6 動物の彫り物
文字数 3,516文字
「そいつらは、バイアーサラの魔術師じゃないよ。どこからか、わざわざ旦那のためにやってきてるんだ。それに、入れ替わり立ち替わりって言うのは、何もバイアーサラにそいつらの隠れ家があってそこから出てきているという訳じゃなくて、毎日、一人ずつバイアーサラへやってきては去っていくということなんだ。ちょっくら、たいそうな魔術だと思うね」
「……だな」
シーヴは同意した。そこまでの手間と魔術をかけて、何のために彼を見張る?
推測はもちろん、つけられる。――〈翡翠の宮殿 〉。
「当然、判ってると思うけど、さすがに夜明け前に旦那を尾ければ目立つよね。旦那を追いかけては行かなかったけれど、どの方角に行ったかは確認してる。何か、魔法で尾けてるのかもしれないけど、それはおいらに判らなくても、仕方ないよね?」
少年の不安そうな物言いにシーヴはうなずいてみせた。
「そして、戻ってきた旦那が今日みたいに馬の世話をして宿に行けば……あとはじっと旦那の動向を窺ってるんだ。あからさまに見つめ続けてるようなことはないけど、旦那が誰かと話したり、立ち上がったりするたびに興味津々なのは、気をつけて見てれば簡単に判るよ」
「なかなかいい目を持ってるようだな、坊ず」
「それがおいらの売りだからね」
少年は満足そうに言って、続けた。
「そんな訳で、あれらは余所の魔術師だから、ここの協会は何もしないよ。別にここの魔術師だって、術で害を与えたというんでなければ、協会は問題にしないけど」
「術で害をね」
シーヴは思わず苦笑した。紛う方なきこの町で、エイラが彼を救うために行ったのはまさしく「術で害を為す行為」であったことを思い出したのだ。
だが、本来ならば相応の咎めを受けるはずの行為がそのまま見過ごされているのはエイラの特殊性――「厳密に言えば魔術師とは違う」――のためと言うより、「身を守るためならばある程度は許される」との前提があるからだろう。
逆に言えば、たとえばシーヴが先に剣を抜いて見張りの魔術師に襲いかかれば、その魔術師が彼に術を使っても罰せられない。もちろん、許されるのは必要最小限度の術だが、身を守るために必死で、などという言い訳くらいは通るのではないだろうか?
まさかシーヴも、自分の命が狙われているとは思わなかったが――というのは、青年が楽天的なのではなく、そのつもりならばとっくにやっているはずだろうからだ――「町なかで術を使って人を傷つけることは許されない」という魔術師協会の原則には必ずしも頼れないと考えていた。
「それで?」
シーヴは少年に続きを促した。
「まだ言っていないことがあるだろう? 五倍を要求するだけの、ネタがあるんだろうが?」
「へっへー」
少年は鼻の下をこすった。
「金をケチらなかったことに後悔はさせないぜ、旦那。だけどこれは、先にもらわないと話せないね」
「しっかりしてるな、いいだろう」
シーヴはそう言いながら、銀貨を数えた。
「三、四……これで五倍だ」
「気前のいい旦那に幸あれ、だ」
少年は口笛を吹いた。
「いいかい、おいらが見たのはね、旦那」
「お前が見たのは」
シーヴは先取るように言った。
「その男たちが、どこかしらに動物の彫り物をしていた、というようなことか?」
少年は目を丸くした。シーヴが知っていたことにももちろん驚いたのだろうが、判っているのに金を払ったことの方に驚いているに違いない。
「こ、これは返さないぜ!」
「いいんだ、確証が持てたからな」
泡を食ったように言う少年に苦笑して、シーヴはそう言った。
レンが彼を見張っている。それは〈鍵〉としてなのか、〈翡翠の宮殿〉に近づく者としてか。
どちらにしても、これはエイラが無事であるということの証のように思えた。
奴らが彼女を捕らえてその力を手に入れているというのなら――ただの想像でも、この考えは心が締め付けられるようだった――〈鍵〉や〈宮殿〉に何の用がある?
