8 判ってるはずです
文字数 3,072文字
「セリ?」
ファドックが不審そうに彼女を見た。だがエイラはそれを気に留めない。
「時間がありません。あなたにはまだ〈守護者〉の自覚がない。けれどあなたには翡翠を守る力があります」
自分が何を言っているのかエイラには判らなかった。
いや、判っていた。それは突如「目隠し」が外されたかのようで、何故こんな当たり前のことに気づいていなかったのか、自分を不思議に思うだけ。自身の瞳がいま、緑がかって見えるようになっていることなど、自分では判るはずもない。
「翡翠、と?」
ファドックは何かを思い出すように目を細めた。
「私は、貴女を知っているような気がする――セリ」
「そうでしょう。〈守護者〉はリ・ガンを見分けます」
エイラは簡単にそう言い、「エイル」ならばしたであろう動揺を見せなかった。
「自覚はなくとも、あなたは判っているはずなのです。だから、レンを遠ざけたい。あれの狙いは翡翠だから」
「何だと」
ファドックの声が低くなった。
「何を知っている」
「全てを」
エイラの応えは簡単だ。
「私は全てを知っています、ファドック・ソレス殿 。リャカラーダ殿下を〈鍵〉と見分けたあなたのことですから、私のこともまた判っているはずです。疑いはお捨てください」
「翡翠。〈鍵〉。――翡翠の宮殿 。貴女は私に、ひとりの少年を思い出させる」
ぎゅっと胸が痛くなった。その瞬間、エイラの瞳から緑のきらめきが消える。
「あ……いや、その……」
エイラの目が泳いだ。自分は何を――言っていた?
「その……彼も関わってること、なんです。かつて、この城にいた少年」
「エイルを知っているのか」
「――ええ」
エイラはうなずいた。
(知っています)
(誰よりもよく!)
内心の声は抑える。
「彼は、どうしている?」
「元気で……やってますよ。あなたが……彼のことを覚えていたと知ったら、喜ぶでしょうね」
胸が痛い。
(俺です)
(ここにいるのはエイルなんです、ファドック様!)
そのようなことを言えるはずがない。エイラは力なく笑った。
「無事でいるのなら、いい。母親が心配している。彼に会うことがあるのなら、また手紙を送るよう、伝えてくれないか」
「……はい」
涙が出そうだ。必死で堪えた。泣いたりしたら奇妙に思われるし――いまは、そんな場合でもないのだ!
「その、セラス」
ファドック様 と呼びかけそうになって、これもまた堪えた。
「力を貸してもらえますか」
「それが、シュアラ姫のためになることならば」
「なります」
ファドックは即答し、エイラもまた即答した。
「私はレンからシュアラ……様をお守りしたいんです」
「レン」
ファドックは繰り返した。
「レンの狙いは翡翠だと言ったな。どういう意味なのだ」
「そのままです。ここの宝物庫に眠る翡翠は、穢れを払うために目覚めるときを待ってる。そう言ったのを覚えていませんか……あの、エイルが、言ったのを」
不自然でない程度の間ののちに、慌ててつけ加えた。
「覚えている」
ファドックはうなずいた。
「リャカラーダ殿下が、エイルの言った翡翠に関わりがあるのかもしれぬ、というようなことも」
「そ」
そのような話をしただろうか、と「エイル」は思い返した。いろいろあって、忘れてしまった。
「彼もまた、翡翠を求めるのではないか、とエイルは言ったのだ」
「そ、そうですか」
だから――そんな話をしたから、シーヴに再会したときに自分は不要の警戒をしたのだろうか。ふとそんなことを思う。
「でも違います。殿下 は私を……リ・ガンを探していただけで」
「リ・ガンとは、何だ」
エイラは苦笑いをした。みなが問う。シーヴも、ゼレットも。だがうまく言えない。リ・ガンは、リ・ガンだとしか。
「その……翡翠を目覚めさせる役割を持つ存在、です。そして……翡翠の力を操ることのできる」
考えながらそんなことを言った。
「穢れを払うという力か?」
「ええ」
エイラはうなずいた。
「けれど、それだけじゃありません。翡翠は、穢れを集めることもできます。レンの狙いはそれなんじゃないかと……だから、レンが狙うのは私でもあります」
すっとファドックの目が細められた。
「セリが狙われると」
「レンが翡翠を手に入れても、たぶん、それだけじゃどうしようもない。私を捕まえないと。そうでなくて、もし何か翡翠の力を操る方法が彼らにあったとしても、それなら私がいれば彼らの邪魔になります」
