3 噂の吟遊詩人
文字数 4,464文字
ビナレス有数の大都市とまではいかないが、アーレイドは王を戴く街である。
突然の、ささやかな宴が決まったからと言って城中がてんやわんやになるほどのことはない。
仕事が増えて忙しくなるのは、主に厨房だった。
と言っても、エイルが働いているのは使用人たちのための食堂であり、王や王女、爵位を持つもつ御方々の貴い口に入るものは、作られる場所からして違う。
だから、宴が開かれるからと言って、エイルの仕事場に大きな影響が出ることはなかった。そう思っていたエイルは、トルスが呼び出されると知って驚いた。
「え? トルスも、あっちに行く訳?」
「おうよ」
料理長は胸を張った。
「このトルス様の腕前を甘く見るなよ、エイル。ミーリが頭を下げて頼みにくるんだからな、是非手伝って下さいませと」
ミーリというのは、上厨房の料理長だ。一度だけ姿を見たことがある。
「それって」
エイルは平然と言った。
「人手不足も極まれり、だね」
「言ったな、このガキめ。俺の料理は、まあ、お偉いさんの舌には合わないことは否定せんがな、ミーリをはじめ、上厨房の連中はみんな俺の飯を食いたがるんだぞ」
トルスはふん、と笑った。
「つっても、別に奴らの賄いをする訳じゃない。芸術家ばりのミーリの装飾にかかれば、俺様の皿だって違和感なく陛下方の卓に乗せることができるって寸法だ」
「じゃあ、夜会の料理も出すんだね?」
「あったぼうよ。俺が皿洗いに呼ばれると思うか? まさかお前と一緒に、小姓の真似もできんぞ?」
トルスは顔をしかめてそう言った。飾り付きの可愛らしい上衣はエイルでさえ似合うかどうかぎりぎりの線と言ったところだ。それを思い出したエイルは、それを着たトルスを想像して吹き出し、料理長に頭をはたかれることになる。
――当の夜会は、そのわずか数日後だった。
トルスとエイルの抜けた下厨房の品目は普段よりも簡素なものになったが、それに不満を言う使用人たちはいなかった。みなが事情を知っているからだが、そのために我慢をしている訳でもない。城で宴があると、彼らにも何かしらのおこぼれがあるものだ。
当日は忙しいが、翌日は休憩を多めにもらえるし、余った上等の食材が下厨房に回ってきて、ささやかな贅沢を楽しめることもある。もちろん、そんなときでも厨房の人間たちは使用人たちのために働かなければならないもので、それを知る彼らは当日の仕事が杜撰だなどと調理人たちに文句を言ったりはしないのだ。
一方で――エイルは文句を言いたかった。
年下の「上品な」少年たちに囲まれて仕事をすることはいささか窮屈だったが、これも経験だと思うことにした。彼が閉口したのは、そんなことよりも料理の皿についてだ。
まず、皿。それ自体。
彼がこれまで見たいちばん上等なものでさえ、これらに比べれば無骨すぎた。限界にまで挑戦したのかと思うほどの薄い皿は、力を入れたら簡単に割れてしまいそうだ。うっかり壊してでもしまったら、何日分ただ働きしなければならないだろうか。
その薄い皿は運ぶ掌に料理の熱を強すぎるくらいに伝えたが、これは下町で鍛えた少年のこと、熱いから持てないなどとは言い出さない。
問題は、その飾り付けだ。
まるで絵師 が白い皿に自らの魂をぶつけたくなったとでもいうように、或いは魔術師 が白い皿に呪術をかけてみようとでもしたかのように、きれいとも奇妙とも言い難い紋様――模様――が色とりどりのソースで描かれる。
ソースなどは、じゃばっと上にかけるか、添えた小鉢に入れて食べ物をそれにつけるか、するものではないのか。ナイフを入れればすぐに崩れてしまうそんな「芸術」にどんな意味がある?
