07 翡翠を隠したのは
文字数 4,035文字
権力者だからと言って魔術師協会がへいこらと従うことはなかったが、協会はこのところ、ゼレットの要望に対して失態を見せつづけている。「相手が悪かった」ということもあろうが、協会だってこれ以上、ゼレットの不興は買いたくないはずであった。
エイラは、術師が渋るようなら本当にゼレットを連れてくる心積もりでいたが――ゼレットもまた町にきているはずだし、探れば〈守護者〉の居所など彼女にはすぐ判り、近ければ声を届けることもできる――その自信が伝わったのか、受付の魔術師は少し慌てた様子で導師に連絡を取ったのだ。
「もちろん判ってるよ。協会はカーディル伯爵閣下に仕えてる訳じゃない。私は別に、閣下に命令させるとは言ってないんだ。ただ、導師の許可とやらを得るのに伯爵に紹介してもらえれば早いんじゃないかと思っただけさ」
「いいでしょう」
何度かカーディル城を訪れては奇妙な力の調査に携わった高位の術師は、協会の体面のための前置きをしたが、エイラがそれを理解しているらしいことは見て取って、ひとつうなずいた。
「オルエン術師はいささか変わった力と、敵 を持っていたようですね」
導師はずばりとそんな言い方をした。エイラは少し怯んだが、目をしばたたいてから身を乗り出す。
「敵、だって?」
「会うなり命を奪うような術をかける相手がいれば、それは敵ではありませんか」
「だろうね」
エイラは苦々しい実感を込めて言った。アスレンに再会すれば――彼女はそれくらいのことをやる、少なくともやろうとする、やろうと思うだろう。
たとえ敵わぬとしても。
「ひとつ、確認」
エイラは片手を挙げた。
「オルエン術師には、連れがいたね?」
「何かご存知のようですね」
導師は、保護の魔術の恩恵であろう、全く色褪せていない六十年前の記録帳を手にしながら眉を上げた。
「そう書かれてあります。吟遊詩人の女性が、ひとり」
エイラはうなずいた。オルエンというのがクラーナの口にしていた〈鍵〉の名であることは間違いなかったし、「女」の姿の方が翡翠を探すのに適しているというのもエイラと同じだ。
まさか「オルエン」の名が偶然に一致したということもないだろうと思っていたが、「吟遊詩人」まで一致しているのならば確実だろう。
――六十年前のその出来事はやはり、〈翡翠〉につながる。
「その詩人は、そのあとどうしたんだ」
「僕は、これで死ぬんだと思ったよ」
吟遊詩人は気軽に答えた。
「その魔術師に狙われたって意味じゃない。彼の狙いはオルエンだけだったからね。だけど、〈鍵〉の損失は僕の全身に死ぬような痛みと苦しみをもたらした。繰り返すけど、エイラにそれを味わわせたくなかったら無茶はやめるように」
「そう言った脅迫はよせ」
シーヴは顔をしかめた。
「忠告と言ってくれよ」
クラーナは睨む。
「君は、人には忠告するくせに、自分は聞かない」
吟遊詩人は指摘した。
「チェ・ラン少年しかり、ヒースリー青年しかり、だ。彼らが余計な危険に首を突っ込むと文句を言う前に、自分の行動を正したらどうだい」
「正す ?」
シーヴは繰り返した。
「俺の採る道は――誤っていると?」
それは皮肉や詰問ではなく――彼にしては珍しく、不安の色のにじんだものだった。クラーナはしばし黙り、口を開く。
「どうかな。何が正しいのかなんて」
吟遊詩人は半端にはじめた台詞を半端に終わらせて肩をすくめた。
「オルエンがね……その男を撃とうとしたのは、何も魔力を奪われた腹いせじゃない。彼は、それでもまた狙われたんだ。残りの……彼自身は残っていないと主張したけど、それだけの力を放てる魔力は残っていた。それをもまた奪われそうになったのさ。どうしてそんな羽目に陥ったのか、どうしたらそんなことが可能なのか、僕が彼から話を聞く時間は生憎となかったけれどね」
「吟遊詩人は無傷でしたし、そのまま町を去りました。特に協会 では追わなかったようです。ただ、この件には大きな力が関わっています。だからこの件を特別に記録し、こうして詳細を残したのでしょう」
「詳細……大きな力。まさか……」
エイラは顔をしかめた。
「敵さんは〈魔術都市 〉だとか言い出さないだろうな」
「少なくともそうは書かれていませんね」
思わずエイラは魔除けの仕草などをした。そんな話になったら――冗談ではない。
だが、もしも六十年前からレンが翡翠を狙っていたのなら、いままでにどうとでもできたはずだ。