レンはリ・ガンを手にしていない。エイラは、無事だ。
「……〈魔術都市〉なんかに見張られてて嬉しいのかい、旦那」
思わず笑みが浮かんだシーヴの様子を見て、気味悪そうに少年は言った。
「そうだな」
シーヴは肩をすくめる。
「敵がはっきりすれば助けになることも、あるさ」
「敵」
少年が繰り返すのを聞いて、シーヴは少し眉根を寄せた。
「おい、坊ず。言っておくが……馬鹿な考えは捨てろよ」
「な、何だよ、馬鹿な考えって」
失礼だな、などと少年はごまかすように言ったが、シーヴは首を振った。
「俺が奴らの動向を見越しているようだ、などという情報を奴らに売りに行くなよと言っているんだ。これは何も俺の安全のためじゃない、お前のために」
「意味が判んないね」
少年は両手を拡げて肩をすくめてみせ、シーヴは嘆息した。
「奴らは危険だということくらい、判ってるんだろう。お前を便利な情報屋 だと思うどころか、余計なことを知っているただの鼠 と思われれば」
シーヴは自身の喉をかき切る真似をした。少年は、まさか、とまた肩をすくめるが、その顔色は少し白くなったようだ。
「いいか、坊ず。この件はもう忘れて、ほかの業務に精を出すんだな。これで儲けようなんて気は起こすんじゃない。命と天秤にかけるほどのネタかどうか、よく考えろよ」
「ご親切な、旦那だよ」
少年はいささか引きつった笑顔を浮かべ、シーヴの方を見たままで数歩を下がると――踵を返して一気に走り去った。なかなか賢い少年のように見えたが、彼の忠告を本気に取ってくれるくらいに賢いとよい、と思いながら青年はそれを見送った。
(レン)
どうしたものか、と考えながらシーヴは宿への道を取っていた。
(奴らの狙いは〈鍵〉か〈宮殿 〉か)
(まあ、本当の狙いはリ・ガンであり翡翠 なんだろうが、俺を見張ってどうするつもりかな)
翡翠の力を操ることができるのは、リ・ガンだけだという話だ。そして〈鍵〉はリ・ガンに影響を及ぼすと。
(それなら、俺がその力を俺のために使えと言えば、エイラはそうするというのか)
確かにエイラは〈宮殿〉のなかで、そのようなことを言っていた。
シーヴが望むのならば、シャムレイを彼のものにしてやろう、と。
彼はそれは望まないと答えたが――そうしろと言ったら、どうなったのだろう?
浮かぶ考えはどうあっても不吉だが、本当に彼女がそう「できる」のか、つまりそれだけの力を持っているのかと言うことについては、彼には判らない。
ただ、少なくとも彼女――リ・ガンはできると思っており、おそらくは、レンもまた。
(俺がレンなら)
あまり楽しい想像ではなかったが、シーヴはそんなことを考えた。
(リ・ガンをとっ捕まえて利用したければ……)
(当然、〈鍵〉を押さえるな)
出た結論はもっと楽しくなかったが、真実を突いているようにも思えた。
(さて、奴らはどこまで知ってる)
考えても仕方のないことをシーヴは考え出した。
(〈翡翠の宮殿〉への入り口がリダエの湖にあること。俺が〈鍵〉であること。〈鍵〉はリ・ガンに多大な影響を及ぼすこと)
(俺を殺すなり捕らえるなりする気なら、さっさと動いていそうなものだ。だが奴らはただ俺を見ている。と言うことは――)
(目当ては宮殿、か? だから女王陛下は道を開いてくださらないのかね?)
とりとめのない考えに首をひねりながら、シーヴはこれまでと変わりない様子で宿に足を踏み入れた。「見張られている」ことには疑いを持っていたが、それに確信が持てたからと言って「はい、気づきました」と相手に知らせてやることはない。
ただ、〈翡翠の宮殿〉を訪問することは諦めなくてはならないかもしれないと思った。レンが宮殿を求めているのなら、入り口の在処や入り方を教えてやるのは愚の骨頂ではないか。
リダエを訪れていたのは偶然だとでも言うふりをして町を離れるか。だがいまさら、彼が「翡翠」の関係者ではないふりなどして何になる? 第一、彼の目的はエイラの救出だ。レンが彼女を捕らえているのなら、彼はそこから逃げるのではなく、逆に利用してやることもできるのではないか?
