9 ここで終わりなのか

文字数 5,197文字

 市場を斜めによぎり、人混みが薄れてきても盗賊(ガーラ)たちは彼についてきていた。適当なところでぱっと駆け出すと、追ってくる。
(おっと)
(失敗したかな)
 シーヴは思った。
 掏摸(すり)を働くつもりなら人混みで寄ってくるだろうと思った。或いは、人前で難癖を付けて余所者を脅し、自らの縄張りで自らの力を誇示しようとでもしているか、と考えていたのだ。
 市場のなかで盗賊たちがそうしないのを奇妙に思いながらも、こうして人波を抜け、彼が尾行者に気づいていると見せれば諦めて次の獲物を探しに行くだろうと思っていた。
 だがそれは、間違っていた。
 男たちは追ってくる。彼を。
 シーヴは眉根をひそめた。これはほかでもない彼を標的とした、強盗狙いではないか。
(俺はそんなに金持ちに見えるかね?)
 先にクラーナに問うたようなことを思い浮かべる。確かに彼の荷にはシャムレイから持ってきた宝石の類が使われないままに眠っているが、盗賊(ガーラ)がどうやったらそれを見抜けると言うのだろう?
(そうか昨日)
 はっと思い出した。
(もっと寒さに耐える外衣を買おうと換金したな。あれを見られたか)
 早く宿に戻って暖まりたかったあまり、交渉もろくにせず、通常の相場よりも安値で簡単に応じた。それだけ金に困っていない、と見られた訳だ。
 引き返そうかとも思ったが、彼らに気づいていると知らせてしまったいまではもう遅い。撒くのも無理だ、地の利はどう考えても向こうにある。
(町なかで剣を抜くのは御法度だが、これは)
(本気で、応戦が必要かもしれん)
 朝市のざわめきが消えた人気のない見知らぬ角を素早く曲がると心を決めた。
 二対一、相手は彼を殺す気か、そうでなくても当分起き上がれないほど痛めつける気であるのは間違いない。クラーナの小言はどうあれ、今度こそ先手必勝、である。
 自信がある、とは言わない。
 剣の腕前があるとは言っても、それは正面きって堂々と刃を合わせればの話だ。シャムレイでの武術試合でいい成績を修めていることなどは励ましにはならなかった。自都市の第三王子打ち負かして恥をかかせようと考える愚か者、或いは身の程を教えてやろうと考える正直者などヴォイドくらいである、ということは承知していた。
 実際、ヴォイドには幾度も敗れた。侍従はもちろん侍従であって剣士ではなかったが、シャムレイ王室に仕える者の常として護衛になる程度は武器を使えたし、また経験も充分だった。シーヴは長身と言うほどでもなかったが、ヴォイドは彼よりも十ファイン近く高く、そこから繰り出される突きをかわすのは至難の技だったのだ。もちろんこれは、ヴォイドがシーヴの悪い癖をよく把握していたせいもあろうが。
 彼を平等に扱った砂漠の民ウーレの間で、シーヴの腕前はなかなかだった。ウーレの得意は剣よりも弓にあったことは否めないし、経験を積んだ戦い手には敵わなかったものの、同年代か少し上程度の若者たちの間ならまず負けることはなかったものだ。
 とにかく、シーヴは訓練を受けた剣士であるとは言えるだろう。
 しかし何よりいちばんの問題があった。それは彼が――シーヴであろうとリャカラーダであろうと――実戦の経験に乏しいということだ。
 彼の「無茶」は主にこうして旅に出ることや、夜を撤しての道行きだの、魔物への強襲だのと言った方向に発揮されていた。賊と斬り合ったり魔物を打ち倒したりしても、それはウーレたちとともに戦ったのであって、一対一――いや、今日は二対一だ――の命の切り結びなどしたことがない。
 まして、相手は判りやすくも剣を振りかぶって向かってくる戦士(キエス)ではなく、背後へ回り、裏をかき、足元をすくう盗賊(ガーラ)である。町なかでの多少の喧嘩騒ぎならばともかく、小悪党に背中を狙われる経験など、皆無だ。
(頼むから)
(やめてくれ)
 クラーナの声が耳に響いた。
 拙かっただろうかと思うと同時に、吟遊詩人がついてきてなければいいが、と思う。
 多少は不思議な力を持っているかもしれないが、クラーナが彼よりも戦いに向いているとは思えないし、万一、シーヴに何かあったとしたら――それを見せたくない、という気持ちがどこかにあった。
 信じていない、仲間意識などないとしながら、それはいささか奇妙な考えだったろうか。
(ええい、ままよ)
 シーヴはクラーナへ浮かんだ不可思議な思いを打ち切り、近づく足音と気配に全神経を集中させた。
 ぱっと姿を現したあばた顔の若者は、目標が路地の奥でなくすぐ隣にいることにぎょっとした顔をした。青年はその隙を逃さず、武器を取らせぬように男の右手首を掴むと全体重をかけてその鳩尾に肘を叩き込んだ。男がうめきだかわめき声だかをあげて身を二つに折れば、その後方からシーヴと相方を追ってきたもうひとりは当然、シーヴが何か反撃したと――正確には、先制攻撃だが――判るだろう。もう、奇襲は使えない。
(先に武器を抜いてくれりゃあいいんだが)
 盗賊(ガーラ)組織(ディル)の決まりごとは一般のそれよりだいぶ緩やか(・・・)だという。もちろん、町憲兵(レドキア)に捕らわれれば町の規範で裁かれることにはなるが、余所者である彼と町のちんぴらのどちらが憲兵にとって厄介ものかは判らない。面倒なのは掃いて捨てるほどいるちんぴらより、訪れては騒ぎだけ残して去っていく、後者であるかもしれないではないか?
