7 お気の済むように
文字数 3,901文字
扉は、何の断りもなく乱暴に開けられた。
部屋の仮の主はそれに驚いた顔を見せることなく、館の主がすらりと細剣を抜いたのを見ても眉ひとつあげなかった。
「お前の仕業だな」
「いいえ」
サズは何のことかというような問い返しはせず、ただ首を振った。
「思ったよりも時間がかかったようですね。閣下に仕える方々は、意志が強い」
「術を解け」
「私はそのようなものはかけておりません」
「お前がであろうと誰がであろうと、かまわぬ。解け」
ゼレットは無駄のない動作で切っ先を魔術師へと向けた。サズはやはり顔色ひとつ変えない。
「これは私でも、閣下がお疑いのようにどこかにいる私の主の仕業でもありませんよ」
「知っておるくせに、そうして恍 けるか」
「それはこちらの台詞です」
サズは、座っていた椅子から立ち上がった。ゼレットは油断なくサズに剣を向けたままだ。
「閣下に近しい方々が伏せられたのは病ではなく、呪いか何かだと思われておりますね。ある意味では間違いではございません。魔術をお嫌いになるのに、鋭くていらっしゃる」
「厭う存在には敏感になるものだ」
ゼレットは不機嫌な表情のままで言った。
「ですが、その『呪い』を解けるとしたら、それは閣下にほかなりませんよ」
「何」
ゼレットは眉根をひそめた。
「何を戯けたことを」
「事実です」
サズは、ゼレットの細剣など全く気にならないように伯爵を見た。実際、気にしていないのだろう。
「閣下は、この淀みを作り出したのが私だと思ってらっしゃる。けれど違います。これは、閣下がお隠しになっているものが作り出して……いえ、集めて いるのですよ」
ゼレットの目が疑わしそうに細められた。
「お前の望みのものか。俺は隠してなどおらんと言ったはずだ」
「そうですね。――確かに、以前は」
サズは片手を振った。ゼレットはうめき声を発する。右腕に痺れるような衝撃が走り、その手から剣は音を立てて落ちた。ゼレットは忌々しそうに剣を見て、サズを睨んだ。
「愛人 にそのようなものを向けるのはおやめください、閣下」
「――は!」
ゼレットは言い捨てた。
「ではこれは積もった恨みの復讐かね、サズ君。俺に抱かれることが気に入らなくて、このような真似をするのか」
「勘違いをされておいでですよ」
サズはゆっくりと言った。
「まず、私は閣下を恨んでなどおりません。私が閣下に触れさせまいと思えばいくらでもそうできることはお判りの通り」
サズはゼレットの右腕と剣を指し示し、両腕を広げた。
「閣下の興を買うために耐え忍んでいると思われたのでしたら、誤解です。魔術師のなかには、異性との交流は魔力を減じると考える者もおります。我々の間でこの交流が忌まれることは、閣下が案じられるほどには、ございません」
「我々 」
ゼレットは繰り返した。
「レンだな 」
「もちろん、とうにご存知でいらしたでしょうね」
サズの口の両端が上がった。それは、いつも無表情を保つか困るか躊躇うか、しかしてなかった「占い師」の印象を一気に変える笑いだった。
「そう。レンでは、クジナと言われる関係もラムドと言われる関係も、何も珍しくございません。それでも男女の関係がいちばん多くございますし、私をそうした対象にと望む度胸ある者もレンにはおりませんでしたが」
「度胸、だと」
ゼレットはサズを見据えた。
「お前は、何者だ」
「申し上げました。偽りなく」
サズは、しかしその口調は変えぬままで言った。
「我が名はサズ。父はカーディルの生まれ。申し上げなかったことももちろん、ございます。私自身の故郷については、閣下ももうご存知の通りですが」
ゼレットは、何がどう続くものかと黙って聞いた。
「我が父の母イエット・カンベルは……レヴォル・カーディル閣下、即ちゼレット閣下のご祖父君の執務官をしておりました」
「……何だと」
ゼレットは片目をひそめた。
「閣下は、ご祖父君によく似ていらっしゃるようですね。レヴォル閣下と祖母の間に生まれたのが私の父だと申し上げたら――どうされますか」
「大した、嘘つきだな」
ゼレットはきっぱりと言った。サズは笑う。
「嘘だと言われるのですか。何故です」
「お前に俺と同じ血が流れているなどとは、思えんからだ」