〈変異〉の年でなければ、〈守護者〉はいてもリ・ガンはいないのだし、その間は〈翡翠の宮殿〉もつながりは薄くする。リ・ガンが要るのならば翡翠を手に入れてから、その誕生――目覚めを待てばいいだけだ。わざわざこの年になってから動くことはない。
つまり、翡翠を狙うのはレン ではなく、アスレン なのだ。
「大きな力と言うのは、オルエン術師のことです。彼は協会の幅広い基準で見ても、かなり特殊な術師だったようですね。観測された魔力の大きさは、少し風を動かしたか、という程度の微かなものだったのですが……」
「でもそれは、反射ですら一撃で人を殺せるほどの、ものだったんだろ」
エイラは迷いながら言った。それだけの強い術を彼女は知らない。知らないと思っている――と言うのが正しかったが。
「ええ、それも、術を放ち、返された当人が消し飛ぶほどの」
「消し……」
エイラは絶句した。それは、あまり想像したくない状況だった。
「参ったよ」
クラーナは言った。
「僕は、その年になるまでほとんど魔術の類に関わらなかった。正直に言って、何が起きたのかしばらく判らなかった。それでもオルエンが死んだことと、彼の内に残っていた最後の力が――僕に移ったことは知れた」
「……お前に?」
「そうだよ」
吟遊詩人は肩をすくめる。
「彼から力を受け継いだという訳じゃない。これは、女神様の決めた罰則。守れなかった相手の運命を担うように、と言う。だから僕のなかにあるのは彼の力そのものと言うより、その複写 だね」
シーヴはその意味は判らなかった。彼は首を振って、彼に理解できた――と考えられる――ことだけを問う。
「それじゃあ、お前の力はリ・ガンのものじゃなくてオルエンのものだと言うのか」
「大きなものはほとんどそうだね。リ・ガンの力もいくらかは残っているけれど」
「だから……お前は俺を〈塔〉の近くに跳ばせたり」
「俺をここに引っ張ったり――したのか……?」
エイラの台詞に導師は眉を上げた。
「はい?」
「いや」
娘は口のなかでもごもご言って、その独白をごまかした。
「おかしなことを聞くと思わないでほしいんだけど」
「今更、思いませんが」
導師は面白そうに言い、エイラはそれににやりとする。確かに、彼女は最初からおかしなことを聞いている。
「そのふたりの魔術師の戦いは、どこで起きた?……いや、こういう聞き方より、『カーディル城と何か関わりがなかったか』と尋ねた方がいいかな」
「城との関わり、と言われますか」
導師は少し躊躇うようにして、だが彼女が導師に紹介された経緯を思い出したか、続けることに決めたようだった。
「この事件とオルエン術師の話をするのなら、外す訳には参りませんね。しかし、私はこの記録が持つ意味は判りかねますよ」
導師はそう、前置いた。
「話す順番が少し逆になりましたが、放たれた術はこちらの方が先です。オルエン術師は、相手の魔術師に向かって攻撃を放つ前に……ほとんど同時と言ってもいいですね。ものすごい力です。これだけ高度なものを一瞬 でふたつ放つ」
「オルエンは何をしたんだよ?」
エイラは苛々と問うた。その記録を初めて目にしたのであろう導師はオルエンの技に感服しているようだが、彼女はそんなことを知りたいのではない。彼女の様子に気づいた導師は、失礼、と言って娘に視線を戻した。
「彼らの攻防は、町なかで起きました。しかしオルエン術師はそのとき、城に術を放っています。高度な術で読み解くのが難しいのですが……守り、に近いでしょうか」
導師は、文字を覚えたてのエイルが文章を読むときのように顔をしかめながら、その記録帳とやらを見た。
「何だって?……それじゃ」
「それじゃ、お前はこう言うのか?カーディル の翡翠を隠 したのは オルエンだ と」
「残念ながら本人に確認はできないんだけどね」
クラーナは肩をすくめる。
「六十年間かかって出した結論のひとつだよ」
「何故――そう思うんだ?」
「あのときの僕には判らなかったものが、少しずつ判るようになったんだ」
そんなふうに吟遊詩人は言った。
「その魔術師は、オルエンの死によって、求めた魔力が手に入らなくなったと知ったんだろう。そのまま去ったよ。まさか隣で呆然としていた僕に同じものが複写されてるとは思わなかったんだろうね」
魔術師には魔術師が判るものだが、複写されたそれは「似て非なる」ものだったので気づかれなかったとクラーナは肩をすくめた。
「おかげさまで長年、生き延びてるけれど」
「だが、判らんな」
シーヴは混乱しながら言った。
「何のためだ。何故、隠した」