 となれば、彼が先に法を犯すことはできない。騒乱罪で逮捕でもされれば、彼の目的から身分から何から、全てにおいて彼の望まない方向に行くのだから。
 もうひとりがたどり着く前に手前の男の立ち直りを遅くしておこうと、シーヴはうずくまる男の顔面を膝で思い切り蹴り上げた。そして一気に路地の奥へ駆ける、つもりだったが。
 その盗賊(ガーラ)は彼の目論見よりも頑丈で、青年の泥に汚れた長靴は地面に降り立つ前にばっと払われることになる。幸いにして目眩滅法だったようで捕まることはなかったが、それでも彼が均衡を崩し、駆け出す好機を逸するには十二分だ。
 そして、いま一人が彼の視界に飛び込んでくるにもまた、その数(トーア)で充分だった。
「この、ガキっ」
 状況を見て取った二人目は、さっと腰の小剣を抜いた。
「有難いね」
 シーヴは呟くとこれ以上なく迅速に脇に手をやると刀子を取り出し、そのまま流れるような動作で鋭いそれを投げる。狙いは過たず、刀子は剣を構えた男の右腕にざっくりと切りつけて落ちた。男は呪いの言葉を吐いて反射的に傷口に手をやる。その間に素早く細剣を抜いたシーヴは、右手から血を流しながら小剣を持つ男と、鼻血を出しながら短剣を構える男と、二つの怒りの形相に向かい合うこととなる。
 もし、彼らの考えが旅人の身ぐるみを剥ぐことだけで命を取る気まではなかったとしても、もはやそんな考えはもう懐かしい過去の思い出になっているに違いない。
「とんでもねえガキだ! 逃げるどころか、待ち伏せやがった!」
「大人しく金目のもんを差し出せば、その温かそうなおべべくらいは残してやってもよかったんだがなあ!」
 盗賊たちのだみ声に、シーヴは何とも返さない。
「威勢のいいのは終わりか、ガキ。いまのは罠にかかった野鼠の、必死の抵抗だったって訳か?」
 黄色い歯を剥き出しにして、腕を切られた男が憎々しげに言う。青年が怖れをなして口をきけないとでも考えたのだろう。だがもちろん、この砂漠の青年はじっと隙をうかがっていただけのことだ。言葉など出せば気が散るし、隙を見せることにもなる。
 ふたり組は、こちらがひとりだと思って余裕を見せ、彼に鼻面をしたたか叩かれたにも関わらず、まだ有利だと信じ切っている。いや、実際、シーヴは不利もいいところだ。だが、奴らの油断を見逃してはならない。
「異国のぼんぼんがいい気になりやがって。後悔させてやるぜ」
 雑言に思わず苦笑しそうだった。彼はまさしく、その通りのものだったからだ。
 これは悪くない反応だった。この皮肉な言われようを可笑しく思えるくらいには余裕があるということだ。彼は相変わらず何も言わないままで、もう一度剣をかまえなおすとすっと盗賊を睨んだ。正規の訓練を受けたその姿勢に隙はなく、優位にいる盗賊たちがふっと気圧されるのが判った。
 それを振り払うかのように短剣の男が突っ込んできた。シーヴは素早くそれを避けるが、すぐに小剣の男も切りかかってくる。そうなればそれに刃を合わせるしかないのだが、短剣の方に背後に回られればおしまいである。
 狭い路地であるから、そう簡単に彼の横を通り抜けることはできないが、それは同時に剣を思い切り振るえないことも意味する。小剣や短剣に比べ、シーヴの操る細剣は長い。突くならばよいが複数相手には向かないし、薙ぎ払うには不向きな場所だ。
 じり、じりと盗賊たちは迫る。
 両方を一度に相手どることはできない。ある程度以上の負傷を覚悟でどちらかを倒してしまわねば――とシーヴが剣を握る手に力を込めた、とき。
