04 惜しいな

文字数 3,622文字

「そうか」
 ファドックの言葉を知らぬシーヴは、奇妙な感覚を覚えることはない。
「だが、言ったろう」
 シーヴは思い出させるように、指を一本立てた。
「俺には魔力などない。エイラが大切な玉を何故そんな俺に預ける? 彼女が持っていた方が安全じゃないのか? また〈鍵〉の安全を思うのならば」
 自分で言いながら少し頬を歪めた。エイラに「守られる」というのはあまり嬉しい考えではない。
「レンに狙われるようなこんな楽しい魔法の品は俺から離しておいた方がいいはずだ。なのに何故、彼女はこれを俺に渡した?」
 言いながらシーヴは隠しに手を入れ、美しい楕円の曲線を持つ翡翠玉を取り出すとそれをもてあそぶようにした。スケイズはじっとそれを見る。
「力を得たか」
正解だ(レグル)
 シーヴはうなずいた。
「〈守護者〉がその守るべき翡翠とつながるように、俺はこれにつながるらしい。ぴんとはこないがね、リ・ガンのお墨付きさ。生憎とと言おうか、力を得たのは俺じゃない。――翡翠だ」
 彼はにやりとした。
「俺からこれを奪うのは厄介だぞ、ダイア」
「厄介か」
 スケイズは繰り返した。
「それが、何だ」
 沈黙が降りた。シーヴはしばし、スケイズの顔を推し量るように眺め、そこに何の逡巡も浮かばないことを知る。
「では」
 彼は言った。
「お前に何を言ったところで無駄だと言うことだな」
 別に説得する気などないが、などと彼は言った。
「無駄か」
 スケイズはまた、繰り返した。
「無駄なのはお前のお喋りではないか、リャカラーダ」
「そうだな」
 シーヴは彼を小馬鹿にしたような台詞に同意した。
「言うなれば、お前に隙ができないかと期待していたんだが、なかなか難しそうだ」
「それも、無駄だな」
 スケイズは淡々と評した。
「時間を無駄にしたくないのなら、選択肢はひとつだ。お前は私にその石を渡す。それだけ」
「よく言う」
 シーヴは笑った。
それだけ(・・・・)、ときた。本当にそれだけでお前の話が終わるのなら、俺は空だって飛んでみせるね」
「しかし、お前は言った」
 スケイズは変わらぬ調子で続けた。
「その玉はお前に属すると。ならば、たとえそれを手放させたところで、それはラインのものとはならぬ」
「理解が早いな。諦めたか」
 もちろん、本当に諦めたとは――思っておらぬ。
「それ故、逆に提案しよう、リャカラーダ。それを私に寄越したところで、玉はお前のものなのだろう。ならばそのままでよい。その緑色のものを渡せば、お前が駆けつけたい先へ送ってやってもよい」
「何だか投げやりな提案に聞こえるな」
 シーヴは計るようにスケイズを見た。
「だが裏があるだろうとも思う。万一に裏も表もなくたって、俺は――お前の提案には乗らんよ」
「そうであろうな」
 愚かだ、というような言葉は続かなかった。
「よいだろう。そうであれば最初に戻るだけだ、リャカラーダ。つまり」
 男の腕が上がった。
「力ずくということ」
 スケイズの手指が宙空にすうっと何本かの線を描く。シーヴは動玉をしっかりと掴もうとする――自身の指が、一本ずつ開いていくのに呪いの言葉を吐いた。
「やめておけよ、ダイア」
 彼は苦々しい声音で言った。
「悪いことは言わん」
 その台詞に、スケイズは少し面白そうに片眉を上げた。
「よせ」
 言うシーヴの手から、輝玉はまるで重さを持たぬ羽毛が宙に舞うように――ゆっくりと浮かび上がった。
「やめろ」
 彼は繰り返した。
「諦めろ。それは決してお前のものにも、アスレンのものにもならん」
「そうなれば、それはそのときのこと」
 スケイズはそんな言い方をして、深緑の宝玉を手元へと呼び寄せた。
「もう一度、いや何度でも言うぞ」
 シーヴはまるで諭すかの如くに言った。
よせ(・・)
 スケイズは無言でそれに答え、動玉を彼の左掌まで到達させると――苦痛の呻き声を上げた。だが男は、それを放り出しそうになるのを堪え、無理に握り締める。その息が荒くなり、翡翠を握った左手からはしゅうしゅう言う奇妙な音が聞こえ、煙のようなものが立ち出した。
「放せ、ダイア。判るか」
 シーヴは、男の左手で起きていることに驚愕しながら言った。
「翡翠は、お前たちの手には入らん。それを放し、さっさと帰ってお前の王子殿下にそう伝えろ。どうしても何かがほしけりゃ……次を探せとな」
「生憎と」