しかしエイル少年が料理長ミーリにそれを問う時間はなく、彼はその芸術を損なわないように皿を運ぶことにひたすら専念しなければならなかった。そのおかげで、と言おうか、アーレイド王陛下だの貴族の面々だのの目に晒される――実際には彼らは、給仕の少年たちのことなど全く気にしていなかったが――緊張などはかけらも感じずに済む。シュアラの視線だけは少し気になったが、姫君は「姫君」であることに忙しく、エイルを見つけても声をかけたりからかったりする訳にいかないようだ。
食事のための小さな部屋と称されるその広間は、夜だというのにこうこうと明るかった。
蝋燭や角灯、街灯のほのかでちらつく明かりとは比べものならない。太陽 の真下ほどには強くなく、揺らぎのない安定した光。それは、まるで昼間のように部屋の隅々までを照らしている。
伝え聞くところによると、そういう魔術が存在して、城ではそれを買っていると言うことだった。はじめは胡散臭く思ったが、成程、「夜会」などを開くには便利だろう。こういう上流の世界では、必要なものなのかもしれない。
それだけの財力を持つこの城の主マザド・アーレイド王をエイルが間近で見るのもはじめてであった。
彼は、威厳があると言うよりは温厚と言われる傾向の顔つきをした壮年の王だ。
重税も課さず、善政を敷くとされているのも顔つきからして納得だった。前王から位を受け継いで十年ほどになろうか。即位の式のことはエイルの記憶にあまりないが、人々がアーレイド王の家系が続くことを祝っていたことは確かだ。
その隣に腰掛けるシュアラ王女殿下は、小さな夜会のことであるから決して派手な衣装を身につけてはいないのだが、エイルがこれまで面会したときからは想像もできない「王女様」ぶりをみせていた。
光沢のあるドレスは品のいい薄い若草色。白玉の首飾りは簡素だが、価格を知ればエイルの目は飛び出んばかりになるだろう。長い髪はいつものように結い上げられていたが、編み込まれた小さな光玉は、少女が品よく笑って頭を動かすたびにきらきらと光った。
王のもう反対側に座っているのが、噂の吟遊詩人。
聞くところによると名はクラーナというらしい。年の頃は、二十代半ばから三十ほどに見える。
美形だと言い立てるほどではないが、華があるというのだろう。王族や貴族を相手に臆することなく語る声は確かに美しく、歌を聴く前からそれに期待させた。茶金色の髪は柔らかそうで、普段からなのか、宮廷に呼ばれたためなのか、丁寧に櫛を入れられているようだ。おそらくは城で用意されたのであろう革の衣装は上等かつ新品らしく、いささか青年に馴染んでいなかった。
ほかに長い卓で美麗な食事をとっているのは、クラーナを見つけてきたというジェール伯爵夫妻と、エイルも面識のあるセラー侯爵夫妻、それにもうひとりはキド伯爵だと聞いた。
王の食卓に招かれる光栄に預かったのはこれだけの人数だったが、クラーナが歌を披露する予定の刻限になれば、隣の大広間にほかの貴族たちも姿を現し、その口実である歌を聴いたり、非公式の政治的取り決めをしたり、教養があるだけの下らぬ喋りを交わしたり――するらしい。そういうものだと、エイルは聞いた。
貴族以外にも、この場に参加しているものはいた。
と言っても、卓を囲んで食事に参加しているという意味ではない。警護の人間だ。
ひとりは、エイルがちらりと見かけたことのあるケル・アルドゥイス近衛隊長であり、もうひとりは王女の護衛騎士ファドック・ソレスである。
エイルたちが忙しなく通る厨房への道を除けば、入り口の扉はひとつだった。ふたりは彫像さながらにそこに立って、一言も声を発さないばかりか、ぴくりとも動かない。まるで本当に彫像なのではないかと思うほどだ。
だがもちろんそれは生身であり、エイルは一度だけファドックと目が合った。その一瞬 に彫像の目は和んだように見えたが、少年の方は目を逸らしてしまった。彼が就いている仕事を考えれば緊張しているとでも思われるだろうし、決して不自然な動作ではなかっただろうが、何となく罪悪感のようなものを感じる。
彼は実際、ファドックを避けたいと思っているのだ。
「どうした、エイル」
