第1話 もう会えない人を思うことと何度も呼び鈴を押すこと

文字数 1,047文字

 暗い部屋の窓辺に置いた椅子に座り、空を見上げる。
 今夜は居待ち月。あなたが教えてくれた月の名前だ。
 真円よりいくらか欠けた月を眺めながら、今日もあなたのことを考える。もう二度と会えないあなたのことを。
 
 
 
 何度目かに呼び鈴を押し、もうあきらめようかと思い始めた頃、ようやく重々しい木のドアが開いた。
「あの」
 言いかけた陽太(ようた)を、長めの前髪の間から気だるそうに見たのは、二十代半ばか後半くらいに見える痩せた男性だった。その人が、髪をかき上げながらぶっきらぼうに言う。
「何」
「いや、あの、アルバイトの件で電話をした……」
 陽太が話している途中で、男性は振り返り、奥に向かって声を上げた。
(のぞみ)。おい、望!」
 そしてそのまま、中に入って行ってしまう。
 
 なんなんだあれ、感じ悪いな。
 そう思いながら、開けっ放しのドアの向こうを見回す。やけに広い玄関ホールには、白っぽいマーブル模様の石が敷きつめられていて、よく知らないが、これが大理石というやつかもしれない。
 きょろきょろしていると、さっき男性が入って行った奥のドアが開いて、そこから、右足をギプスで固めた別の男性が、二本の松葉杖をつきながら出て来た。
「ごめんごめん、こんな状態なもんで、お待たせしちゃって」
 さっきの人より、いくらか若く見える彼は、親しみやすい笑顔を浮かべていて、陽太は少し安心する。彼がさっきの電話の相手らしい。
「いえ……」
 
 
 子供の頃から、人付き合いも勉強も苦手だった陽太は、なんとか入り込んだ大学にも馴染めず、すぐにドロップアウトしてしまった。そしてそのことは、すぐに両親にバレた。
 父親にはクズ呼ばわりされ、学校に行かないなら働けと言われたのだが、そもそも大学に進学したのは、就職したくないというのが本当の理由だった。別に働くのが嫌だというわけではなく、人とコミュニケーションを取ることが苦手で、正直に言うと、社会に出ることが怖かったのだ。
 それで、家にいづらくなった陽太は、少し前から、彼をかわいがってくれる、一人暮らしの祖母の家に身を寄せていた。祖母は、「陽ちゃんがいたいだけいていい」と言ってくれている。
 
 だが、さすがに申し訳なく、世話になる間、毎日パートに出ている祖母の代わりに、意外と嫌いではない掃除と洗濯を引き受けることにした。とは言え、掃除機と洗濯機がやってくれるそれらは、たいした手間も時間もかからずに終わってしまう。
 時間を持て余した陽太は、人気のない田舎の町を、毎日あてどもなくふらふらと歩き回った。
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