「僕のため、かなあ。翡翠が城にあることは判っていたし、彼は……相手が彼の力だけじゃなくて翡翠を狙うと考えたんだろうか。そんなことに気を回す前に、自分を守ればよかったのに」
クラーナは淡々と言ったが、苦々しく思っている様子は隠しきれなかった。
「百年だかを生きたって、やりたいようにやる性格は変わらないのかな。君は死ぬ前に改善した方がいいよ、王子様。君には魔力はないんだから」
エイラは、術師が渋るようなら本当にゼレットを連れてくる心積もりでいたが――ゼレットもまた町にきているはずだし、探れば〈守護者〉の居所など彼女にはすぐ判り、近ければ声を届けることもできる――その自信が伝わったのか、受付の魔術師は少し慌てた様子で導師に連絡を取ったのだ。
「もちろん判ってるよ。協会はカーディル伯爵閣下に仕えてる訳じゃない。私は別に、閣下に命令させるとは言ってないんだ。ただ、導師の許可とやらを得るのに伯爵に紹介してもらえれば早いんじゃないかと思っただけさ」
「いいでしょう」
何度かカーディル城を訪れては奇妙な力の調査に携わった高位の術師は、協会の体面のための前置きをしたが、エイラがそれを理解しているらしいことは見て取って、ひとつうなずいた。
「オルエン術師はいささか変わった力と、
導師はずばりとそんな言い方をした。エイラは少し怯んだが、目をしばたたいてから身を乗り出す。
「敵、だって?」
「会うなり命を奪うような術をかける相手がいれば、それは敵ではありませんか」
「だろうね」
エイラは苦々しい実感を込めて言った。アスレンに再会すれば――彼女はそれくらいのことをやる、少なくともやろうとする、やろうと思うだろう。
たとえ敵わぬとしても。
「ひとつ、確認」
エイラは片手を挙げた。
「オルエン術師には、連れがいたね?」
「何かご存知のようですね」
導師は、保護の魔術の恩恵であろう、全く色褪せていない六十年前の記録帳を手にしながら眉を上げた。
「そう書かれてあります。吟遊詩人の女性が、ひとり」
エイラはうなずいた。オルエンというのがクラーナの口にしていた〈鍵〉の名であることは間違いなかったし、「女」の姿の方が翡翠を探すのに適しているというのもエイラと同じだ。
まさか「オルエン」の名が偶然に一致したということもないだろうと思っていたが、「吟遊詩人」まで一致しているのならば確実だろう。
――六十年前のその出来事はやはり、〈翡翠〉につながる。
「その詩人は、そのあとどうしたんだ」
「僕は、これで死ぬんだと思ったよ」
吟遊詩人は気軽に答えた。
「その魔術師に狙われたって意味じゃない。彼の狙いはオルエンだけだったからね。だけど、〈鍵〉の損失は僕の全身に死ぬような痛みと苦しみをもたらした。繰り返すけど、エイラにそれを味わわせたくなかったら無茶はやめるように」
「そう言った脅迫はよせ」
シーヴは顔をしかめた。
「忠告と言ってくれよ」
クラーナは睨む。
「君は、人には忠告するくせに、自分は聞かない」
吟遊詩人は指摘した。
「チェ・ラン少年しかり、ヒースリー青年しかり、だ。彼らが余計な危険に首を突っ込むと文句を言う前に、自分の行動を正したらどうだい」
「
シーヴは繰り返した。
「俺の採る道は――誤っていると?」
それは皮肉や詰問ではなく――彼にしては珍しく、不安の色のにじんだものだった。クラーナはしばし黙り、口を開く。
「どうかな。何が正しいのかなんて」
吟遊詩人は半端にはじめた台詞を半端に終わらせて肩をすくめた。
「オルエンがね……その男を撃とうとしたのは、何も魔力を奪われた腹いせじゃない。彼は、それでもまた狙われたんだ。残りの……彼自身は残っていないと主張したけど、それだけの力を放てる魔力は残っていた。それをもまた奪われそうになったのさ。どうしてそんな羽目に陥ったのか、どうしたらそんなことが可能なのか、僕が彼から話を聞く時間は生憎となかったけれどね」
「吟遊詩人は無傷でしたし、そのまま町を去りました。特に
「詳細……大きな力。まさか……」
エイラは顔をしかめた。
「敵さんは〈
「少なくともそうは書かれていませんね」
思わずエイラは魔除けの仕草などをした。そんな話になったら――冗談ではない。
だが、もしも六十年前からレンが翡翠を狙っていたのなら、いままでにどうとでもできたはずだ。
〈変異〉の年でなければ、〈守護者〉はいてもリ・ガンはいないのだし、その間は〈翡翠の宮殿〉もつながりは薄くする。リ・ガンが要るのならば翡翠を手に入れてから、その誕生――目覚めを待てばいいだけだ。わざわざこの年になってから動くことはない。
つまり、翡翠を狙うのは
