03 終わったのですか

文字数 2,032文字

 侍従は不機嫌な顔をしていた。
 と言うのも、彼の主がまたも城ではなく彼の館に姿を現したためだ。
「遅刻ですよ」
 ヴォイドはにやにやと笑うシャムレイ第三王子を睨んでそう言った。
「もう少しで、陛下は私にあなたを討ちに行かせるところです」
「間に合ったのだからよいではないか」
 リャカラーダは悪びれもせずに言った。
「ですから何故、城にではなくここにおいでになるのですか」
「うるさい奴だな」
 王子は同じ笑みのままで言った。
「勝手に戻れば、触れもなしに帰還をするなと言うくせに」
 ヴォイドはその台詞の意味を探るかのように彼を見た。
「……では」
 ヴォイドは言った。
「今度こそ、無事のご帰還、と?」
そうだ(アレイス)
 リャカラーダはうなずいた。
「城に触れを出せ。――帰るぞ」
 そのまま踵を返した王子に、ヴォイドは制止の言葉を発した。
「お待ちなさい。まさかこのまますぐに城に向かわれるおつもりではありますまいね」
「触れを出す時間くらいは待つが……何だ、帰れと言ったり帰るなと言ったり、忙しいな。どうさせたいんだ」
「物事には順番というものがあります」
 侍従はぴしゃりと言った。
「王子の帰還の報を受けてから、その歓迎の支度までにどれだけ時間がかかると思うのですか。半日はおいてから戻られることになさい」
「半日」
 リャカラーダは面白そうに繰り返した。
「いまから半日後ならば、夜半だな」
「それが何です」
 と言うのが第一侍従の答えだった。
「あなたは王子殿下です。そのご帰還に昼も夜もあったものですか」
「そうか」
 彼は肩をすくめた。
「深夜まで召使いをこき使って、逢瀬を邪魔して、恨みを買うのが俺の仕事か。よし」
 言ってリャカラーダは手を叩く。
「ならば夜半に戻ったことにしよう。いや、それではやはり恨みを買うな。明け方に戻ったことにしろ。そうして夕刻に帰城すればいいだろう。夜にないはずの仕事が増えるより、昼間に余分の仕事があった方がましだ」
「リャカラーダ様」
 侍従は、召使いに気を配る王子に感動などは、しなかった。
「そんなに、陛下へのご挨拶を延ばしたいのですか」
「――否定はせん」
 王子は両手を拡げてそう言うと、にやりと笑った。
風呂(ウォルス)を貸せ、ヴォイド。俺は疲れた」
「……支度させましょう。殿下のご衣装も必要ですね」
「任せる。有能な侍従を持って俺は幸せだ」
 リャカラーダは言って手を振ると、身体を伸ばすようにした。
「ヴォイド」
「何です」
「俺は……帰ってきたぞ」
「判っております」
 第三王子の第一侍従は、何の感動もないように言ったが、その目に現れるものは隠しきれなかった。
「判って、おりますよ」
 リャカラーダ・コム・シャムレイ第三王子帰還の報は朝日が射すとともにシャムレイ城に伝えられ、彼は目論見通り夕刻に、父王メルオーダと母王妃シャリエン、妹王女エムレイデルと多くの家臣に迎えられた。兄王子たちがわざわざ不肖の弟のために姿を現すとは思っていなかったが、案の定であったということはつまり、彼の方からわざわざ挨拶に行かなければならないということである。
 これまではそんな礼儀は無視していたが、真面目にやると言った以上はそうした面倒ごともこなしていかなければならない。
「仕方あるまい」
 彼は言った。
「努力しよう」
「正直なところ、いつまでそのお気持ちが続かれるものか、危惧しておりますよ」
「全くです」
 彼の宣言をふたつの声が簡単に批評した。
「――どうしてお前がここにいる、エムレイデル」
「いてはいけませんか」
 第二王女はにこりともせずに答えた。
「だいたい、ラーダ兄上は滅茶苦茶です。一年間の旅に出るとしてその通り戻ってきたからと言って、まさかご立派なことをされたとは思っていないでしょうね」
「……駄目か」
「駄目に決まっています」
 エムレイデルはきっぱりと言った。
「私はときどき、兄上が治めるランティムの民が気の毒になります」
「どうにかなるさ」
 気軽に言う兄を疑い深そうに見つめ、エムレイデルは嘆息した。
「――それで、終わったのですか」
 リャカラーダは目を見開いた。
「終わった……?」
 それは奇妙な既視感を伴う言葉だった。
「ええ。例の、馬鹿げた予言の話です。終わったからご帰還をされて、そしてこれからは責務を全うされる、と言うのですね?」
「ああ」
 リャカラーダはうなずいた。
「そうだ、エムレイデル。――終わったさ」
 言うと彼は指で唇に触れて小さく息を吐いたが、それはほとんど無意識だった。
「では、最初のお仕事ですね」
 ヴォイドの台詞に彼は片眉を上げた。
「何だ。何をさせる」
「王子殿下第一の務め、です。順調に、準備は整っておりますよ」
 少し考えてからその意味するところに思い当たった彼は呪いの言葉を吐き、ふたりに叱責を受けた。
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登場人物紹介

エイル

下町で生まれ育った少年。ふとしたことからアーレイドの王城に上がることとなり、王女シュアラの「話し相手」をすることになる。

(イラスト:桐島和人)

ファドック・ソレス
王女シュアラの護衛騎士。王女はもとより、城の人々からの信頼も篤い。身分は平民で、決して出過ぎないことを心がけている。

シュアラ・アーレイド
アーレイドの第一王女。王位継承権を持つが、女王ではなく王妃となる教育を受けている。父王が甘やかしており、わがままなところも。

レイジュ・フューリエル
シュアラの気に入りの侍女。王女に忠誠心があると言うより、ファドックの近くにいられるという理由で、侍女業に精を出している。

クラーナ
アーレイドを訪れた吟遊詩人。神秘的な歌を得意とすると言う。エイルに思わせぶりな言葉を残した。

リャカラーダ・コム・シャムレイ
東国にある街シャムレイの第三王子。義務を嫌い、かつて与えられた予言の娘を探して故郷を離れ、砂漠の民たちと旅をしている。

シーヴ
リャカラーダの幼名。王子として対応する必要がなければ、こちらを名乗る。

エイラ
六十年に一度ある〈変異〉の年に、特殊な翡翠と関わることを定められた存在。魔術師のような力を持つが、厳密には魔術師ではない。

ゼレット・カーディル
ウェレス王に仕える伯爵。威張ったところがなく、平民たちとの距離も近いカーディル領主。その好みは幅広い。

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