「さすがに鋭くていらっしゃる。その通り、いまのは嘘です。閣下の勘を確かめさせていただきたかった」
サズは全く悪びれもせずに言った。
「レヴォル閣下に仕えていたことは本当です。祖母ではなく、祖父でしたが」
「大嘘つきの正体を顕し始めたか?」
ゼレットは睨みつけたままで言う。サズは首を振った。
「ただ、閣下にお判りいただきたいだけ。私の嘘など、閣下はいまのように見抜かれる。嘘と、疑わしくは思われても嘘とは感じられないこととの区別をしていただきたいだけです」
「……では」
ゼレットは低い声で言った。
「続けてみろ」
「カーディルに生まれ育った父が、レンの魔術師である母と出会ったのは偶然です。男女の出会いは運命、と言うのであれば別ですけれど」
挟まれた軽口にゼレットは何も言わず、ただ続きを待つ。
「父は翡翠 の話を祖父から――つまりは、閣下の祖父君から聞いていたようです。母は興味を持ちませんでしたが」
「お前は持った、と?」
「いいえ」
サズはまた首を振った。ゼレットは眉をひそめる。
「母は興味を持たず、私も持たなかった。母は〈変異〉の年に時期が合わなかったという 翡翠だの変異だのと知っていることを何も隠さなくなってきたサズに、ゼレットは眉をわずかにひそめた。だが、占い師を名乗った青年が言わんとしたことはそのことではなかった。
言葉は、こう続いた。
「レンの 王妹姫 である というのは、なかなかに忙しいものなのですよ」
「……何、だと」
ゼレットは、その言葉が意味するところに――ぞっとした。母親が、レン王の妹。この青年はそう言ったのか。
では、その息子は?
「そう、私はレン の王甥と いうことに なります 。ですから、私に主はいないのですよ、閣下。――レン王家の者は他者に隷属など、いたしませんから」
「……ふん」
ゼレットは口髭を歪めた。
「面白い。俺の愛人は王甥殿下か」
「そうなります」
サズは平然と言う。
「閣下はこうして、王家の者と深い関係になられたのですから、レンを訪れられた際には、賓客としておもてなしいたしますよ」
「結構。王甥殿下でも占い師でもかまわん。俺の雇い人には手を出さんでもらおう」
サズの皮肉には何も答えず、ゼレットはそう言った。
「申し上げましたでしょう、閣下は私の嘘を見抜かれる。つまり、私が身分を騙ってなどいないとお判りですね。ならば、私が呪いなどかけていないことも、お判りでしょう」
「どうかな」
ゼレットは言った。先にカーディル家の血を引くと言われたときのようには「嘘だ」とは思わない。だが、簡単に認めてやる気にもならなかった。
「レンディアル・ウェレス王の臣下たる閣下に、レン王家の名誉など何の関わりもございませんでしょうが、それでも」
サズは何か仕草をした。一瞬 ゼレットは警戒をしたが、それは術をかける動作ではなく、何か誓いの仕草のようなものらしかった。
「我が名誉にかけて誓いましょう。私は閣下の大事な彼らに、何の術もかけてなどおりません」
「……お前はそれが『翡翠 』の仕業だと言うのだな」
「ええ 」
サズはうなずいた。
「隠され、眠っていたものが、見つけら れたことで 目覚めようとしております。だが、穢れは払われず、むしろ集められている。力を操るものがいないからです」
「穢れを集めていると? それが、呪いの正体か?」
ゼレットは胡散臭そうな顔をしながらサズの言葉にそう言った。サズが言わせようとしたことには――答えなかった。
見つけられた、と。
サズは、ゼレットが翡翠を見つけたと考えている。ゼレットには確かに疑わしく思っていることがあったが、伯爵はそれについて考えるのを留めた。考えれば、全て読まれるように思った。
「そうなります。そしてそれは、閣下がそれを隠されているせい、ですよ」
無意味なことです、とサズは言った。
「では、俺が隠しやめればお前がその穢れを払うと持ちかける気だな?」
ゼレットの言葉は疑いや問いというより、確認であった。
「ええ 」
今度は、レンの王甥は自らの目的を否定しなかった。
「断る」
だがゼレットの答えは同じだった。
「お前には、決して手を貸さぬ」
「では、穢れは消えませんよ、閣下」
サズは続ける。
「閣下を信じている者たちを裏切るのですか。彼らを救えるのに救わぬと」