(少し)
(様子を見るか)
運命は必ずそうあるべきところに彼を導くのだ。そう考えているシーヴは必要以上に不安を覚えることはなく、かと言って楽観とも少し異なる、砂漠の民が持つ独特の運命感に導かれるまま、次の行動を考え出した。
「……だな」
シーヴは同意した。そこまでの手間と魔術をかけて、何のために彼を見張る?
推測はもちろん、つけられる。――〈
「当然、判ってると思うけど、さすがに夜明け前に旦那を尾ければ目立つよね。旦那を追いかけては行かなかったけれど、どの方角に行ったかは確認してる。何か、魔法で尾けてるのかもしれないけど、それはおいらに判らなくても、仕方ないよね?」
少年の不安そうな物言いにシーヴはうなずいてみせた。
「そして、戻ってきた旦那が今日みたいに馬の世話をして宿に行けば……あとはじっと旦那の動向を窺ってるんだ。あからさまに見つめ続けてるようなことはないけど、旦那が誰かと話したり、立ち上がったりするたびに興味津々なのは、気をつけて見てれば簡単に判るよ」
「なかなかいい目を持ってるようだな、坊ず」
「それがおいらの売りだからね」
少年は満足そうに言って、続けた。
「そんな訳で、あれらは余所の魔術師だから、ここの協会は何もしないよ。別にここの魔術師だって、術で害を与えたというんでなければ、協会は問題にしないけど」
「術で害をね」
シーヴは思わず苦笑した。紛う方なきこの町で、エイラが彼を救うために行ったのはまさしく「術で害を為す行為」であったことを思い出したのだ。
だが、本来ならば相応の咎めを受けるはずの行為がそのまま見過ごされているのはエイラの特殊性――「厳密に言えば魔術師とは違う」――のためと言うより、「身を守るためならばある程度は許される」との前提があるからだろう。
逆に言えば、たとえばシーヴが先に剣を抜いて見張りの魔術師に襲いかかれば、その魔術師が彼に術を使っても罰せられない。もちろん、許されるのは必要最小限度の術だが、身を守るために必死で、などという言い訳くらいは通るのではないだろうか?
まさかシーヴも、自分の命が狙われているとは思わなかったが――というのは、青年が楽天的なのではなく、そのつもりならばとっくにやっているはずだろうからだ――「町なかで術を使って人を傷つけることは許されない」という魔術師協会の原則には必ずしも頼れないと考えていた。
「それで?」
シーヴは少年に続きを促した。
「まだ言っていないことがあるだろう? 五倍を要求するだけの、ネタがあるんだろうが?」
「へっへー」
少年は鼻の下をこすった。
「金をケチらなかったことに後悔はさせないぜ、旦那。だけどこれは、先にもらわないと話せないね」
「しっかりしてるな、いいだろう」
シーヴはそう言いながら、銀貨を数えた。
「三、四……これで五倍だ」
「気前のいい旦那に幸あれ、だ」
少年は口笛を吹いた。
「いいかい、おいらが見たのはね、旦那」
「お前が見たのは」
シーヴは先取るように言った。
「その男たちが、どこかしらに動物の彫り物をしていた、というようなことか?」
少年は目を丸くした。シーヴが知っていたことにももちろん驚いたのだろうが、判っているのに金を払ったことの方に驚いているに違いない。
「こ、これは返さないぜ!」
「いいんだ、確証が持てたからな」
泡を食ったように言う少年に苦笑して、シーヴはそう言った。
レンが彼を見張っている。それは〈鍵〉としてなのか、〈翡翠の宮殿〉に近づく者としてか。
どちらにしても、これはエイラが無事であるということの証のように思えた。
奴らが彼女を捕らえてその力を手に入れているというのなら――ただの想像でも、この考えは心が締め付けられるようだった――〈鍵〉や〈宮殿〉に何の用がある?