 スケイズは苦痛に歪む表情を隠そうとしながら言った。そこに浮かんだのは、シーヴが二度目に目にする──笑みであったろうか。
「俺に、次はないのだ。リャカラーダ」
「いい加減にしろ」
 青年はどこか焦ったように言った。
「左手が、燃えちまうぞ。手だけじゃ済まんかも、しれん」
 彼は顔をしかめながら言った。しゅうしゅうと言う奇妙な音は続き、肉の焼ける臭いが漂いだした。
 これは、言うなれば「趣味の悪い見せ物」だった。彼にはもちろんこれを喜ぶような気質はなかった。これは彼の意思ではなく――仮に望んだところで、このような仕組みを作る力はやはりない――エイラの意思でもなく、翡翠を守ろうという〈女王陛下〉の理であった。
「放せ」
 当人は認めぬだろうが、その声には、危惧すら混じったやもしれぬ。
いいや(・・・)
 それでも、男の声には感情は浮かばぬ。
「言ったろう。これを果たさねば、私に次はないのだ」
「お前は――」
 死ぬ気でいるのか、との言葉は発せず、シーヴはぞくりとした。
「これがレンのためになるのならば」
 出されなかった言葉を知って、スケイズは言った。
「ならん!」
 シーヴは鋭く、返答をした。
「翡翠は……決してお前らの役には立たん! エイラも俺もそれを認めない、だからそれを放せ!」
「放さぬ」
 スケイズはまた拒否をした。
 左手から煙が立つ。指は黒くさえ、なっていた。意志の力だけでその熱と痛みを無視していると言うのならば、こんなに怖ろしいことはなかった。強靭な精神でも抗えぬはずの痛みを叫び声も上げずに抑えつけていると言うのか。或いは魔術であるのやもしれなかったが、それにしても尋常ではない。
「三つ目は、もらっていく」
「させる訳もできる訳もなかろう!」
 シーヴは、何故自分の方が悲鳴めいた声をあげなければならないのかと憤りを感じながら、剣を――抜いた。
「お前の腕を切り落としてやっても親切にしかならないような気がするが」
「やってみるといい」
 スケイズが言うのは、しかし挑発ではなかった。
 シーヴにも判った。目前の魔術師は翡翠と戦うのに精一杯で――砂漠の王子に向けてどんな術だろうとかけることはできまい。彼の声に返答ができることすら奇跡的だと第三王子は思った。
「もう一度、言おう。その手を放せ、ダイア・スケイズ」
 シーヴは彼が知らぬはずの、スケイズと言う姓を含めて男を呼んだ。
「その選択はお前の望みを呼ばぬだけではない。お前の望まぬことを呼ぶ」
「――何だと」
 その台詞がスケイズに届いたのもやはり奇跡のようだったが、シーヴの方も驚いていた。自分が何を言い出したのか――判らなかったのだ。
「あの男を怖れるのか、スケイズ。何のために?……違うな、お前はアスレンを怖れるのではない。ならば、お前がそこまでするのは何なのか」
 いまや魔術師の左手はどす黒く、炭のようになりつつあった。苦痛を無視するどんな術を使っているのだとしても、自身の片手が焼け落ちていくのを前にしながら苦しみの気配すらその面に浮かべない様子は、まるで下手糞な戯画のようだった。
「お前は」
 シーヴは、自分の言葉が判らないままで、ただ浮かぶ台詞を口にした。
「死ぬ必要はない」
「――笑止」
 魔術師は短く言うと死んだ片腕が焼け落ちるに任せ、落下する玉を右の掌に受け止めては、同じ音を立てる。
「いい加減にしろ!」
 青年は叫ぶと大きく何かを掬い上げるような動作をした。翡翠玉はそのまま男の右手から――やはり羽毛のように――ふんわりと宙に飛ぶ。
 スケイズは、まるで夢を見てでもいるかのようにのろのろとそれに右手を伸ばし、そして均衡を保てぬかのように足元をふらつかせた。それは歩き方を覚えたばかりの子供のようだった。
「惜しいな」
 砂漠の青年は言った。
「お前がアスレンを抑えられなかったこと」
 彼はやはり、自分が何を言っているのかさっぱり判らずにいた。
「終わりだ、ダイア・スケイズ。お前はもう――眠れ」
 シーヴは無造作に右手を振り、そこから彼が発し得ないものを発した。彼の手の動きに従って空間は切り取られたかのように見え、魔術師は瞬時にそこに引き込まれた。
 男はやはり、その顔に何の感情をも――異空間に引きずり込まれるその最後の瞬間まで、見せぬままだった。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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