「お前の力は借りぬと言っている」
「もしや魔術師協会 などを頼る気ですか。役には立たぬと思いますが……」
サズは首を振った。
「いいでしょう。閣下のお気の済むように。すぐに、私の助けが要ると判断されるでしょうが」
サズは笑みを抑え、表情の薄い占い師の顔に戻ってそう言った。ゼレットはこの男をどうしてやろうかとしばらく睨みつけ──ふと視線を逸らすと足下の剣を拾い上げ、黙ってその部屋をあとにした。
部屋の仮の主はそれに驚いた顔を見せることなく、館の主がすらりと細剣を抜いたのを見ても眉ひとつあげなかった。
「お前の仕業だな」
「いいえ」
サズは何のことかというような問い返しはせず、ただ首を振った。
「思ったよりも時間がかかったようですね。閣下に仕える方々は、意志が強い」
「術を解け」
「私はそのようなものはかけておりません」
「お前がであろうと誰がであろうと、かまわぬ。解け」
ゼレットは無駄のない動作で切っ先を魔術師へと向けた。サズはやはり顔色ひとつ変えない。
「これは私でも、閣下がお疑いのようにどこかにいる私の主の仕業でもありませんよ」
「知っておるくせに、そうして
「それはこちらの台詞です」
サズは、座っていた椅子から立ち上がった。ゼレットは油断なくサズに剣を向けたままだ。
「閣下に近しい方々が伏せられたのは病ではなく、呪いか何かだと思われておりますね。ある意味では間違いではございません。魔術をお嫌いになるのに、鋭くていらっしゃる」
「厭う存在には敏感になるものだ」
ゼレットは不機嫌な表情のままで言った。
「ですが、その『呪い』を解けるとしたら、それは閣下にほかなりませんよ」
「何」
ゼレットは眉根をひそめた。
「何を戯けたことを」
「事実です」
サズは、ゼレットの細剣など全く気にならないように伯爵を見た。実際、気にしていないのだろう。
「閣下は、この淀みを作り出したのが私だと思ってらっしゃる。けれど違います。これは、閣下がお隠しになっているものが作り出して……いえ、
ゼレットの目が疑わしそうに細められた。
「お前の望みのものか。俺は隠してなどおらんと言ったはずだ」
「そうですね。――確かに、以前は」
サズは片手を振った。ゼレットはうめき声を発する。右腕に痺れるような衝撃が走り、その手から剣は音を立てて落ちた。ゼレットは忌々しそうに剣を見て、サズを睨んだ。
「
「――は!」
ゼレットは言い捨てた。
「ではこれは積もった恨みの復讐かね、サズ君。俺に抱かれることが気に入らなくて、このような真似をするのか」
「勘違いをされておいでですよ」
サズはゆっくりと言った。
「まず、私は閣下を恨んでなどおりません。私が閣下に触れさせまいと思えばいくらでもそうできることはお判りの通り」
サズはゼレットの右腕と剣を指し示し、両腕を広げた。
「閣下の興を買うために耐え忍んでいると思われたのでしたら、誤解です。魔術師のなかには、異性との交流は魔力を減じると考える者もおります。我々の間でこの交流が忌まれることは、閣下が案じられるほどには、ございません」
「
ゼレットは繰り返した。
「
「もちろん、とうにご存知でいらしたでしょうね」
サズの口の両端が上がった。それは、いつも無表情を保つか困るか躊躇うか、しかしてなかった「占い師」の印象を一気に変える笑いだった。
「そう。レンでは、クジナと言われる関係もラムドと言われる関係も、何も珍しくございません。それでも男女の関係がいちばん多くございますし、私をそうした対象にと望む度胸ある者もレンにはおりませんでしたが」
「度胸、だと」
ゼレットはサズを見据えた。
「お前は、何者だ」
「申し上げました。偽りなく」
サズは、しかしその口調は変えぬままで言った。
「我が名はサズ。父はカーディルの生まれ。申し上げなかったことももちろん、ございます。私自身の故郷については、閣下ももうご存知の通りですが」
ゼレットは、何がどう続くものかと黙って聞いた。
「我が父の母イエット・カンベルは……レヴォル・カーディル閣下、即ちゼレット閣下のご祖父君の執務官をしておりました」
「……何だと」
ゼレットは片目をひそめた。
「閣下は、ご祖父君によく似ていらっしゃるようですね。レヴォル閣下と祖母の間に生まれたのが私の父だと申し上げたら――どうされますか」
