第41話 卵焼きと菜月の心配と朔の衝動

文字数 740文字

 その日二人は、山の中腹まで車で行って、あずま屋で弁当を広げていた。
「外に出るの、何日ぶり?」
「う~ん……でも、三日ぶりくらいかな」
「そう。お仕事、大変ね。ちゃんと食べてる?」
「うん。ときどき望が料理を作りに来てくれるし、叔母さんも、いつも望にいろいろ持たせてくれるし」
 だが、本音を言うと、菜月の弁当が一番うれしい。朔は、卵焼きを箸で挟みながら言った。
「小さい頃から絵を描くことは好きだったけど、まさかこんなに毎日、休みなく描くことになるとは思わなかった」

 菜月が心配そうに言う。
「まだ高校生なんだし、もう少し仕事の量をセーブしてもらったほうがいいんじゃない? 体も心配よ」
「マネージメント会社の人は、来年からは、もっと仕事を選んで、余裕を持って描けるようにするって言ってくれてるけど」
 今は休学中で、いつ登校を再開するかは未定だが、朔自身は、退学してしまってもいいと思っている。だが、菜月は言った。
「やっぱり、高校はきちんと卒業しておいたほうがいいと思うわよ。今はまだ実感がわかないかもしれないけど、たとえば将来、もしも別の仕事をしたくなったときに、中卒か高卒かで選択肢も変わって来ると思うし」
「そうか……」

 たしかに、今はピンと来ないが、大学を卒業した菜月が言うのだから、そういうものなのだろう。菜月が、朔の将来のことを心配してくれていることがうれしい。
 弁当を食べ終わると、再び車に乗って山を下り、いつものようにマンションの前まで送り届けてもらった。部屋に戻って一休みしたら、描きかけの絵の続きをやらなくてはいけない。
 別れ際、朔は毎回、菜月を部屋に誘いたい衝動に駆られるのだが、まだ一度も口に出したことはなかった。断られるのが怖いし、多分、菜月は断るような気がするのだ。
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