5 朝の市場
文字数 3,129文字
通常ならば、六の月で一年の折返しとなるが、今年だけは六の半、即ち〈
冬祭、冬祝祭、冬至祭といわれるフィロンド祭りは、冬がいちばん厳しい八番目の月、紅の月に行われる。
「フィロンド?」
シーヴが首をかしげるのを見て、エイラの方も首をかしげた。
「あとちょうどひと月くらいだよな、って言ったんだ」
「何が」
「だから、冬の」
言いかけて、エイラははたと気づく。砂漠の街では、雪の三姉妹が猛威を奮うことも、アイ・アラスで身を守ることも必要ないのだ。エイラが冬の祭りについて説明すると、常夏の街の男はなるほどとうなずいた。
「私がいたところも南方に比べれば穏やかだったけど、祭りはあった」
実際のところ、寒さの厳しい地方では派手な祭典などを開くことはできず、多くはそれぞれの家庭内で行われるささいな祝いごと、魔除けだ。アーレイドくらいの温暖な地域だからこそ、街じゅうで騒ぐことができるものなのだが、エイラはそんなことは考えなかった。
「それが、来月?」
「そう」
エイラは何となく北西のかたを見やる。
「風」が気になる。それ故に、故郷へ戻る。
カーディルに対し、アーレイドの
あのときは誰も自覚なきままであり、「エイル」がアーレイド城にいた間に玉が宝物庫から出されたのは新年の一度きり。だが受けた影響は、カーディルよりも大きい。
アーレイド。
帰れるのだと思えば嬉しかったが、不安もまた大量だ。
次にシーヴをちらりと見た。
〈鍵〉は――人だ。よほど強烈な「啓示」にでも出会わない限り、シーヴは自らの見えるものだけを見る。その限られた視界が与えるものだけを見て、進む道を決めるのだ。
こと翡翠に関しては、エイラにはシーヴが採ろうとする道――望んで行くもの、望まずとも選ぶもの、迷いも逡巡も決意も、また決めたあとでの躊躇いも、判るのだ。我がことのよう、いや、それ以上に。
シーヴは無論、知らぬ。隠し事ではないから、問われれば答えるだろう。だが言葉で説明して、彼女が彼に抱く
「なあ、シーヴ」
北なり西なりに向かう
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「そうじゃない。いや……そうなのかな」
「座るか」
「違う、そうじゃないんだ」
いつの間にか、シーヴから女性扱いを受けることに慣れつつある自分を叱咤しながら、エイラは手を振った。
「あのさ、いつも私は、魔術師役だろう」
「役」という言い方にシーヴは少し笑ったが、正確には魔術師ではないというのはエイラもクラーナも言っていたことだとの認識はある。
「嫌なのか? まさか立場を変えろとは言わないよな?」
青年魔術師と護衛の女剣士、という想像はエイラをも笑わせたが、もちろんシーヴが本気でそう尋ねたのでないことは判っている。
「黒ローブってのは、重たくてさ」
そんなふうにエイラは言った。よほど質のいい生地を使わない限り、実際に重いことは確かだったが、彼女が言うのはそうではない。
「私も少しなら剣を使えるんだ。護衛なんてのは無理だけど、あんたの……」
一
「妹、ってのは変かな」
「妹? 俺のか?」
シーヴの脳裏に浮かぶのは実の妹エムレイデルの本を抱えた姿である。エイラが言った「剣が使える」という台詞と「妹」という単語が咄嗟に結びつかない。
「肌の色は、母親が違うとかってことにしてさ」
「妹、ねえ」
シーヴはじろじろとエイラを見た。
彼らの肌の色は全く異なったが、確かに母親が違うと言えば通らないこともない。それに、再婚の連れ子同士の兄妹だって世の中には珍しくない。一緒に旅をするのは少し珍しかったかもしれないが。
「ま、ばれたら拙いお尋ね者って訳でもない。次はそれでいってみるか」
実際のところ、別に騙る必要はないのだ。男がふたりで旅をしていても誰も関係を問わないが、男女だと尋ねられることが多いだけで、恋人でも夫婦でもなければ仕事のつき合いか、家族というのがいちばん不審がられない、即ち、変に邪推をされることも少なかった。
それだけのことだからエイラが「魔術師のふり」は嫌だというのならば違う方法を取るのに問題はなく、彼らは少し面白がって南西にある小さな村の出身の兄妹という設定を作り上げた。
「さて、北か西か?」
アーレイドに向かうならば、北上してアイメアから西へ、というエイラがたどった道の逆を取るか、西のファイ=フー付近へ出て湾沿いに北へ向かうかということになる。
「ファイ=フーは避けたい」
シーヴが眉根をひそめた。
「あそこじゃ、リャカラーダの顔が知られてるんだ」
「アーレイドだって同じだろう」
呆れてエイラが言うとシーヴは首を振る。
「宮廷やら王宮に知られてるのはかまわんよ。この身分にある以上、こうして旅をしていても外交は仕事だからな。でもファイ=フーはそうじゃない」
「何だ。異国の王子殿下を迎えて派手な祭列でも開かれたのか」
エイラが冗談めかして言うと、シーヴはますます顔をしかめる。
「似たようなもんだ」
むすっとしているシーヴが面白くて、思わずエイラはにやりとする。
こう言った笑い方は「エイル」に近かったが、少年ならば「からかっている」という印象が強くなるのに対して、娘の姿であれば「面白がっている」ように見えた。外見の差なのか、内面にも差があるのか、それは当人でなければ――いや、当人であっても判らない。
朝の市場を通り抜けようとしたシーヴは、エイラがちょっと待ってくれ、と言うので足を止めた。
「何か入用か」
「もう少し、薬草を仕入れておこうかと思ってる」
そんなふうに言って周辺を見回す。
薬は日当たりを嫌うことが多いから、結果として
東の壁沿いには他に、やはり日光を嫌う画売りなどもいたが、多くは場所取りの競争に敗れて影に追いやられた露天商たちだった。場所の不利を声で補おうと言うように、耳を聾せんばかりの大音声が響く。
そんななか、望んでその場に座っている薬草師は静かなものだ。そう言う姿を探そうとしたならば、がなりたてる護符売りよりもずっと目立つ。
エイラは目を
その男が目立ったのは、それが目指す
いや――まさしく、それが目指す薬草師だったから、である。
「ヒースリー!」