03 怖いんですって
文字数 2,087文字
とんとんとん、と娘の細い指が飾り気のない卓を叩いた。
向かいに座る女は、彼女が今度は何を言い出すのだろうと半ば期待、半ば諦めを持ちながら言葉を待つ。
「……おかしいのよね」
「……ファドック様のことね?」
問い返されたレイジュは、それよ、とばかりに指を一本立てた。
「あなたも気づいた?」
「いいえ」
カリアは肩をすくめた。
「あなたが言うのなら、十中八九そうだろうと思っただけ」
レイジュは、それは褒め言葉なのかどうだろうかと一度首をひねってから続けた。
「おかしいのよ、近頃のファドック様」
「どこが?近衛隊長 の任務は完璧にこなしてらっしゃるし、就任したての頃よりずっと、仕事に慣れていらっしゃるみたいじゃない。『廊下ですれ違って無視された』って嘆きは聞かなくなったわ」
「それは、確かにそうだけれど」
レイジュは不満そうに眉をひそめる。
「おかしいの」
「だから、何が」
「……笑わないのよ、ファドック様」
今度はカリアが眉をひそめた。
「そりゃあ、ファドック様はそんなに……ロジェス様みたいにはにこにこしてないわ。でも、目が合えばふっと笑ってくれたり、仕事を果たせば必ず、よくやったとか、ご苦労だったとか、そういうことを言ってくれるじゃない。でも、それが」
「近頃ないわね、そう言えば」
カリアはまた、肩をすくめた。
「お疲れなんでしょう」
「それだけ、かしら」
「ほかに何があるって言うの」
カリアは友人の心配を笑おうとして、ふと、真顔になった。
「……何?」
「ブロックの話を聞いた、レイジュ?」
「あの、新人の子ね? ファドック様付きの」
「ファドック様が使用人を使われるというのは少し驚いたけれど、近衛隊長としてお忙しければ以前のように、全てをひとりでされるというのは難しいものね」
「慰めはいいわよ。別に私、ブロックには腹を立ててないわ」
「そうでしょうね」
カリアは意外でもなさそうに言った。
「あの男の子は、あなたからファドック様を奪 らないでしょうよ」
レイジュは何か言い返そうとしたが、ふと、カリアの言葉にからかい以上のものを聞いて取った。
「何か、あるの?」
「私も直接に聞いた訳じゃないけど」
カリアは、レイジュを呼び寄せる仕草をすると、自らも身を乗り出して声を潜める。
「あの子ね、ファドック様が怖いんですって」
「……怖い ?」
レイジュは、意味が判らないと言うように繰り返した。
「もちろん、あの方は怒鳴ったりされないし、邪険にすると言うのでもないみたい。いつも通り、静かに平静に過ごしてらっしゃるから……あの子が何を言ってるんだろうと思ったのだけれど」
「――笑わないんだわ」
「お疲れなのよ」
レイジュは自身の言葉を繰り返し、カリアもまた繰り返した。
「……シュアラ様もきっと、お気づきだわ」
「……殿下 と言えば」
カリアは思い出したように言った。
「どうなの、あなた本当に、テリスンちゃん の話を殿下に申し上げた訳?」
「生憎と、いい機会がなかったわ」
レイジュは本当に悔しそうに言った。
「何か手を打つなら早くしたら」
年上の先輩は冷たいものである。続く言葉はこうだった。
「あなたが気が付いてるなら、絶対に彼女も気づいてるでしょう。あなたがこうしてここで心配してる間に、彼女は直接言ってるかもね、『どうされたんですか、ファドック様。近頃、笑ってくださいませんね』」
カリアがテリスンの真似をして――と言っても、侍女たちが掃除女と話をすることはなかったから、それが似ているかどうかどちらも知らなかったが――言うと、レイジュの目が、このときばかりは本物の涙で潤んだ。
「ちょ、ちょっと、レイジュ?」
カリアは慌てる。
「やだ、本当に泣いてるの? ごめん、悪かったわ、ついからかって」
「カリアあ……」
娘は堪えきれずに涙を落とした。年上の友もこのたびは「ふり」ではなく本気で慰める。
「驚いたわね、あなた本当に、そんなに……ファドック様のことが好きなのね」
「何よ、悪い?」
レイジュは制服の隠しから白い木綿布を取り出すと、目を押さえた。言った台詞はさすがの彼女でも照れ隠しであり、カリアもそれを理解したか、ただ首を振った。
「ごめんなさいね、レイジュ。私、あなたの想いを甘く見てたみたい。……こうなったら、協力するわよ」
「カリアの協力は、怖いんだけど……」
レイジュは少し身を引いていった。カリアは肩をすくめる。
「大丈夫よ、ファドック様の寝所に忍び込めなんて言わないから」
「カリアっ!」
このときは、ちょっと耳をふさぐのが遅れたレイジュは、大声を張り上げて聞こえた音とその意味を打ち消そうとした。それに対するカリアの方が、耳をふさぐ。
「いいから。レイジュ、私が言うのはね」
侍女はきれいに片目をつむった。
「シュアラ様には私がお話してあげるわ、ってこと」
巧くやるから、待ってなさいよ――などと、熟練の侍女は言った。
向かいに座る女は、彼女が今度は何を言い出すのだろうと半ば期待、半ば諦めを持ちながら言葉を待つ。
「……おかしいのよね」
「……ファドック様のことね?」
問い返されたレイジュは、それよ、とばかりに指を一本立てた。
「あなたも気づいた?」
「いいえ」
カリアは肩をすくめた。
「あなたが言うのなら、十中八九そうだろうと思っただけ」
レイジュは、それは褒め言葉なのかどうだろうかと一度首をひねってから続けた。
「おかしいのよ、近頃のファドック様」
「どこが?