捕らわれるか殺されるかだと言った。
「リティアエラ嬢。怖ろしくは、ないのか」
エイラが淡々と言ったことに驚いたのだろうか。ファドックは問い、エイラは首を横に振った。
「捕まれば、もちろん怖ろしいことになります。けれど、捕まるのではないか、見つかれば殺されるのではないか、という怖れでしたら、抱いても無駄です」
やはり淡々と言った。翡翠を狙う者がいるなら、避け難い話だし、怖れて身をすくませることに何の益もないと考えている。
通常「怖れ」とは、「無駄だから抱かないようにしよう」と思って自制できるものではない。――人間ならば、だ。
「貴女は、レンの敵か」
「どうでしょう。少なくとも味方じゃないですけど」
「だから私にこのような話を?」
ファドックの言葉の意味にむっとした。つまり護衛騎士は、レンに敵対させるために自分を騙そうとしているのではないか、と言っているのだ。
「馬鹿なこと、言わないでください! 判ってるはずです、ファドック様は! あなたは〈守護者〉で俺はリ・ガンだ。好きでこんなことしてる訳じゃないけど、でもあなたは判ってるはずでしょう、レンに翡翠を渡しちゃいけないんだ!」
ファドックが不思議そうな顔をした。それはまるで、幽霊 のようなものを見たことを信じ難いとでも、言うような。――「エイル」ははっとした。いまの口調はリティアエラ嬢のものではない。
「その……私を信頼してください、セラス」
良心の呵責を覚えながら、「気を散らす」術を使った。エイラのなかに「エイル」を見られたくは、ない。
「レンの狙いは翡翠なんです。私はそれを呼び覚ますことができる。そして穢れを払ってしまえば、彼らはここの翡翠を狙う意味がなくなります。だから、そうなればもう、レンがシュアラ殿下とアーレイドを悩ますことはなくなるんです」
「とても奇妙だ、セリ」
ファドックは言った。
「このようなことを言っては申し訳ないが」
あとにしてきた部屋を見通すかのように一度壁を見て、ファドックはまたエイラに視線を戻した。
「以前にリャカラーダ殿下がアーレイドを訪れられたとき、私はもしや殿下 に二心あるのではと姫の身を案じた」
(……知ってます)
(おかげで、えらい目に遭った城の少年がいたことも)
エイラはそんなふうに思ったが、当然口には出さず、ファドックの言葉を聞く。
「無論、殿下 は姫に害をなされるようなことはなかった。ただ、宴のあと、深夜に城内のどこかへ行こうとされ──私はお留めした。あのときのリャカラーダ殿下は何も武器をお持ちではなかったが、帯剣されていたら抜かれたのではないかと思う」
「なっ……」
エイラは絶句した。
(シーヴの奴、そんなこと一言も)
少し怒りのようなものを覚えたが、自制した。
ファドックが不審そうに彼女を見た。だがエイラはそれを気に留めない。
「時間がありません。あなたにはまだ〈守護者〉の自覚がない。けれどあなたには翡翠を守る力があります」
自分が何を言っているのかエイラには判らなかった。
いや、判っていた。それは突如「目隠し」が外されたかのようで、何故こんな当たり前のことに気づいていなかったのか、自分を不思議に思うだけ。自身の瞳がいま、緑がかって見えるようになっていることなど、自分では判るはずもない。
「翡翠、と?」
ファドックは何かを思い出すように目を細めた。
「私は、貴女を知っているような気がする――セリ」
「そうでしょう。〈守護者〉はリ・ガンを見分けます」
エイラは簡単にそう言い、「エイル」ならばしたであろう動揺を見せなかった。
「自覚はなくとも、あなたは判っているはずなのです。だから、レンを遠ざけたい。あれの狙いは翡翠だから」
「何だと」
ファドックの声が低くなった。
「何を知っている」
「全てを」
エイラの応えは簡単だ。
「私は全てを知っています、
「翡翠。〈鍵〉。――
ぎゅっと胸が痛くなった。その瞬間、エイラの瞳から緑のきらめきが消える。
「あ……いや、その……」
エイラの目が泳いだ。自分は何を――言っていた?
「その……彼も関わってること、なんです。かつて、この城にいた少年」
「エイルを知っているのか」
「――ええ」
エイラはうなずいた。
(知っています)
(誰よりもよく!)
内心の声は抑える。
「彼は、どうしている?」
「元気で……やってますよ。あなたが……彼のことを覚えていたと知ったら、喜ぶでしょうね」
胸が痛い。
(俺です)
(ここにいるのはエイルなんです、ファドック様!)