 どかっと鈍い音がして、シーヴの脇を抜けようとしていた短剣の男がつんのめる。驚いた顔で小剣の男がそれに気を取られた瞬間を逃さず、シーヴは盗賊の小剣をかわして浅く斬りつけた。踏み込みが一歩甘かった、と思ったときにはもう遅く、小剣の男は呪いの言葉を吐くものの、戦意は落ちていない。
「引っ込んでろ! お前には無理だ。さっさと逃げろ!」
 ようやく、路地の入り口に叫んだ。
「それじゃ君には無茶じゃないって言うのかい、そんなふうに追い詰められて!」
 青ざめた顔をした吟遊詩人は、武器ならぬ荷袋を投げつけたままの姿勢でそう返してきた。
町憲兵(レドキア)を――呼んだよ、盗賊(ガーラ)ども! 旅人を襲ってるところを見つからないうちにさっさと逃げるんだね!」
 叫んでいるのが吟遊詩人だと知った盗賊たちに少し動揺が走る。旅芸人(トラント)吟遊詩人(フィエテ)の類というのは、仲間が傷つけられたと知ればなかなかその町に寄り付かなかった。トラントたちがこないことを望むような偏屈者も少なかったから、自然、彼らは傷つけられにくくなる。
 盗賊たちですら、そうだ。詩人を選んで襲う盗賊というのはあまりいなかった。
 ただそれは選ばないだけで、行き合っても少し躊躇う、という程度にすぎなかったかもしれないが。
「兄い、どうす……」
「……町憲兵(レドキア)がくれば面倒だ」
 兄貴とされた小剣の男はうなる。シーヴは息を呑んだ。男の判断はどちらに下るのか。
「一気に片付けろ」
 シーヴは舌打ちして二度目の刀子を投げた。だが今度はその軌跡は読まれ、飛ばしたそれは容易に弾き落とされる。
「シーヴ!」
 クラーナが悲鳴のような声をあげる。彼が町憲兵を呼んだというのが本当か嘘かは判らなかったが、時間を稼げば何とかなるかもしれない。
「逃げろ、クラーナっ」
 叫びながらも、吟遊詩人がそうしないことは判っていた。短剣の男がクラーナに向かうのを目の端で見ながら、武器を持たぬ詩人が怪我をする前に目の前の兄貴分をどうにかしなければと焦った。焦りは禁物だと彼に助言したウーレの戦士も、ここにはいない。
 だがこれで一対一だ。シーヴは叫び声を上げると男に斬りかかった。
 防戦気味だったシーヴが突然攻勢に転じたことに盗賊は驚いたようだが、細剣に似合わぬ振りかぶり方をした青年の一撃を簡単に受け止める。だがシーヴは男の脳天をかち割ろうとした訳ではなく、受けられることは予期していた。
 力ずくで剣を合わせるのではなく、そのまま相手の手元に滑らせ、作りの粗末な相手の鍔に自身の上質なそれをぶつけるようにして無理矢理に敵の重心を崩した。予想外のシーヴの動きに男が迷いを見せた瞬間を見逃さず、刃を放すとそのまま後方へ身を流そうとし、衝撃を食らう。
 歴戦の盗賊は剣の武器となるところは刃だけではないと判っており、その柄で青年の胸を殴ったのだ。
 シーヴは思い切り息を吐き出してしまい、ふらついた。すぐに剣を構えなおそうとしたが、いくらか遅れた。
「これで」
 男の声がした。
「終わりだ、クソガキが!」
 粗末な小剣が陽光にきらめいた。
 終わりか、とどこか冷静に青年は考えた。
 ではここで終わりなのか。無茶を言ってはじめた旅は。
 シャムレイに帰る約束も、砂漠に帰る約束も果たせず。
 ようやく出会った〈翡翠の娘〉に再会することも――なく。
(――エイラ)
 脳裏に閃いたのは、燃えるような目をして怯えていた彼の〈翡翠の娘〉の顔だった。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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