「それは、確かにそうだけれど」
レイジュは不満そうに眉をひそめる。
「おかしいの」
「だから、何が」
「……笑わないのよ、ファドック様」
今度はカリアが眉をひそめた。
「そりゃあ、ファドック様はそんなに……ロジェス様みたいにはにこにこしてないわ。でも、目が合えばふっと笑ってくれたり、仕事を果たせば必ず、よくやったとか、ご苦労だったとか、そういうことを言ってくれるじゃない。でも、それが」
「近頃ないわね、そう言えば」
カリアはまた、肩をすくめた。
「お疲れなんでしょう」
「それだけ、かしら」
「ほかに何があるって言うの」
カリアは友人の心配を笑おうとして、ふと、真顔になった。
「……何?」
「ブロックの話を聞いた、レイジュ?」
「あの、新人の子ね? ファドック様付きの」
「ファドック様が使用人を使われるというのは少し驚いたけれど、近衛隊長としてお忙しければ以前のように、全てをひとりでされるというのは難しいものね」
「慰めはいいわよ。別に私、ブロックには腹を立ててないわ」
「そうでしょうね」
カリアは意外でもなさそうに言った。
「あの男の子は、あなたからファドック様を
レイジュは何か言い返そうとしたが、ふと、カリアの言葉にからかい以上のものを聞いて取った。
「何か、あるの?」
「私も直接に聞いた訳じゃないけど」
カリアは、レイジュを呼び寄せる仕草をすると、自らも身を乗り出して声を潜める。
「あの子ね、ファドック様が怖いんですって」
「……
レイジュは、意味が判らないと言うように繰り返した。
「もちろん、あの方は怒鳴ったりされないし、邪険にすると言うのでもないみたい。いつも通り、静かに平静に過ごしてらっしゃるから……あの子が何を言ってるんだろうと思ったのだけれど」
「――笑わないんだわ」
「お疲れなのよ」
レイジュは自身の言葉を繰り返し、カリアもまた繰り返した。
「……シュアラ様もきっと、お気づきだわ」
「……
カリアは思い出したように言った。
「どうなの、あなた本当に、テリスン
「生憎と、いい機会がなかったわ」
レイジュは本当に悔しそうに言った。
「何か手を打つなら早くしたら」
年上の先輩は冷たいものである。続く言葉はこうだった。
「あなたが気が付いてるなら、絶対に彼女も気づいてるでしょう。あなたがこうしてここで心配してる間に、彼女は直接言ってるかもね、『どうされたんですか、ファドック様。近頃、笑ってくださいませんね』」
カリアがテリスンの真似をして――と言っても、侍女たちが掃除女と話をすることはなかったから、それが似ているかどうかどちらも知らなかったが――言うと、レイジュの目が、このときばかりは本物の涙で潤んだ。
「ちょ、ちょっと、レイジュ?」
カリアは慌てる。
「やだ、本当に泣いてるの? ごめん、悪かったわ、ついからかって」
「カリアあ……」
娘は堪えきれずに涙を落とした。年上の友もこのたびは「ふり」ではなく本気で慰める。
「驚いたわね、あなた本当に、そんなに……ファドック様のことが好きなのね」
「何よ、悪い?」
レイジュは制服の隠しから白い木綿布を取り出すと、目を押さえた。言った台詞はさすがの彼女でも照れ隠しであり、カリアもそれを理解したか、ただ首を振った。
「ごめんなさいね、レイジュ。私、あなたの想いを甘く見てたみたい。……こうなったら、協力するわよ」
「カリアの協力は、怖いんだけど……」
レイジュは少し身を引いていった。カリアは肩をすくめる。
「大丈夫よ、ファドック様の寝所に忍び込めなんて言わないから」
「カリアっ!」
このときは、ちょっと耳をふさぐのが遅れたレイジュは、大声を張り上げて聞こえた音とその意味を打ち消そうとした。それに対するカリアの方が、耳をふさぐ。
「いいから。レイジュ、私が言うのはね」
侍女はきれいに片目をつむった。
「シュアラ様には私がお話してあげるわ、ってこと」
巧くやるから、待ってなさいよ――などと、熟練の侍女は言った。