「大きな力と言うのは、オルエン術師のことです。彼は協会の幅広い基準で見ても、かなり特殊な術師だったようですね。観測された魔力の大きさは、少し風を動かしたか、という程度の微かなものだったのですが……」
「でもそれは、反射ですら一撃で人を殺せるほどの、ものだったんだろ」
エイラは迷いながら言った。それだけの強い術を彼女は知らない。知らないと思っている――と言うのが正しかったが。
「ええ、それも、術を放ち、返された当人が消し飛ぶほどの」
「消し……」
エイラは絶句した。それは、あまり想像したくない状況だった。
「参ったよ」
クラーナは言った。
「僕は、その年になるまでほとんど魔術の類に関わらなかった。正直に言って、何が起きたのかしばらく判らなかった。それでもオルエンが死んだことと、彼の内に残っていた最後の力が――僕に移ったことは知れた」
「……お前に?」
「そうだよ」
吟遊詩人は肩をすくめる。
「彼から力を受け継いだという訳じゃない。これは、女神様の決めた罰則。守れなかった相手の運命を担うように、と言う。だから僕のなかにあるのは彼の力そのものと言うより、その
シーヴはその意味は判らなかった。彼は首を振って、彼に理解できた――と考えられる――ことだけを問う。
「それじゃあ、お前の力はリ・ガンのものじゃなくてオルエンのものだと言うのか」
「大きなものはほとんどそうだね。リ・ガンの力もいくらかは残っているけれど」
「だから……お前は俺を〈塔〉の近くに跳ばせたり」
「俺をここに引っ張ったり――したのか……?」
エイラの台詞に導師は眉を上げた。
「はい?」
「いや」
娘は口のなかでもごもご言って、その独白をごまかした。
「おかしなことを聞くと思わないでほしいんだけど」
「今更、思いませんが」
導師は面白そうに言い、エイラはそれににやりとする。確かに、彼女は最初からおかしなことを聞いている。
「そのふたりの魔術師の戦いは、どこで起きた?……いや、こういう聞き方より、『カーディル城と何か関わりがなかったか』と尋ねた方がいいかな」
「城との関わり、と言われますか」
導師は少し躊躇うようにして、だが彼女が導師に紹介された経緯を思い出したか、続けることに決めたようだった。
「この事件とオルエン術師の話をするのなら、外す訳には参りませんね。しかし、私はこの記録が持つ意味は判りかねますよ」
導師はそう、前置いた。
「話す順番が少し逆になりましたが、放たれた術はこちらの方が先です。オルエン術師は、相手の魔術師に向かって攻撃を放つ前に……ほとんど同時と言ってもいいですね。ものすごい力です。これだけ高度なものを一
「オルエンは何をしたんだよ?」
エイラは苛々と問うた。その記録を初めて目にしたのであろう導師はオルエンの技に感服しているようだが、彼女はそんなことを知りたいのではない。彼女の様子に気づいた導師は、失礼、と言って娘に視線を戻した。
「彼らの攻防は、町なかで起きました。しかしオルエン術師はそのとき、城に術を放っています。高度な術で読み解くのが難しいのですが……守り、に近いでしょうか」
導師は、文字を覚えたてのエイルが文章を読むときのように顔をしかめながら、その記録帳とやらを見た。
「何だって?……それじゃ」
「それじゃ、お前はこう言うのか?
「残念ながら本人に確認はできないんだけどね」
クラーナは肩をすくめる。
「六十年間かかって出した結論のひとつだよ」
「何故――そう思うんだ?」
「あのときの僕には判らなかったものが、少しずつ判るようになったんだ」
そんなふうに吟遊詩人は言った。
「その魔術師は、オルエンの死によって、求めた魔力が手に入らなくなったと知ったんだろう。そのまま去ったよ。まさか隣で呆然としていた僕に同じものが複写されてるとは思わなかったんだろうね」
魔術師には魔術師が判るものだが、複写されたそれは「似て非なる」ものだったので気づかれなかったとクラーナは肩をすくめた。
「おかげさまで長年、生き延びてるけれど」
「だが、判らんな」
シーヴは混乱しながら言った。
「何のためだ。何故、隠した」
「僕のため、かなあ。翡翠が城にあることは判っていたし、彼は……相手が彼の力だけじゃなくて翡翠を狙うと考えたんだろうか。そんなことに気を回す前に、自分を守ればよかったのに」
クラーナは淡々と言ったが、苦々しく思っている様子は隠しきれなかった。
「百年だかを生きたって、やりたいようにやる性格は変わらないのかな。君は死ぬ前に改善した方がいいよ、王子様。君には魔力はないんだから」