厨房と、できた料理の皿を置く台の近くで息をつくエイルを見て、仕事の合間ににやにやと声をかけるのは、無論トルスである。
「元気がないじゃないか」
「そりゃ、ね」
じろりと自身の料理長を睨む。
「お貴族様たちに、はいよお待ちどおさん、ってやる訳にいかないだろ」
「やってみたら面白いだろうね」
トルスよりも少し年嵩のもう一人の料理長は澄ましてそんなことを言う。
「彼らは驚くよ。そんな口を利かれることにじゃなくて、皿を運ぶ機械が喋ったことに、ね」
「……けっこう、言うんだね、ミーリ料理長」
いくら上のお方たちに提供する食事を作っているとは言え、厨房の雰囲気ががらりとお上品だという訳ではなかった。用意する皿は少なくとも、品数や「装飾」は下厨房の比ではないし、時間の迅速さ、全ての皿を同じタイミングで仕上げねばならぬことなどにおいてはこちらの方が余程厳しい。
だがこの場所を仕切るミーリはトルスのような怒鳴り声を立てることはなく、給仕の少年たちに対しても丁寧だ。どちらかというとこの料理長を貴族のお仲間のように思っていたエイルは、ミーリの穏やかな口調に隠された――それとも、隠そうともされない――毒に驚く。
「大したことは言ってないよ。それに、僕らは彼らの下僕にすぎないんだし。なんて、お喋りの時間はないよ、そろそろ食後菓 に取りかからなくちゃね」
軽く手をぱんと叩いて料理長二人組は厨房に戻り、エイルは年下の「先輩」に呼ばれて持ち場に戻る。水だの酒だのをタイミングよく注ぐために、贅沢な卓の後ろに待機していなければならないのだ。
「そちの舞台が始まるまでにはまだ少し時間があるようだな」
最後の皿も綺麗に片づけられ、最上級のカラン茶が供されると、マザド王はおもむろに口を開いた。
「そちの登場を待ちわびておる者たちには悪いが、評判の歌声を先に聞かせてもらうとしよう」
「まあ、素敵ですわ、お父様」
シュアラが目を輝かせる。
「先ほどから、クラーナは不思議な話ばかり。それがどんな歌になっているのか、わたくし、ずっとわくわくしていますのよ」
「有難き幸せにございます、王女殿下」
青年詩人は卓についたままでできる優雅な礼をした。上手いものだ、とエイルは思う。彼ならば卓にぶつかって無様な音を立てるか、それのみならず茶杯をひっくり返しでもしそうだ。
「それではこのクラーナ、この度の光栄なるお招きと」
まずはマザドにそう言うと、再びシュアラを見た。
「姫君の可憐なお姿に覚えた感動を即興で歌わせていただきましょう」
可憐、との言葉に吹き出しそうになるのは、必死でこらえた。だが次の瞬間、そんな些細なおかしさを一瞬 で吹き飛ばすほどの衝撃がエイルを襲った。
「翡翠の宮殿の──歌を」
突然の、ささやかな宴が決まったからと言って城中がてんやわんやになるほどのことはない。
仕事が増えて忙しくなるのは、主に厨房だった。
と言っても、エイルが働いているのは使用人たちのための食堂であり、王や王女、爵位を持つもつ御方々の貴い口に入るものは、作られる場所からして違う。
だから、宴が開かれるからと言って、エイルの仕事場に大きな影響が出ることはなかった。そう思っていたエイルは、トルスが呼び出されると知って驚いた。
「え? トルスも、あっちに行く訳?」
「おうよ」
料理長は胸を張った。
「このトルス様の腕前を甘く見るなよ、エイル。ミーリが頭を下げて頼みにくるんだからな、是非手伝って下さいませと」
ミーリというのは、上厨房の料理長だ。一度だけ姿を見たことがある。
「それって」
エイルは平然と言った。
「人手不足も極まれり、だね」
「言ったな、このガキめ。俺の料理は、まあ、お偉いさんの舌には合わないことは否定せんがな、ミーリをはじめ、上厨房の連中はみんな俺の飯を食いたがるんだぞ」
トルスはふん、と笑った。
「つっても、別に奴らの賄いをする訳じゃない。芸術家ばりのミーリの装飾にかかれば、俺様の皿だって違和感なく陛下方の卓に乗せることができるって寸法だ」
「じゃあ、夜会の料理も出すんだね?」
「あったぼうよ。俺が皿洗いに呼ばれると思うか? まさかお前と一緒に、小姓の真似もできんぞ?」
