の力もない彼には、それを防ぐことはできなかった。
「このようなことを言うのです」
 ミオノールは寝台に腰を下ろすとシーヴの頭に手を伸ばし、それを彼女の方に向けると唇を合わせた。彼はそれに抗うことができない。熱いものが喉を通った――ような気がした。
「私の身体ではないのが少し、残念ですが」
 女は口づけをやめたが、顔はほとんど離さないままでそう囁いた。
「このような簡単な縛りの術ではなく、殿下のご意志とは無関係に、私を抱いていただくように仕向けることも可能です。これが」
 女は指を鳴らす。
「好き勝手に操る、ということ」
 シーヴは猫のように身軽に女の前から飛び退いた。ミオノールは笑う。
「相変わらずお優しい。私のものではないこの身体を傷つけることを……厭われましたね」
 シーヴは歯がみをした。見抜かれている。目前の身体がミオノールのものならば、彼は――たとえ無駄でも――飛びかかって、腕の一本くらいへし折ってやるものを。
「けれど殿下。同時にそれは臆病でもあります。そのような弱さは何の勝利も生まぬもの。それならばむしろ、抗うことなく素直に欲情に火をつけて、この身体を抱こうとしてくだされば――」
 女はまた笑った。シーヴは不意に、頭痛を覚える。
「悦びのうちに、眠りにつくことができましょうに」
 彼は口に甘い味が残っていることに気づいた。何かを飲まされたのだ、と思う間にも頭の痛みは酷くなっていく。
「私の申し出を覚えておいでですか、殿下?」
 ミオノールの声がぼんやりと聞こえだした。シーヴは痛む頭を抱える。
「私は以前にも申し上げました。わたくしの館にご招待いたしましょう、と。殿下はそれを断られましたが、改めて申し上げます。このような宿は殿下には相応しくありません」
「そのような冗談は……もう、たくさんだ」
 ふらつきだした身体に気づきながらも、シーヴは言った。ミオノールが感心したような顔をするのまでは見て取れなかった。
「殿下に魔力も、それに類する力もないというのは驚きですね。それとも……」
 女は考えるような口調で言った。
「一緒にいた吟遊詩人が、何か策を?」
 頭のなかに破鐘のような音を覚えながら、シーヴは女を睨みつけた。クラーナに手を出させる訳にはいかない。守ると言ったこともあれば、彼が「元」とは言え、リ・ガンであったと知れたら、この連中がどうするか。
「ああ、ご心配には及びませんよ、殿下」
 ミオノールはにっこりとした。シーヴの視界は霞がかっていて、幸か不幸かその笑みは見えない。
「彼のもとには、我が師ダイア様が向かっておりますからね――」
 その声が音となって彼の耳に届く頃には、シーヴの目の前は暗くなっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み