10 来年の楽しみに

文字数 2,596文字

 シーヴは人に剣を教えたことなどなかったから、世辞にもよい師匠(キアン)とは言えなかった。
 だがそれでも短剣の握り方だのかまえ方だの、通常の長剣と全く違う基礎の基礎を学ぶことには問題なく、そう言った最低限のことが判れば、エイラもファドックに習ったことを応用できた。ときどきその応用は的はずれで、何度シーヴに「殺され」たか判らないが、不肖の師匠に対してエイラの方は上等な弟子だったと言えよう。
 周囲が「兄妹」の突然の稽古をどう思ったとしても誰も口を挟まなかった。ヒースリーは意外に思ったようだったが、エイラが自分とばかりいればシーヴが妬くと――青年は否定するだろう――考えていたので、こちらもまた何も言わなかった。第一、護身術を身につけるというのは、悪いことではない。
 隊商の荷馬車に寝台などはない。薄い布団を荷馬車にひくか、外に立てた天幕で眠るか、である。快適さはどちらも似たようなものだが、どちらかと言えば荷馬車の方が「上等」であろうか。
 旅の薬草師は厚遇されたが、便乗護衛の兄妹は天幕組だった。ヒースリーはエイラに荷馬車を提供しようとしたものの、エイラは礼を言って断った。どうせ、眠らないのだ。
 野営に慣れたシーヴはもちろん天幕を嫌がるどころか歓迎した。兄妹という触れ込みのふたりはやはり同じ天幕だったが、ほかにも隊商の人間がいたので、ヒースリーに対して妙な対抗意識を燃やすシーヴが彼女にどう出るか、というような怖ろしい心配はしないで済んでいた。
 怖ろしいのは、何も女として扱われることだけではない。
 こうして、シーヴの隣でエイラのままでいると、彼自身の本当の姿が薄れてくる気がする。それが怖ろしい。
 そして、フラスの街でふと浮かんだ思いがエイラの――いや、エイルの心を怖れさせていた。
 シーヴは〈鍵〉だ。
 リ・ガンはその感性に引きずられる。
 だから、もし、シーヴがエイラを女性として愛するようにでもなったら、やはりそれにも――引きずられるのではないのか。
 もし、シーヴが愛情から彼女を求めれば、エイラはそれに応じるかもしれない。
 引きずられるのだ。魔術的な強制や、〈鍵〉相手だから耐えるのではなく。
 〈鍵〉がリ・ガンを求めれば、リ・ガンはそれに応えるだろう。
 エイラにはそれが判っている。
 そして、それに嫌悪や恐怖を感じなくなっている。
 そのことが、怖ろしかった。
「エイラ、まだ寝てるのか」
 呼びかけられて、エイラは目を開けた。毎晩の眠りはもう、ほとんど彼女を訪れなくなっている。代わりにやってくるのは、西からの呼び声と不安ばかり。
「ああ……もう、起きるよ」
 しかし眠っている「ふり」をする。シーヴを心配させたくないこともあり、人の「ふり」を続けたいことも、あった。
「今日中にアイメアに着くだろう。ヒースリーは何か探ると言ってくれているが、どうする」
 シーヴが言うのを聞きながら、身を起こす。初めの頃ほどは、シーヴもヒースリーに反感を抱かなくなっているようだが、少なくとも協力してほしいという気持ちは浮かばないらしい。どうする、とエイラに問うのは、礼儀上のようなものだろう。ヒースリーはエイラの知人にして師匠であるのだし、シーヴがどうこう言えば「約束」を破ることにもなる。
「気持ちは有難いけれど、やっぱり彼は関わらない方がいいと思ってる」
 エイラは素直に言った。
「『ふたつの名を持つ者』については、気になるけれど、私たちの予言に彼を巻き込まなくてもいい」
 エイラの言葉にシーヴはうなずいた。ヒースリーを追い払えるとでも言うような、満足そうな様子はそこにはない。この件については彼も同じように考えているのだ。
 関わらずに済むのなら関わらない方がいい。
「そろそろ、フィロンドだな」
「ああ、冬の祭りか」
 アイメアの方向を眺めるようにして言ったエイラに、シーヴはいつぞやの会話を思い出してうなずく。
「祭りを……見ていくか?」
「馬鹿なこと言うなよ」
 エイラは顔をしかめた。
「知ってるだろう、時間はないんだ」
 アイメアで旅に疲れた身体を少しだけ休めて、すぐに西に発てば次に大きな街――アーレイド、になるだろう――に着く前に冬至祭(フィロンド)の時期は終わってしまうだろうか。アイメアに限らず、アーレイドと違う街の祭りを見る機会を逸するのは惜しい気もするが、のんびりする気にはなれない。
「そうだな、それじゃ」
 シーヴは言った。
「アイメアのフィロンドとやらは、来年の楽しみにしておこう。――いいな?」
 エイラは虚をつかれた気持ちになった。
 来年(・・)
 そんなものがくるのだろうか。
 翡翠を呼び起こし、穢れを払い、そして〈時〉の月に眠らせ、そうすれば〈変異〉の年は終わる。
 そのあと、自分には次の年があるのだろうか。
 考えたことはなかった。ない(・・)のかもしれない、などとは。
 役目を終えたリ・ガンがどうなるのか、などとは。
 ただのエイル少年にはもう戻れないと判っている。だが、リ・ガンとして――いまの形を持つエイラ、或いはエイルは、どうなのだ? いま歩んでいる道は、先へ続くのか?〈変異〉の年を越えても?
 シーヴもまた、自身の台詞に苦いものを覚える。来年になれば、彼はシャムレイに戻るのだ。
 どういう形でなのか、この奇妙な出来事が終わり、無事に彼の街へ帰ることができたならば、彼は二度と〈シーヴ〉には戻らない。そうなれば、エイラとともに旅をするなどできるはずもない。
 結婚をしようと、町を治めようと、やろうと思えば勝手に旅に出ることはできるだろう。だが彼はそれをしないと、誓ったのだ。
「来年、か」
 エイラはシーヴの言葉を繰り返した。
「そうだな。……アイメアの祭りを見てみたい、な」
「よし……決まりだ」
 シーヴは指を鳴らした。
「やることはさっさと、終わらせちまおう」
 エイラはうなずいた。
 道の先がどうなっていようと、もう足を止めることはできない。とめることができたとしても、止まる気はない。
 彼女はリ・ガンで、いまは〈変異〉の年なのだ。
 終わったあとのことは、そのときに考えればいい。
 「終わる」のが〈変異〉の年であろうと――リ・ガンという存在そのものであろうと。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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