第75話 伝えなければならないことと後悔していることと自分に対する言い訳

文字数 1,016文字

     影森くんへ
     
 おかしいわね。私たち、とっくに教師でも生徒でもないのに、今もあの頃のまま「影森くん」、「先生」と呼び合っているなんて。
 でも、なんだか私たちらしくて気に入っています。
 
 ところで、君に伝えなければならないことがあります。
 落ち着いて読んでね。この手紙は、地元の幼なじみの女性に託しました。
 今、君がこれを読んでいるとき、私はもういません。そういうことになったとき、君宛にこの手紙を出してもらうようにお願いしてあるのです。
 
 もっとも、私の病気がそこまで深刻だというわけではなく、これは保険のようなものです。無事回復したときには、この手紙は返してもらい、破棄するつもりです。
 でも、万が一のときのために、ここに私の気持ちを記しておきます。
 
 まず初めに、君が辛い境遇にあることを知りながら、何も出来なかった、いえ、何もしなかったこと、今も後悔しています。謝って許されることではないけれど、本当にごめんなさい。
 あの頃は、不用意に手を出して事態を悪化させるより、静かに見守ることが正しいと思っていたの。自分の考えが間違っていたことに気づいたのは、君のご両親が亡くなったことを知ったときでした。
 私が行動を起こしていたら、お二人の命が失われることはなかったかもしれない。いくら後悔してもしきれません。
 
 君を助けることもせず、そのくせ、君を守りたいと思っていた私は、本当に救いようのない馬鹿です。それなのに君は、そんな私のことを、いつも真っ直ぐな目で見つめてくれたね。
 そんな君と接するうちに、いつしか私にとって、君の存在が大きくなっていました。自分の気持ちに戸惑いながらも、君と過ごす時間は特別なものでした。
 
 二人で美術館に行ったことは、いい思い出です。
 あのとき買った香堂黎のポストカード、覚えてる? 私は、今も大切に取ってあります。
 絵を見た後、一緒にお昼ご飯を食べたね。平気なふりをしていたけど、本当は、ちょっと照れくさかったの。
 実質的には、あれが初めてのデートね。
 
 卒業式の日、これからも連絡を取り合おうと言ったのは、君のことが心配だったせいもあるけれど、それだけじゃなく、この先も君と繋がっていたいと思ったからです。
 私はたしか、「お友達にならない?」って言ったんじゃなかったかな。あれは多分、自分に対する言い訳です。
 十一歳も年下の教え子に恋愛感情を抱いているなんて認めたくなかったの。
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