第58話 キスの後のラーメンともじもじする朔とそっと自分の唇に触れること

文字数 962文字

 唇が離れた後、小さく喘いだ菜月の表情がセクシーで、朔は思わず見惚れた。菜月が、照れくさそうに笑った。
「すっかり体が冷えちゃった。何かあったかいものを食べに行かない?」
「はい」


 だが、朔の気持ちとは裏腹に、現実は、なかなかロマンチックとはいかない。運転しながら、菜月が街道沿いのラーメン屋を指して言った。
「ここがいいわ」
「はぁ」
 初めてのキスの後で、ラーメン? そう思ったが、止める間もなく、菜月はラーメン屋の駐車場に向かってハンドルを切る。


「いらっしゃい」
 暖簾をくぐると、威勢のいい声が飛んで来た。カウンター席では、作業服を着た男性二人がラーメンと餃子をかき込んでいる。
 菜月は、臆することなく入って行って、奥のテーブル席に座った。
「何にしようか」
 壁のメニューを見上げている菜月に倣い、朔も顔を上げる。菜月はバターコーンラーメンを、朔はチャーシューメンを注文した。
 ラーメンはとてもおいしく、麺をすする菜月がかわいらしく、朔は、こんなデートもいいものだと思った。食べ終わる頃には、体も心もすっかり温まり、菜月の頬はバラ色に染まっていた。
 
 
 マンションに送り届けてもらったときには、すでに日が落ちていた。菜月に、部屋に寄って行ってもらいたい気持ちはあるのだが、野山との次の打ち合わせまでに、数枚の挿絵のラフを仕上げておかなくてはならない。
「先生」
 別れ際、助手席の朔は、菜月を見つめる。もう一度、キスがしたい。
 だが、なかなか言い出せない。思い切りがつかずにもじもじしていると、菜月が微笑んだ。
「寒かったけど、楽しかったね。お仕事がんばってね。私も、明日から学校よ」
 
 暗に、今日はこれでお終いだと言われたようで、朔は仕方なくシートベルトを外す。
「先生も、がんばってください。風邪引かないようにしてくださいね」
「ありがとう。影森くんもね」
「また連絡します」
「待ってるわ」
 ウィンドウを開け、笑顔で手を振ってから、菜月は車を出した。朔は、テールランプが見えなくなるまで見送る。
 恋人になって初めてのデートは、終わってみるとあっという間だった。だが、初めてのキスのことは、これから何度も思い出すことになるに違いない。
 マンションの玄関ロビーに向かいながら、朔は、そっと自分の唇に触れてみる。菜月の唇は、とても柔らかかった。
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