トルスは顔をしかめてそう言った。飾り付きの可愛らしい上衣はエイルでさえ似合うかどうかぎりぎりの線と言ったところだ。それを思い出したエイルは、それを着たトルスを想像して吹き出し、料理長に頭をはたかれることになる。
――当の夜会は、そのわずか数日後だった。
トルスとエイルの抜けた下厨房の品目は普段よりも簡素なものになったが、それに不満を言う使用人たちはいなかった。みなが事情を知っているからだが、そのために我慢をしている訳でもない。城で宴があると、彼らにも何かしらのおこぼれがあるものだ。
当日は忙しいが、翌日は休憩を多めにもらえるし、余った上等の食材が下厨房に回ってきて、ささやかな贅沢を楽しめることもある。もちろん、そんなときでも厨房の人間たちは使用人たちのために働かなければならないもので、それを知る彼らは当日の仕事が杜撰だなどと調理人たちに文句を言ったりはしないのだ。
一方で――エイルは文句を言いたかった。
年下の「上品な」少年たちに囲まれて仕事をすることはいささか窮屈だったが、これも経験だと思うことにした。彼が閉口したのは、そんなことよりも料理の皿についてだ。
まず、皿。それ自体。
彼がこれまで見たいちばん上等なものでさえ、これらに比べれば無骨すぎた。限界にまで挑戦したのかと思うほどの薄い皿は、力を入れたら簡単に割れてしまいそうだ。うっかり壊してでもしまったら、何日分ただ働きしなければならないだろうか。
その薄い皿は運ぶ掌に料理の熱を強すぎるくらいに伝えたが、これは下町で鍛えた少年のこと、熱いから持てないなどとは言い出さない。
問題は、その飾り付けだ。
まるで
ソースなどは、じゃばっと上にかけるか、添えた小鉢に入れて食べ物をそれにつけるか、するものではないのか。ナイフを入れればすぐに崩れてしまうそんな「芸術」にどんな意味がある?
しかしエイル少年が料理長ミーリにそれを問う時間はなく、彼はその芸術を損なわないように皿を運ぶことにひたすら専念しなければならなかった。そのおかげで、と言おうか、アーレイド王陛下だの貴族の面々だのの目に晒される――実際には彼らは、給仕の少年たちのことなど全く気にしていなかったが――緊張などはかけらも感じずに済む。シュアラの視線だけは少し気になったが、姫君は「姫君」であることに忙しく、エイルを見つけても声をかけたりからかったりする訳にいかないようだ。
食事のための小さな部屋と称されるその広間は、夜だというのにこうこうと明るかった。
蝋燭や角灯、街灯のほのかでちらつく明かりとは比べものならない。
伝え聞くところによると、そういう魔術が存在して、城ではそれを買っていると言うことだった。はじめは胡散臭く思ったが、成程、「夜会」などを開くには便利だろう。こういう上流の世界では、必要なものなのかもしれない。
それだけの財力を持つこの城の主マザド・アーレイド王をエイルが間近で見るのもはじめてであった。
彼は、威厳があると言うよりは温厚と言われる傾向の顔つきをした壮年の王だ。
重税も課さず、善政を敷くとされているのも顔つきからして納得だった。前王から位を受け継いで十年ほどになろうか。即位の式のことはエイルの記憶にあまりないが、人々がアーレイド王の家系が続くことを祝っていたことは確かだ。
その隣に腰掛けるシュアラ王女殿下は、小さな夜会のことであるから決して派手な衣装を身につけてはいないのだが、エイルがこれまで面会したときからは想像もできない「王女様」ぶりをみせていた。
光沢のあるドレスは品のいい薄い若草色。白玉の首飾りは簡素だが、価格を知ればエイルの目は飛び出んばかりになるだろう。長い髪はいつものように結い上げられていたが、編み込まれた小さな光玉は、少女が品よく笑って頭を動かすたびにきらきらと光った。
王のもう反対側に座っているのが、噂の吟遊詩人。
聞くところによると名はクラーナというらしい。年の頃は、二十代半ばから三十ほどに見える。