そのようなことを言えるはずがない。エイラは力なく笑った。
「無事でいるのなら、いい。母親が心配している。彼に会うことがあるのなら、また手紙を送るよう、伝えてくれないか」
「……はい」
涙が出そうだ。必死で堪えた。泣いたりしたら奇妙に思われるし――いまは、そんな場合でもないのだ!
「その、セラス」
「力を貸してもらえますか」
「それが、シュアラ姫のためになることならば」
「なります」
ファドックは即答し、エイラもまた即答した。
「私はレンからシュアラ……様をお守りしたいんです」
「レン」
ファドックは繰り返した。
「レンの狙いは翡翠だと言ったな。どういう意味なのだ」
「そのままです。ここの宝物庫に眠る翡翠は、穢れを払うために目覚めるときを待ってる。そう言ったのを覚えていませんか……あの、エイルが、言ったのを」
不自然でない程度の間ののちに、慌ててつけ加えた。
「覚えている」
ファドックはうなずいた。
「リャカラーダ殿下が、エイルの言った翡翠に関わりがあるのかもしれぬ、というようなことも」
「そ」
そのような話をしただろうか、と「エイル」は思い返した。いろいろあって、忘れてしまった。
「彼もまた、翡翠を求めるのではないか、とエイルは言ったのだ」
「そ、そうですか」
だから――そんな話をしたから、シーヴに再会したときに自分は不要の警戒をしたのだろうか。ふとそんなことを思う。
「でも違います。
「リ・ガンとは、何だ」
エイラは苦笑いをした。みなが問う。シーヴも、ゼレットも。だがうまく言えない。リ・ガンは、リ・ガンだとしか。
「その……翡翠を目覚めさせる役割を持つ存在、です。そして……翡翠の力を操ることのできる」
考えながらそんなことを言った。
「穢れを払うという力か?」
「ええ」
エイラはうなずいた。
「けれど、それだけじゃありません。翡翠は、穢れを集めることもできます。レンの狙いはそれなんじゃないかと……だから、レンが狙うのは私でもあります」
すっとファドックの目が細められた。
「セリが狙われると」
「レンが翡翠を手に入れても、たぶん、それだけじゃどうしようもない。私を捕まえないと。そうでなくて、もし何か翡翠の力を操る方法が彼らにあったとしても、それなら私がいれば彼らの邪魔になります」
捕らわれるか殺されるかだと言った。
「リティアエラ嬢。怖ろしくは、ないのか」
エイラが淡々と言ったことに驚いたのだろうか。ファドックは問い、エイラは首を横に振った。
「捕まれば、もちろん怖ろしいことになります。けれど、捕まるのではないか、見つかれば殺されるのではないか、という怖れでしたら、抱いても無駄です」
やはり淡々と言った。翡翠を狙う者がいるなら、避け難い話だし、怖れて身をすくませることに何の益もないと考えている。
通常「怖れ」とは、「無駄だから抱かないようにしよう」と思って自制できるものではない。――人間ならば、だ。
「貴女は、レンの敵か」
「どうでしょう。少なくとも味方じゃないですけど」
「だから私にこのような話を?」
ファドックの言葉の意味にむっとした。つまり護衛騎士は、レンに敵対させるために自分を騙そうとしているのではないか、と言っているのだ。
「馬鹿なこと、言わないでください! 判ってるはずです、ファドック様は! あなたは〈守護者〉で俺はリ・ガンだ。好きでこんなことしてる訳じゃないけど、でもあなたは判ってるはずでしょう、レンに翡翠を渡しちゃいけないんだ!」
ファドックが不思議そうな顔をした。それはまるで、
「その……私を信頼してください、セラス」
良心の呵責を覚えながら、「気を散らす」術を使った。エイラのなかに「エイル」を見られたくは、ない。
「レンの狙いは翡翠なんです。私はそれを呼び覚ますことができる。そして穢れを払ってしまえば、彼らはここの翡翠を狙う意味がなくなります。だから、そうなればもう、レンがシュアラ殿下とアーレイドを悩ますことはなくなるんです」
「とても奇妙だ、セリ」
ファドックは言った。
「このようなことを言っては申し訳ないが」
あとにしてきた部屋を見通すかのように一度壁を見て、ファドックはまたエイラに視線を戻した。
「以前にリャカラーダ殿下がアーレイドを訪れられたとき、私はもしや
(……知ってます)
(おかげで、えらい目に遭った城の少年がいたことも)
エイラはそんなふうに思ったが、当然口には出さず、ファドックの言葉を聞く。
「無論、
「なっ……」
エイラは絶句した。
(シーヴの奴、そんなこと一言も)
少し怒りのようなものを覚えたが、自制した。