レンはリ・ガンを手にしていない。エイラは、無事だ。
「……〈魔術都市〉なんかに見張られてて嬉しいのかい、旦那」
思わず笑みが浮かんだシーヴの様子を見て、気味悪そうに少年は言った。
「そうだな」
シーヴは肩をすくめる。
「敵がはっきりすれば助けになることも、あるさ」
「敵」
少年が繰り返すのを聞いて、シーヴは少し眉根を寄せた。
「おい、坊ず。言っておくが……馬鹿な考えは捨てろよ」
「な、何だよ、馬鹿な考えって」
失礼だな、などと少年はごまかすように言ったが、シーヴは首を振った。
「俺が奴らの動向を見越しているようだ、などという情報を奴らに売りに行くなよと言っているんだ。これは何も俺の安全のためじゃない、お前のために」
「意味が判んないね」
少年は両手を拡げて肩をすくめてみせ、シーヴは嘆息した。
「奴らは危険だということくらい、判ってるんだろう。お前を便利な
シーヴは自身の喉をかき切る真似をした。少年は、まさか、とまた肩をすくめるが、その顔色は少し白くなったようだ。
「いいか、坊ず。この件はもう忘れて、ほかの業務に精を出すんだな。これで儲けようなんて気は起こすんじゃない。命と天秤にかけるほどのネタかどうか、よく考えろよ」
「ご親切な、旦那だよ」
少年はいささか引きつった笑顔を浮かべ、シーヴの方を見たままで数歩を下がると――踵を返して一気に走り去った。なかなか賢い少年のように見えたが、彼の忠告を本気に取ってくれるくらいに賢いとよい、と思いながら青年はそれを見送った。
(レン)
どうしたものか、と考えながらシーヴは宿への道を取っていた。
(奴らの狙いは〈鍵〉か〈
(まあ、本当の狙いはリ・ガンであり
翡翠の力を操ることができるのは、リ・ガンだけだという話だ。そして〈鍵〉はリ・ガンに影響を及ぼすと。
(それなら、俺がその力を俺のために使えと言えば、エイラはそうするというのか)
確かにエイラは〈宮殿〉のなかで、そのようなことを言っていた。
シーヴが望むのならば、シャムレイを彼のものにしてやろう、と。
彼はそれは望まないと答えたが――そうしろと言ったら、どうなったのだろう?
浮かぶ考えはどうあっても不吉だが、本当に彼女がそう「できる」のか、つまりそれだけの力を持っているのかと言うことについては、彼には判らない。
ただ、少なくとも彼女――リ・ガンはできると思っており、おそらくは、レンもまた。
(俺がレンなら)
あまり楽しい想像ではなかったが、シーヴはそんなことを考えた。
(リ・ガンをとっ捕まえて利用したければ……)
(当然、〈鍵〉を押さえるな)
出た結論はもっと楽しくなかったが、真実を突いているようにも思えた。
(さて、奴らはどこまで知ってる)
考えても仕方のないことをシーヴは考え出した。
(〈翡翠の宮殿〉への入り口がリダエの湖にあること。俺が〈鍵〉であること。〈鍵〉はリ・ガンに多大な影響を及ぼすこと)
(俺を殺すなり捕らえるなりする気なら、さっさと動いていそうなものだ。だが奴らはただ俺を見ている。と言うことは――)
(目当ては宮殿、か? だから女王陛下は道を開いてくださらないのかね?)
とりとめのない考えに首をひねりながら、シーヴはこれまでと変わりない様子で宿に足を踏み入れた。「見張られている」ことには疑いを持っていたが、それに確信が持てたからと言って「はい、気づきました」と相手に知らせてやることはない。
ただ、〈翡翠の宮殿〉を訪問することは諦めなくてはならないかもしれないと思った。レンが宮殿を求めているのなら、入り口の在処や入り方を教えてやるのは愚の骨頂ではないか。
リダエを訪れていたのは偶然だとでも言うふりをして町を離れるか。だがいまさら、彼が「翡翠」の関係者ではないふりなどして何になる? 第一、彼の目的はエイラの救出だ。レンが彼女を捕らえているのなら、彼はそこから逃げるのではなく、逆に利用してやることもできるのではないか?
(少し)
(様子を見るか)
運命は必ずそうあるべきところに彼を導くのだ。そう考えているシーヴは必要以上に不安を覚えることはなく、かと言って楽観とも少し異なる、砂漠の民が持つ独特の運命感に導かれるまま、次の行動を考え出した。