美形だと言い立てるほどではないが、華があるというのだろう。王族や貴族を相手に臆することなく語る声は確かに美しく、歌を聴く前からそれに期待させた。茶金色の髪は柔らかそうで、普段からなのか、宮廷に呼ばれたためなのか、丁寧に櫛を入れられているようだ。おそらくは城で用意されたのであろう革の衣装は上等かつ新品らしく、いささか青年に馴染んでいなかった。
ほかに長い卓で美麗な食事をとっているのは、クラーナを見つけてきたというジェール伯爵夫妻と、エイルも面識のあるセラー侯爵夫妻、それにもうひとりはキド伯爵だと聞いた。
王の食卓に招かれる光栄に預かったのはこれだけの人数だったが、クラーナが歌を披露する予定の刻限になれば、隣の大広間にほかの貴族たちも姿を現し、その口実である歌を聴いたり、非公式の政治的取り決めをしたり、教養があるだけの下らぬ喋りを交わしたり――するらしい。そういうものだと、エイルは聞いた。
貴族以外にも、この場に参加しているものはいた。
と言っても、卓を囲んで食事に参加しているという意味ではない。警護の人間だ。
ひとりは、エイルがちらりと見かけたことのあるケル・アルドゥイス近衛隊長であり、もうひとりは王女の護衛騎士ファドック・ソレスである。
エイルたちが忙しなく通る厨房への道を除けば、入り口の扉はひとつだった。ふたりは彫像さながらにそこに立って、一言も声を発さないばかりか、ぴくりとも動かない。まるで本当に彫像なのではないかと思うほどだ。
だがもちろんそれは生身であり、エイルは一度だけファドックと目が合った。その一
彼は実際、ファドックを避けたいと思っているのだ。
「どうした、エイル」
厨房と、できた料理の皿を置く台の近くで息をつくエイルを見て、仕事の合間ににやにやと声をかけるのは、無論トルスである。
「元気がないじゃないか」
「そりゃ、ね」
じろりと自身の料理長を睨む。
「お貴族様たちに、はいよお待ちどおさん、ってやる訳にいかないだろ」
「やってみたら面白いだろうね」
トルスよりも少し年嵩のもう一人の料理長は澄ましてそんなことを言う。
「彼らは驚くよ。そんな口を利かれることにじゃなくて、皿を運ぶ機械が喋ったことに、ね」
「……けっこう、言うんだね、ミーリ料理長」
いくら上のお方たちに提供する食事を作っているとは言え、厨房の雰囲気ががらりとお上品だという訳ではなかった。用意する皿は少なくとも、品数や「装飾」は下厨房の比ではないし、時間の迅速さ、全ての皿を同じタイミングで仕上げねばならぬことなどにおいてはこちらの方が余程厳しい。
だがこの場所を仕切るミーリはトルスのような怒鳴り声を立てることはなく、給仕の少年たちに対しても丁寧だ。どちらかというとこの料理長を貴族のお仲間のように思っていたエイルは、ミーリの穏やかな口調に隠された――それとも、隠そうともされない――毒に驚く。
「大したことは言ってないよ。それに、僕らは彼らの下僕にすぎないんだし。なんて、お喋りの時間はないよ、そろそろ
軽く手をぱんと叩いて料理長二人組は厨房に戻り、エイルは年下の「先輩」に呼ばれて持ち場に戻る。水だの酒だのをタイミングよく注ぐために、贅沢な卓の後ろに待機していなければならないのだ。
「そちの舞台が始まるまでにはまだ少し時間があるようだな」
最後の皿も綺麗に片づけられ、最上級のカラン茶が供されると、マザド王はおもむろに口を開いた。
「そちの登場を待ちわびておる者たちには悪いが、評判の歌声を先に聞かせてもらうとしよう」
「まあ、素敵ですわ、お父様」
シュアラが目を輝かせる。
「先ほどから、クラーナは不思議な話ばかり。それがどんな歌になっているのか、わたくし、ずっとわくわくしていますのよ」
「有難き幸せにございます、王女殿下」
青年詩人は卓についたままでできる優雅な礼をした。上手いものだ、とエイルは思う。彼ならば卓にぶつかって無様な音を立てるか、それのみならず茶杯をひっくり返しでもしそうだ。
「それではこのクラーナ、この度の光栄なるお招きと」
まずはマザドにそう言うと、再びシュアラを見た。
「姫君の可憐なお姿に覚えた感動を即興で歌わせていただきましょう」
可憐、との言葉に吹き出しそうになるのは、必死でこらえた。だが次の瞬間、そんな些細なおかしさを一
「翡翠の宮殿の──歌を」