「大した、嘘つきだな」
ゼレットはきっぱりと言った。サズは笑う。
「嘘だと言われるのですか。何故です」
「お前に俺と同じ血が流れているなどとは、思えんからだ」
「さすがに鋭くていらっしゃる。その通り、いまのは嘘です。閣下の勘を確かめさせていただきたかった」
サズは全く悪びれもせずに言った。
「レヴォル閣下に仕えていたことは本当です。祖母ではなく、祖父でしたが」
「大嘘つきの正体を顕し始めたか?」
ゼレットは睨みつけたままで言う。サズは首を振った。
「ただ、閣下にお判りいただきたいだけ。私の嘘など、閣下はいまのように見抜かれる。嘘と、疑わしくは思われても嘘とは感じられないこととの区別をしていただきたいだけです」
「……では」
ゼレットは低い声で言った。
「続けてみろ」
「カーディルに生まれ育った父が、レンの魔術師である母と出会ったのは偶然です。男女の出会いは運命、と言うのであれば別ですけれど」
挟まれた軽口にゼレットは何も言わず、ただ続きを待つ。
「父は
「お前は持った、と?」
「いいえ」
サズはまた首を振った。ゼレットは眉をひそめる。
「母は興味を持たず、私も持たなかった。母は〈変異〉の年に時期が合わなかったという 翡翠だの変異だのと知っていることを何も隠さなくなってきたサズに、ゼレットは眉をわずかにひそめた。だが、占い師を名乗った青年が言わんとしたことはそのことではなかった。
言葉は、こう続いた。
「
「……何、だと」
ゼレットは、その言葉が意味するところに――ぞっとした。母親が、レン王の妹。この青年はそう言ったのか。
では、その息子は?
「そう、
「……ふん」
ゼレットは口髭を歪めた。
「面白い。俺の愛人は王甥殿下か」
「そうなります」
サズは平然と言う。
「閣下はこうして、王家の者と深い関係になられたのですから、レンを訪れられた際には、賓客としておもてなしいたしますよ」
「結構。王甥殿下でも占い師でもかまわん。俺の雇い人には手を出さんでもらおう」
サズの皮肉には何も答えず、ゼレットはそう言った。
「申し上げましたでしょう、閣下は私の嘘を見抜かれる。つまり、私が身分を騙ってなどいないとお判りですね。ならば、私が呪いなどかけていないことも、お判りでしょう」
「どうかな」
ゼレットは言った。先にカーディル家の血を引くと言われたときのようには「嘘だ」とは思わない。だが、簡単に認めてやる気にもならなかった。
「レンディアル・ウェレス王の臣下たる閣下に、レン王家の名誉など何の関わりもございませんでしょうが、それでも」
サズは何か仕草をした。一
「我が名誉にかけて誓いましょう。私は閣下の大事な彼らに、何の術もかけてなどおりません」
「……お前はそれが『
「
サズはうなずいた。
「隠され、眠っていたものが、
「穢れを集めていると? それが、呪いの正体か?」
ゼレットは胡散臭そうな顔をしながらサズの言葉にそう言った。サズが言わせようとしたことには――答えなかった。
見つけられた、と。
サズは、ゼレットが翡翠を見つけたと考えている。ゼレットには確かに疑わしく思っていることがあったが、伯爵はそれについて考えるのを留めた。考えれば、全て読まれるように思った。
「そうなります。そしてそれは、閣下がそれを隠されているせい、ですよ」
無意味なことです、とサズは言った。
「では、俺が隠しやめればお前がその穢れを払うと持ちかける気だな?」
ゼレットの言葉は疑いや問いというより、確認であった。
「
今度は、レンの王甥は自らの目的を否定しなかった。
「断る」
だがゼレットの答えは同じだった。
「お前には、決して手を貸さぬ」
「では、穢れは消えませんよ、閣下」
サズは続ける。
「閣下を信じている者たちを裏切るのですか。彼らを救えるのに救わぬと」
「お前の力は借りぬと言っている」
「もしや
サズは首を振った。
「いいでしょう。閣下のお気の済むように。すぐに、私の助けが要ると判断されるでしょうが」
サズは笑みを抑え、表情の薄い占い師の顔に戻ってそう言った。ゼレットはこの男をどうしてやろうかとしばらく睨みつけ──ふと視線を逸らすと足下の剣を拾い上げ、黙ってその部屋をあとにした。